270「決戦 ユウ & ハル VS ヴィッターヴァイツ 3」

 ハルは気を失ってしまったようだ。

 あれほどの怪我では無理もない。よく頑張ってくれたよ。


 ここからは、俺が。


 俺が受けたダメージも相当なものだった。右肩の上は丸ごと削り取られ、全身は切り傷だらけだ。生暖かい血が服に染み出して、粘着質に纏わりついている。

 だがまだ動けないわけじゃない。俺はふらつきながらも立ち上がった。


 平坦だった周囲の荒野には無数のクレーター様の大穴が刻まれている。この戦いの凄まじさを物語っていた。


 ヴィッターヴァイツは、立ち上がる俺を睨み付けて、嬉々とした表情で言った。


「これで残るは満身創痍の貴様だけだ。いよいよもって死が近付いてきたな」

「どうかな。お前だってかなり消耗しているだろう」

「強がりをぬかしおって。立っているだけでも辛かろうに」


 さすがに見抜かれているか。だけどお互い様だろう。


「俺にはお前の方が強がっているように見えるけどな」

「貴様……心を読んで知った気になるのもいい加減にしろよ……!」


 俺はこの戦いで確信を強めた。

 ハルの戦いぶりと覚悟に、こいつは明らかに動揺している。

 あんなにフェバルであることを強調し、彼女を否定しようとしたのはその裏返しだ。


 人間ヴィッターヴァイツは、やはりまだ生きている。


 ただもう言葉だけでは、悠久の時を絶望に染めて凝り固まった奴の心に届くことはない。ハルがそうしたように、戦いの中で示すしかないのだ。


 ……俺もハルも、馬鹿だよな。やっぱり甘いって言われるかな。


 そもそも真の意味で殺すことはできない。勝てたところでこの世界への被害が止まるだけで、あとは何も変わらないかもしれないのに。

 この戦いを通じて、こいつの何かに響いてくれと。

 ほんのわずかな――はかない願いと言ってもいい可能性のためだけに、二人して命を懸けているのだから。

 でもわかった。こいつにはきっと、最後の最後までありのまま全力でぶつかってくれた人間はいなかったのだと。それは……あまりにも寂しいことだ。


「今からでも遅くはないぞ。フェバルの力を示せ。このオレと満足に戦うには、もはやそうするしかないはずだ」


 だから否定する。フェバルと戦った方が気持ちが楽だというお前の逃げを否定する。


「言ったはずだ。俺はもうあの力は使わない」

「なぜだ。なぜそこまで意地を張る!」


 意地を張っているのはどっちなんだ!


「もう俺とお前だけの戦いじゃないからだ。ハルの言う通り――お前に踏みにじられてきた人たちのために。放っておけばこれから踏みにじられていく人たちのために」


 そして、己の心を騙し続けるお前のためにも。


「俺は繋ぐ者だ。人の想いの代行者だ。人として、お前を止める!」

「そんな想いとやらで、この力の差が覆るものか!」


 地を蹴って駆け出す。

 ハルと二人がかりでやっと抑えていた。一人だけで打てる手など限られている。がむしゃらに戦うしかなかった。

 奴もハルに斬られた左腕が使えないとは言え、俺も満身創痍。条件的にも有利とは言えない。

 反撃を避けて浅く打ち込めば剛体に易々と弾かれ、気を乗せた一撃には的確にカウンターを返してくる。

 実力も経験も向こうが上。絶望的な差だ。

 一人になって、ますます勝ち目が薄くなったことを嫌というほど思い知らされる。


 いいや。そんなことは、わかっているんだ!


 諦めるな。抗え。抗え!


 俺にできることは。血肉消し飛び全生命力が失われる最期のその瞬間まで、決してチャンスを諦めないことだ!


