火曜日: 覚醒
夢: 真鋭 [東雲萌]
『んぁ〜ぁ〜ー』
僕の稽古を朝から眺めていたお師匠様は、ぼけ〜とした声を出した。
お師匠様は何時もこんな感じだったけど、その日は特にぼけ〜っとしていた気がする。
——えい、えい、えい、えい!
僕は、『続け』をずっと頑張っていた。
この時までに、お師匠様から教えて貰っていたのは、『右蜻蛉』と『左蜻蛉』と言う刀の置き方(構え方とは違うものだと教えてくれた)と、『続け』と『懸り』と言う二種類の斬り方だった。
僕の飲み込みが悪かったから『続け』と『懸り』の二つしか教えて貰うことはできなかった。
『ん〜ぁー、まだまだだなぁ、萌ちゃんよぅ』
——うぅ〜、ぜいぜい……はぁはぁ、おししょうさま〜、どういうふうにまだまだなんですかぁ〜。
『だからなぁ、まだまだなんだよなぁ〜』
髪の毛をポリポリとかきながらも、お師匠様はぼけ〜としていた。
よっと、と言う掛け声と共にお師匠様が立ち上がり、パンパンと袴についた土埃を払った。
『お前さんには、まだ「抜き」は教えてないよな?』
——はい。でも、おししょうさまがいっかいだけみせてくれました。
『見せたの、最初に会った日だったっけか。抜きは一人前になってからじゃないと意味無いからなぁ……』
——?
『刀を抜けて半人前、敵を斬って一人前ってこった。まっ、抜かずの勝ちが最上の勝利で、抜いての勝ちは片手落ち、斬っての勝ちは勝利と呼べないまがいもん、つう言葉もある訳でだ。あ〜、やばいな、今日は何時にも増して言ってることが滅茶苦茶だな、俺』
——よくわかりませんけど、おししょうさま、かっこいいとおもいます!
『おう。あ〜、そぅだぁなぁ〜……。死んでも刀を抜くなとか、意地で斬れとかは教えたっけか?』
——はい! よくわかりませんでしたけど、いっぱいわかりました!
『おう、流石は俺。教え方も超一流だな』
——はい、おししょうさまかっこいいです!
『ん、待てよ……。お前さんがまだまだってことは……師匠である俺の教え方に問題ありってことか? ——そう、なるよな……?』
——?
『……』
——……。
『くぉらぁ、萌ェィ。こんにゃろ、こんにゃろ』
——うぁぁ、いたい、いたいです、ぐりぐりはいたいです、おししょうさま〜。
『さてと可愛い弟子とのふれあいも終わったところで本題に入るか』
——うぅ〜、ぼうりょくはんたいです。
お師匠様が脇に置いてある雑木を一本拾った。
『ほれ、蜻蛉に取ってみ』
僕は一つ頷いて、持っていた雑木を右蜻蛉に取った。
右足一歩前出して、両足の小指を真っ正面に向かせる——こうすると左右には動きづらくなるけれど、真鋭ジゲンの剣士の体移動には前進と言う文字しかない。
雑木を持った右手を右肩の上にピンと伸ばし、左手で雑木の端を握って右手に添えるようにする——左肘を体の中心線上に置き、雑木を振り下ろしても左肘はこの中心線上をズレないように心がけ、背筋は真っ直ぐに、そして両膝を深く、左膝は地面につくスレスレまで曲げる——、
これが右蜻蛉だ。右足じゃなくて左足を前に出して、右手を左肩の上にピンと伸ばして雑木を取るのが左蜻蛉だ。
蜻蛉からの振り方は二つしかない。相手の右肩から股下に向かって斬る
他にもアルファベットのYの字のように、肩から中心線へ入って、そこから真下へ斬り下ろすやり方もある、ってお師匠様は教えてくれた。ぶった切れればどっちだっていいから両方稽古しとくんだぞ、とも。
『ほんじゃいっちょいくか。萌、いくぞー』
——はい!
お師匠様がのんびりとした声を出して、手の持った雑木をゆっくりゆっくりと右蜻蛉に、
——……ぁ、わっ。
吹き荒れた剣風のせいで、僕は尻餅をついていた。
何も——完全に何も見えなかった。
お師匠様が雑木を蜻蛉に取ったと思った瞬間、今まで経験したこともない爆風が僕の体を押し倒した。お師匠様は僕に雑木が当たる直前に寸止めしてくれていたけれど、振り下ろされた雑木は空気を裂き、轟音を辺りに響かせながら荒れ狂う暴風をところかしこに走らせていた。
境内の木々のざわめきが遠くから聞こえた。
『こらこら、萌ちゃ〜ん。今の確実に死んだぞー。可愛い声だしたって敵さんは待ってくれねぇーぞー』
言葉では言い表せない一刀を放っていても、お師匠様はのんびりとした声のままだった。コツンコツンと僕の額を雑木で軽く叩いた。
——……す、すごいです、おししょうさま。
『ん? どうした? 今更俺の凄さにビビっちまったか? まぁこれでもお前さんの師匠だしな。弟子の前じゃ変なところは見せられねーよ』
——おししょうさま! すごいです! かっこいいです!
『ほれほれ、手を貸しな。ぃよっと。さてと、萌、お前さんは何で斬られたと思う?』
——はい! おししょうさまがすごくすごいからです!
『ちょいさ』
——あう。
ポカリと頭を軽く叩かれた。
『違うぞ、萌』
——えぇー、うぅ〜。
『ヒント。俺達ジゲンの剣士は?』
——たにんに、りゆうを、もとめない……あっ!
