第24話 負け犬の咆哮

 ノックの音に目が覚める。まだ夜明け間もない時間だ。重い体を起こし、扉を開けるが、外には誰もいない。足元を見ると、一枚の紙切れが落ちていた。拾い上げると、サフィアからのメッセージのようだった。


 ────今、城はアメジス山脈へ向かっています。着陸後、少し時間を置いてから行動に移って下さい。聖剣のある場所と、その階までの間取り図を簡単に描いておいたので、活用して下さい。私はダイモンには気付かれない方法で、目印を残していくので、それを辿ってゲートまで来て下さい。封印する方法は、恐らく剣を握れば自然と分かると思います。では、ご武運を。


 外を見ると、いつの間にか城は雲の上を飛んでいた。遠くの方で、大きな山脈が見える。あれがアメジス山脈だろうか。朝日がゆっくり昇ってきて、その光がこの暗い部屋を照らし出す。今日、終わるのだろうか……全てが。ダイモンを無事に魔界に封じ込めるか、それとも失敗して死ぬか。やるしかない……他の誰のためでもない、自分自身の生存のために。



 *



 着陸してから三十分ほど経過した。もうそろそろいいだろう。人肉仕分けの手を止め、エメラに無言で合図をして、こっそりとダンスホールを抜け出した。通路には誰もいない。俺達は足音を殺して足早に上の階を目指した。慎重に、しかし急がなければならない。定期的に悪魔がダンスホールに見回りに来るから、俺達がいないのがバレると騒ぎになる。当然、聖剣の警戒も厳しくなり、奪還がより困難になる。前をエメラが、後ろを俺が見張りながら進んでいく。


「…………先に言っておくけど、くしゃみしたらマジで殺すからね」


「いつの話だよ……いい加減忘れろっての」


 アミールの館の時とは危険度が万倍も違うんだ。今更そんな凡ミスしてたまるか。サフィアの描いた間取り図のおかげで、城内をうろつく悪魔共から身を隠しつつ、尚且つ最短ルートでスムーズに進むことが出来た。そして遂に最上階に辿り着いたが、ここからが問題だ。聖剣が安置されているだけあって、見張りの悪魔の数も半端じゃない。しかも上級悪魔も数匹だけだが紛れている。戦って勝てる相手じゃない。俺達は身を伏せて階段の最上段から顔だけを出し、その様子を見ながら思案していた。


「おい、どうすんだよ。どう考えても、見つからずに聖剣の元に辿り着くなんて不可能だぞ」


「そうね……仕方ないわ、あたしが囮になるから、あんたその間に聖剣を取ってきな」


 まあ、それしか無いだろうな。聖剣さえ手に入れば、俺でもこいつらを蹴散らすことは可能だろう。そこに行くまでが大変なだけだ。


「っと、その前に、車の鍵をよこしな」


「あ? 何でだよ?」


「聖剣を取った後、あんた一人で逃げ出せないようにするために決まってんでしょ。あんた程信用出来ない人間は、他にいないからね」


「気が合うじゃねえか。俺も全く同じ事を、お前に対して思ってるぜ」


 エメラは俺から鍵を受け取ると、忍び足でゆっくりと階段を上りきり、一気にかけだした。


「ガアアアアアア!!」


 悪魔共が一斉にエメラに気付き、敵意を露わにした。拳を繰り出す悪魔、爪で斬りつけてくる悪魔、魔術を撃ってくる悪魔。その全ての攻撃を、エメラは縦横無尽に走り回り、跳び回り、回避している。その超人的な身のこなしに、悪魔共は完全に翻弄されている。攻撃を捨てて回避に徹したエメラを捕らえるのは至難の業だ。全ての悪魔がエメラに気を取られている事を確認し、俺も行動を始める。聖剣のある部屋の扉の前はガラ空きだ。行くなら今しかない。俺は素早く物音を立てずにそれに近づき、滑り込むように部屋の中に入った。


「ふう…………うおっ!?」


 ここは広い武器庫だった。四方の壁に、剣や槍、盾などがかけられており、正面の壁の中央に聖剣はあった。しかし、その前には、身の丈四メートル近い、筋骨隆々の巨大な一つ目の悪魔が立ち塞がっていた。間違いなく上級悪魔だ。こいつが聖剣の番人ってわけか…………勝てるわけがない。


