序幕『彼らは日々錬金術師に振り回される』Ⅰ

*ヒロインの名前が変わりました。クオリ→エルシニア

一章のほうも、順次修正していきます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――ゴゥンゴゥンゴゥン。

 遠くから聞こえる大機関の音。それはこの大英帝国首都、大機関都市メガエンジン・シティロンドンを支える三つの大機関のうちの二つの音だ。

 そのうちに一つである第一大機関ファースト・メガエンジンは、先日起きた事故――あるいは反社会的活動テロリズムとも呼ばれている――により、機能を停止しており、現在は第二セカンド第三サード大機関がその不足分を補うために過剰稼働している。そのため、普段ならば音遠くに聞こえるはずの第二、第三大機関の駆動音もこの通りというわけである。

 しかし基本設定以上のエネルギーを生み出すために過剰稼働している大機関は、その稼働率に比例する形でこれまで以上の煤煙を生み出してしまい、ロンドン上空の灰色雲は一層分厚く、舞い散る灰の量もこれまで以上となった。

 結果、ロンドン各地では第一大機関停止の原因究明と、その復旧を求める声は日毎増していた。

 そして、その元凶――即ち、大機関停止の原因の最たる人物はと言うと……――


「ふーむ……トバリ、この組文字型問題集クロスワードの問題の答え、判るかね?」


「――お前、暇し過ぎだろ?」

 かちゃりとティーカップと焼き菓子マフィンをヴィンセントの執務机の上に置きながら、トバリは呆れ顔でそう悪態吐く。

 そんなトバリに向け、ヴィンセントは「何を言う!」と不満げに眉間に皴を寄せ、組文字型問題集を手に取りトバリに突き付けた。

「何処か暇そうというのかね? 見ての通り、私はこの難問集を解くのにこの頭脳を費やすのに忙しいのだぞ?」

「俺が知る限り、過去最高に無駄な頭脳の使い方をしているな」

 ヴィンセントの訴えを適当に流して、トバリは来客用長椅子に腰を下ろして自分のカップを傾ける。輸入品の希少な自然栽培された茶葉の風味など、トバリには然して違いも判らないが、それでも自然とこの茶が美味いと感じながら、手製の焼き菓子を齧り、言う。

「もう少しその類稀なる頭脳を有効活用しろよ、我が雇い主様マイ・オーナー

「しているじゃあないか。今まさにね」

「悪ぃな。まったくそんな風に見えなかったよ」

 ごろりと長椅子に寝転がりながら応じるトバリに、ヴィンセントは不満げに眉を顰める。

「だからこそ、私は私の持ちえる知識の凡てを掛けて、この問題集全三八六問の回答に全力を尽くしているのではないか」

「いや、間違いなく全力を尽くす部分に間違いがあるようにしか思えねぇから」

 憤然と告げるヴィンセントの言葉を一蹴するトバリ。だが、おざなりな返事をしてから数秒。彼はヴィンセントが発した言葉を改めて頭の中で反芻し、意味を噛み砕く。そして、頭の後ろで組んだ腕枕に沈めた頭を持ち上げた。

「――…お前、今なんて言った?」

「というと?」視線鋭くするトバリの問いかけに、ヴィンセントは口角を持ち上げながらそう応じた瞬間、トバリは自分の中に生じた疑念を確信へと変えた。

「質問の意味をしっかり理解しておきながらはぐらかすんじゃねぇ。何だよ、全三八六問って」

 言いながら、トバリは長椅子から身体を起こしてヴィンセントの取り掛かっている組文字型問題集を覗き込む。先程はしっかりと確認しなかったが、ヴィンセントが挑んでいる組文字型問題集は、其処等の雑貨屋で販売されているような物とは一線を画するものだった。

