#prologue:攫う砂 - 4
──意識が朦朧としている。
全身が強張り、自分の意志とは無関係に何かが起きていた。
その痛みと辛さに必死に堪えていると、誰かが懸命に自分へと呼びかけているのが分かる。
かろうじて薄く右目だけを開けると、うっすらとだが、数人の影がぼんやりと見えた。
「………て! ……に、……んじゃ……わよ!」
必死な、女の子の声。
「…の調子……、もしか……、…………まうかもしれない……」
諦めたような男の子の声。
「バカ! ……に……とか言うん…………わよ!」
また、さっきの女の子の声。
「ふた………ケン……ない…よぉ! おね……!」
……今度は別の? 女の子の声。
「……とも、お願いだから…………てくれる!?」
これは、聞き覚えがある、大人の女性の声だ。
「……大丈夫。あなたは、絶対に死なせない! あなたの両親の、命を賭した遺志に誓って!」
……聞こえた。
まるで母さんのように、優しくて……。
…………そこにいるのは、もしかして、母さんなの……?
だったら、もう安心だ。
やっぱり母さんは、ちゃんと生きてたんだ。
…………でも、こんな必死な母さんの声……一度も聞いた事がなかったな……。
「…………大丈夫だよ、母さん……」
かろうじてそれだけ言うと、リアンの意識はまた、プツリと途絶えた。
どれほど時間が経っただろうか。
リアンが自然に目を醒ますと、そこは硬い床の上だった。申し分程度に毛布が敷かれているものの、本来居住するような場所でないことは直ぐに分かる。
それに、あちこち揺さぶられる感覚に、エンジン音もする。どうやら車の中らしい。
体を起こそうと全身に力を入れた瞬間、左半身がヒリヒリと痛みだし、筋肉が不自然に脈動した。
気付けば、全身に包帯が巻かれていて思うように身動きが取れず、左目も包帯が覆われていて視界が悪い。
……どうしてこんなことになっているのだろう。
リアンは置かれた状況に戸惑いながら、ゆっくりと身に起きたことを頭の中で整理した。
まず、痛みの原因は白砂を左半身に被ったからだろう。
そうなるに至った経緯は、父親に手を引かれて何か──そう、砂渦から逃げたからだった。
(……そうだ。父さんも、母さんも……)
この床のように、ひやりとした冷たい喪失感が、全身を流れた。
かと思えば、胸から喉に向かい、熱いものが込み上げてくる。
言い知れぬ感情に身を委ねると、ついには堪えきれなくなって、嗚咽まで洩らした。
形あるモノを失ったのとは、ワケが違う。
自分は、二つとない肉親を失ったのだ。もはや、二度と帰ってくることはない。
(どうしたら……ぼくは、どうしたらいいんだ……?)
応えてくれる両親は、ここにはいない。
支えてくれる家族は、ここにはいない。
止め処なく押し寄せてくる不安と絶望感に、胸が押しつぶされそうだった。
「……なあ、お前、大丈夫か?」
暗闇の奥から男の子の声がして、リアンははっと口を噤んだ。
「バカ。大丈夫なわけないじゃない。あの状況だし、泣いてるのよ? もっと良く考えて話しなさいよ」
今度は別の方角から、強気な女の子の声がする。
ここには、二人も別の人間がいるのか。
リアンは更に息を殺したが、声はそれきりだった。
そういえば、ここは何処なんだろう、と身をよじりながら何とか周囲を見渡すと、少しずつ目が慣れてきて、様子が分かってきた。
天井には、毛布同様、申し分程度に橙色の光を放つカンテラが一つ、ぶら下がっている。
ぼんやりと揺れる光の中、部屋はそれほど広くもないが、車にしては大きな、直方体の形状であることが分かる。
部屋の隅には、タンスなどの家具や生活雑貨が置かれていて、先程の声の主である誰かが生活しているらしい。
「……そこに、誰かいるのか?」
リアンは思い切って、暗闇に向けて声を放った。
こうして両親以外の誰かを呼ぶのさえ、初めてのことである。
すると、ゴソゴソと音を立てながら、ひとつの影がゆっくりと近づいてきたので、リアンは思わず身を強張らせた。
影は車の揺れに耐えながら、慎重に天井のカンテラを背伸びして取り外すと、リアンの前でゆっくりと膝を抱えて座り、傍にカンテラを置いた。
「驚かせてごめんね」
カンテラの光に照らされ、それが、リアンよりも若干年上の少女だと分かる。
左右に結わえた金髪に、気の強そうな瞳。
それを見て、リアンは思い出した。
(あの時、向かいでアクセサリを売っていた子だ……!)
