65「ユナとルイスと、ユウとリルナ」

 まさか、そこにいるのは――。


『よっす。また来てやったぞ』

『おお! ユナか! って、そのお腹、どうしたんだい!?』


 驚くルイスに、マタニティを着た母さんは得意気に胸を張って答えた。


『妊娠八か月ってところだ』

『へえ。そうか八か月なのか――って、ええーっ!? 君、まさか結婚したのかい!?』


 ルイスは目をまん丸くして、天と地がひっくり返ったように仰天していた。


『そうよ。そんなに驚くことか?』

『いやあ。だってまさか、あの君がねえ……』

『あのな。あんたの中で私は一体どういう認識なわけ』

『凶悪破壊女。バーサーカー。生まれた種族性別を間違えた人』

『おいこら。もういっぺん言ってみろ』


 怖い笑顔で腰の銃に手をかけた母さんに、ルイスは頬を引き攣らせて半笑いしながら、控えめに後ずさった。

 このやり取りが可笑しかったのか、隣でリルナがくすくすと笑っている。


『ま、まあとにかく、おめでとう』

『ありがと』


 あっさり溜飲を下げた母さんは、何事もなかったようにけろっとした顔で手を元の位置に戻す。

 うわあ。家庭でいきなり銃を持ち出す母さんは、ここでも相変わらずだったのか。

 というか、俺の知ってる母さんよりもさらに凄みが効いてるような気がする。

 母さん、あれでも丸くなってたんだなあ。


「ふふ。随分楽しそうな仲だったんだな」

「ほんとにね」


 これから決戦に向かおうってときに、なんてもの見せてくれるんだか。

 まったく。おかげで嫌な緊張が解れたよ。


「あそこに生まれる前のお前がいるわけか」


 リルナが、丸く膨らんだ母さんのお腹を指差した。

 俺は頷いてから、“彼女”の方を指差す。


「で、あっちには君がいると」


 ルイスの隣に控えている方の“リルナ”は、既に今とほとんど変わらない見た目をしているが、装備は幾分簡素に見えた。


「どっちもまだはっきりと意識はないみたいだけど」


“彼女”は感情のない顔を張り付けてただそこに黙っているだけで、どこまでも機械的な印象を受ける。

 まだとても心を持っているようには見えない。


「わたしとお前は、妙なところで縁があったようだな」


 リルナがどこか嬉しそうにそう言ったので、俺も自然と微笑み返していた。


「そうみたいだ」


 ルイスと母さんは、相変わらず楽しそうに話し続けている。


『しかし、君の旦那さんを務めるなんて、どんな化け物なんだい?』

『化け物ってねえ。普通の人よ』

『意外だなあ。もしこういうことがあるなら、てっきりレンクス辺りとくっつくのかと思っていたのに』


 すると、母さんはほんの少しだけ困ったように視線を泳がせてから――きっと心のどこかでは迷ってたんだと思う――くつくつと笑った。


『あいつはねえ。やるときはやるんだけど、基本意気地も甲斐性もなしのダメ人間だから。それにやっぱ、そういうんじゃないのよ。親友って感じで』

『はは。散々な言いようだね。けど、正直僕もそんな気がしてたよ。あーあ。あいつ、取られちゃったかー』

『ま、告白する度胸もないのが悪い』

『こればっかりは仕方ないね。それで、旦那さんとはどうやって?』

『仕事の折りに偶然ね。どうも一目惚れだったみたいで、何度もしつこく言い寄られちゃって。負けたわ』


 のろける母さんは、本当に幸せそうで。父さんの隣で笑っている姿と重なって見えた。


