63「ルイス・バジェット研究所」

 死ぬほど疲れていたのだろうか。よほど深く眠ってしまっていたらしい。

 起こされたときには、もう移動は終わっていた。


「ユウ。起きろ。着いたぞ」

「ん……リルナ……」


 あれ。もう、着いたのか。

  

「よく眠っていたな」

「……うん……え……?」


 着いたって……?


 段々意識がはっきりしてくる。

 なんか、頭の下が妙に柔らかいような。それに、妙に顔が近くないか。

 リルナは、上からこちらの顔を覗き込むように、穏やかな微笑みを向けていた。

 それで今、自分がどういう状態なのかをやっと察した。

 

「あ、ああ! ごめん!」


 すぐに跳ね起きて、勢い良く謝る。

 リルナはまったく気にしていない様子だった。むしろ楽しそうにすらしている。


「はは。そんなに慌てなくてもいいだろう」


 まだ少し落ち着かない気分のまま、車のウィンドウ越しにざっと辺りを見回す。

 そこは、真っ白な砂が広がる海岸の砂浜だった。

 砂の向こうには、信じられないことに透き通るような青い海が広がっている。

 目を見張った。

 この辺りは、もうあまり汚染されていないのか。

 今度は陸地の方に目を向けると、そこには色とりどりの植物と、群生する青々とした力強い木々が見えた。どちらもディースナトゥラの公園に生やしてあったような、気休め程度のものでは決してない。

 まるでこの世界のものとは思えないほどに綺麗な場所だった。地球の自然と比べても、勝るとも劣らない。

 本来は、こんなにも美しい星だったのだろうか。


 とにかく、車は既に目的地付近へ到着し、とっくの前に静止していたらしい。


「しまった。寝過ぎた……。途中で交代するつもりだったのに。ほんとごめん」

「ふふ。いいさ。わたしも結構リラックスできたしな」


 どこか嬉しそうに微笑したリルナが、このときはどういうわけなのか、まだよくはわからなかった。

 でも――。


『リルナとも、随分仲良くなれたような気がするな』

『そうだね』


「私」は、どこか思わせぶりな様子で微笑んでいる。

 こういう時の彼女は、何かを腹に隠していると相場が決まっていた。

 一応主である自分なら強引に彼女の心を読み取ることもできるけど、そういうことはしないと心に誓っている。あくまで立場はずっと対等でいたいから。

 だから俺は、「私」に尋ねた。


『どうした?』

『ううん。何でもないよ。でも、このくらいは言っておこうかな』

『うん』

『いい? いつだって、あなたはあなたの思うようにすればいいんだよ』

『……そうだね』


 やっぱり、自分のことは「自分」が一番良く分かっているのかもしれないな。


 ――正直過ぎるほどに。



 ***



 ルイス・バジェット研究所は、車を停めた砂浜から急ぎ歩きで五分ほどのところにあった。

 人体実験の道具や拷問器具が並んでいたトール・ギエフ魔法研究所。変な発明品だらけのミックラボ。

 正直、研究所というものにあまりろくな思い出がないので、果たしてどんなところだろうかと身構えていたのだが……。特にルイスはかなりの変人だったと聞いているし。

 見た目はなんということはない。これと言って特に目立った特徴もない、ごく普通の白い角状の建物だった。それこそ外観だけなら、地球にもいくらでもあるようなものだ。

 問題は中身だけど。

 リルナが、何かに気付いたように指差した。


「ん? あそこの壁に何か書いてあるようだ」


 正面入り口横の壁に何かを見つけた彼女は、足を速めてそこへ歩み寄っていく。


「見たこともない文字だな」

「どれどれ」


 すぐに追いついて、眉をひそめたまま壁と睨めっこしている彼女の後ろから覗き込んだ。

 フェバルの自動翻訳能力を持っている俺に読めないものはない。こういうときこそ出番だった。

 書かれている文字が目に入ってきた途端――。


「え!? これは……!」


 あまりのことに、目が釘漬けになってしまった。

 リルナが読めなかったのも無理はない。

 なぜなら、そこに書いてあったのは――。


 間違いない。日本語だ!

 なぜ!? どうして、こんなところに!?