「……お前、なんだこれ?」

 トバリは剣呑な雰囲気を纏いながらヴィンセントにそう訊ねる。すると、ヴィンセントはこともなげに答えた。

「ご覧の通り、組文字型問題集だ。問題は、――ということなのだがね」

「何処のどいつだよ、そんなまどろっこしい手紙作ったの!」

「私の友人だよ」

「んなことは想像が付く……内容はなんだ? まさか季節の挨拶とは言わねぇだろ?」

「それは勿論だとも」

 溜め息をつくトバリに、ヴィンセントはその猛禽の如き双眸を鋭く細めて見せ――そして、にこりと微笑んだ。

「実は英国政府からの依頼で、大機関を修理できそうな人物との交渉をしていたのだよ。最近、第二、第三大機関の過剰稼動や煤煙問題で何かと五月蝿いだろう?」

「そりゃあな。毎日ロンドンの何処かで民衆運動デモが起きてるくらいだ。ついでに言えば、普段以上に灰が降るし、大機関から排出される蒸気の量も莫迦みたいに増えてやがる。おかげで洗濯物が乾きやしねぇ」

 この住居ホームの家事の大部分を担っているトバリとしては、頭の痛い話である。目の前の頓珍漢ヴィンセントの洗濯物は別に後回しでもいいが、問題は女性陣だ。二人存在する同居人たちの苦言が、日毎に増しているのが厄介だった。そんなに文句があるなら大衆用自動洗濯機関ウォッシング・エンジンと大衆用自動乾燥機関ドライ・エンジンの利用を強く勧めたい限りである。下着だけはきっちり其方で洗っているのだから、自前の服もそうして貰いたい。

 尤も、考えることは誰もが同じで、民衆の多くが自前での洗濯を諦め挙って駆け込んでいるらしく、大衆用自動洗濯機関も乾燥機関も、長蛇の列が出来上がっているとか。洗濯クリーニング屋は嬉しいを通り越して完全に許容量過多キャパシティオーバーになっていて、文字通り悲鳴を上げる始末。ついにはロンドン各地の洗濯屋が自主休業クローズドの看板が釣り下げるようになっているくらいだ。それ程に、ロンドンの洗濯事情は困窮に瀕しているのである――という話は、一旦置いておき。

「――で、その交渉は上手くいっているのか?」

「流石に大破した第一大機関についてはすぐにはどうにもならないそうだが……どうにか第二、第三大機関のほうの機能向上するための改修はできそうだと――いう話になったよ」

「そりゃあ嬉しい報せだな。是非民衆の連中にも伝えてやれよ」

 にやっと口の端を持ち上げるトバリだったが、対するヴィンセントの表情は晴れなかった。

「――という話になったわけなのだが……なにやら緊急事態トラブルが起きているらしい」

「そいつは穏やかじゃないな……で、話してる間も進めているその組文字型問題集と今の話に、何の関係があるんだよ?」

 首を傾げるトバリに、ヴィンセントはこともなげにこう言うのだ。

「――というところまで解読できたのだがね。その緊急事態の内容が、今も判らぬままなのだよ」

 トバリが怒号を上げたのは、次の瞬間だった。

「お前ら錬金術師の頭はどうなってんだよ! なんで救援要請にこんな迂遠でしかねぇ暗号使うんだ、ド阿呆!」

 憤慨するトバリは、引っ手繰るようにヴィンセントの取り掛かっている組文字型問題集を覗き込んで――その表情を曇らせた。そして思わず「なんだこれは?」と零してしまう。

 その組文字型問題集の出題は実に奇妙だった。自然化学、地質学、工学、物理学、生物学、遺伝子工学などの専門的知識を必要とする学術問題があったかと思えば、労働者階級だって知っていそうな謎掛け。かと思えば、未解明問題に関連する――まさに様々な分野の知識の対応アプローチを求められるようなものばかりだ、ということくらいしか、トバリには判らなかった。

