59「エデル突入作戦 3」

 私は直ちに男に変身して気を操り、くらってしまった毒の治療に取り掛かった。

 竜たちが命を捨ててまでかばってくれたおかげで、かなりブレスは軽減されていた。

 だから間もなく回復することができた。

 犠牲になった仲間と、竜たちを想う。

 最期の瞬間を迎えた知り合いの、恐怖に染まった顔が脳裏に焼き付いていた。

 また、助けられなかった。

 胸をきゅっと締め付けるような、やり切れなさが込み上げる。

 それでも。悲しんでいる暇も悔やんでいる暇もないんだ……。

 戦いの中で人が死ねば、いつだってそんなときばかりで。

 そんな厳しい場所に、俺たちはいるから。

 立ち止まっていれば、また別の誰かが死ぬだけだから。

 俺は泣き叫びたい気持ちをどうにか堪えて、身を起こした。


「助かりました」

『うむ。我は月の異常を知り、復活したエデルにその原因を感じ取りやって来たのだ。どうやらただならぬことが起きているな』

「はい。月が落ちようとしています」

『むう……やはりか。我らは原則、世俗のことには不干渉の立場なのだが、世界そのものがかかっているとなれば話は別だ。そこには我の縄張りも含まれておるからな』


 炎龍は滞空しながら、こちらを睨む黒龍の方へ首を向けた。


『既に死んでおるのを操っているようだな。あやつも本意ではあるまいに。我ら龍の誇りを汚すとは……!』


 炎龍は怒りの唸り声を上げる。

 それでも冷静に言った。


『生きておるのよりは二段は格が落ちる。とはいえ、あれを相手にするのは少々骨が折れる。人の子よ。お主の目的は、あやつを倒すことではあるまい』

「もちろんです。エデルへ入り込むことが、ひとまずの目的です」


 黒龍を放置すれば、被害は凄まじいものになるだろう。誰かが足止めするなり倒すなりしなければならないのは確かだ。

 だが俺たちの仕事はあくまで別だ。

 エデルに進入し、天空都市の機能を止めること。

 俺たちがそれを為さねば、未来はない。


『ならば我がその力となろう。まずはお主たちをエデルまで送り届ける。しかる後に、我があやつの相手をしようぞ』

「ありがとう。炎龍」

『うむ。耳を塞いでいろ』


 言われた通り両手で耳を押さえると。


 グアアアアアアアアアアアア!