「ウオオン!」


「ひっ!」


 大木のような両腕を振り下ろしてきた。咄嗟にそれを避けると、コンクリートの床が砕け、大きなクレーターが出来る。あんなのをまともに受けたら……。ゾッとする暇も無く、一つ目悪魔の拳が飛んでくる。こんなの避けるしかないが、反撃しなければいつかやられる。体は頑丈そうだ……ならば、その無駄にでかい目玉に、この剣をぶっ刺してやる。一つ目悪魔の大振りの攻撃の直後、俺は前に踏み込んで目玉めがけて剣を突き立てた。しかし、予想だにしない手応えだった。まるで鉄板のように硬く、剣は全く刺されていなかった。


「う、嘘だろ。ぐあっ!」


 呆気に取られている隙を突かれ、張り手をくらってしまい、俺の体は思い切り壁に叩きつけられ、後頭部を強打した。一瞬目の前が真っ白になり、飛びそうになる意識を必死でとっ捕まえる。


「いってぇ…………ん? これは……」


 横の箱に目が止まった。詰められているのは……手榴弾だ。俺は迷わずそれを掴み取り、ピンを抜いて一つ目悪魔に投げつけた。耳を塞いで床に伏せた直後、爆発が起こる。こんな物で倒せるとは思っていない。だが、一瞬奴の目を眩ますことが出来れば充分だ。俺は後頭部の痛みを堪えながら飛び起き、聖剣に向かって猛ダッシュする。残り十メートル……五メートル……よし、掴んだ!


「ウガア!」


 一つ目悪魔の拳が背後から迫る。俺は振り向き様に聖剣で薙ぎ払う。手応えを全く感じることなく、一つ目悪魔の上半身が宙を舞った。相変わらずとんでもない斬れ味だ。聖剣から発せられる黄金の光が俺の体を覆い、力が湧いてくる。よし……これでもう大丈夫だ。俺は足早に武器庫から外に出て、エメラに呼びかけた。


「エメラ、脱出するぞ! さっさと来い!」


 それを聞いたエメラが、曲がり角から走りながら姿を現した…………数十匹の悪魔を引き連れて。俺は聖剣を逆手に持ち、刃先を下に向けて持ち上げる。エメラが俺の横をすり抜けると同時に、聖剣を床に突き立てた。すると、追っ手の悪魔共の足元が大爆発を起こし、先頭集団がバラバラに弾け飛んだ。改めて聖剣の強さを実感すると共に、これをオルパーが使っても勝てなかったダイモンの恐ろしさを思い知る。後続の悪魔が迫ってくる。いちいち相手にしていたらキリがないな。俺も走り出し、エメラの背中を追った。


 下の階の悪魔共も、騒ぎを聞きつけて立ち塞がっている。鬱陶しい奴らだ。エメラを追い抜き、次々と悪魔を斬り捨てていく。気分爽快だ。正に向かうところ敵無しといったところか。階段を五段飛ばしで一気に駆け下り、あっという間に軍用車を停めてある大広間に着いた。エメラが運転席に乗り込み、俺は助手席には座らずに屋根の上に乗った。エンジンがかかり、急発進する。振り落とされないように気を付けなくてはな。


「オオオオォォ!!!」


 再び大勢の悪魔が道を塞ぐ。俺は立ち上がり、聖剣を構えた。そして剣を振る、振る、振る、振る、更に振る。振る度に斬擊がカマイタチのように飛び、目の前の悪魔共を斬り飛ばしていく。軍用車はスピードを緩めることなく、俺達はそのまま城から脱出し、目の前に広がるアメジス山脈に向かって突っ走る。


「トドメだ、くそったれが!」


 俺は切っ先に魔力を充填し、魔法弾を作り出す。それを後方の城の正門に向かってフルスイングすると、魔法弾が真っ直ぐ飛んでいき、着弾と同時に大爆発を起こした。正門付近に群がっていた悪魔共が一斉に爆散するのを見届け、俺は助手席に身を滑り込ませた。