『おお、これは惚れた女の顔だぞ……。ああ、ユナもとうとう女になってしまったんだなあ……』

『なにしみじみと気持ち悪いこと言ってんのよ』


 母さんが、ルイスの頭をゴンと小突く。

 流れるような突っ込みに、俺もリルナも軽く笑った。

 ルイスはちょっとだけ痛そうに頭を押さえていたが、すぐに気を取り直して言った。


『そうそう。君に紹介したいものがあるんだよ』

『隣のそいつか?』

『そうさ。おい、リルナ』


 すると、初めて“彼女”が明確な反応を見せた。


『はい。マスター。ご用件はなんでしょう』


 凛としたよく通る女性の声。間違いなく、俺のよく知るリルナの声だった。

 でも、なんかちょっと感じが変だ。どこか片言のようだし。それに。


「はは。リルナがマスターとか言ってるぞ」

「う……」


 今の方のリルナが、恥ずかしそうにやや顔を背ける。


「なんだかこう……妙に恥ずかしい気分になってくるな。昔の自分というのは」


 小さい頃のアルバムを人前で開いているようなものだからね。まあわかるよ。


『リルナって言うのね』

『そうなんだ。試作機じゃ味気ないだろう。名前は適当だけど、もっともらしい意味は後で考えるさ』


 あ。あの意味って後付けだったんだ。意外な真実。


『そら。挨拶してみろ』


 “リルナ”は、たどたどしい様子で頭を下げてから、口を開いた。


『はじめまして。ユナさん。わたしはリルナと申します』

『ま、こんな具合さ』

『へえ。中々頑張ってるじゃん』


 母さんは、“彼女”の頭を撫でてやっていた。


『まあね。とは言っても、ご覧の通りまだまだ発展途上でね。ようやく少し人間らしい形にはなってきたんだけど……』


 まだまだ課題がたくさんあるのだろう。

 ルイスは、やれやれとお手上げのポーズをした。


『それで。いつかこの子が完成したら、君に贈ろうと思っていてね』


 驚いて、リルナの顔を見た。

 彼女も同じ反応をして、目と目が合う。

 母さんも、驚いたようだった。


『いいの? 大事なものだろうに』

『前に言ってたお礼だよ。この子だけ特別製なんだ』

『お礼なんていいって』

『そう言うなって。本当に感謝してるんだ』


 真摯に母さんの目を見つめてそう言ったルイスは、“リルナ”の肩に手を乗せて続けた。


『リルナは、いつか地球で暮らすことを考えて、最上級の半生体素材で作ってある』

『ふうん――って、ほんとだ。本物の人間みたい』


 リルナの腕に触れて、母さんはすっかり感心している。


『ふふん。それだけではないよ。リルナはね。本物の女の子と比べても寸分たりとも遜色のないよう、柔らかさ、肌の質、髪質、匂い、果てはちょめちょめまで、細部まで徹底的にこだわり抜いた至高の一品なのだ!』


 最後は鼻息も荒く声高に言い切ったルイスを見て、俺はなぜ彼がどうしようもない変人と言われていたかを完全に理解した。

 母さんが、汚い豚を見るような目を彼に向けた。


『うわ。最悪。すっごい引いたわ。このド変態』

『果てなき探求心と呼んでもらおうか!』


 ……恐る恐る、リルナに視線を向けると。

 彼女はその場から消えてしまいそうなほど肩を小さくして、死ぬほど恥ずかしそうに俯いていた。

 あまり見ない方がいいだろう。


『こほん。真面目な話もするとね。モジュール機能により、必要に応じて性能をどんどん拡張できるようになっているんだ。君の戦いのサポートのために、戦闘に必要な機能はもちろん最初からすべて付けてあるけどね』


