63「たとえ時が止まっても」

 私は速度特化の風刃魔法《ラファルスディット》を、アーガスは光弾魔法の《アールリオン》を、それぞれクラムに向けて同時に放つ。

 いずれも相当な高速魔法であり、ほんのわずかな時間で奴に届くのだが――。



 !



 どうやら時間停止を使われたようだ。身体がぴくりとも動かない。

 だが確かにミリアの言う通り、《アールカンバー》によって、止まった時間の中でも奴の動きを認識することができた。


 0.5秒 クラムが、静止した魔法の軌道上から外れる。光魔法であるアーガスの《アールリオン》も、私の《ラファルスディット》と一緒にぴたりと動きを止めていた。

 1.0秒 剣を構え、私に向かって猛然と走り出す。

 1.5秒 懐まで迫り、さらに一歩踏み込んで

 2.0秒 私を斬りつける体勢に入る――


 2.1秒!


 時が動き出すと同時、私は即座に身を捻った。

 剣を振り下ろす奴の脇をすり抜けるようにして、辛うじて身をかわす。

 そのまま奴から目を離すことなく、王宮の階段の方へ飛び退きながら、背を目掛けて《ボルケット》を放つ。


「でやっ!」


 すぐにこちらへ振り返ったクラムが、剣でさっと振り払う。

 刀身に弾かれた火球は、あらぬ方向へ飛んでいった。


 ――この位置はまだ奴の射程圏内だ。ここにいては死ぬ。


 さらに《ファルレンサー》を撃ち込む。小風刃を連射する魔法は、牽制に都合が良い。

 奴がその対応に追われているうちに、急いで奴から十二メートル以上離れる。

 アーガスも私のいるところへ向かいながら、雷槍魔法《デルヴェンド》を合わせてくれた。

 しかしいずれの魔法も、奴が剣を振り回すだけで、綺麗に弾かれてしまった。

 どうやらあの剣には、魔法を弾く力があるようだ。

 口をへの字に結んだクラムは、冷静に私たちの動きを見定めていた。


「今の身のこなし――なるほど。貴様ら、イネアから私の魔法について聞いたのだな」


 見えてるように動いてるんだもの。さすがに気付かれるよね。


「だが知ったところで、どうしようもあるまい」


 剣を構え直したクラムが、再びこちらへと襲い掛かる。

 とそのとき、アーガスが驚きの声を上げた。


「重力魔法が効かないだと!?」

「なっ!?」


 私も驚愕を隠せない。

 頼みの綱にしていた重力魔法が、まさか効かないなんて!?

 クラムが澄まし払って言うには。


「ふん。私とて、エデルに来て何もしていなかったわけではない。目指すのはさらなる高み。今の私に、生半可な重力魔法は効かんぞ」

「ちっ……。そいつは厄介だな」


 きっとエデルに存在する何かで、重力魔法を軽減するか無効化でもする手段を手に入れたのだろう。厄介なことこの上ない。

 内心舌打ちした私は、男に変身して気力強化をかけると、アーガスに声をかけた。


「行くぞ!」

「ああ!」


 二人で示し合わせたように、王宮の入口に向かってひた走る。

 見通しの良いこの場所で戦っても、隙を作るのは至難の業だ。このままでは勝ち目が薄い。

 王宮内部に入り込んで、死角からワンチャンスを狙った方がまだいい。

 なるべく見晴らしの悪い場所で戦う。アーガスと話し合っていた作戦の一つだった。

 それに王宮内部からは、トールの気配を強く感じる。

 放っておけば彼が討たれる危険がある以上、奴も追ってくるしかない。



 !



 また、時間停止か――!


 一切身動きが取れないまま、奴の気が背後からぐんぐん近寄って来るのを感じた。

 なまじ認識できるからこそ、死が迫る恐怖と正面から向き合わなければならない。

 来るのがわかっていても何もできないというのは、これほど恐ろしいものなのか。

 途中、狙いが俺から逸れて、横にいるアーガスへ向かったのがわかった。


 2.1秒。時が動き出す。


「アーガス! 後ろだ!」

「くっ!」


 当たれば確実に命を刈り取る横薙ぎを、彼は間一髪しゃがんで避ける。

 でもまだ危険な位置だ。

 接近戦では、圧倒的に奴の方に分がある。

 女に変身して目を瞑り、アシストの魔法を放つことにした。

 アーガスはこちらを向いていないから、何も問題はない。


《フラッシュ》


 閃光魔法が炸裂する。

 自分ではわからないけど、眩い光が奴の視界いっぱいに広がっているはずだ。

 これで少しは足止めになってくれるか。


 だが、認識が甘かった。

 目を開けたとき、なんと奴は、既に私の目前まで迫っていたのだ。


「そんな下らん魔法が、この私に効くと思うのか」


 え!? 効かなかった!?


 もう突きを繰り出してきている。

 回避が間に合わない。


 やられる!