「何とか巻いたようね。ゴルドのくせにやるじゃない。まあ、聖剣のおかげなんでしょうけど」


「いちいちうるせえよ。それより、サフィアが残した目印ってのは何なんだ? そんな物はさっぱり……」


 いや、何か小さな光が見えるぞ。俺達が前に進むごとに、地面に豆電球のような小さな光が、次々と灯っていく。これを辿れということか。俺達が近づいて初めて点灯するから、仕掛けている最中はダイモンに気付かれなかったのだな。


「サフィア、大丈夫かしらね」


「さあな。とにかく急ぐぞ。もたもたしてると、ダイモンが人間界に帰ってきてしまうかもしれん」


 とにかく、行ける所まで車で行くしかない。俺達を乗せた軍用車は、その光を辿りながら真っ直ぐアメジス山脈の麓を目指す。未だに胸の中のモヤモヤが晴れないままだが、今は束の間の休息に努めることにしよう。俺は深くため息をついて、助手席の背もたれに身を預けた。



 *



 アメジス山脈は人の手が一切加えられていないため、軍用車はすぐに足止めを食らうことになった。坂道や藪、木、崖に阻まれているため、徒歩でも登るのは一苦労だ。おまけに、この辺りは瘴気が濃く、呼吸をするだけで気分が悪くなってくる。あまり長居はしたくない場所だ。途中、野生の悪魔に何度か出くわしたが、聖剣を手にした俺の敵ではなく、すぐに片付けていった。光は点々と奥まで続いている。一歩踏み出すごとに一つの光が灯り、俺達を導いていく。それにしても、一体どこまで行かなければならないんだ。道は険しい……まさか、山頂まで行く羽目になるわけじゃなかろうな。俺の心は、見えないゴールのおかげで疲弊しきっていった。


「……何よ、バテたの? 情けないわね」


「人の事言えんのかよ。お前だって汗だくで息切らしてんだろうが」


「あたしは肩の傷が治りきってないのよ。あんたなんか無傷じゃないの」


「なんだと? 俺だって……いや、やっぱいい。こんなくだらない事で体力を使ってる場合じゃねえ」


 気のせいか、徐々に瘴気が濃くなってきた気がする。昼前だというのに、辺りは不気味に薄暗い。そして再び崖に阻まれる。光は、この崖の上に向かって垂直に伸びている。奴らはどうやって登って行ったのかは知らないが、人間の俺達には些かハードなミッションだ。俺は聖剣を、エメラはナイフを岩肌に突き刺しながら登っていき、やっとの思いで上に辿り着いた。


「……はっ! あれは!」


 崖の上は広い平地になっており、その奥にそれはあった。空間に、縦長の楕円形の穴が出来ている。楕円の高さは五メートル程ある。これぐらいあれば、大型の悪魔も自由に出入り出来るだろう。近付いてよく見てみると、穴の向こうには荒廃した大地が広がっている。紫色の霧がかかっていて見えづらいが、灰色の空や、朽ち果てた木々、ポコポコと泡立つ沼なども見える。あれが魔界か……。穴の裏側に回っても何もない……何とも奇妙だ。


「ここで間違いないようね。ゴルド、封印の方法は分かってるの?」


「ああ」


 以前、アクーアカンパニーで手にした時は、魔界のゲートを封印する魔術なんて存在すら分からなかった。それもそのはずだ。例えて言うなら、聖剣は大量の物がごちゃ混ぜに詰め込まれた、倉庫のような物だ。手にした瞬間に、様々な魔術の情報が頭の中に流れ込んでくる。あまりにも多すぎて、あの時にはその魔術には気付かなかったが、目当ての魔術を探し出す事は可能だ。「魔界のゲートを封印する魔術」…………それだけを狙って、倉庫の奥から引っ張り出せばいい。俺はゲートの正面に立ち、その真下に聖剣を突き立て、目を閉じて意識を集中した。聖剣の光が、徐々にゲートの周りを囲っていく。少し時間がかかるが、このまま続ければ封印は完了する。ダイモンは魔界に閉じ込められ、俺は晴れて自由の身となり、建国に向けて再スタート出来るのだ。


