56「決戦の夜明けが来る」
夜明け前に起床時間が来た。
結局私は、あれからまったく眠れなかった。せめて疲れを取るために、ただ目を瞑っていただけだ。
アリスとミリアも起きてきて、一緒に食事に向かう。
食卓がないため、地べたに座って食事を取る。草原いっぱいに生えているキッサを潰す形にはなるが、仕方ない。
陣が町から近いということもあり、食事には困らなかった。
給仕係の人が手ずから調理機材を持ってきて、夜なべでスープを用意してくれていた。だからまずい兵士用の携帯食を食べずに済んだ。
自然と仲の良い人たちで集まり出したらしく、あちこちに数人のグループができていた。中には一人で黙々と食事を取る人もいたけれど。
私たち三人の近くにも、アーガス、カルラ先輩にケティ先輩、やや遅れてイネア先生とディリートさんがやってきた。いつものメンバープラスディリートさんが揃った。
食事も落ち着いたところで、私は真の世界の危機を彼女たちにだけ伝えることにした。
限定したのは、この場にいる全員に伝えれば、どういう反応になるのかわからなかったからだ。
今度こそパニックになるかもしれない。
正直、話したところでどうにかなるレベルの問題ではない気がして、目の前が真っ暗になりそうだけど……。
それでも一人で抱えているよりはマシだろうと思って、私は話を切り出した。
「ウィルが遺していった危険因子の正体が、ついにわかりました」
「なに!?」
あいつの恐ろしさを最もよく知っている先生が、真っ先に反応した。
隣のアリスとミリア、向かいに座っているアーガスも顔を引き締める。
「ウィルって誰のことよ?」
カルラ先輩は首を傾げていた。ケティ先輩も同じくわからないという顔をしている。
そうだった。先輩たちだけには、あいつの話を聞かせていなかったな。
ディリートさんはというと、イネア先生からあいつの話を聞かされていたのだろうか。特に驚くことはなかった。
二人の先輩の方を向いて、まず簡単にあいつの説明をすることにした。
「《メギル》を落とした奴の名前ですよ。この世界では、神の化身なんて呼ばれています。ほんとは全然そんな奴じゃないですけどね」
二人とも、とても信じられないという顔をした。
「ユウって、あの神の化身と知り合いなの!?」
「あれって伝説の存在じゃないの!? 本当にいたわけ!?」
あいつとの最悪な初対面をまた思い出して、嫌な気分になりながらも頷く。
「知り合いっていうか、一度故郷で初めて会ってひどいことされただけなんですけど。私がこの世界に来るきっかけを作った人物です」
「なによその口ぶり。それじゃまるで、あなたが違う世界かどこかから来たみたいじゃない。まさか――」
はっとしたカルラ先輩に、私は再度頷いて答えた。
「はい。私はウィルと同じく、特別な力を持つ異世界からの旅人です。フェバルと言います」
「はあっ!? じゃああんたの、そのとんでも能力とか謎の経歴ってそういうことだったの!?」
カルラ先輩はオーバーに驚きながらも、やはり私のことをよく調べていたからなのか、どこか納得といった様子だった。
ケティ先輩は相変わらず話についていけてない感じだ。
私に何か言おうとしていたけど、カルラ先輩が何かを耳打ちしたらとりあえず引き下がった。
カルラ先輩は改めて物珍しそうに、私のことをじろじろと見回している。
なんか前にアリスたちに話したときにも、似たようなことをされた気がするな……。
「髪も黒いし、色々と不思議な子だと思っていたけど……。なんかすんなり合点がいったわ。ユウじゃなかったら、絶対に信じないところだけど」
結局カルラ先輩は、すっかり私のことを信じたみたいだった。
他の人にしてもそうだけど、なんで異世界から来ましたって言ってこんなに簡単に信じてもらえるのだろうか。
わからないけど。私ってもしかして、知らないうちに結構浮いてしまってるのかな。
確かに、この世界で私と同じ黒髪を持つ人間はついに見かけなかったし。
