《Bird side - 3》『バミューダの魔術師』


 アーレファンの森の奥にひっそりとある湖、そこに一人の“魔法使い”がやってきた──そんな噂を耳にしたヴァンブランは居ても立ってもおれず、ワガリを連れてさっそく彼を訪ねてみることにした。


 ── 彼に頼めば耳の聞こえないトリルに自分の歌を“見せて”やることだってできるかもしれない!


 ヴァンブランは興奮しさらに高く飛んだ。上昇気流をつかまえ、遥か遠くの海がそのきらめきをのぞかせるほど高く高く舞い上がる。


「おーい、ヴァンブー、そんなに急ぐなよ!」

「なにやってんだワガリ。のろまだな」

 二羽のブラック・バードは幾つも丘を越え、川に沿って飛び、さらには湿地帯の上空をかけ抜けていく。やがてバミューダと呼ばれる面積60k㎡ほどの二等辺三角形の湖がヴァンブランたちの前に姿を現した。

「つ、着いたぜヴァンブー。大丈夫かなぁ? 焼き鳥にされちまうなんておいらごめんだぜ?」

 魔法使いはその三角州の頂点あたりに住んでいる──野ウサギたちはそう話していた。ワガリではないが、ここにきてヴァンブランの心にもようやく不安が芽生え始めてくる。


 なにしろ人間ですらあまり馴染みがないのだ。久しぶりに会う直立歩行の生物が“魔法使ウィザードい”だなんて大丈夫だろうか?

 噂などでは聞いたことはあるが、ヴァンブランは魔法使いというものに会うのは初めてだった。



 ▼▲▼▲▼▲



 湖畔から獣道けものみちを少し上がったところに真新しい小さな丸太小屋を見つけた二羽のブラックバードたちは長かった滞空時間を終え、翼を休めた。


 小屋の屋根近くにある風通し用の穴から中を覗いてみるが生き物の気配は感じられない。仕方がないので二羽は腹を満たしながら魔法使いの帰宅を待つことにした。

 地面に降り、虫をついばんでいた時だった、ヴァンブランの後ろでワガリが悲鳴をあげた。

「うわわっ! な、なにすんだよっ、こいつ!」

 その声に驚いてヴァンブランは木の上に飛び上がった。見ると、二匹の子狐がワガリを抑えつけているではないか。

「なんだ、ブラックバードじゃん。こいつらなんてちっちゃくて食うとこなんかないよ 」

「だったらボクによこせよ」

「なんだよ、ボクが捕まえたんじゃないか!」

 子狐たちは獲物の奪い合いを始めた。

「やめろ!」

 ヴァンブランの声に、小狐たちは上を見上げた。

「なんだ、もう一羽いるじゃん 」

「おーい、おまえも降りてこいよ。こいつだけじゃ足んないんだよ」

「助けてくれよ!ヴァンブー」


「おやめ! 子供たち」と、そう叫んだのは丸太小屋の陰からのそりと現れた母狐だった。

 母狐はその長い耳をピンと立てると、目を細めてヴァンブランを見た。

「……ヴァンブー? あんた、ひょっとしてブラックバードの“あの”ヴァンブランなのかい?」

 ワガリは子狐の脚に踏みつけられながらも、こんな森の奥までヴァンブランの名が知れ渡っていることに驚いていた。


「まいったね。あんたを食っちまったなんてことがバレた日にゃ鷲や鷹どもが黙っちゃいないだろうし」

「ああ、その通りさ。俺だけじゃないぞ。友達のワガリに手を出すのも同罪だ。あいつら目玉が大の好物だからな。特に動物の子供の──」

「ひっ!」

 子狐たちが目を押さえたその隙にワガリは不格好に飛び上がった。

「大丈夫か、ワガリ」

「た、助かったよ……サンキュ」

 子狐たちはまだ納得いかない様子で首を傾げている。

「ちぇ、せっかく初めて獲物をしとめたのにな…… このチビ、本当にそんなに有名なやつなの?」

 ヴァンブランはケタケタ笑うとおもむろに翼を広げてブルブルと体を震わせた。黒い羽根が数枚、ハラハラと舞い落ちていく。

「世界でたった一羽のヴァンブラン様の羽根だ。サイン代わりにとっとけよ」

「待って、私も一度、聞いてみたいわ、あなたの歌声を」

 ヴァンブランはちょっと考えたがたまにはこういった“地方巡業”も悪くないかなと思い、歌うことにした。また、いつ何時こういった危険にさらされるかもわからないのだ。できるだけ名を轟かせておいても損はない。それは彼にとって身を守るための武器でもあるのだから。


