第14話 襲撃
八大さんの指示で、僕は防火服を着込んだ。その格好で玄関に出向く。そして十三時きっかりに自動ドアを開いた。詰めかけたマスコミの記者たちに、そしてその向こう側に居る見物客の間にも、明らかに緊張が走った。掴みはバッチリといった所か。同時に、
「あー、あー、本日は晴天なり、本日は晴天なり」
荷捌き場には八大さんが立っていた。プラスチックのメガホンを口に当てながら、大きなジェスチャーで記者達を招いた。荷捌き場の奥では既に、搬入口が開いている。
「これより館内の案内を始める。玄関は狭いので、急いでる者はこちらから入って来たまえ。どうしても玄関から入りたいと言うのならば、止めはしないが」
記者達は一瞬顔を見合わせたが、すぐにわらわらと荷捌き場に上り始めた。玄関の僕の方に来る者は誰も居ない。僕は何のためにこんな所でこんな恰好をしているのだろう。ぽつねんと一人取り残された僕の呟きを聞いてくれるのは、七月の蒸し暑い風と鳴きわめくセミだけだった。
結局客室には七十人程がひしめく事となった。ただの見物客が三、四割いたという事になるのだろうか。もっともこういうマスコミ対応の場合、報道腕章などを発行して、入って来た者が本当にマスコミの記者なのかを確認したりするのが普通なのだろうが、ハナっからそんな人数が来るとは思っていなかったので、何にも用意してなかった。だから今、客室の丘の麓でココアにカメラを向けている連中が、本当にマスコミ関係者なのかはわからないのだ。それは凄く怖い事だと思うのだけれど、その集団の先頭に立っている八大さんは、そんな事など露程にも気に留めていないように見えた。
「はいそこ、勝手に開けない、そこはウンコ捨てる所だよ、はいそっち、勝手に昇らない、怪我したくないだろう。はい、えーそれでは只今より『龍のお宿 みなかみ』の館内案内会を開催する。まずここが客室、この宿の中心部にして最重要箇所、もしくはその全てがここにあると言っても良い場所である。最大内径は百八十九メートル、最高部までは二百メートル、内壁の耐火煉瓦の厚さは三十センチ、えー、他に何か質問はあるかな」
一人の記者――なのだろう――が手を上げた。
「この巨大な空間は、本当は何に使うんですか」
ふむ、八大さんは小さく頷くと、集団の最後尾にいた足利百子を指さした。
「そこな女史」
集団の視線が足利百子に集まる。あちこちで息を飲む音が聞こえる。
「……なんですか」
「ちょっと前に来てくれたまえ」
「何の為に」
「正義と平和の為にだ」
足利百子はムッとしている。その顔もまた美しい、とは思う。思うが不思議なもので、以前の様に冷汗が噴き出したりはしない。やはり、あのときは完全に魅入られていたのだなあ。そして今、呆けたような顔で足利百子を見つめる幾十人の姿と、更に卒倒せんばかりの勢いで汗をダラダラ流している幾人もの顔を見ながら、ご
「足利ちゃんは出てくるかな」
先生はまだココアに跨ったままだ。その隣で僕は防火服を着たまま答えた。
「八大さんの言い方が拙いと思います」
「それはいつもの事だよ」
「そりゃそうなんですが……あれ、出てきましたね」
「出てきたね、珍しく空気でも読んだかな」
足利百子はゆっくりと前に出てきた。その進行方向に立つ者は皆慌てて後退る。結果あたかもモーセの海を割った奇跡の如く、人混みは左右に分かれ、足利百子の前に道を作った。そこを歩いて足利百子が最前列に顔を見せた時、クオオオオッと甲高い叫び声が室内に響いた。ココアが吠えたのだ。そしてココアは足利百子めがけ、炎を噴き出した。それは正しく敵に対する反応であった。
とは言ってもまあ、丘の頂から足利百子のいる麓にまでは五十メートルはゆうにあるし、ワームの炎が届く距離など十メートルがいい所なので、足利百子は眉一つ動かす事は無かったのだが、周りの記者達はそうは行かなかった。おそらく初めて見るのであろう、ドラゴンの噴く火炎の威力に、皆腰を抜かしてしまった。
「事ほど左様に」
八大さんは声を張り上げた。
「ドラゴンの飼養には物理的空間的防壁が絶対に必要なのである」
そして僕を指さした。
「 その為の防火服であり」
次に壁面を指さし、
「その為の耐火煉瓦であり」
大きく両手を広げ、
「そしてこの広大な空間である」
あんぐりと口を開けて振り仰ぐマスコミの記者達を
「すなわちこの空間はドラゴンを守る為のものであると同時に、ドラゴンの威力から近隣を守る為のものなのである」
八大さんはニッと笑った。
「ご理解いただけたかな」
