王国防衛線

 大陸歴325年、エーリューズニルの戦いに敗れた王国軍は帝国内の占領地を放棄して、防衛線を魔力水の水脈がある王国南部の国境山岳地帯に定めて帝国軍の反攻に備えた。

山岳地帯に配属された戦力は地上部隊のみ、艦隊は王国西部の平地に侵入してくる帝国軍に備えていた。


 艦隊編成は国内で温存していた第1艦隊、損害の大きい残存艦隊を統合した第14艦隊と第15艦隊、そして第9艦隊。

4人の艦隊指揮官は第1艦隊旗艦トゥーリッキのブリーフィングルームにいる。


「こちらの戦力は4個艦隊のみ、対し帝国軍は8個艦隊に加え16個機甲師団、その後続には歩兵も控えているそうだ。まともに戦えば勝算などどこにもないことは明白だ。そこで明日の午前1時に夜襲を仕掛ける」

第1艦隊司令官コルホネン大将が作戦を告げた。


 王国での防衛戦を展開するにあたって大将に昇格し、前任者と交代して任命された王国艦隊統監も兼任している。

「質問はあるか?」

沈黙。

「では解散」


 大きな転送装置の中に入ってそれぞれの旗艦に帰っていく提督たち。

アルフレートもイルマタルに帰った。


******


 アイラは指揮官席の傍で、遠い目をして星空を眺めている。

あの日もこんな夜だった。

あれはアイラが子どもだった頃のことだ。


 アイラは帝国との国境が近い街に住んでいた。

そこに突如帝国軍が攻め込んできた。

親は2人とも軍属で家に居らず、アイラは何が何だかわからず逃げ遅れてしまった。

すぐそこまで迫る帝国軍。


 家から出るのは危険と考え、難が去るのをじっと待った。

体中から嫌な汗が噴き出る。

突然ドアが乱暴に開けられた。

強引に開けられた木製の扉は蝶番から外れてしまっている。

家の中に押し入ってきた2人の帝国兵。

「やあ嬢ちゃん、お金はどこにあるんだい?」


 兵士のひとりが銃口を向けて大陸の共通語であるルーン語で言った。

銃口から溢れる生々しい死の感触が空気を伝って肌を這う。

もうひとりは家の中を物色している。

幼く無力なアイラはただ震えることしかできなかった。


 そんなアイラの前に彼が現れた。

窓ガラスが割れる音ともに響き渡るアサルトライフルの銃声。

突然の攻撃に反撃できず膝から崩れ落ちる2人の帝国兵。

倒れた2人は動かない。

銃声が鳴りやむと、ガラスが割れた窓から少年のような顔の王国兵が顔を覗かせた。

「大丈夫? けがはない?」


 少年のような兵士が優しい声音で語りかけた。

アイラは頷いた。

「ここは危ないから安全なところに案内するよ」

兵士は玄関に回って家の中に入ってアイラに手を差し伸べた。

色白で、細い指に小さな手。

とても引き金を引く手には見えない。

アイラは兵士の目を見た。


 髪はさらさらしていそうなブロンドで、ルーン人に多くみられる特徴的な薄い青色の瞳。

でも身に纏う服はトゥオネラ王国歩兵部隊のものだ。

それに帝国兵を殺している。

よくわからないがアイラの目の前にいる男は敵ではないのだろう。


 アイラは差し伸べられた手をとった。

その手は見た目ほど柔ではなく、寧ろがっちりしているといっていいほどだ。

彼はアイラが手をとったことを確認すると、そっと握った。

幼いアイラにとってどれほど心強く感じられただろうか。


 2人が暗い街を歩き出したとき、兵士の無線からノイズ混じりの男の声が聞こえてきた。

「バスラー少尉、貴官の小隊は街の北西部に向かってもらいたい」

「了解。小官は民間人の少女を保護したので、安全なところまで案内したのち北西部に向かいます。それまでは代理の者に指揮を委ねておきます」

「了解した」

無線からノイズが聞こえなくなった。

「さて、急ごうか」

2人は星々に照らされた銃声が響く街を早歩きで進んだ。


******


「敵はおそらく夜襲を仕掛けてくる。少数の戦力で大軍に勝つにはこれぐらいしか考えられない」

コンラートは第3艦隊旗艦シグルーンで7人の提督を前にして語った。

「本当に仕掛けてくるだろうか。守りを固めるという可能性があるのでは?」

提督のひとりが言った。


「それはないな。地上部隊のない疲弊した4個艦隊で8個艦隊と16個機甲師団、32歩兵師団を相手にまともに戦って勝てるはずがない」

腕を組んで話を聞いていたマックスが言った。

他の提督も頷くなどして賛同の意を表した。

「では作戦を発表する。この地、カレワラに2個艦隊が残り、他の艦隊はカレワラを取り囲むように布陣してもらう。敵がこちらに攻撃を仕掛けたらそれを背後に回り込んで叩くというものだが…」