 炎龍は、天まで揺るがすような轟声を上げた。

 耳を塞いでいても鼓膜が破れるかと思うくらいの音量と、それだけで殺されるのではとさえ思わせるほどの気迫が伴っていた。

 それほどの威嚇に、小型竜たちは本能的に怯んだのか、次々と尻尾を巻いて逃げ始めた。

 すごい効果だ。さすが炎龍。

 しかしただ一体、死体のまま操られている黒龍だけには一切効果がなかった。

 虚ろな機械のように反応を示さず、その場で泰然と羽ばたいている。

 とは言え、ひとまずの大戦果を上げた炎龍は吼えた。


『これであやつ以外は障害とはならぬ。今のうちに向かうぞ。しっかり掴まっていろ』


 急発進する。

 正面は塞がれているので、大きく迂回して回り込むつもりのようだ。

 一つ羽ばたくごとに、彼の大きな体躯を上回るほどの距離をぐんと一跨ぎにしていく。

 逃がすまいと、背後から黒龍が恐ろしい速さで追ってくる。

 それでも生きている炎龍の方が、身のこなしが滑らかな分、少しばかり速いようだ。

 埒が明かないと判断したのか、黒龍は再び霧のブレスを吐き出した。


「後ろから、霧のブレスが迫ってきます!」

『ふむ。問題はない』


 炎龍の後方に、巨大な炎のシールドが作られた。

 それは襲い来る霧のブレスを、いとも簡単に蒸発させてしまう。

 俺は思わず目を見張った。

 もしこれを大森林での戦いで使われていたら、攻撃なんて一個も通らなかったんじゃないのか。

 つい尋ねてしまう。


「どうして俺と戦ったときに、これを使わなかったんですか?」

『あのときは我も冷静ではなかったのでな。あの仮面の女は、我の力を半分ほどしか引き出せていなかったのだ』


 なんだって。三人がかりでやっと止められたのに、あれで半分なのかよ。

 恐るべきは龍の力ということか。

 危なげなく黒龍のブレスの射程から脱する。

 俺を乗せた炎龍は、さらに黒龍を引き離しつつ、エデルのゲートへ向けて快調に空を突き進んでいった。

 その途中で、アリスたちと合流する。

 竜騎兵が散らばったことで、仲間たちは再び集まることができたようだ。

 だが既に被った犠牲は大きい。

 約半数の七羽がやられ、残りは八羽となってしまっていた。

 やられたみんなのことを想うと、またずきりと心が痛む。

 それでもアリスたち、カルラ先輩とケティ先輩、そしてディリートさんが無事であることがわかって、ほっとしてしまっている自分がいた。

 やっぱり身内贔屓というものは、どうしてもあるものらしい。

 炎龍に沿うようにして飛び始めたアルーンの上から、アリスの怒声が飛んだ。


「ほんと見てられなかったのよ! 炎龍が助けに来てくれなかったら、死んでたかもしれないわ!」


 普段は声の小さめなミリアも、負けじと泣きそうな声を張り上げる。


「無茶ばかりしないで下さい! もしあなたに死なれたら、私は……っ!」

「本当にごめん!」


 俺だって、無茶な行動はできることならしたくはない。

 でも俺は、きっとまた必要な状況になれば、命を投げ捨てる覚悟で飛び出してしまうだろう。

 そんな気がしていた。だからもうしないとは言えなくて、謝るしかなくて。

 炎龍の背から、アルーンの上に跳び移る。

 ただ一人、アーガスだけは理解を示してくれたみたいだった。


「まあ気持ちはわかるぜ。よく無事で帰ってきた」


 一安心した顔を見せた彼は、大きく息を吸い込むと、精一杯の大声で全員を鼓舞した。


「エデルは目前だ! このまま突っ込むぞ!」


 見れば、数あるゲートのうちの一つが、すぐそこまで迫っていた。

 エデルにさえ進入することができれば。

 鉄壁のバリアや敵にとって重要な建物が逆に邪魔となって、黒龍は好き勝手に暴れることができないはず。

 だが敵もそれはわかっている。

 追いすがる黒龍は、そうはさせじと、黒炎の火球を連続で放ってきた。

 黒炎は黒龍の代名詞とも言える。

 高密度の魔素が凝縮された、滅多なことでは決して消えない炎だ。

 人間レベルの魔法ではいかなるもの――たとえ水上位魔法の《ティルオーム》や水の守護魔法《ティルアーラ》をもってしても――まったく相殺できないほどの威力を持っている。

 そんなものが、何発も連続で撃ち込まれていた。

 巨鳥であるはずのアルーンが小さく見えてしまうほどの大きさをもって、実に凄まじい速度でこちらへ飛んでくる。しかも、狙いは恐ろしく正確だった。

 このままでは当たるかと思われたところで、炎龍が身を挺してその大部分を受け止めてくれた。

 彼はその名の通り、炎に対しては生物最強クラスの魔法耐性を誇る。

 たとえ黒炎を相手にしようとも、まったくものともしていない様子だった。

 だがそれでも身一つである以上、一度にすべては庇い切れなかった。

 さらに二羽が追加で被弾して、ほんの一瞬で燃え尽きてしまう。

 悲鳴を上げる間もなく、文字通り跡形もなく消えてしまった。


「ああ……!」


 ミリアが、手で顔を覆う。


『我があやつを抑えているうちに行け!』


 炎龍からの決死の言葉を受け取った俺は、すぐにみんなへ伝えた。


「炎龍が、今のうちに行けって!」

「ちくしょう! 急げ! 炎龍の影に入るようにして進め!」


 アーガスの号令に従い、残り六羽となってしまった俺たちは、炎龍に守られつつどうにか進んでいく。

 いよいよゲートは、ほぼ目と鼻の先まで迫っていた。


 だがそこで、さらに追い討ちをかけるような出来事が起こる。


 なんと、開いていたゲートの上をも、あのバリアが覆い始めた。

 侵入者を阻む赤い光の壁が、空中都市への入口を隙間なく塞いでいく。


「バリアが!」


 アリスが頭を抱えた。全員同じ気持ちだろう。

 危惧していたことが、起こってしまった。

 実のところ、ゲートからですらも進入できないという可能性は、考えていなかったわけではなかった。

 いざというときに完全封鎖が可能な機構が、エデルにまったく備わっていないと考えるのは、少々楽観が過ぎるだろう。

 だけど、他にどうしようもなかったんだ。

 一縷の望みをかけてここまで進んできたが、今や道は完全に絶たれてしまったらしい。

 前方には鉄壁のバリア。後方には最強の黒龍。

 状況は絶望的だった。


「くそ! ここまで来てこんなのって……!」


 何もない宙に振り下ろした拳に、悔しさが滲む。

 目的地はもう目の前に見えているのに。

 多くの犠牲を払って、やっと辿り着いたというのに。

 なのに、ここで立ち往生するしかないっていうのか!


