「嫁さんとアイスクリーム」
うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。本人曰くこの姿は仮初のモノであり、平日の人間社会の激務で生き残るべく、日曜は尾が二股に分かれた黒猫の姿となって精神集中をはかっているのだという。
どう見ても、自堕落な一日を過ごしている様にしか見えないが、口にしてはいけない。ともあれ日曜日は相変わらず猫になり、ゴロゴロしている。俺は仕事部屋でイラストを描くので、顔を合わせるのは昼食時か、夕方以降になるのが常だった。
「にゃあにゃあにゃ~ん」
「ん、どした?」
正午、焼いたトースターにコーヒーを飲み、嫁さんには猫缶とミネラルウォーターといういつもの食事をとっていると要請がきた。
『旦那さん、アイス食べたいです』
タブレット型のPCから繋いだ無線のキーボードを、ぺちぺちと肉球でブラインドタッチする。最近暑くなってきたせいか、平日時の嫁さんは「暑い暑い」言いながら、ファミリーパックのアイスをよく食べる。
『冷凍室にバニラのカップが残ってます。食べさせて♪』
「ダメだ」
「にゃんっ!?」
片手を繰り出し、強く言う。
「猫の時に人間用のアイスはダメだろ。去年、それで腹を壊したのを忘れたとは言わせないぞ」
「にゃぁ……」
金色の瞳がしょんぼりと半分閉ざされる。とても可愛かったが、見ないフリをした。
うちの嫁さんはいわゆる『妖怪』というカテゴリーに属しているのだが、マンガやアニメでありがちなバトルパワーは所持しておらず、ツイッターで「やっぱり夏はアイスだね。半額セール狙わなきゃ!」と、極めてどうでも良い呟きを繰り返す力はあるものの、基本的には只の黒猫だ。
去年はそのことを忘れ、言われるがまま、スプーンにのせたアイスを食べる可愛い姿を堪能してしまっていたのだが、梅雨入りの週末に腹を下した。
「にゃ……にゃ、にゃおお……っ!?」
嫁さんは一日、風呂場に敷いた猫用のトイレマットに蹲っていた。俺は心配なのと申しわけなさで仕事が手につかず、結果として彼女の体調はすぐに戻ったものの、仕事のスケジュールが大幅に遅れた。
嫁さんが猫又であることは、俺の家族にも秘密だ。それが彼女のお義母さんと交わした契約であった。
「――だから、日曜日の嫁さんがお腹壊しても病院に連れていけないだろ。そこは俺がしっかりしなくちゃいけないんだよ」
「にゃあ……にゃあ、にゃあ~ん!」
それでも嫁さんは粘った。基本的に都合の悪いことはすぐに忘れるので、まぁ一口だけなら大丈夫でしょと食い下がる。そんなに食べたいか、アイス。
「……仕方ない。ならば俺も最終手段を出させてもらう」
「にゃ?」
俺は居間の本棚から一冊のファイルを取り出した。中に閉まっておいた紙きれを取り出した。
「嫁さん、この紙がなんだかわかるか?」
「にゃ?」
『 離婚届 』
「にゃあああああ!?」
「俺は本気だよ。さぁ、アイスを食いたければこの欄にサインしろ。他所のノラ猫がどうなったところで管轄外だからな。後10分で仕事に戻るから、それまでに決断してくれ」
「……にゃ、にゃあお……」
嫁さんが俺の顔と書類を交互に見やったあと、ついにあきらめがついた様に踵を返した。普段の定位置である座布団の上に座り、ぺろぺろと前足をなめる。
「わかってくれたようで、なによりだ。じゃあ俺は仕事に戻るよ」
「……にゃ」
そして今年は気持ちよく、大方スケジュール通りに進行した。しかし翌日、ツイッターのタイムラインをチェックしていると、こんなつぶやきを発見した。
『真面目さだけが、僕の唯一の取り柄です。妻には迷惑をかけます、ホント』
「……」
――たまには俺も怒っていいのかな?
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