4-12
その冬、後を追うかのように色違いの族長も引き継ぎを行いました。
私達の族長が色違いの族長に負けてしまってから元気が無くなっていたのです。
アカが新しい族長となってもそれは変わらず、儀式でもちょっかいを出すように智獣を屠る事も無く、普通に喧嘩をする事も無く、静かになっていたのです。
それはその色違いの族長にとって、私達の族長が本当に、自分の番達よりも大切な友だったという事でした。
そして、色違いの族長はまだ十分に戦えるのにも関わらず、引き継ぎによる自死を選びました。
次の色違いの族長も雌でした。
色違いの族長の、二番目に若い番でした。
そんな半年の、色違いの族長の心が衰えていく中、アカは意外な程に早く族長としての自分を新たに確立していました。
私にとってそれは受け入れたと言うよりは、諦めたと言うように思えたのですが、今の所何の支障も出てはいません。
その受け継がれて来た魂を身に取り込んでからは、族長並の強さを発揮して喧嘩では誰にも負けなくなりました。
色違いの族長とはそれは別ではありましたが、その色違いの族長とは一回しか戦いませんでした。その一回も、少しだけ戦った後に色違いの族長は自分からその喧嘩を止めてしまいました。
何となくその理由は分かりました。族長が本当に引き継ぎをしてしまったかどうかの確認、だったのでしょう。
また、儀式はこの年は二回行われましたがどちらもアカは前の族長のように戦い、圧倒的に勝ちました。
何を思っているのか分からない顔で、淡々と。
その族長と言う立場にまだ抵抗があるように、私には見えました。もう、智獣を食べる時も何の喜びも見せません。
その魂を身に宿してからも強くなる感覚はするのか、勢い良く食べてはいるのですが、それはただ本能的なものでした。
やはり、我慢しているのでしょうか。
アカと番はたった二匹で族長の住むべき大きな巣穴に子供と一緒に移っていましたが、たった二匹で住むにはその洞窟は広過ぎました。
アカ自身の空虚な気持ちを表しているような、そんな広さでした。
……本当に、大丈夫なのでしょうか?
私にはただただ、見守るしかありませんでした。
その秋、息子を試練に送り出すのは私にとって最後になるかもしれない事でした。母がそうであったように、私も新しく番を得ようとは思ってはいません。思えませんでした。
そんな年、私は泥棒狩りをするのは止めておきました。今年全てが死んでしまっても来年また産める、という心の底での、自分が傷付かない為の保険はもうありません。
そして今年は六匹中、一匹だけ帰って来ました。
私と同じ六匹兄妹の中での末子でしたが、雄でした。
ハツヒ、ハツヨイ、ミツ、アマグモ、ツノマガリ等々、二度目の試練を終えた私の子供達にのみ、私は単純な命名を心の中でしてきましたが、今回も単純にそうしようと思います。
少し考えて、終わりを意味する、ツイ、と名付ける事にしました。
-*-*-*-
そして春を迎え、ツイを違う場所に住むように促すと、私はまた番の居ない、一匹での生活に戻りました。
これから、どうしようか。
その時です。
私は今でも僅かながらではありますが、町で一時期暮らしていた時のように智獣や別の魔獣の時の記憶を思い出しながら生きていました。
今では、私の思考している言語を持つ人間の国の場所もおぼろげではありますが、ここからどの方向に行けば良いのか、後少しの情報で分かります。
大狼として生きた時があったのか、細かな生態が断片的にもありました。それは、また何か思い出してはいけないようなバラバラ具合であったのですが。
そして今、何故か変な場所の記憶が、私の頭の中を過りました。一度思い出した事があるような、ないような良く分かりませんが。
山の中腹にあるような、森に囲まれた場所小さな町。
そしてその場所がどこにあるのか、それもおぼろげながら思い出しました。
私の思考している言語を持つ人間の国の、端の方でした。
行かなければいけない場所。けれども、行ってはならない場所。
そんな印象が思い浮かび、一瞬でそれは私の生きて来た生物の一つの記憶ではなく、私自身の魂、本質に関わる場所だと分かりました。
……私は今はもう、ここでワイバーンとしての生を終える事に何の不満も持っていません。
私がまだ自分自身の記憶を取り戻していない頃は、ここで最終的に子供のワイバーンに倒されて死ぬ事に不満を持っていたのですが、今はもうそれも受け入れています。
族長が悲惨な最期を遂げるだろうという事を思う前から。
行く必要は全くありません。ええ。
この生で無限の転生を終えられるとしても、私はもう一度、幻獣として生きなければいけないのですから。
その時に行けば良いのです。
しかし、ワイバーンとしてのこの私の記憶は次に引き継げない事を、私は何となく分かっていました。
私としての本質は次の幻獣としての生に引き継がれるけれども、きっとこのワイバーンとしての私の記憶は殆ど消えて無くなるのだと。
六匹兄妹であった事も、私だけが生き残った事も、族長と番になった事も、何もかもが殆ど消えてしまうのだと。
死ねなくなった体としての最後のこのワイバーンとしての生で、私はそこに行った方が良いのでは?