どういう偶然なんだろう。どうして彼女がここにいるのか。
「アタシはクニークルス」
少女はリアンの思考を遮って名乗った。
「あっちにいるのがコシュカ。そこでいつも寝てる子がスクァーレルよ」
次から次へと紹介される名前に、おかしな名前だなぁ、とぼんやり考えていると、そのクニークルスがいきなりリアンの右手を握ったので、リアンはびくっと身構えた。
「そんなに緊張しなくても、ただの握手だってば。……はい、これでお友達」
いきなりのことに声も出ない。
今まで、同世代の子供と会話を交わす機会なんて無かったのだ。握手なんて尚更に。
「あなたを助けるの、結構大変だったんだからね。大人たちだけじゃ間に合わないし、アタシも包帯巻くのを手伝ったのよ?」
「……キミが?」
「体の半分が砂まみれだったのに、全然覚えてないの?」
そういえば、とリアンは思い出した。
車に上がる時に砂を被った気がしたが、そのことなんだろうか。
あまりに必死だったため、自分の身に何が起きたのかさえ忘れてしまっていた。
「まぁいいわ。えっと……ちょっと! 出てきなさいよ、コシュカ!」
クニークルスが背後に呼びかけると、自分よりも若干体格の大きい少年がドタドタと走ってきて、リアンの体すれすれの位置で停止した。
踏みつけられるとばかりにリアンが驚いて体に力を入れると、びりびりとあの痛みが蘇って、顔をしかめた。
「ちょっ……! バカ! 何やってるのよ! 危ないでしょ!? 怪我人がいるのよ!?」
「へっへ、わりぃ。挨拶がてらの冗談だってば」
ふざけて出てきた少年は、クニークルスと同じようにリアンの手を取って無理矢理握手した。
「オレがコシュカってんだ。ここで暮らしているファミリーの一員さ」
リアンが何のことかと首を傾げていると、クニークルスが割って入った。
「アタシたちは、血の繋がりがない家族なの。露店をしながら各地を旅して、理想の楽園を探してる」
……理想の、楽園?
リアンは口の中でその単語を転がした。
ふと、砂渦が起きる数日前に母から聞いた言葉を思い出した。
北にある「山」。冷たい「雪」。雪が降るという「冬」。その次にある季節、「春」。色とりどりの花や鮮やかな虫たち──。
もしかして、アレが楽園だというのか。この子達は、それを目指して旅をしているのかもしれない。
世界中の資源が枯渇したのは、もう十数年以上前のことだと聞いている。
どこから湧いて出たのか、白い砂──
そうして増えていった白砂は世界を砂漠に変え、今のリアン達が知る世界となった。
気付けば大地は緑を失い、白い砂漠と化し、気付けば多くの街や村が瓦礫と化し、砂に埋もれていった。
つまり、今この世界で誰もが望む理想の楽園というのは、白砂がなく、緑が生き続ける場所を指すのだ。
「アテのない旅だけど、希望がないよりはずっといいでしょ?」
リアンは奥歯を強く噛みしめた。
希望だって? 両親を失って、こんな目にまで遭って……希望なんてあるはずないじゃないか!
