第4話 険道2
幼少期に、きらいな食べものというものがなかっただろうか?
ピーマン、ニンジン、セロリ、などなど、みんな独特の苦みやクセがある。
しかしながら大人になるといつの間にか、そういう苦みやクセの向こう側の”おいしさ”のようなものに慣れて、食べられるようになったり、逆に大好きになることもある。
ビールやコーヒー、パクチーなんかも、そういう”大人になったからこそわかるおいしさ”だろう。
でもこの”大人になったらわかるおいしさ”というのは、言い換えると、老化の現象を意味しているとも言える。
本来、人間は”甘いもの”や”クリーミーなもの”、そういった”わかりやすいおいしさ”を好ましいと感じるように設定されている。
すなわち赤ちゃんやまだちいさい幼児なんかはそういう”わかりやすいおいしさ”しか理解できない。
歳をとって老化がはじまると、そういう感覚が鈍くなり、多少”苦い”や”食べにくい”と感じていた食材の向こう側に”おいしさ”というある種の勘違い的な刺激を欲するようになる。
恋も、若いころは”真っ直ぐで純真なもの”が求められるが、歳をとると、複雑であったり、ちょっとした困難な恋を”切ない”と感じるようになるあの感覚。
小説や映画や音楽を鑑賞するときだって、わかりやすい”直球な作品”よりも、より複雑で”かなしみ”や”挫折”をたくさん抱えている作品のほうがよっぽどぐっとくる。
ほら、こんなにもふかく味わえるんだよ、と。
味のなくなったガムを噛み続けながら、ぼんやりと聴き流していたウォークマンを外し、イヤホンコードへと巻き付けてゆく。
ぼんやり聴いていても音楽は流れてゆく。
音楽は時間的なアートだと、だれかが言っていた。
自分の幼少期を思い出しては、すこしセンチメンタルな気持ちになる。
好き嫌いはなかったけれど、これと言った好きなものを挙げることもできないような自主性のない、主体性のない子どもであった。
あの頃の自分が好きだったものはなんだったのだろうか。
どのように過ごしていたのか。
その記憶がすっぽりと抜け落ちている。
幼少期が幸せだったなら、もっと今は楽観的に物事を捉えることが出来て、楽しいのだろうか。
自分の幼少期なんていうのは、あまり思い出したいと思わない部類のものだ。
思い出すには、多少なりとも痛みを伴う。
家に帰っても居場所なんかなくて、帰りたいとも思わなかった。
それでも帰る場所は自宅だった。
自宅の、自分の部屋だった。自分の部屋のなかに作った、自分のいるべき居場所だった。
それにしても、彼女の家に帰れない理由はなんだ?
わたしと彼女の状況は異なっていて、心理的にも現状的にもおそらく違う。
それとも違わない?彼女も自分の居場所を探しているというのだろうか。
どこかでずれてきている。歪になりつつある。
でも彼女がほろほろと涙を流しているのを見ると、どうしようもないなと思えてくる。
わたしは彼女の頭を撫でて、幼子をあやすようにポンポンと手を置いた。
その自分の手を見ながら、わたしは自問自答をするのだった。
彼女は一般的に考えて、悩むことと言えば、まず育児。
導きだすとしたら、育児ノイローゼなのだろうか。
もしや、あの難ありの彼氏からDV《ドメスティック・バイオレンス》を受けているのだろうか。
暴力はどんな状況に置いてだって、だめだ。よくない。
推測を並べ立てても、すべては彼女次第だ。
まだいまなら、助けてと周囲に助けを乞う手を伸ばすことも出来る。
彼女の気持ちの整理がつくまでは、とそう思わざるを得ない。
彼女はどういう選択をするんだろう。
そうして、彼女が助けを求めたときに、わたしは彼女を救いあげることはできるのだろうか。
どうすれば、一番よい対処法なのだろうか。
よい人を演じるだけでは、なにも救うことはできない。
彼女の状況はいったい、どういう状況なのだろう。
わたしは果たして彼女の生活に踏み込んでよいものなのだろうか。
心理的暴力、性的暴力、身体的暴力、社会的暴力、経済的暴力……暴力にもこんなに種類がある。