「……サフィアには悪いけど、これしか方法が無いんだものね。最後に一言お礼が言いたかったわ」


 エメラが一人呟く。サフィア……あいつは本当に馬鹿な奴だ。自分の命を捨てて、他人を救うなんて愚の骨頂だ。俺には一生かかっても理解出来ん。


 ────それは私が、ゴルド王子を人間としても、一人の男性としてもお慕いしているからです。ゴルド王子のためなら、命も惜しくありません


 今思えば、女からあんな事を言われたのは初めてだったな。いや、正確には言い寄られたことは何度もある。しかしそれは、俺が王子だったから……もしくは、アクーアやアリス達のように、俺の本性を知らずに騙されているかだ。サフィアは、王子でもなく、俺の本性を知った上で言ってきたのだ。それがますます理解出来ない。


 …………本当にいいのか? このままゲートを封印するのは容易い。だが、それと引き替えに、金輪際二度と手に入らない何かを失う気がする。いや、何を馬鹿な事を考えている。俺が死んだらそれこそ全てを失うんだぞ。ここで止めて逃げたところで、焼き印がある限り、ダイモンから逃げることは出来ない。俺の命……俺の心の平穏……それ以上に優先する物などない。


「……ん? あっ、やばい!!」


 突然エメラが叫び、俺は顔を上げた。


「うわっ! な、何だ!?」


 遠くからダイモンが怒りの形相で、猛スピードでこちらに走ってくる。その後ろにはサフィアも続いてきている。一体どうしたというのだ。


「申し訳ありません、ゴルド王子! ダイモンに勘付かれました。早くゲートを閉じて下さい!」


 サフィアが叫んだ。あいつが大声を出すのは初めて見……いや、そんな事を気にしている場合ではない。もはや一刻の猶予もない。


「ゴ、ゴルド! まだなの!?」


「だ、大丈夫だ。あの距離ならギリギリ間に合う!」


 急げ! 急げ急げ急げ! 急ぐんだ! 俺はラストスパートをかけるように、一気に魔力を高めてゲートの封印に取り掛かった。くっ……! 焦りが集中を乱す。このままでは先にダイモンに出て来られる。その時、サフィアがダイモンに飛び付いて羽交い締めにした。一瞬ダイモンの動きが止まる。よし、間に合うぞ!


「馬鹿女が!」


 ダイモンが手を後ろに回し、魔術を撃った。爆音と共にサフィアの体が後方に吹っ飛び、地面に叩きつけられた。ダイモンが再び走り出す。しかし既にゲートの封印の準備は完了した。奴が何をしようが、もう遅い。さらばだ……!









 ………………俺は、一体何をしている? 何故封印完了の直前に聖剣を抜いた? そして何故……ダイモンに斬りかかった? ゲートを覆っていた光は消えた。途中で止めたせいで、封印は失敗したのだ。俺の聖剣は、剣に変形したダイモンの右腕と重なり合っている。あの瞬間……ゲートの向こうで、傷だらけで横たわるサフィアが視界に入った。その時俺の中で何かが弾け、自分の意志とは無関係に体が動いた。しかし、よりによって何故……何故こんな馬鹿げたことを。


「…………お前はもう、土下座しても許さんぞ。今この場で八つ裂きにしてやる」


 絶望が俺の心を支配した。どうする……どうすれば生き残れる。命乞いはもう通用しない。後ろは崖……逃げるのも不可能。戦う……戦って勝つ。一パーセントにも満たない可能性だが、もはやこれ以外に方法はない。


「……うるせえ」


「あ?」


「うるせえんだよ! てめえの方こそ八つ裂きにしてやるぜ! このゴルド様をナメるんじゃねえぞおおぉぉ!!」


 そう、全ての退路を断たれた者の、ただのやけくそだ。現実から目を背け、死ぬほど酒を飲んだ時のように酔い、自分を鼓舞する。何の計算も、作戦も、勝算もない、負け犬の咆哮。しかし、そんな俺に応えるように、聖剣ブリリアントはかつてない光を放ち始めた。

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