「……誰だよ、こんな至上命題の塊みたいな問題集を作ったやつは」

 人も殺せそうな程険しい表情を浮かべるトバリの疑問に対し、ヴィンセントは実に得意げに、まるで我がことの様に胸を張って答えるのだ。

「彼は我が古き同胞――古今東西のあらゆる分野に長けた、奔放な錬金術師の代表格。全能の知恵者にして、万象の観測者。時に【万能の貴公子】等と呼ばれている存在だよ」

「なぁにが貴公子だ。偏屈者の間違いだろ。ったく……」

 トバリはそう言い捨てると、組文字型問題集を手に持ったまま踵を返すと、床を踏み鳴らしながら執務室兼来客室であるこの部屋を出ていく。

「ミス・リーデルシュタイン! じゃなくて……ああ、くそ。おい、エルシニア、いるか!」

 そして廊下を闊歩しながら、彼は同居人の一人の名を叫ぶ。すると、丁度トバリが開け放ったままの執務室の向こうにある部屋の扉が開いて、其処から美しい蒼銀の髪を二つの三つ編みにして揺らした娘が顔を出す。

「――そんな大声を上げなくても聞こえていますよ、ミスタ・トバリ」


 エルシニア――エルシニア・アリア・リーデルシュタイン。


 ヴィンセントを始めとした、錬金術師たちの闘争――あるいは狂気に巻き込まれた、数奇な運命を辿る娘だ。

 その背に――あるいはその身体のうちに、人にはあらざる鋼鉄クローム蒸気機関エンジンで作られた生体兵器《剣翼機関ヴァルキュリア》を、実の姉の手により埋め込まれながら、気丈に、優美に、あるいは冷然と振舞う淑女レディである。

「どうかしたんですか、ミスタ・トバリ?」

「知恵を貸せ、エルシニア」 

 単刀直入に用件を告げるトバリに、エルシニアは「はい?」と意味が判らず首を傾げた。そんな彼女に向けて、トバリは組文字型問題集を突き付ける。

其処の莫迦ヴィンスの愉快なお友達が、大層面倒臭い手紙を寄越しやがったんだよ。解くの手伝え」

 トバリの簡潔過ぎる説明に耳を傾けていたエルシニアは、組文字型問題集とヴィンセントを交互に見据えると、凡てを察した様子で呆れたように嘆息一つ。

「どうしてこの人たちは面倒なことを好むのでしょうね……」

「まったく以て同意見だよ」

「――どったの?」

 諦観の籠った科白を吐く二人の背に、覇気の欠いた声がかかる。二人は揃って視線を声の主へ向けた。

「リズィか」

「ん。よ」

 眠たげな眼差しで、酷く短い言葉で応じる小柄な少女に、エルシニアは彼女が何と言おうとしたのか察することができず首を傾げた。隣のトバリはというと、呆れ気味に眉を顰めて寝ぼけ眼の少女の頭をガシガシと撫でて言った。

「『おはよう』くらいちゃんと言えよ。いや、そもそも今まで寝てたのか……」

「うん。ぐっすりさ」

「もうお昼も過ぎているんですが……」返答に困ったエルシニアが微苦笑する中、リズィはトバリの中衣ウェストコートをくいと引っ張った。

メシ

「せめて食事とか、昼食って言えよ。淑女レディならな」

 トバリの苦言に、リズィは「意味一緒じゃん」と唇を尖らせる。「わーったよ」とトバリは面倒臭そうに髪を掻きながら、手にしていた組文字型問題集をエルシニアに手渡した。

「悪ぃが、其処の莫迦ヴィンスと、問題解いてくれ。俺はこの腹ペコハングリィのために飯の支度をするよ」

「役割分担ですか?」

 組文字型問題集を受け取りながら、エルシニアはそう言って不敵に、そして奇麗に微笑んだ。対して、トバリは口の端だけを器用に持ち上げて、お世辞にも品が良いとは言えない笑みを浮かべながら「応ともYes」と答えた。

「アンタは頭脳労働ナゾナゾ。俺は肉体労働クッキング――判りやすいだろ?」

「そうですね。私の女性としての沽券が損なわれることを除けば――ですが」

「代わるか?」

 それこそ、意地悪く笑ってトバリはエルシニアに問うと、彼女はその端正な顔を不満げに歪ませて、

「……任せますよ」

 エルシニアの返事に、トバリは「そりゃ重畳」軽く手を振って見せ、そのまま住居の調理場へと向かうのだった。


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