統計的には、なにも特殊なケースではない。
夫婦げんかや男女の気まぐれという次元ではなく、もっと陰湿で、粘着質なほど継続的で、ときとして生死の関わるような深刻な問題なのかもしれない。
深刻だからこそ、踏み込めずにいる。
朝起きると、ひどく腰が痛かった。いやな予感がした。
わたしは、昔から生理不順だ。生理が半年来ないこともざらにある。
いざ生理が来たとなると下腹部全体の痛みがひどく、立っていられなくなって寝込んでしまう。
寝ていてもつらくて地獄のようだった。
市販の痛み止めは効かないし、貧血にはなるし、怠い身体を引き摺って起き上がれば、ベッドのシーツは血の海になっている。
どうして悪いことは続くんだろう。
溜め息を吐きながら、鈍痛が続く腰を庇いながらシーツを剥がし洗濯機へと運ぶ。
子宮内膜症や子宮筋腫などを聞いたことがあるかも知れない。
わたしは昔から、子宮にトラブルを抱えている。
チョコレート嚢腫という、一見美味しそうなネーミングの病名を知っているだろうか。
正式にはチョコレート嚢胞というらしいが、一般的には嚢腫のほうが知られている。
厳密に言うと、嚢胞と嚢腫の意味も違うのだが、嚢腫で話を進めたい。
一言で言えば、卵巣内に血が溜まってしまう病気だ。
血の塊というのは、グロテスク以外の何物でもない。
名付けた人は頭がおかしいと思う。
チョコレートが嫌いになりそうだ。
ちなみに生理中にチョコレートを食べると、生理痛がひどくなると言われている。
それに食べ過ぎも、脂肪分の過多により、婦人系の病気になりやすくなるらしい。
まあ、どんな食べものも薬も摂り過ぎというのが良くないわけで、適度が大事だ。
チョコレートも、ミネラル、鉄分、食物繊維が含まれているし、安らぐ効果も抗酸化作用もあったり、メリットも豊富である。
わたし自身は、チョコレートがとても好きだ。
生理痛、生理不順には、ビタミンB6やビタミンEがいいと言われている。
そんな知識を集めて、積極的にサプリメントで補っても、一向に良くなる気配は見られない。
ピルやホルモン剤等を用いるのも、費用がかかってくる。
一度手術をしたが、再発してしまい、アホらしくなって止めてしまった。
放っておけば生理は止まっていたり、突如やって来てわたしを苦しめる。
排卵がどうのこうのと言われても、もう聞きたくもない。
子どもを産むのはこんなにも困難が付き纏うものなのである。
だから、わたしは友人があの歳で子どもを産む決断が出来たのを、尊敬している。
そして育てられている現在も、尊敬している。
「ごめん、子どもしばらく預かれないかも」
「わかった」
「生理でさ」
「えっ大丈夫なの」
「うん、なんとかなる」
とりあえず彼女に電話をしながら状況を伝える。彼女はわたしの生理の重さを知っている。
そう言えば、彼女との出会いもわたしの体調不良からだった。
ひどい貧血で、駅のホームにしゃがみ込んでいたところ、
彼女が気遣ってわたしに声を掛けてきたときからすべてがはじまった。
血が漏れても動じないで居てくれたし、嘔気でトイレに籠っても、傍にいてくれたり、背中を擦ってくれたりしていた。
体調不良で学校に通えない日が続いても、家に遊びに来てくれたりとあのころの不安だった時に傍にいてくれたのは彼女だった。
そう、彼女はやさしい。とてもやさしい。だからわたしは、心配なのだ。
ときどき彼女がよくわからないなにかに押し潰されてしまうんじゃないかと思う。
わたしのこのタイミングの悪い体調不良が、わたしに後悔を残さないことを祈る。
気休めの痛み止めの薬と、睡眠薬を飲んで、わたしは深い深い眠りについた。
夢を見た。
それは、小学生くらいの頃の夢だった。
塩素の匂いのするプールサイドで女生徒がきゃっきゃっとたむろっている。
男性教諭も女性教諭も見て見ぬふりをしている。
授業中なのになぜ注意をしないのか。
理由は簡単だ。
生理を言いわけに休んでいる。
