34「炎龍との戦い 1」

 三人からやや離れた位置に立ち、仮面の女は悔しそうに歯噛みしていた。


「ちっ。奇襲は失敗に終わったわね。三人とも逃れている」


 しかし彼女はすぐに気を持ち直し、脳内で精神をリンクしている炎龍に指示を飛ばす。

 元々奇襲だけで殺し切れないことは想定内だ。


『炎龍よ。次に狙うのは指揮系統。監督生のテントを燃やしてしまいなさい』


 操られて正気を失っている炎龍は、辺り一帯に轟く唸り声を上げる。

 眠っていた野鳥たちが慌てたように羽ばたいて、一目散に逃げ出した。

 生徒たちも次々と目覚め、何事かと動揺する。テントにはぽつぽつと明かりが付き始めた。

 彼らがテントから抜け出すよりも早く、炎龍は火のブレスとは異なる呼吸で、口裂の前方に巨大な火球を作り出した。

 その大きさと密度は、かつて魔闘技決勝でアーガスが使用した火球魔法《ボルケット・ダーラ》――これですらも《ボルケット》の上位魔法なのだが――それをも遥かに上回る。

 人の領域では到底及ばない火の災厄が、再び襲い掛かろうとしていた。



 ***



 なんだ!?

 あの龍はてっきり私たちばかり狙っていると思ったけど、今度の目標は違うみたいだ。

 敵の狙いを見定めながら、警戒を緩めずに構えていると――巨大火球が放たれた。

 それは凄まじい熱波を伴いながら、瞬く間に降下していき――。


 カルラ先輩たちがいる監督生のテントに直撃した。


 衝撃的な光景に、私たちは誰一人声を上げることすらできなかった。

 光と熱が爆裂した一瞬の後、テントは跡形もなく消える。

 後には焦げついた地面以外、何一つ残らなかった。

 あまりにもあっけない出来事で。

 すぐには頭が追い付かない。

 認めたくなかった。

 それでも残酷な理解は、数瞬遅れてやってきた。


「嘘でしょ……嘘だよね……?」

「そんな……こんなことって……」

「まさか……そんな……」


 先輩のはつらつとした笑顔が脳裏に浮かび、消えていく。


「カルラさんーーーーーー!」

「「カルラ先輩ーーーーーー!」」


 だが無情にも、悲しんでいる暇などなかった。

 炎龍は既に次の攻撃に入ろうとしていた。

 広げた翼が輝くと、高まる魔力の波動で大気が震える。

 ――魔法生物図鑑に書いてあった。

 炎龍の翼が紅く輝くとき、翼の下に付いた無数の燃え盛る棘が発射されると。

 それは広範囲に降り注ぐ死のミサイル。辺り一帯に針の穴が開く。

 全員が無事では済まない。

 アリスもミリアも含め、誰もが圧倒的な光景に呑まれ、ぴくりとも動けないでいる中。

 ただ一人私は、龍に負けないほど燃え滾る怒りに身を震わせて叫んだ。


「ちくしょう! これ以上好き勝手させてたまるかーー!」


 絶対に止めてやる!


 風の強刃! 翼を斬り裂け!


《ラファルスレイド》!


 左右の手から二発同時、《ラファルス》の上位魔法を放つ。

 高度に空気を圧縮して生成された風の大刃は、一対の巨大な双剣となって空を駆け登る。

 間もなくそれは、広がった龍翼の根元に直撃した。

 だが翼にはほんのわずかな傷が付いただけだ。微々たるダメージにしかなっていない。


 くそったれ! 魔法耐性が高過ぎる!


 それでも必死の抵抗は無駄ではなかった。

 発動すれば壊滅必至の攻撃を、中断させるだけの効果はあったのだ。

 炎龍は眼下に立つ邪魔者たる私を、射殺さんばかりの鋭い眼で睨み付けてきた。


「こっちへ降りて来い! 私が相手になってやる!」


 声を張り上げて、精一杯挑発する。

 身の安全など二の次だ。

 奴を空から引きずり降ろさなければ、打つ手はない。


 グアアアアアアアアアアア!


 龍の咆哮が轟く。

 奴は標的を完全に私に定めると、翼を縮め急降下で向かってきた。



 ***



 仮面の女は、予想外の事態に驚愕していた。


 そんな馬鹿な! 制御し切れないですって!?


 滾る龍の闘争本能が、服従魔法の効果に勝ろうとしていた。

 これは服従させる対象が術者の格を上回る場合に起こり得ることだった。

 だが復元されたロスト・マジックの効果を疑わずに使ってきた仮面の女には、そのことなど知る由もない。

 幾度呼びかけようとも、炎龍はもはや従うことはなかった。

 彼に残っているのは、誇りを傷つけられた怒りのみ。


「そう。そうなるわけ……」


 彼女はとうとう諦めて、力なく拳を振り下ろすしかなかった。


「いいわ。炎龍。思う存分暴れなさい。やってしまいなさい!」


 彼女は見届けることを決意する。

 この戦いの行く末を。自分たちに歯向かった愚かな子羊たちの最期を。



 ***



「アリス! ミリア! こいつはしばらく私が引きつける!」


 二人がはっとして振り向いた。そのまま続ける。


「二人はライノスの対処を頼む! 終わったらすぐ助けに来て!」


 一人では絶対に敵わない相手であることは、今のやり合いで十二分にわかった。

 厳しいけど、三人でなんとか力を合わせて勝機を掴むしかない。

 私が諦めたら、みんな助からない。

 諦めてたまるか!

 ようやく我を取り戻した二人は、しっかりと頷いてくれた。


「わかったわ!」

「了解です!」


 頼もしい二人は、すぐに飛び出していった。

 ライノスもかなり凶悪だが、クラスメイトと協力すればどうにかなるはずだ。

 大丈夫。ただ黙ってやられるだけの人間の集まりじゃないんだ。信じよう。

 振り返ると、炎龍はもう目前に迫っていた。


 よし。まずはみんなから引き離す。


 あの襲撃事件以来、必死に改良を重ね、さらに速度を上げたこの魔法で。


 加速しろ。


《ファルスピード》


 風の力を身に纏い、私はトップスピードで木々の間を縫うように森を駆け出した。

 炎龍は私とは対照的に、木々をなぎ倒して強引に追ってくる。


 このまま来るがいい。

 十分離れたそのときが、本当の戦いの始まりだ。


 時折襲い来る炎の息を辛うじてかわしつつ、私はひたすら逃げ続けた。

 向こうの様子がまったくわからなくなるまで走りに走ったところで、男に変身する。

 俺から突然強大な気が発されたことに、気を読む力があると言われる龍はわずかに戸惑いを見せた。


「これでようやく攻撃が通る」


 俺は白く光り輝く気剣を左手から放出し、そいつを炎龍に突き付けた。


「覚悟しろ。たとえお前に比べたらずっとちっぽけだって、意地はあるんだ!」

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