そんな様子を丘の上から眺めながら、先生と僕はココアをなだめていた。
「ほーれ、どうどう、どうどう」
「物凄く緊張してますね」
僕はココアの首筋を撫でているのだが、筋肉が鋼鉄の様に張り詰め、小刻みに震えている。先生はうなじに跨りながら頭を優しく掻き、声を掛け続けている。
「どうどう、どうどう、怖いよねえ、怖い相手はわかるんだよねえ」
「それでも僕らを跳ね飛ばさないんですから、利口な子です」
「そりゃお前を味方だと思ってるからさ」
「えっ。そ、そうですかね」
「そうだよ。こういう時に日頃の行いが出るんだよ」
不意の先生の言葉に、僕の胸は締め付けられた。ココアが僕を味方だと思ってくれている。その嬉しさに。そしてその哀しさに。僕に大して何ができる訳では無いが、せめてここに居る間くらいは、穏やかに過ごさせてあげたい、そう思った。その瞬間である。
地面が揺れた。地震かと思う間もなく、世界の景色がグニャリと歪む。記者達は一瞬にして姿を消した。
「狭間の世界だ!」
叫ぶ先生の声を、僕と八大さん、そして足利百子が聞いた。
「上から来るぞ」
先生の声に、皆は上を向く。丘の上から天井までの距離は百七十メートル、麓からなら二百メートル、現実の世界では小さな変化など見つけられない距離だ。だがやはり夢と現の狭間だからか、まるで手元にあるようにはっきり見える。
天井に水滴がついていた。一つ、二つ、三つ。その水滴がピクリと動いた。と、水道の蛇口から勢いよく水を流し込んだゴム風船のように、みるみる内に膨らんでゆく。そして直径一・五メートル程になった時、
それらは全長三メートル程、背に翼が生えている。猿のような体に、鳥のような頭と
「ほう、ガーゴイルか」
八大さんは少し驚いたようだ。無理もない、ガーゴイルはまだ開発段階で、商品化はされていなかったはずだ。何故それがここに居る。しかも三体も。
ガーゴイルは奇声を上げて自由落下で僕に襲い掛かってきた。しかし僕に触れる事すらなく弾き飛ばされる。そこには青龍の姿があった。弾かれたガーゴイルたちは、翼を広げた。そして飛行した。なんと、夢と現の狭間ではガーゴイルが宙を飛べるのだ。ならば他のドラゴンも飛べるのではないか。状況も
「また来るよ」
先生は
青龍はガーゴイルを噛み砕かんと顎を振るう。しかしガーゴイル達はひらりひらりと飛び
次の瞬間、ガチーン! 僕の目の前数センチの所で青龍の顎が閉じた。僕は思わず上体をのけ反らせる。その僕の防火服の襟首を、ガーゴイルの後ろ脚が掴んだ。体が浮き上がる。更に二体のガーゴイルは僕の両腕を掴み、そのまま高く持ち上げようとした。だが上がらない。僕の両足を青木さんが掴み、下へと引っ張っているのだ。
ガーゴイル達の動きが一瞬止まった。そこを目がけてココアが炎を噴く。絶叫と共に炎に包まれる三体のガーゴイル。その機を逃さず青龍が
今回、夢と現の狭間へ行っていた間に現実の世界で経過した時間はほんの数秒だったらしく、『龍のお宿 みなかみ』の館内案内会は混乱も無く無事終了した。特に足利百子の存在は効果絶大だったようで、「状況確認は何度も実施しているので、当施設がペットホテルである事には県庁として異論はありません」との言葉を引き出してから、宗教だの化学兵器だの言い出す者は居なくなった。あとココアの炎。あれを見せたら、こんな大きな建物が必要な理由をくどくど何度も説明する必要が無くなってしまった。お二方には感謝である。
記者達を追い出し、足利百子と先生と青木さんを見送って、正面の門を閉めた。自動ドアを施錠し、事務所へ戻ってみると、八大さんは防犯カメラの映像を巻き戻している最中だった。巻き戻すと言っても流石に今どきビデオテープでは無いので、正しくは何と言うべきなのか知らないが、とにかく過去の映像をピックアップしていた。
「ほうら、ご覧」
八大さんはモニタを指さした。青木さんと先生と足利百子が自動ドアの前で待っている時の映像だ。この後すぐ僕が現れて自動ドアを開ける。見る角度は違ったが、この様子は僕も見ているのだ。それなのに何を見ろと言うのだろう。
「さあここだ」
八大さんは映像を止めた。何だ。何が映ってると言うのだ。
「わかるかい」
「わかりません」
「早いな。もっとよく見たまえ」
「何もおかしなものは映ってないですよ。ていうか僕この場に居ましたし」
「いいや、違うね。君が玄関に現れるのはあと数秒後だ。その数秒間にこういう事が起きていたんだよ」
「起きていたって何が」
僕はもう一度モニタを見た。しかしわからない。