 何が何だかさっぱりわけがわからなかった。

 それでも、一つだけわかることがある。

 何かの偶然ということは絶対にあり得ない。これを書いた者は、俺がここに来ることを予め知っていて、俺にしかわからないメッセージをわざわざ残していったのだ。

 だが、一体誰がこんなものを? 少なくとも、俺の出身地を知ってる奴ってことになるけど……。


 壁には、こんな内容が上から順番に書かれていた。


『建物壊れてたので直しておきました

 ユウくん ファイトだよ

 いつか会える日を楽しみに待ってるからね!

 親愛なるA.OZより』


「A.OZ……?」

「お前の知り合いか?」


 リルナが尋ねる。無意識に小声で読み上げていたらしい。


「いや。わからないけど……」


 ピンク色の文字で書かれていること。丸っこい可愛らしい字体と言葉遣いから、女性が書いたものだろうかと推測する。

 少なくともウィルやレンクスではなさそうな雰囲気だ。大体、あいつらが書きそうな内容じゃない。


「どうやら応援してくれてるみたいだ」


 親しげな文章からするに、裏がないのなら俺に好意を持ってくれている人物だろう。

 でも、俺をわざわざ君付けで呼ぶのって……。アスティくらいしか思い浮かばないんだけど。

 まさかそんなわけはないしなあ。ディースナトゥラで別れてきたばかりだし。


「建物を直したとか言っていたな。確かに、まったく時の流れを感じさせない外観だが……」


 言われてみれば。

 研究所は、驚くべきほど姿をそのまま留めていた。同じ二千年前のものでも、旧文明の首都エストレイルなんて、核の雪に埋もれてしまって影も形も残っていないのに。

 プラトーによれば、少なくともリルナを見つけた二十年前までは現存していたのは確かだけど。としても、これほど綺麗な状態ではあり得なかっただろう。


「とりあえず入ってみようか」

「ああ」


 意を決して一歩足を踏み入れてみると、ますます驚いた。

 まず自動で、エントランスの照明がぱっと付いたのだ。

 周りの白い壁にも天上にも、傷一つすらなかった。足元を見れば、ピカピカに磨かれた床が、靴の姿を鑑のように反射している。

 まるで新築同然だ。さすがにこれは、自然の状態では決してあり得ない。


「お前といると、本当にとんでもないことばかり起こるな」


 リルナは頭が痛そうに右手で額を押さえている。かなり呆れているようだった。


「何でも俺のせいにしないでくれよ。俺だって、何がなんだか」


 いや、A.OZなる人物が俺のために協力したのなら、やっぱり俺のせいなのだろうか。

 いやいや。そんなことはないだろう。


「とにかく、これは好都合なんじゃないか。宇宙船の故障の心配とかはなさそうだぞ」

「そう考えるしかないようだな……。よし。手分けして色々探してみよう」


 もしかしたら、物質消滅兵器を攻略する手がかりがどこかにあるかもしれない。

 この世界の旧人類だって、負けたとはいえ、バラギオンと戦ったはずなのだから。


 案内を見ると、研究所は三階建ての広い造りになっていた。

 まずは一階から順に探し始める。

 中に入っても、特にこれと言って変わったことはなかった。心配は杞憂に終わったようだ。

 物が多いため、捜索にはそれなりに時間がかかったが、様々なものを発見することができた。

 ナトゥラの製造資料であったり、ディー計画関連の資料であったり。

 大まかには既に知っていることではあったが、知らない詳細な事実もいくつか出てきた。

 だが、肝心の手がかりはまだ見つかっていなかった。

 もしかしたらないのかもしれないが、無策のままで挑むよりは可能性を探したい。


 次は二階か。メインである第一研究室と第二研究室がある所だな。


 階段に向かった、そのとき――。


 まさか。


 目に映ったものに、自分の目を疑った。


 何かの見間違いじゃないのか?


 理性ではそう思っていても。

 気付けば足は逸り、駆け出していた。


 階段を上り切ると、今度こそ間違いなく後ろ姿を認めた。

 肩のところまで伸びた滑らかな黒髪。一目で鍛え上げられていることがわかる、しなやかで健康的な体格。

 あの懐かしい雰囲気は。あの懐かしい匂いは。


 俺は、目に涙が浮かんでくるのを抑えられなかった。


 忘れようもない。忘れられるはずがない。


 どうして。

 どうして、こんなところにいるんだ。

 絶対にいるはずがないのに。

 もう死んでしまったはずなのに。


 何も言わずどんどん先へ歩いていく後ろ姿に、俺は涙声で呼びかけた。


「母さん……!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る