たぶん私が知らないところで、色々とボロを出してしまっていたのだろう。
この世界に広く普及してるおとぎ話に、異世界よりの使者の話があるらしくて。
異世界信仰は割と一般的らしいんだけど、それにしてもね。
ともかく。それは今深く考えるべきことじゃない。
私は伝えるべきことを伝えるために、話を続けた。
「昨日話した通り、《メギル》によって滅びたはずのエデルは、そのままの形で地下深くに沈んでいました。それが復活してしまったというのが今回の事態です」
共通認識にもう一つ。重要な背景事実を付け加える。
「実行犯はトール・ギエフですが、ここまでのすべての絵を描いたのはウィルです。あいつが遺したという世界を滅ぼしかねない危険因子――そいつを発動させるカギこそが、エデルでした」
「エデルそのものが、そうではないのですか?」
私のニュアンスに気付いてくれたミリアの問いかけに、首を横に振る。
「違うんだ、ミリア。確かにエデルは脅威だよ。でもあれでは世界は滅びない。もしかしたら、人類は滅ぼせるかもしれないけどね。答えはもっとシンプルで、もっとどうしようもなくて……」
言う前からまた想像してしまって、言葉に詰まる。
近い将来、起こるかもしれない世界の終わり。
今こうしてみんなが生きている場所が、すべて跡形もなくなってしまう。
想像を絶する熱波と、地表全体を覆い尽くす溶岩の海に、みんな飲み込まれて――。
「大丈夫?」
気が付くと、アリスが横から心配そうに顔を覗き込んでいた。
――手、こんなに震えてたのか。
私は素直に助けを借りることにした。
「ちょっと、手を握っててもらえる?」
「いいわよ」
私の左手に、アリスの右手がぎゅっと握られた。
アリスのぬくもりを感じる。アリスの力を感じる。
君はまだここにいる。
前を向けば、みんなだってここにいる。
まだ時間はある。まだいなくなってない。みんなちゃんとここにいる。
彼女から勇気をもらって、私は何とか言葉を紡ぐことができた。
「なぜあいつは、隕石さえ簡単に落とせるような圧倒的な力を持ちながら、一思いに世界を滅ぼさなかったのか。なぜあいつは、こんなに回りくどいことをしたのか」
ウィルのやり方を。あいつの悪意を。
「それはあいつが、欲深き人の手によって、自ら世界滅亡へのトリガーを引くことを望んだからです」
その悪辣さに、全員が顔をしかめる。
だが固唾を飲んで続きを待っている。
私はいよいよ仕掛けの正体を語る。
「深夜の砲撃こそが、まさにその引き金でした。それをきっかけに、あいつは、エデルから放たれる膨大な活性魔素に一定の方向性を与える仕掛けを施していました。そして、その莫大な魔力を利用して――」
一つ呼吸をおいてから、決定的な一言を告げる。
声まで震えているのが、自分でもわかった。
「月を落とそうとしています」
衝撃の発言に驚愕を表したみんなは、すぐに青い月のある方角に目を向けた。
既に夜明けを控えて沈みかけているそれは、言われて気付いてしまえば、今や誰にもわかるほどには大きくなっていた。
だがこんな緊急事態に、わざわざ月を注意深く見よう者などいない。
だからほとんどの人は気付かなかったのだ。
それにまさか、月が落ちるなどと本気で考える者もいないだろう。
少し大きくなっているような気がしても、勘違いで片付けてしまうはずだ。
どの道、次に月が現れたときにはもう、一見して明らかなほど地表に迫っているだろうけど。
「おいおい……。なんだよあれ……」
アーガスが嘘だろ、と書いてあるような顔をしている。
私も同じ気分だ。夢だと思いたかった。
こんなの、天災というレベルの話じゃない。
これほどなのか。フェバルの秘める真の力というものは。
この世の条理を覆すという力は、こんな恐ろしいことに使われて。
この星に生きるすべての者たちを、無に帰そうとしている。
私たちは、たった一人の男の遊び半分にさえ為すすべもないのか……!