「鈍いなキミは。足利百子を見たまえ」
「……普通に足利さんですね」
「その周りには誰がいる」
「誰って、先生と青木さんと、えっとあとはこれは誰だろう」
その静止画像の中で、二人の人物が足利百子に話しかけているように見えた。
「マスコミの記者だと思わんかね」
「そりゃまあ、その可能性が高いと思いますけど、だから何ですか」
「もう忘れたのかね、P助を預かった時の事を。県庁に情報を漏らしたのは誰だろう、って話をしただろう」
「あ。え、それじゃ」
「前から思っていた通りだったよ。マスコミにはムカデの息のかかった連中がいるんだ」
「それってつまり、相当以前からうちはマスコミに監視されてたって事になりますけど」
「その通りだと思うね。件の究明新聞社のように蛇の息のかかった連中もいる。マスコミの中はうちの敵だらけだって事だ」
成る程。前々からそんな事を考えていたのなら、八大さんのマスコミ嫌いもわかる気がする。しかしそうなると。
「ドラゴンの息のかかったマスコミって居ないんですか」
「
八大さんは立ち上がると、「ついて来たまえ」と僕を呼んだ。そして真っ直ぐエレベーターへと向かった。当宿のエレベーターは二百メートル上の屋上と地上の二点を結ぶだけのものだが、とにかく速さが自慢だ。そこいら辺の高層ビルのエレベーターでは相手にならないレベルで速い。メンテナンス等でこのエレベーターに乗る、僕を含めた相当数の人が、立ちくらみを起こすほどである。そのエレベーターに乗って、八大さんと僕は屋上に向かった。
屋上に到着後、下がり切った血が元に戻るまで少し待ってから、僕はエレベーターを降りた。八大さんは僕の先を、屋上の真ん中に向かって歩いて行く。五十メートルくらい歩いただろうか、八大さんはまだまだ先を歩いているが、その先に何かが見えてきた。何か人間くらいある物が、横たわっている。それも複数。何だ、あれは、もしや。屋上の真ん中まで辿り着くと、それは見覚えのあるドラゴンの死体だった。ガーゴイルだ。八大さんは何とも言えない表情で三体を見つめていた。
「まず此処まで辿り着いたんだ。そして此処で夢と現の狭間に入った」
つまりは眠りについた、という事だ。二度と目覚める事のない最後の眠りに。
「明日にでも先生に解剖してもらおうとは思っているのだが、多分間違いない、脳に機械が埋め込まれているはずだ」
モケーレ・ムベンベ。あの可哀想なドラゴンもどきと同じという事は。
「それじゃあの時、外務大臣を殺そうとしていたのは」
「おそらくヴリトラだな。それを我々が邪魔した。目をつけられたというのは、そういう事だろう」
「でも何故ヴリトラはあんな事を」
「ヴリトラは今、人間界に居るのではないかな。そしてきっと、ドラゴンで金を稼ぐ仕事をしているのだろう。それも開発側にかなり食い込む立ち位置で。ドラゴンの流通に口出しする者は誰であろうと許さない、そう世界に表明したかったのさ」
「そんな事の為に」
「流通を握ると言うのは大事だよ。ドラゴンは今はまだ単なる高級なペットだが、いずれ値段は下がるからね。大量生産できるようになるのも、そう先の事じゃない。そうなればいろんな方面に転用する者が現れるだろう。そしてメインストリームはそちらに移って行く。ただ開発しているだけでは立ち行かなくなるのは明らかだ。常に先手先手を打っているのさ。ご立派なものだね」
「……何にも出来ないんでしょうか」
「ん?」
「僕らはただ見ている事しか出来ないんでしょうか、こうやってドラゴンが道具として使い捨てられて行く事を」
「キミは大事な事を忘れていないかい。我々はヴリトラに命を狙われているんだよ、ドラゴンの心配をしていられる立場じゃない」
「それはそうですけど、でも」
「でも?」
「それでも何か、八大さんなら、いや、僕がもし本当に神様なら、何かできる事があるはずです、何か」
あははははっ。八大さんは楽しそうに笑った。
「キミはそういう所は変わらんのだな」
「え」
「何もしないわけではないよ。私だって命を狙われっぱなしでは気が休まらんからね。まずは今夜のニュース番組を全て録画だ。そして明日のワイドショーもだ。新聞も集めなければならん。忙しくなるぞ」
八大さんはエレベーターに向かって歩いて行く。僕は慌てて後を追った。
「それで、何をするんです?」
「ヴリトラを怒らせるのさ。カンカンにな」
八大さんは、ニッと笑った。
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