 打ち込んだ《気断掌》に、合わせられた《剛体術》の拳が激突する。

 力負けした俺の右腕が千切れ飛んだ。構わず飛び上がり、腰のひねりを加えて全力で蹴りをぶつける。


『負けて、たまるか!』


 一瞬怯んだのを見て、そのまま連続で攻撃を叩き込む。反撃を恐れず、なりふり構わない滅茶苦茶な戦いぶりで、一時的ながら押していく。

 だが奴は冷静に身を守りつつ、反撃の隙を窺っていたのだろう。


 さらにダメ押しを加えようと、拳に気を乗せて打ち込もうとしたとき。


 貫くような衝撃が走る。全身から急に力が抜け、ショックで視界が暗転しかけた。



 俺は「ぶら下がって」いた。



 眼前に顔を突き合わせたヴィッターヴァイツが、勝ち誇った笑みを浮かべている。



 ――体を何かが。



 ――ああ。そう、か。拳が肩を貫通しているのか。



 致命傷かもな。


 でも。



『ま、だ……だ』



 ――この瞬間を……覚悟していた。待っていたんだ。


 お前との距離が最も近づく……この瞬間を……!


 魔力銃ハートレイルを『心の世界』から取り出した。そしてこいつの胴に押し当てる。

 一人では使えない魔力も、ラナソールのみんなが補ってくれる。


 俺は母さんやユイのように銃を上手くは使えない。

 元は同じ人間のはずなのに、男のままではからっきしだった。

 俺が俺のまま銃を使おうとすると、なぜか無意識に手元が大きくぶれてしまうからだ。まるで無意識に使用を拒んでいるかのように。

 だけど、ここまで密着してしまえば。


『この、距離なら……避けられ、ない……!』


 ヴィッターヴァイツは驚愕を表したが、もう遅い。

 朦朧とする意識で、数度、引き金を引いた。

 至近から放たれた魔力の弾丸が、奴の胸を貫く。

 ハートレイルは全貫通属性を持つ。こいつの鋼の肉体をもってしても、防ぎ切れるものではない。

 こんな不意打ちは二度とは通じない。一度きりの手。


 確実に心臓と肺を撃ち抜いてやった……はずだ……。


「き、さまあッ……!」


 乱雑に拳が振り払われる。すっぽ抜けた俺は、ボロ雑巾のように地面を転がっていた。


 俺……まだ動けるかな。動いてくれよ。


 戦いの後、力尽きたって構わない。

 だからあと少し。今この時だけは。


 もう少しなんだ。もう少しで届くかもしれないんだ。


 ほとんど執念だけで立ち上がる。

 くそ。目がかすんできた。

 だけどヴィッターヴァイツも苦しいだろう。気を張り巡らせて無理やり出血を抑え付けようとしているが、口の端から血が零れている。視界がぼやけているせいではっきりとは見えないけれど、わかる。


「ユウ、貴様……。なぜその傷で立ち上がれる!? まだ戦うつもりか!?」


 念話も忘れて、ヴィッターヴァイツが取り乱している。

 もはや喋る余力はなかった。ただ拳を構えることで応える。


「ぐっ……このくたばりぞこないめ! さっさと死んでしまえッ!」 


 怒りを込めたヴィッターヴァイツの拳が迫る。

 当たれば確実に全身が木っ端微塵になる一撃を。当たるはずの一撃を、俺は紙一重でかわした。

 ヴィッターヴァイツは驚いたが、すぐさま切り替えて連続で攻撃を仕掛ける。

 俺はそのすべてを、ギリギリのところでかわし続けていた。

 まるで道理に合わない動きだった。俺の力はもうほとんどゼロ近くまで落ちているのに大地をも砕く速度とパワーを誇るフェバルの攻撃を、すんでのところでしのぎ続けているのだから。