モニターに周辺地図を映し出し、各艦隊が布陣する場所を指で指し示した。


「異存はないか?」

諸将は黙って賛成であることを示した。

ただ1人を除いて。

「バルテル中将、念のために予備戦力を作っておくべきではないだろうか?」

黙る諸将の中でただひとり発言したのはマックスだ。

「まあいいだろう。3個艦隊を予備戦力とする。ではそれぞれ指示通り布陣してくれ。どの艦隊をどの役割かは追って報告する」


 各々が帰還に戻って布陣を完了した頃、王国艦隊も作戦を決行した。

作戦内容は第1艦隊と第14艦隊が奇襲を仕掛けて、敵が混乱したところに第9艦隊と第15艦隊がとどめを刺すというものだ。

アルフレートは2個艦隊の攻撃開始を待っている。


「コーヒーはいかがですか?」

両手に紙コップを持ったアイラがアルフレートに尋ねた。

2つのマグカップからは湯気が立ち上っている。

まだ淹れたばかりのようだ。

「では頂こうか。そういえばさっき、遠い目をしていたな。何かあったのか?」

「昔出会った憧れの人を思い出しただけです。ちょうどこのような星空のときに出会ったので」

アイラは頬を控えめに染めた。

まるで恥じらうように。


「それよりコーヒーを。冷めてしまいますよ」

「ああ、そうだな」

アルフレートはコーヒーを受け取って1口だけ飲んだ。

温かさが体中に染み渡っていく。


 指揮官席からブリッジを見下ろすと、攻撃に備えて人々が忙しなく動いている。

そんなブリッジの端で通信手がラッシに電報を渡していた。

それを受け取るとラッシは階段を上がってアルフレートのところへ来た。

「攻撃が開始されたそうです。敵の抵抗は弱いとのこと」

「そうか。こちらもカレワラに突入するぞ」


 アルフレートはコーヒーを見た。

イルマタルが動くことで生じる振動がコーヒーを揺らす。

果たして勝つことができるだろうか。

そして勝負の鍵を握る奇襲部隊はここまでは作戦通りだった。


 しかしコルホネンは順調に進む作戦経過を懐疑的に見ていた。

敵の戦力が少なすぎる。

敵はこちらを圧倒するだけの戦力があるはずだ。


 そう考えていると、突然トゥーリッキが大きく揺さぶられた。

「何があったというのだ」

「後背から敵襲です。正確なことは探索魔道師の索敵の結果を待つほかありません」

「結果報告を急がせろ」

「了解」


 参謀長は急いで通信手を通して探索魔道師に結果の報告を求めた。

報告を聞いた参謀長は顔が青ざめてしまった。

青ざめた顔のままコルホネンに聞いた内容を伝えた。

「我々の後ろには帝国軍が少なくとも2個艦隊以上います。こちらの攻撃に呼応して進軍を始めた第9、第15艦隊にも帝国艦隊が3個艦隊ほど向かっているとのことです」

「そのことは伝えたか?」

参謀長は頷いた。

「それと第14艦隊は戦列維持が困難な状況にあるとのこと」


 コルホネンが軍帽を深く被りなおした。

そして重々しく首を振った。

「この場合は中央突破を敢行して脱出を図るのが最善だが、即席の混成艦隊では中央突破は困難だからこちらだけで敵陣突破をすることになるが、それでは戦力不足だ。それに――」