そんなリアンの心の内を知るはずもなく、クニークルスはお構いなしに話を続ける。
「ねえ。あなたって、前の街にいたわよね。デュランがからかってたのを見たわ。家族で旅してるらしいってのも聞いたし……」
「うるさいな!」
我慢は限界だった。
何で会ったばかりの女の子に、こんなに訊かれなければならないんだ。
「な、何よ、いきなり!」
「ほっといてよ! ぼくは独りになりたいんだ!」
気を遣っていたクニークルスも、これにはさすがにカッとなった。
「何よ! 人がせっかく心配してあげてるのに!」
「『あげてる』? 余計なお世話だ! 頼みもしてないのに! ぼくにはもう、父さんも母さんもいないんだ! こんなところで生きてて何の──」
言葉を切り裂くように、鋭い音が鳴り響いた。
リアンは大きく目を見開き、突然の出来事に頭が回らなかった。
「それが何!? 何だって言うの!? みんな、パパやママがいないのよ!? だからここにいるんじゃない!!」
クニークルスの目尻に、涙が貯まっていくのが見えた。
リアンはぽかんと口を開けたまま、その様子をじっと見つめている。
「あなたは、誰に助けて貰ったのか覚えてないの!? ずっとそんな調子で、助けた人のことも何も考えやしないで! あなたのために死んでいった人の事を少しは考えて、前向きに生きなさいよ、バカぁ!!」
ぼくのために、死んでいった……?
考えるまでもない。それは、自分を助けるために手を繋ぎ、先に逝ってしまった母と、自分を生かすために命を犠牲にした父のことだ。二人とも、自分さえ助けなければ、生き残れたはずだった。
叩かれた頬──「包帯をしていない方」に、やっと手を当てた。ヤケドのようにヒリヒリするが、それとは全く違う痛みが感じられる。
リアンはもう一度、目の前で顔を赤らめ、険しい表情でしゃくりながら自分を睨み返している少女を見た。
強い目だ。大人だろうと何だろうと、どんなものにも喰いかかっていくような、そんな目だ。その瞳の奥に、どういうわけか、自分と同じような境遇を感じた。
(あ……!)
リアンはようやく気付いた。クニークルスの持っていたカンテラが、彼女の右手側に置かれていることに。
クニークルスは利き手じゃない左手を使ってリアンの右頬をぶったのだ。それがどういうことか考えると、この子の行き届いた気遣いが、ようやく理解出来た。
「ごめん……なさい」
リアンは横たわったまま、素直に詫びた。
頬を伝わる涙は左目の包帯に染み込み、それでも溢れる涙は、くたびれた毛布が受け止めた。
クニークルスは何も言わずに立ち上がると、鼻をすすりながら暗闇の中へ帰っていった。
……これは、どう受け止めればいいんだろう。
「覚えてないかもしれねーけどさ」
いつの間にかほふく前進で近づいてきたコシュカが、うつ伏せのまま、リアンの耳元で囁いた。
「あいつ、ずっとお前の事を心配してたんだぜ」
「……え?」
「『頑張って! 絶対に、死ぬんじゃないわよ!』……ってさ」
あれは、夢だと思っていた。
自分を励ましていた声の正体は、クニークルスだったのだ。
「クニークルスの言う通りだぜ。お前は……少なくともオレたちなんかよりずっと恵まれてたんだ。何せ、本当の両親に命を助けて貰ったんだからな。
今は……そりゃあ、やっぱり辛いのかもしんねーけどさ、オレたちも似たモン同士だし。……な? 一緒に乗り越えていこうぜ、兄弟」
リアンは、すっかりぐしゃぐしゃになった顔で、ようやく深く頷いた。
暗闇の向こうでその様子を見ていたクニークルスも、やれやれと言わんばかりにふうっと溜め息をつくと、涙を拭い、二人に気付かれないよう静かに笑った。
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