 死を覚悟したそのとき、


「ちいっ!」


 クラムは突然大きく飛び退き、距離を取った。

 直後、目の前を闇の刃が横切っていく。


「そう簡単にはやらせねえよ」


 横からアーガスの挑発的な声が聞こえた。


《キルバッシュ》で援護してくれたのか。助かった。


 邪魔をされたことで、クラムの意識はアーガスへ向いていた。

 今のうちに魔法で援護しよう。今度こそ成功させるぞ。


 霧よ。覆い隠せ。


《ティルフォッグ》


 辺りから濃霧が漂い、視界を覆っていく。

 これで見通しが一気に悪くなった。

 そして、この状況は一方的にこちらが有利だ。クラムには普通の魔法が使えないことを利用した。

《アールカンバー》をかけている私たちには周りがよく見えるが、奴にはほぼ何も見えていないだろう。

 私は再度男に変身すると、ウェストポーチからスローイングナイフを三本取り出す。

 それらに強く気を込め、いっぺんに奴の急所目掛けて投げつける。

 時間操作魔法を使わせるために。



 !



 一瞬だけ、意識が途切れたような気がする。奴が時間を消し飛ばしたのだろう。

 そこで間髪入れず、追加でナイフを五本投擲する。もちろんすべて急所狙いだ。

 それから、アーガスと目配せを交わして、一緒に王宮まで脇目も振らず駆け出した。


「あまりこの私を、舐めるなよ……!」


 背後より鋭い殺気を放ちながら、奴の憤る声が聞こえた。

 ぞっと寒気がした。



 ***



 王宮殿に入ると、広大なエントランスに出た。

 床から天井まで突き抜けの白い柱が、無数に立ち並んでいる。

 青い石でできた床には、血のように真っ赤な絨毯が敷かれ、両脇には上へと続く階段がある。

 柱も床も、宝石のように美しい艶を放っており、どれもこれも見たこともない素材でできているようだった。

 どうやら俺たちの他には、誰もいなかった。

 二人で頷き合うと、エントランスの両サイドへそれぞれ別れて向かう。

 俺は入口から見て左側、アーガスは右側へ。

 入口の手前からは俺たちの姿が映らず、かつ時間停止の射程外の位置につけた。

 男のままで、奴の気の動きを注意深く読む。

 段々こちらへ近づいてきている。否応なしに緊張は高まる。

 手汗をかいているのに気付き、上着の裾で軽く拭った。

 奴が入口に飛び込むタイミングを見計らって、俺はアーガスに手で合図を送るつもりだった。

 その瞬間が、勝負となる。

 アーガスでも発動に時間がかかるレベルの、強力な重力魔法をかける。

 さすがにそれほど強力なものなら、少しは効いてくれるはずだ。完全無効化まではしないと信じるしかない。

 そこで動きが鈍ったところに、《アールリバイン》をぶつける。


 奴の気が、いよいよすぐそこまで来ていた。

 あとほんの少しで到達する。

 心臓が飛び出しそうな心地だった。

 おそらく、一瞬の攻防で勝負は決まるだろう。

 さあ。どうなる。


 すると……妙だ。

 なぜか、奴の反応が急に逸れた。

 入り口の方にそのまま向かうのではなく、横の何もない城壁へと向かっている。

 アーガスがいる方向だ。


 なぜそっちへ行く?


 そう思ったとき――。



 !



 時間が、止まった。


 0.25秒 俺は見た。

 0.5秒 一体何をしたのか。クラムが壁をすり抜けて

 0.75秒 アーガスに向かって、恐ろしい速さで迫るのを!

 1.0秒 射程限界距離を、明らかに超えていた。

 1.2秒 このままじゃ、アーガスが――

 1.3秒 助けないと!

 1.4秒 動け!

 1.5秒 動けよ!

 1.6秒 ちくしょう!

 1.7秒 魔法じゃないと――

 1.8秒 間に合わない!


 ――絶望に身をもがれそうになった、そのとき。


 俺は気付いた。


 2.0秒 ――私の魔法


 2.1秒!


 届け!


《ファルバレット》!


 時間停止解除と同時。

 懸命に放った風の魔弾が、アーガスの胸部を捉える寸前だったクラムの剣の軌道を、少しだけ反らしてくれた。

 それにより、辛うじて致命傷は避ける形となったが――。


 奴の剣は、無残にもアーガスの右腕を斬り落としてしまう。


 思わず目を覆いそうになる。


 肘から先が、くるくると宙を舞い――。


 右腕から鮮血を噴き出したアーガスは。

 苦痛に顔を歪めて、その場にうずくまった。


「アーガスッ!」

「少々邪魔が入ったが。これで止めだ!」


 クラムが再び、剣を振り上げる。


 まずい。ダメだ。いけない!


 アーガスが、殺されてしまう!


 もう躊躇している時間はなかった。


 私は、光の矢を発動させる。


 奴の注意を、こちらに引き付けるために。

 異常な魔力の高まりを感じ取ったか、振り下ろされる寸前の剣がぴたりと止まる。


「なんだ。それは――」


 右手に弓を構え、左手から矢を出現させて。

 いっぱいに引き絞る。

 もう後戻りはできない。これを当てなければ――負ける。


「見たこともない魔法だ――だが遅い」



 !