水着になるのが面倒だったりいやだったり。
根本的に水泳の授業がいやであったり。
その頃のわたしはまだ、生理にはなっていなくて、そんな彼女たちをどこか遠くから見ていた。
初潮は、およそ九歳以降の女子に訪れるそうだ。
年齢から言うと、十歳未満で初経を迎えた場合、「早発月経」といわれ、低身長になることが多い。
逆に十六歳以降で初経を迎えた場合、「遅発月経」と言われ「無月経症」になる恐れがある。
初潮以降、約28日周期で生理が訪れる。
生理が訪れれば、妊娠することが出来るようになるらしい。
初めがあれば終わりがある。
生理の終わりは、だいたい、四十五歳以降に、「閉経」といわれる現象が訪れる。
閉経前五年間を一般的に、「更年期」というあの自覚症状の強い状態に陥る。
喫煙すると、閉経が早くなるとの報告もあるとのことだ。
女性の身体には飲酒・喫煙は総じてあまりよくないらしい。
四十五歳未満で閉経が訪れた場合、「早発閉経」、五十五歳以上で閉経が訪れた場合を「晩発閉経」と呼ぶ。
そんな保健体育で習うような知識がずらっと脳に思い浮かぶ。
女子と男子が分けられるようになって、女子と男子をお互いに意識しだすようになる。
男生徒はなにか言いたそうにしては、そのまま授業に取り組んでいた。
わたしはそれを見ていた。
ある子はタンポンを使っていた。
わたしはタンポンを知らなくて調べたことがある。
タンポンはドイツ語で綿球や止血栓の意味である。
まるで医療用具のような印象を受けた。
彼女たちに本当も嘘もないんだろう。
生理的現象への嫌悪感や不安、戸惑い。
近代以前の世界では、月経は穢れだとして扱う国や地域が多かった。
現代では解消されたと言われているが、果たしてそうだろうか。
周囲がそうじゃなくとも、本人たちが穢れに感じているかもしれない。
思春期は多感だと言って擁護する人たち。
わたしは煩わしいそれらから遠ざかるために深く水の中に潜り込んだ。
そこはとてもとても静かだった。
底はなく、ただひたすらに暗くなっていき、水圧を感じながらだんだん赤っぽくすら見えてくる。
冷たいと感じていた水が温かいと感じられてくる。
そこはとてもとても静かなのだ。
夢は、むかしからよく見る。
夢は、見る人と見ない人がいるものらしい。
夢の話は、あらゆる面で他人を退屈にさせるそうだ。
たとえば、荒唐無稽であったり、ときには作り話っぽすぎたり、まあ当たり前なことではあるのだけど、オチはないし、矛盾も多々あって、なにより長いし、意味が不明である。
聞いたからと言って返事のしようもない。
そんなくだらない話ではあるが、話さないでいられないこともある。
わたしは夢を見ながら、ふと思考していることに気がついた。
夢は同時にいくつも見る。
ひとつを思い返しているうちに、他のもうひとつの夢が再び記憶に浮上してくる。
しずかな夢で思い出したのは、井戸の夢である。
井戸が、ただ佇んでそこにある。
「そういえば、井戸の夢を最近よく見るの」
「井戸?」
唐突に夢の話をする。
夢の話に、前置きなどとくに必要ないだろう。
「そう、井戸」
あれは井戸だった、と映像を思い返しながら、ことばに起こして再度確認する。
「なんで?なんで井戸?」
彼女は笑った。
「そんなのわたしに聞かれてもわからないよ。井戸は、紛うことなき、井戸だった。」
「べつに疑っているわけじゃないけど。このご時世で井戸なんてあんまり見ないよね。なんかの影響受けた?なんの影響だろう……やっぱり四谷怪談のお岩さんとかかねえ」
「映画とかだと、リングの貞子さんかもよ」
「そりゃあ王道だねえ」
「どちらにしても可哀想だ。なんだかさびしい夢だね」
全体に青みがかった映画のワンシーンのような夢を思い浮かべる。
「貞子さんなら、半陰陽だもんね」
「半陰陽って?」
「ヒトは見た目だけじゃなにも分からないってこと」
「鈴木光司さんって知ってる?」
「え、知らない」
「『リング』とか『らせん』の原作者さんだよ」
「へえそうなんだ」