「なぜだ! なぜ避けられる!? 今の貴様の状態で、そこまで動けるはずがない! かわせるはずがないッ!」


 常軌を逸した出来事に、ヴィッターヴァイツはすっかり混乱していた。


 俺にもなぜかはわからない。


 ただ――なんとなくわかる気がするんだ。


 こいつが何を考えているのか。何をしようとしているのか。


 相手の口からどんどん血が零れ出している。こいつも苦しい。限界が近いんだ。


 わずかに大降りになった隙を突き、わき腹に一発拳を入れる。

 死にぞこないの一撃。力はほとんど込められなかった。

 だが思いの外に『重かった』のか、ヴィッターヴァイツは硬直した。顔には明らかな苦痛の色が現れていた。


「こ、こんな……! こんな馬鹿なことがあるか! 貴様のどこにそんな力が……あの力は明らかに使っていないというのに……!」


 ――視える。


 お前の動きが。お前の心が。


 一気にとどめを刺してやろうと、奴は拳に竜巻状の気を纏わせる。俺とハルが何度も苦しめられた技だ。奴も瀕死に近いのか、威力は相当弱まっているけれど。

 攻撃が届く寸前、俺は奴の懐にもぐりこみ、腹のど真ん中にブローを叩き込んだ。

 奴の膝が崩れかけ、竜巻も掻き消える。

 動揺した奴は、慌てて跳び退いた。肩はわなわなと震え、理解できない事態に恐れすら抱いている。


「なんだ! なんなのだッ!? 貴様は! 何者だ……その力は……その目は、一体なんなのだッ!?」


 ――視える。


 何がお前をそこまで苦しめているのか。


『イルファン……ニーナ……』


「ユウ……! 貴様……なぜその名を……!?」


 ――視える。


 深く傷つき、絶望に染まり、濁り切った魂の色が。

 すべてを諦め、それでも心の奥底では救いを求める声が。


「やめろ! そんな顔をするんじゃない! 今すぐ心を読むのをやめろッ!」


 ヴィッターヴァイツは激高した。接近戦は危険と判断し、魔気混合の光線でケリをつけるつもりだ。


 ――あと一撃。あと一撃で届く。


 だけど。悔しいな。


 そうくるのがわかっていても、かわすことはできない。


 既に身体は限界を超えていることもわかっていた。


 動かないんだ。もうほとんど。


 ヴィッターヴァイツが腕に気力と魔力を集中させていく。



 ここまでなのか――。



 だが、光線が打ち出される直前、魔法が奴を直撃した。

 怯んだ奴の動きが止まる。


『忘れてもらっちゃ……困るな……。ボクのこと』


 その心の声に振り向く力ももうないけれど。

 どんなにひどい姿をしているだろう。ハルも限界を押して、ほとんど気合いだけで立ち上がってきてくれたのだ。


『ユウくん! これを!』


 何かが飛んでくる。


「どいつもこいつも! 邪魔だ! くたばれッ!」


 ほぼ同時、ヴィッターヴァイツはターゲットを変えた。

 俺を跡形もなく消し飛ばすはずだった光線は、代わりにハルへ向かって飛んでいく。

 視えていても、かばうために身体を動かすこともできない。


『あとは……頼んだよ。ユウくん』


 それを最後に、心の反応が途絶える。


 頬に暖かい雫が流れてきた。


 ――ああ。まただ。君を守ると言ったのに。守られてばかりだ。


 彼女が投げたものを受け取る。それは砕けて柄だけになった聖剣だった。


 ――剣から想いと力が伝わってくる。


 動くことままならず、死にゆくだけだった身体に、あとひとふん張りの活力が湧いてくる。


 ハルは残りの力のほとんどをこの剣に込めて、俺に託したのだ。

 聖剣はほのかに光を湛えている。

 こんなになってもまだ戦えると。お前はそう言っているのか。


 柄を握りしめ、想いと力を形に変える。

 まるで《センクレイズ》を使ったときのような、いやそれよりも青く輝く刃となって結晶した。


 ――あとは、ぶつけるだけだ。


 俺はありったけ最後の力を振り絞り、ヴィッターヴァイツに向かって突撃した。


 もう何もできない。ただ、前だけを。


 ヴィッターヴァイツも迎え撃つ。血反吐を吐きながら、右腕に万力を込めて突き出す。



 全身全霊をかけた剣と拳が、交差した。




 ――――結局――最後まで勝つことはできなかったか。




 俺の腹部を、ヴィッターヴァイツの拳が貫いている。今度こそ完全に急所だ。



 だけど……やったよ。ハル……みんな……。



 同時。ヴィッターヴァイツの胸に深々と突き刺さった剣を視界の端に捉えて。



 笑って、意識を手放した。

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