 ――お前が時を止めることは、わかっていた。


 私がおそらく、どういうわけか広がった奴の射程内にいることも。

 そして、私の異常に強力な魔法を警戒したお前が。その慎重な性格ならば。

 避けるより先に、止めを刺そうとこちらに向かってくることも。

 ついさっき気付いた、ある事実。

 お前の虚を突ける可能性。

 それにはまさに、この命を賭ける必要がある。

 お前は、私より強い。

 普通にやっていれば、絶対に勝てない。命を張らなければ、お前には勝てない。

 だったら私は命を賭けよう。

 アーガスを助けて、お前に打ち勝つために。

 身動きの取れない私に、剣が迫る。

 まともに当たれば確実に命を刈り取るであろう、死の一撃が。



 たとえ時が止まっても――



 変身だけは、できるみたいだ。



 私は俺に変身する。

 直後、俺の胸に奴の剣が突き刺さる。

 

 その剣は――


 胸先数センチのところで、急所には至らず――止まっていた。


 賭けに勝った。


 そう。

 お前は止めを刺すとき、心臓を狙う癖がある。

 普通なら攻撃は防げない。

 だが、ただ一点。

 そこだけなら。

 今の俺でも、全力で気を集中させれば、どうにか防ぐことができる。

 お前は、俺が心臓だけをひたすら守っていることに気付けなかった。

 まともに修行を積み重ねていたなら、簡単に気付けただろうに。

 時間操作魔法を手に入れたお前は、それにかまけて修行を怠っていた。

 ろくに気を読めないままでいたことが、仇となったんだ。


 そして――時間だ!


 俺は私になる。

 既に『心の世界』で、発動直前の状態で待機させておいたその魔法を。

 目の前で放つ。


 光の矢よ! 時を貫け!


《アールリバイン》!


 放たれた光の矢は――



 !



 間を置かず、連続で時間消去を発動させたクラムの腹部を――


 綺麗に貫通して、取り返しのつかないほど大きな傷穴を開けた。


 奴は、信じられないという顔をしていた。


 そうだろう。

 時を消し飛ばしたのに、当たったのだから。

 避け切れない攻撃を受けたとき、お前はまず時を飛ばそうとする。

 普通に避けようとしたならば、致命傷だけは避けられたかもしれないのに。

 お前はいつもの癖で、反射的に時間消去を使ってしまった。

 お前は、時間操作能力に頼り過ぎたんだ。


 だから負けた。


 魔法の反動でぺたんと座り込んだ私に、最後の執念とばかりクラムが迫る。

 せめて私を道連れにするつもりのようだ。


 でも、無駄だ。お前はもう負けている。


「アーガス! 止めを!」

「おう……!」


 片腕を失ったアーガスは、そのくらいで戦意を失う人間じゃない。

 信頼通り。残る左手だけで、彼の持つ最強の重力魔法を準備していた。


「これで終わりだ! 《グランセルレギド》!」


 超重力の黒い球が、奴の頭上に現れた。



 !



 いくら時間を止めたところで、無駄な足掻きだ。

 私の攻撃で体力の尽きかけている奴は、もはやあの魔法から逃れる力など残っていない。

 重力球は容赦なく奴を引き込むと、その全身を粉々に砕いた。

 やがて魔法が消えたとき。

 奴はもう動くことすらままならない状態で、ずたずたになった身を地に横たえていた。

 そっと近寄ると、奴は力ない声で搾り出すように言った。


「まさか、本当に足元を掬われることになるとはな……」


 けれど、どこか満足したようにふっと笑う。


「だがまあ、お前のような者に負けたのは、悪くない気分だ……」


 英雄クラム・セレンバーグは、静かに息を引き取った。


 安らかに眠る彼の亡骸を、ただ静かに見つめる。

 彼を倒したことを素直に喜ぶ気には、とてもなれなかった。

 イネア先生は、彼に剣士としての誇りはないと言っていた。

 確かにそれは、そうかもしれない。

 でも。

 時間操作こそ使ったけれど、彼はあくまでも最後まで武人ではあり続けたのではないか。

 私にはそう思えてしまうんだ。

 彼は持たざる者だった。

 だからこそ。手を伸ばせば届くものならば、それがどんな力でも欲しかったのだろう。

 その気持ちはよくわかる。

 私もきっと、似たようなものだから。

 ただ彼は、やり方を間違えた。

 彼は他のすべてを踏みにじってまでも、力だけに走ってしまった。

 彼は……道を踏み外してしまったんだ。


 私は目を瞑り、少しの間だけ手を合わせて、彼の冥福を祈ることにした。


「仇は討ったぜ」


 目を開けて前を見ると、空を見上げたアーガスは。

 まるで憑き物が落ちたように、晴れやかな表情をしていた。

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