 爆風がトゥーリッキを激しく揺らした。

コルホネンが椅子の肘置きを掴み、参謀長が手すりに掴まって転倒を避けた。

「戦艦トゥオネタル撃沈!」

オペレーターの誰かが叫んだ。

トゥオネタルはトゥーリッキの隣にいた戦艦だ。

「それにここを艦砲の射程圏に捉えているんだ。突破する前にこちらが壊滅してしまう。だからもう……」

コルホネンが何かを言おうとしたとき、またしてもトゥーリッキに衝撃が襲いかかった。


 王国の命運を占うかのように照明が明滅している。

「機関部及び第4、第5区画に被弾しました! 火災が発生している模様!」

通信手が大声で言った。

「ダメコンはどうなっている?」

「隔壁が作動しません。通路が崩れた壁で塞がってしまい、応急員が火災現場に急行できないとのこと」

「ここまでのようだな。後続に撤退命令を伝えろ。それと総員脱出だ!」

通信手がコルホネンの指示を伝え、他の人たちは持ち場を離れて脱出用艦艇に向かった。


 そのとき、とどめの一撃がトゥーリッキに加えられた。

そしてトゥーリッキは永遠に消滅した。


******


「こちらに敵が向かっています。その規模は最低でも2個艦隊はあります。敵はこちらの側面と後方に回り込もうとする艦隊が確認されています。あと、トゥーリッキから撤退命令が出ました」

「予備戦力があったのか。で、どこまで撤退するのだ、アハティラ大佐? 報告に続きはないのか?」

「続きはあるのですが、文章が途切れているのです」


 ラッシは電報をアルフレートに見せた。

文が不自然な形で途切れている。

「むこうのミスではないのか?」

「そう思ってこちらから連絡を取ろうとしたのですが、応答がないのです」

2人の頭をよぎる不吉な想像。

「いや、今は撤退だ。このままだと側面と背後から攻撃を受けてしまう。現在の戦力では防衛線を維持できない。ポポヨラまで撤退だ。このことは第15艦隊にも伝えてくれ」

「了解」


 第9、第15艦隊がポポヨラに向けて後退している頃、帝国軍2個艦隊と皇帝直属艦隊は、山岳地帯の防衛線を突破して、ポポヨラに向けて進撃していた。

山岳地帯での戦闘はカレワラの戦いの1か月前から始まり、2週間で終結した。


 王国軍は長大な山岳地帯全域を防衛しようとしたため、ただでさえ少ない戦力がさらに分散してしまい、帝国軍に各個撃破されてしまった。

この時点で皇国政府に降伏を促したが、それは帝国との併合を要求する内容だったので今日まで王国は白旗を振っていない。


「バルテル中将から報告です。敵2個艦隊を撃破、残存戦力の2個艦隊が敗走したとのこと」

ヒルデブラントが電報を読み上げた。

「敗走した艦隊の中に第9艦隊はいるのか?」

「それは不明です。なにせ夜戦でしたから」

「次の報告を期待するとしよう。第9艦隊、いや、アルフレートには生き残っていてほしいものだ。倍の戦力を撃破して、バルテルを苦戦させるほどの力量があるいとこに是非とも会って幕僚に加えたい」