たまらなく悔しかった。
私だけじゃない。この世界そのものが、あいつにまるでおもちゃのように扱われてしまっていることが。
そのことに対して、どうすることもできない自分が。
私があいつと同じフェバルだというなら。私の力が本当はすごいものだというなら。
化け物になったって構わない。
みんなを助けられるなら、死んだっていい。
この運命を変えたい。この不条理を覆したい。
でも私には……どうしたらいいかわからないんだ。
何度考えたって。何度心に問いかけたって。
あれを直接止める方法が出てこない。浮かばない。掴めない。
エデルの方に目を移すと、相変わらず魔素を上空に向けて放っていた。
膨大な量の魔素は、大気圏を突き抜けて、月に魔力を供給し続けている。
それを受け、月は徐々にこの星へと迫っている。
「おそらく月は、あと一日か二日で重力圏に達し、この星に衝突するでしょう。そうなれば、世界は終わりです」
文字通り、世界は滅びる。
衝突後に残るのは、ほとんどの生命が暮らせない灼熱の星。
言葉を失っているみんなに、私は思い付く限り、たった一つの希望的可能性を述べた。
「活性魔素が月を落としているなら。それを止めれば、もしかしたら月も止まるかもしれません」
「なるほどな。一理はある」
努めて冷静であろうとするイネア先生に頷き返して、話を続ける。
「魔素の供給を止めるには、エデルの活動を止めて地上へ引きずり落とすしかないでしょう。それでも何とかならなかったら、もう……」
一度動き始めた月は、もう何をやっても止まらないかもしれない。
そんな不安がまた、心を震え上がらせようとしたとき。
私の手をしっかりと握ったままのアリスが。
みんなを、特に私を励ますように声をかけた。
その声に暗さはどこにもなかった。
「何よ。単純なことじゃない。やることも状況も、ほとんど何も変わらないわ」
私を握る手に力がこもる。
アリスはあえて、明るくにっと笑ってみせた。
なんて心の強い人だろう。
「あたしたちがエデルを攻略できなかったら負け。攻略できたら、あとは運次第。ここで負けたら、どうせみんな死ぬのよ。ついでに世界の命運もかかりましたってだけのことじゃない」
目の覚めるような思いだった。
確かにそうだ。
ここで何とかできなければ、みんな死ぬという事実は変わらない。
私たちにしてみれば、世界が滅びようとここで負けようと、同じことだ。
先生たちもアリスに同意する。
「確かにそうだな。他がどうであろうと、今の我々にとって命運を決する世界は、ここサークリスなのだから」
「違いない。やるだけやってダメだったら、運が悪かったと思って諦めようぜ。お前が責任感じる必要はないぞ。ユウ」
「私は一度死んでたかもしれない人間ですから。皆さんと一緒に戦えるなら本望ですよ。滅びの運命なんて、ひっくり返しちゃいましょう」
「もしこれで最期になったとしても、マスター、じゃなくて! トールの奴に一発お返ししてやるわ! エイクに胸張って会いに行けるようにね!」
「たぶんこのままあの世行っても土下座よあんた。罪重過ぎるもん。だけどそのトールに一発ぶちかますって案、乗った!」
カルラ先輩とケティ先輩が、勢いよくハイタッチを決める。
最後に。
ここまで黙って話を聞いていたディリートさんが、静かな、だが力強い口調で締めた。
「老い先短いこの命。たとえ最期となろうとも悔いはない。
アリスは残る左手も私の左手に添えて、優しく微笑みかけてくれた。
「世界が滅びるかもしれない。ほんとに大変なことよ。でもね。だからって気負い過ぎないの」
「アリス……」
「何でも深刻に考え過ぎちゃうのは、ユウの悪い癖だよ。ユウは、一人じゃないんだから。一人だけで、世界なんて大きなものを背負う必要なんてないの。でしょ?」
「うん……」
そうだね。また悪い癖が出ちゃったよ。
くよくよばかりしたって仕方ないのに。
相手があまりにも大きいから、絶望と不安ばかりが先走っていた。
どんどん思考が悪い方向に進んでいた。
みんないるんだ。力を合わせてやれることを一つ一つやろう。
それでも何ともならなかったら、そのときはそのときだ。
足掻いてやる。どこまでも。
空に光が差し始めた。ついに朝日が昇ろうとしていた。
世界の命運を分ける一日が始まる。
世界がかかっていても、やることは変わらない。
サークリスを守る。
クラムとトールを倒し、エデルを止める!
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