 このままじゃみんな、黒龍にやられてしまう!


 だがそのとき。

 皮肉にもこの絶望的状況に対する突破口を開いたのは、その黒龍であった。

 再度黒龍が放った黒炎の一部が、バリアに衝突する。

 俺は、見逃さなかった。

 一瞬ではあるが、あのバリアに穴が空いたのを。

 おそらく炎が強過ぎるために、バリアでさえ耐え切れなかったんだ。


「――見えた」

「どうしたの?」


 不思議そうに尋ねるアリスに、俺は言った。


「今見たんだ。黒炎が一瞬、バリアを打ち消したのを」

「え、それって!」


 つまり。


「非常に強い魔法を当てれば、少しの間だけバリアは消える」


 理解の早いミリアが、俺の言わんとするところを継いで答えてくれた。


「なるほど。バリアに穴を開けて、その隙に突入しようということですか」

「言うのは簡単だが、やるのはかなり難しいぜ」

「でも、それしか道はない!」


 意を決すると、すぐさま女に変身する。

 そして、拡声の風魔法を使った。


 声よ。風に乗り届け。


《ファルカウン》


 今から少しの間、伝えたい言葉は風が音を乗せて運んでくれる。

 時間がないから、一気にまくし立てた。


「みんな聞いて! 今バリアが覆ったけど、打ち破る方法がわかった。私は見たの! 黒龍の放った黒炎が、一瞬だけバリアに穴を開けたのを! それを利用すればいい。次に黒炎がバリアに到達する瞬間に合わせて、全員で一斉に魔法を叩き込もう! 火魔法中心で! そうすれば、しばらくバリアに穴が空くはずだよ! その隙に突っ込むんだ!」


 当然、私も魔法を撃つつもりだ。

 私だって、魔力消費の少ない風魔法なら撃てる。風は火の助けになるはず。


『我も力を貸そう』


 今も黒龍の攻撃を一手に引き受けてくれている炎龍が、頼もしく答えてくれた。

 既に物言わぬ死体であるのが仇となって、黒龍はこちらの作戦に感付きもしない。


『よし。火球が行ったぞ』


 黒炎球の速度から、ぶつかるタイミングを見計らって合図を取る。


「3、2、1……今だ! 《ラファルスレイド》!」

「《ボルアークレイ》!」

「「《ボルアーク》!」」


 私が特大の風刃《ラファルスレイド》、アリスが熱線《ボルアークレイ》、ミリアとアーガスがそれぞれ燃え盛る炎《ボルアーク》を放つ。

 そこに炎龍が放つ火のブレスが加わり、さらに、ディリートさんのような純剣士を除く約二十人の魔法も合わさって、バリアの一箇所へ一度に集中する。

 それは黒炎を要とした相乗効果によって、想像を絶する威力の合体魔法と化し。

 エデルの誇る鉄壁のバリアに、修復が追いつかないほどの特大の穴を空けた。


「今だ! 行こう!」


 バリアの穴は、徐々に塞がっていく。悠長にしている時間はなかった。

 六羽の大鳥たちが、弾丸のように穴へと飛び込んでいく。

 それを追おうとする黒龍を、炎龍は立ち塞がるようにして懸命に止めてくれた。

 カルラ先輩たちが乗った大鳥を先頭に、一羽、また一羽とバリアの内側へと入り込む。

 最後尾の私たちが飛び込んだ直後、穴は閉じた。



 ***



 目に映ったのは、これまでの激しい戦闘が嘘のような静けさを放つ――無人の大都市の姿だった。

 見渡す限り立ち並ぶ建物は、どれも昨日まで人が住んでいたかのように、真新しく立派で。

 それだけに、まるである日忽然と人だけが消えてしまったような、そんな不気味な雰囲気を醸していた。

 私たちは、半数以上もの尊い犠牲を払い。

 ついに空中都市内部への進入に成功した。

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