 エアハルトは席を立って椅子の周辺を行ったり来たりし始めた。

それほどアルフレートに会うのが楽しみなのだ。

「それは危険です。かの者は陛下を害しようとした張本人ということをお忘れ無きよう」

「アルフレートは周りに祭り上げられただけであって張本人ではない。予はただ有能な人物を迎え入れたいだけだ。そのことに問題はあるまい」

「確かにそうですが。陛下にはこれだけは言っておきます。帝国に仇為す者は参謀府の権限内で始末します」


 そう言ったヒルデブラントのもとに、急報を伝える電報が通信手によってもたらされた。

「陛下、意中の人物がこちらに近づいているそうです。敵戦力は2個艦隊、そのうちのひとつは第9艦隊とのことです」

「では予が直々に手合せしようではないか。1個艦隊と2個師団をポポヨラに向かわせる。敵の戦力はもう残されていないからこれだけで十分だろう」

「わざわざ艦隊戦を行う意味はありません。全軍をもってポポヨラに進み降伏を迫ればそれで済むのですよ」

「そうだろうな、だが予はかの者の実力を自身で測りたいのだよ」

ヒルデブラントはこれ以上なにも言わなかった。

「もうそろそろで接敵だ。攻撃準備をしておけ」

帝国軍は最後の戦闘に備えてあわただしく準備を始めた。


******


「2個艦隊がこちらに向かっていて、そのうちのひとつが皇帝直属艦隊なのか。それが本当なら戦って大将首を上げるべきだ。あわよくば停戦に持ち込めるかもしれない」

「では交戦の方針でいきますか?」

ラッシが確認をとった。

「ああ、砲手は敵が射程に入ればいつでも撃てるようにしてくれ」

「承知いたしました」


 ラッシはアルフレートの側を離れて、入れ替わるようにトレーを持ってアイラがやってきた。

「ハーブティーはいかがですか? 気持ちが落ち着き、緊張もほぐせますよ」

「いただくよ」

トレーに乗っている紙コップを取った。

「艦ではインスタントコーヒーは飲めるがハーブティーがあるなんて聞いたことがないな」

アルフレートが訝しんだ。

「もちろん艦にはありません。これは私の私物です。あの……おいしく淹れられたでしょうか?」


 アイラは頬を朱に染め、俯き加減になっている。

「おいしいよ。香り高くて実にいい。きっと淹れ方が上手いのだろうな」

「あ、ありがとうございます」

「また淹れてくれるとうれしいよ」

「はい、私でよければ」アイラはそそくさとブリッジから去った。


 そしてラッシが戻ってきた。

「まもなく接敵です」

アルフレートは右手をおもむろに揚げる。

そして一気に振り下ろした。

開戦の合図だ。


 乱舞する光線が両者を行き来し、兵士の命を容赦なく狩りとっていく。

帝国艦隊は両翼を広げて王国艦隊を包囲しようとする。


 それに対抗して王国艦隊も両翼を広げて帝国艦隊が回り込もうとするのを阻止する。

帝国艦隊はさらに陣形を伸ばして包囲網形成を諦めようとしない。

両軍共に陣形が広がっていく。

そして戦局は停滞した。


「いつまでも陣形の伸ばし合いをしていても勝てません。そろそろ反撃してもよろしいかと」

ラッシが言った。

「確かにそうだな。いい具合に敵陣中央が薄く伸びている。それにこちらも敵の包囲に対抗して陣形を伸ばしているうちに敵中央に突出した形になっている」

「では中央突破して皇帝を討ちますか?」

「ああ、確か中央に陣取っているのはハスティだったな。彼に突撃命令を出せ」


 命令を電報で知ったハスティは指揮官席の肘置きを叩いて笑った。

「わかってるじゃないか、提督さんも。ルックスだけが取り柄の帝国からの亡命者ではないようだな。火力を一点に集中して敵陣に穴をあけろ!」

赤い光線が巨大な束になって帝国艦隊の薄い陣形に襲いかかった。

光線の束は帝国軍の艦艇を呑み込んでいく。

呑まれた後には何も残らない。

残骸すら残らない。

呑み込まれたものはすべて消し去ってしまう。

ただあるのはぽっかりと空いた穴だけだ。


「穴が空いたぞ、突撃だ!」

ハスティ率いる分艦隊が先陣を切って敵陣に突入した。

突然の攻撃に動揺する帝国軍。

分艦隊の突撃の前に蹂躙される帝国艦隊。

猛威を振るう分艦隊に地上の帝国軍が敢然と立ち向かい、艦隊の完全崩壊を食い止める。


 しかし地上からの反撃だけでは力不足だ。

分艦隊の攻撃力を止める程のものではない。

皇帝直属艦隊旗艦ヴァーリまであと少しというところまで迫る。


 そんなときにポポヨラから電報がイルマタルにもたらされた。

それをラッシが読み上げた。

「首都より入電。王国政府はニブルヘイム帝国政府の降伏勧告を受諾し、全交戦国に対し降伏を宣言する。正式に条約を締結した後に王国領土は帝国領となり、現在の王国政府の保持する外交、軍事を除く権限を後に成立するであろう自治政府が引き継ぐことになる。尚、現在交戦中の部隊は可及的速やかに戦闘行為を停止することを命ず。……以上です」


 沈黙。

鉄のように重々しく頑強な沈黙。

「それは……本当に政府が打電したものなのか?」

「間違いありません」

「全軍に通達しろ。直ちにな」

「了解しました」


 ラッシが動いたのを契機にブリッジの各員が職務に戻った。

全軍に通達すると、ハスティから返事がきた。

「ハスティ少将から入電。我、大将首を欲す。戦闘継続を求む」

アルフレートは指揮官席にもたれて軍帽を手に取ってくしゃくしゃにした。

「私だって戦いたい。なにせ首に手をかけていて、あとは絞めるだけなんだ。それなのに手を離さないといけない。これほど悔しいことがあるだろうか……」

「提督……」

「これは陛下の下したご命令だ。ハスティにはそう返事しろ」

「了解しました」


 大陸歴324年12月2日、トゥオネラ王国は200年の歴史に終止符を打った。

この日のポポヨラでは物悲しく雪がちらついていた。

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