『お、分かったか?』
——はい! きられたのは、ぼくがおししょうさまよりおそくて、おししょうさまよりよわいからです。
『お、近づいたな。もう一声』
——えぇと、うぅ〜ん……。んんぅと……。たにんに、りゆうを、もとめない、から……あっ! わかりました!
『おう、言ってみそ』
——おししょうさまにやられたのは、ぼくがおそくて、ぼくがよわいからです。
『おっし、正解だ。やればできるじゃねぇーか、萌ちゃ〜ん』
——ひぃぃ〜、かみのけくちゃくちゃもやめてください〜。
『他人に理由を求めない、ってのはそう言うこった。敵が速いから負けたんじゃねぇ。敵が自分よりも速いから負けたんでもねぇ。自分が敵より遅いから負けたってのもちぃと違う。自分が遅いから負けたんだ。他人に何も押し付けるな、自分の全てを自分自身で背負うんだ』
——……。
お師匠様はぼけーっとしてたり、おちゃらけてたりしたけど、時々凄い真剣な顔をして大事なことを教えてくれた。そう言う時の僕は、決まって無言でただただお師匠様の言うことを理解しようと一生懸命だった。
『俺達の剣は単純すぎるほど単純だ。世の中、もっと技巧を凝らした沢山の古式剣術がある。恩寵剣術を入れたらもうどのくらいになるか検討もつかねえ』
『他流派の練りに練られた技や術と比べて、俺達の剣は簡単過ぎだな。速く斬る、一刀で仕留める、それしかない。敵の技が凄いから斬られたんじゃない。自分が技を破れなかったから斬られた、自分が技ごとぶった斬れなかったから斬られた。敵の刀が速すぎるから斬られたんじゃない。自分が遅いから斬られた、自分が速く振れなかったから斬られた』
——それが、りゆうをぜんぶ、ぼくがもつってこと、ですか?
『おう。苦しい生き方って言われるとそうなのかも知んねえけどな。ま、だからこそ横木打ちを繰り返すんだ。朝に三千、夕に八千、気が狂ってでも打ち続けろ。なあ萌、横木打ちをずっと続けてたらどうなると思う?』
——えっと……。いまよりうんとはやくなって、すごいちからもちになるとおもいます。
『うー〜ん、違うんだよなぁ、これが』
——えぇ?
『お前さんの言うことも間違いじゃない。腕や足の筋肉が鍛えられて、振るスピードや威力は増すし、キツい姿勢を保つんだからふくらはぎやら何やらの筋肉はつく。じゃあ、どれぐらい速くて強くなればゴールだと思う?』
——はい! それはおししょうさまより——って、あ。
ジゲンの剣士は理由を他人に預けない、答えを最後まで言う前にその言葉を思い出せた。
お師匠様より強くなる、それは今でも僕の目標の一つだけど、理由を全部自分で持つこととはちょっと違う。
——えぇと……。……ぅ〜……じぶんより……つよくなる、ですか?
『そう、自分よりだ』
考えがまとまらず自信のなかった僕の答えに、お師匠様は強く頷いた。
『強さに限界はねえ。速さにもだ。結局のところ、自分で納得できる強さまで強くなるってことだ。きざに言えば、自分自身を認められるぐらい強く、ってところか。あー、「
——? はい、おししょーさま!
『いいか、萌、横木打ちはな、意地を練るんだ』
——いじ……。
『おう。誰にも譲れない、お前だけの意地を練るんだ。横木打ちは数だけこなせばいいってもんじゃねぇ。一回一回に自分の全身全霊を込めて、地球の逆側まで斬り込む気概で打つんだ。そうやって一回も手を抜かずに、一心不乱に何千回も、毎日毎日打ち続けるんだ』
——ごくり……。
思わず、つばを飲みこんだ。お師匠様の言葉に込められた凄みに驚いたのもあるし、僕がそこまで真剣に打ち込みをしていなかったのを見透かされたようだったからだ。
『そうするとな、何も残らねぇ。あいつが憎いとか他人に預ける生半可な理由はな。打ち続けている内に燃え尽きちまうんだよ。最後に残るのはな、意地だけだ』
——いじ、ですか……。
この時、僕にはまだ僕の意地はこれなんだって言い切れるものはなかった。それは、今も同じなのかも知れない。
『例え自分が死のうが、喰われようが、首を切り落とされようが、命を失おうとも、どうしても絶対譲れない
——そこまで、つづけるんですか?
『おう。もちよ。俺の弟子なら、やれるよな、萌?』
——は、はい! もちろんです!
『おう! 流石は俺の一番弟子! なははは』
——いたた、うぅぅ、せなかばしばしもいたいです〜、うぅぅ〜。
『意地を練ってこその横木打ちだ。燃やすってのも正しいな。そうやって練って練って、燃やしに燃やして、刃物のように尖らせるんだ。何物も、何人たりとも触れ得ない、全てを断ち切る刃にな』
——……。
お師匠様の意地って何なんだろう、そう思った。
でも、そう思う一方で、ある決意が湧いてきた。
また形すら見えもしない僕の意地も、何時かきっと——!
お師匠様が、腰に挿している刀を鞘ごと取り出すと、黒一色で鮮やかに染められた鞘が太陽の光を浴びてキラリと輝いた。
そして、お師匠様が鞘に入ったままの刀を空に掲げながら何かの歌を口ずさんだ。
『
我示し、
お師匠様の刀の鞘に巻き付けられた金色の二つの鈴がとても綺麗な音色を奏でた。
その調べを聞きながら——お師匠様の言葉が、僕の心の奥にゆっくり染み渡っていくのを感じた。
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