「作品名だけが有名になる場合と、著者名が有名になる場合と、いろいろあるよね」
「そうだねえ」
「画期的な作品だったなあ……」
「ちょうどね。呪いのビデオとか怖かったもんね」
「画面から髪で顔が隠れた人間が這いずって出て来るのはビビるわ。遺伝操作とか……でもさ、恐怖心の行き着くところって結局一緒だよね。今も昔も。人は単純に異端なものを排除しようとして、ジャンルを分けてしまうけれど」
「仕方がないんだよ、そういうのが大衆なんだもの」
「そうそう、『The Well』っていう映画も観たの。それにも井戸が確か出て来た」
「へえ、それはどんな映画?」
「女性ふたりのお金と愛憎惨劇?映画の感想ってむずかしいね。百聞は一見に如かずだよ。みてみて」
「映画は途中で寝る自信があるわ。展開がありきたりだと寝てる」
「その女性ふたりは音楽の趣味とか全然違うんだよ」
「へえ」
「なんで一緒に居たんだろう。田舎だからかな」
「井戸にはだれが落とされたの?」
「井戸はやっぱりだれか落ちる前提だよね」
「井戸の役割がそういうものだよね……まあ、あんまり言うとネタバレになっちゃうんだよ」
「井戸の奥って暗闇になっているから、人には未知で恐怖心が煽られるのかもね。中からなんか出てくるかもーって。もしかしたら、水面に映っている自分の顔が化け物に見えたりね」
そんな夢でみた井戸の話をしている夢を見ていた。
夢のなかで話されている話は本当であったり、嘘であったりするから、信用ができない。
当たり前のように話しているが、それが本当である確証はない。
出てくる言葉も合っているのか間違っているのか、どこで知った言葉なのか。
夢のなかで、はじめて知る物事もあったりするから不思議だ。
夢のなかで教えてくれたのはだれだったんだろう。
そもそも、夢のなかで会話をしていたのはだれだったんだろう。
生理が終わり、なんとかわたしの平穏を取り戻した。
三週間続いた生理のおかげで、げっそりとしていた。
微熱と高熱と言われる間を行ったり来たりしていたせいもあった。
これらは月経異常と呼ばれる部類なのだろう。
生理に関しては日本が一番早く、「生理休暇」などというものを制定していたが、その気遣いは良いものなのか悪いものなのか、いまいち理解できない。
生理といえば、何でも許されると思う小狡い女性が出て来ないなんて言えないではないか。
「生理」とは、すぐさま「月経」の意味にとられるが、生の
呼吸・消化・排泄 ・血液循環・体温調節・代謝などの働き、または、その仕組みのこと。
わたしは生きているのだなあとつくづく思う。
わたしには欠けている臓器があるわけでもないし、どの臓器も四肢も正常に動かすことが出来る。
こういうときに、健康っていいなとつくづく思う。
寝込んでいる間も心配だった彼女のもとへ、早速連絡をする。
いつもより長いコールの後、彼女が電話口に出た。
電話に出たことだけで、安堵してしまう自分がいた。
「そう言えば、彼とは話し合えた?」
「……うん」
「……?なにかあった?」
「なにもないよ……、……なにも」
「……子どもは元気?」
「……うん……ねてる。となりで冷たくなってねてる……」
「は?」
様子のおかしい彼女にいやな予感しか感じなかった。
舌っ足らずというか、意識が朦朧としているようなそんなしゃべり方だ。
話のテンポもおかしい。
彼女の家へ慌てて向かいながらも、そのあいだに消防に電話をかけておく。
あの状態の彼女の言動をすべて信じるというわけではないけれど、第六感でただ事ではない気がしていた。
念には念を。
後悔をすることがないように、いま出来る限りのことをすべて行いたくて、頭をフル回転させる。
雑念を払拭したいのに、いやな予感ばかりが脳裡を過る。
最悪の事態を免れているといいのだが。
胸のあたりがぞわぞわとするのが否めなかった。
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