そこに何があるのか私には全く思い出せないのですが、そんな自問が私の中を占めました。
……でも、行くとしても、今じゃない。
行くとしたら。
それは、すぐに私の中で決まりました。
母、そしてアカ。私よりも先に死ぬ、私の中で最も親しいワイバーン達を見届けてから。
それからでも、十分に時間はあります。
-*-*-*-
ワイバーンの数が色違いが来る前と同じ位になり、強さの平均も下がって来ると儀式の頻度も自ずとまた増えて行きました。
もう、色違いが儀式をするのも日常茶飯事です。
色違いとの混種も増えて来ています。それぞれの特徴を部位毎に別々に持ち合わせていたり、全く色違いや私達と変わらない姿だったりと、個体差はありますが。
私にとってすべき事はもう、一年に一回の泥棒狩りのみとなりました。
毎年私が泥棒狩りをしているから、他のワイバーンも僅かながら泥棒狩りに参加するようになっています。
命の危険があれど、成功すればかなり儲かるからか、私が積極的に泥棒を襲うようになってからも智獣達は三年間の内、二回は来ています。
しかしながら、やはりやる事は泥棒であるからか、腕の立つ智獣が来る事も大して無く、使われる道具が大した進化をする事も無く、その泥棒狩りさえももう私にとっては緊張するものではなくなっていました。
退屈と思う時もあります。
春になれば、疼きはまた我慢するだけになりました。
それも交わりを経験した後となってはその我慢もより辛いものとなっていました。
しかし、そうであっても私は新たに番を持つつもりはありませんでした。他の族長の番だったワイバーンももう、一匹で居る事を貫いていました。
私に限らず、ワイバーンというのは誰もが交わり直すという事をしない、したくないのでしょう。
また、雌が族長になった場合、雄を沢山侍らせたりするのか、と少し疑問があったのですがそれは無く、アカは何年が経とうともその大きな巣穴で二匹で暮らしていました。
隣の新たな色違いの族長は、一匹のままでした。
-*-*-*-
-*-*-*-
「アアッ……、ア゛ァ……」
アカは泣いていました。
あの時と同じように、私の胸の中で。
どういう感情を持ってアカは泣いているのか、私には分かりませんでした。
誰も攻めて来る事も無く、川の水が少なくなったりした事はありますが天変地異という事もやはり無く、平穏、悠久とした時が流れていく中、アカは族長としてこの群れの安寧を保っていました。
しかし、やはり我慢していたのでしょうか。
それとも、とうとうこの時が来てしまって、怖くなっていたのでしょうか。
それは分かりません。
五、六年前に色違いの族長が引き継ぎをし、私自身も僅かな衰えを感じる歳になっていました。
私自身の明確な年齢はもう分かりませんが、三十は確実に越える年を私とアカは生きていました。
もう、アカも引き継ぎをしなければいけない時が来ていました。
けれども、アカは自分のこの生に満足する事は出来ていません。それは確実に言える事でした。
満足出来る生を送る事は難しい事ですし、誰もがそういう生を送れるとは限りません。
しかし、その引き継ぎと言う行為が群れを安寧に保つ事に絶対不可欠だという事だとしても、やはりそれは悲惨過ぎると私は思いました。
族長としての責務を全うして、そして最後にあるものがそんな、次世代へとその魂を受け渡す何て。
族長になるという事と犠牲になる事、それは等しいものです。
確実に。
転生して欲しいと、私は前の族長の時と同じく願いました。
アカは泣き続け、朝になる頃やっと、酷い顔で泣き止みました。
じっと、私とアカは見つめ合いました。
涙で濡れた痕がはっきりと残る顔でアカは、覚悟しなければならないと私を見ながら思っているようでした。