 そんな打算的な気持ちで歌い始めた歌は、なんのことはない、たった今見てきた風景をメロディーにしているだけのものだということに隣で聴いているワガリはすぐに気付いた。


 朝露の落ちる音。野ウサギたちの囁く声。遠くに見える海に二等辺三角形の湖、そして獲物を狩る狐の親子──


 たったそれだけの歌なのにすでに近辺の鳥や動物たちがわらわらと集まってきている。


 ワガリは常々思っていた。


── もしも彼が本気で“なにか“をしようと決意したなら、なにかとてつもないことが成し遂げられるのではないのだろうか? それがたとえ世界を変えてしまうような、そんな巨大な“なにか”であったとしても。


 ワガリがハッと我に返ったのは辺りの動物たちが一斉に散らばっていくざわめきによってだった。何か危険が迫っているのだろうかと身を強こわばらせ辺りを見回す。


 ヴァンブランもただならぬ気配に気がつき歌を中断した。あとに残ったのは相手を褒め称えるときに行う二足歩行の者特有の定期的に“前足”を叩きあう〈拍手〉というリズムだけであった。


 パチ、パチ、パチ──


「へえ、こりゃすごい! 鳥の中にもこんな素晴らしいアクターが本当にいるとはね」

 男は灰色のフードを脱ぐと、その下から現れた長い白髪はくはつを振った。


「ヴァ、ヴァンブー、きっとあの人だぜ。例の……」

「あ、ああ……」

 ヴァンブランは驚いていた。それは──魔法使いと聞いた時、てっきり老賢人のようなイメージを勝手に思い描いていたのだが──目の前で腰かけているのが少年から青年へ移行したばかりくらいの若者だったからだ。


 まだ幼さの残る顔と真っ白な髪の毛はいささかアンバランスであるもなの、その口から発せられた声は変声期にさしかかったばかりの透き通ったものだった。


──ふーん、人間にしてはいい声に入る部類なんだろうな。まあ、俺ほどではないけど。


 そんなことを考えていると男の口から自分の名前が急に飛び出したのでヴァンブランはさらに驚いた。

「噂には聞いたことがあるよ。ようこそ、小鳥さん。いや、ヴァンブランかな」

「お、俺のことを知ってるんですか?」

「ああ、ここから先のずっとずっと遠い国でも君のことを鷹やとんびたちが話しているのをよく耳にするよ」


 男はつたを口にくわえると髪を紙撚こよりのようにクルクルと独特な巻き方でまとめ、後ろ手に縛りながら言った。

「僕の名前はフォグ。よろしくな、小鳥さん」

 男はにこりと微笑む。周りにいる者すべてを惹き付けてしまうような目だ。その肌といえば透き通るほど白い。蒼白いともとれる。 

「だったら話が早いや……今日はあなたにお願いがあってはるばる飛んできたんです。俺の、いや、僕のこの声を目に見えるようにしてほしいんです」

「目に? 見えるように? へえ、そりゃまたどうして? 歌ってものは耳で聴くものじゃないのかい? いや、それともここかな?」

 フォグと名乗った白髪はくはつの青年は自分の胸に手を当てて見せた。

「そこに届くまでに、道がふさがれてるんです。別の交通手段をとるより方法がないんです」


 彼はこれまでのことを話した。


 夕陽で湖が茜色に染まっていく間、フォグはヴァンブランの声に静かに耳を傾けていた。


「なるほど──」

 ヴァンブランが一通り話し終えると、フォグは懐から長い真鍮のパイプを取り出し、火種をつくってその先端を押し当てた。硫黄の香りが辺りにぷんと広がる。


「ものごとは自然のなりゆきに身を任せてこそだ。逆らって他と違う道を行こうと思えばそれに伴うものが発生するかもしれない。まあ、それはそれでまた自然の摂理。わかるかい、小さな小鳥さん。リスクってやつだね」


 ヴァンブランは彼がそんなことを話している間もどうして自分が人間と言葉が交わせているのだろうと不思議に思っていた。だがそれは単に彼が本物の魔法使いであるからだろうと勝手に納得させた。


「うまくいけば、それはそれで“さだめ”。だけど、うまくいかなければ、その見返りは重いかもしれない。それでもいいのかい、小鳥さん」

 ワガリはヴァンブランと男を交互にちらちらと見た。

「ヴァンブー、や、やっぱりやめようよ。な、帰ろう。そしていつもと同じように歌って、いつもと同じ時間を過ごすんだ。不満なんてないじゃないか。だろ?」

 だがトリルのことで頭がいっぱいになっているヴァンブランは、すでに一方通行からしかものごとが見えなくなっていた。


──そうさ、こんなチャンスはもうないかもしれないんだ。


 コンサートの途中で飛び去っていくトリルの後ろ姿が思い浮かんだ。あの胸に突き刺さるようなやるせなさ、口の中にむりやり泥を詰め込まれるような気持ちはもうたくさんだった。


「かまいません。どうしてもお願いしたいんです」


 ヴァンブランがきっぱりとそう言った時、辺りにはすでに深い霧が立ち込め始めていた。そんな中、時折ポッと灯っては縮むパイプの火種が若き魔法使いフォグの顔を一際ひときわ蒼白く照らし出していた。

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