 ルイスは、得意顔で“リルナ”に指示を出した。


『リルナ。あそこの装置に向かって《セルファノン》を撃ってみてくれ。10%でいいぞ』

『了解しました』


 彼女が向いた方向には、真ん中に大きな穴が空いている四角い箱状の機械装置があった。

 その穴へ向けて、“リルナ”は右手を突き出す。右手は変形し、砲身へと変わる。

 その様子を、母さんは腕組みした状態で眺めていた。

 “リルナ”が、冷たい機械的な音声を発していく。何度も聞いたことのある流れで。


『ターゲットロックオン。エネルギー充填10%。《セルファノン》――発射』


 目を見張るような輝きをもって、水色の光線が発射された。


『ほう』


 それは真っ直ぐ狙った穴の中へと吸い込まれていき――入ったところから、綺麗さっぱり消えてしまった。

 母さんが、パチパチと軽く拍手を叩く。


『中々のものね』


《セルファノン》もそうだけど、それを打ち消したあの装置もすごいな。


『そうだろ?』


 嬉しそうに鼻をさする彼に。

 しかし母さんは、当然浮かび上がってくるはずの疑問をしっかり指摘してくれたのだった。


『でもさ。何も言わずにいきなり撃った方が当てやすいんじゃないの?』

『趣味だ』


 キリッとした顔で、ルイスはそう言い切った。

 母さんも呆気に取られている。


『は?』

『だって、せっかくの必殺技だよ!? 目立った方がカッコいいじゃないか!』


「こ、この男……! 殺す!」


 リルナが身を乗り出して、いきなり幻に殴りかかろうとしたので、俺は慌てて肩を掴んで止めた。


「いや。この人、もう死んでるから。ね?」

「くっ。こんな下らない理由で……わたしは、一々あんな宣言をさせられていたのか! すごく恥ずかしかったんだぞ!」


「涙目」になって、リルナは今は亡き製作者に積年の憤りをぶつける。

 まあ気持ちはよくわかる。あれ、聞いてるこっちの方が少し恥ずかしかったからな。

 俺も技に集中するために名前を付けてこっそり呼んだりとかしてるけど、基本脳内発声だし。

 本当に同情するよ。うん。


『あんたらしいけどさあ……いざちゃんと心を持ったときに、この子が困らないかい?』


 その通りだよ母さん。もっと言ってやってくれ。


『そこは安心してくれ。右の乳首を五秒間に強く三回押してもらうと、この機能は止まる仕組みになっている』


 なんでそこなんだよ。

『なんでそこなんだよ』


 突っ込みが親子で見事にハモった。


『ボタンっぽいから』


 ルイスは、真顔でそう答えた。


「な……な……!」


 あまりにもあんまりなことを言われてしまったリルナは……。

 ああ、ダメだ。オーバーヒートしてしまったらしい。

 世の中には知らない方が良い真実もあるということだな。あまりにも下らない。


 母さんは、深く溜め息を吐いた。


『あんたってほんとどうしようもないわ。レンクスもそうだけど。はあ……。どうしてウチの知り合いはこんなのばっかりなのかねえ』

『君だって人のこと言えないんじゃないのか。ほら、類友って――』

『ほう。私がいつまともじゃないときがあったのか、じっくり教えてもらいたいんだけど』


 指をパキパキと鳴らしながら詰め寄る母さんに、ルイスはたじたじになって愛想笑いを浮かべるしかなかった。


『は、はは。冗談だよ。冗談』


 とそこで、ルイスは思い出したように言った。


『そうそう。あとね。リルナは、家事なら何でも完璧にこなしてくれるんだ。君はそういうの、苦手だろ?』

『へえ。そいつは助かるわね』

『うん。だろ。だろ? 他にも、君の生体情報を参考にして、君の波長に合わせて行動できるように色々と調整している』


 ルイスは、楽しそうにべらべらとリルナの開発秘話をまくし立てていく。

 母さんも少し呆れながら耳を傾けて、まんざらでもなさそうに笑っていた。


『ほんとこだわるよね。あんたって』

『性分だからね。とまあ、機能面の方はもうほとんど完成してるんだけど……』


 彼は、そこで力なく肩を落とした。


『後は、心さえどうにかなればなあ。これがやっぱり一番難しいんだ』

『まあそうだろうねえ』

『でもまだまだこれからさ。時間をかけてゆっくり頑張るよ』

『うん。応援してる』



『お腹……』



 それは、本当に突然のことだった。

“彼女”が初めて自ら言葉を発したのである。


 ルイスが、ぽかんと口を開けた。何が起こったのかわからないという感じで。

 間もなく理解した瞬間には、子供のようにはしゃぎ出していた。


『お、おお! 信じられない! リルナが自分の意志で!』


 無邪気に喜ぶ彼の横で。

 母さんは“リルナ”に語りかけた。


『ん。気になるか?』


 こくん、と静かに“リルナ”が頷く。

 母さんも、穏やかに微笑んだ。


『触ってみるか?』


 母さんは“彼女”の右手を導いて、大きく膨らんだお腹にそっと触れさせた。

 そのとき、“彼女”に――。

 虚ろだった“リルナ”の瞳に、意志の光が宿ったような気がした。


『……温かい、ですね』

『そうよ。新しい命が入っているんだもの』


「……わたしたちは、とっくの昔に巡り合っていたんだな」

「……うん」


 二千年以上もの時を超えて。

 俺たちは、二人が初めて「出会った」瞬間を、温かい気持ちで見届けていた。

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