静かに、遠くで起きたワイバーン達の羽ばたく音が聞こえる中、時間はゆっくりと過ぎて行きました。
前の族長は、私合わせて六匹の番は、覚悟という事もせず、それを自然に行いました。
あの目を見ただけで私はそう理解していました。
しかし、アカはそこまで達観する事も、族長という座に収まる事も出来ていませんでした。
やはり、我慢していたのでしょう。無理矢理自分を使命感で族長という座に押し込んだのでしょう。
押し込んだまま、窮屈なまま、それを隠してアカは族長としての責務を全うしました。
これはその結果でした。
ただ、どんな結果であれ、引き継ぎは行われています。
受け入れる、諦める、覚悟する。どんな結果であれ、逃げ出すという選択肢を選んだワイバーンはこれまで居ないのです。だからこそ、族長と言うワイバーンはここに今も存在しているのです。
傍から見れば異常でしょう。
群れの安寧の為だとは言え、誰もが自死という結末に向っているのです。
しかし、当事者にしか分からない事なのでしょう。それは。
その使命、責任がどれだけ重いモノなのか私のような族長でないワイバーンは推測するしか出来ないのです。群れの長、族長の頭を食らう何て経験は、同じ族長しかしていないのですから。
アカはゆっくりと、息を吸い、吐く事を繰り返しました。
覚悟を丁寧に、丹念に練り固めて行くように。
そして、その冬の何事も無いいつもの一日の朝、アカはゆっくりと立ち上がりました。
「…………」
私も立ち上がり、無言のまま、また暫くの時間が経ちました。
その後、アカは私に背を向け、皮翼を広げて飛んで行きました。
それが、最後でした。
その秋、母も自らの終わりを迎えました。
直前にも私とは接する事は何も無く、草木が枯れて行くような自然とした振る舞いのまま、森へ歩いて行きました。
もうこの数年は皮翼があっても飛ぶ事も殆ど出来ず、私のような子や、若いワイバーン達が持って来る獲物を貰って、喧嘩もせず、ただ生きているだけでした。
犠牲とならなければいいけないのは族長だけではなく、死なずに長く生きたワイバーン全てです。
受け入れる為の期間の長さはとても違いますが。
私は巣穴の中から、母が吼えて子供のワイバーンを屠りながら森へと消えていく姿を眺めました。
……ああ。
母が見えなくなった後、私の中にはぽっかりとした穴のようなものが出来ていました。
もう、私と等しいか、私よりも年上の最も親しいワイバーン達は全て喪ってしまったのです。
あの時の、今となっては二代前の色違いの族長程では無いのでしょうが、その時のような喪失感が私にはありました。
死にたくなるのも分かるような喪失感でした。
ああ。
もう、私もそろそろ、その時を迎えるのに近い歳になっていました。自分の年齢を覚えている訳では無いですが、アカが体に衰えを感じて次世代へと身を投じたのと同じく、私も体に衰えを感じ始めていました。
……少し、嫌だな。このまま死ぬのは。
完全に死にたいと思う私がそう思うのも変だとは思いますが、少し何か気を紛らわす時間を、そのただ老いて死んでいくまでの期間に欲しいと思いました。
……行こうかな。
私と母の年齢がどの位離れているのか分かりませんが、五歳は確実に離れているでしょう。
その五年の間で確実に往復位出来る距離ではあります。その、私自身と何か強く関係のある場所とこことは。
…………行こう。今すぐ。
そうでないと、きっと本当に行かなくなってしまう。行かないまま、ただ死んでしまう。それはきっと僅かなものだとしても、後悔になる。
そして、私は飛びました。
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