235「アルトサイダーの悪夢 2」
「貴様ら。よく来たな」
ナイトメアの軍勢をその場に静止させ、ヴィッターヴァイツは抑揚のない声で言った。
ナイトメアが止まったのを見て、彼がコントロールしているのだと全員が察した。
とりあえず話し合いをする気があるとみたクレミアは、笑顔を作って歓迎する。
「そちらこそよく来てくれたっす。でもシェルターに穴開けなくても、表で待ってくれれば出迎――」
「違う。よくのこのことオレの前に出て来られたなと言ったのだ」
ヴィッターヴァイツは途中で遮った。口をへの字に曲げ、あからさまな不機嫌と怒りを示す。
確かに一時的な利害の一致はあっただろう。結果として役に立ったことも否定はしない。
だが事実はどうあれ、利用してくれたことに変わりはないのだ。
それも、こんな仕様もない人間ども――いや、人間未満の夢幻の類い如きが。
彼の怒りを感じ取った一同は慌て、グレイバルドは無言で警戒を強めた。
ブラウシュは頭を下げて詫びる。
「利用したような形になってしまったことは大変申し訳なかった」
「なるほど。やはりわかっていて利用してくれたのだな」
「本当にすまない。だ、だが、我々も役に立っただろう? あなたとはしっかり話し合い、同盟関係を結びたいと思っている」
「同盟関係だと? 同盟というのはな、対等な立場の者同士が結ぶものだ」
ブラウシュの言葉は、火にますます油を注ぐものだった。
ヴィッターヴァイツは憮然として告げる。
「オレと貴様らは、対等ではない」
身の程をわきまえぬ愚か者どもには罰を与えねば。
どうしてくれようか。彼は考える。
「少し前なら利用価値もあったが、既にちょうど良い手駒もたくさん見つかったのでな」
整然と立ち並ぶナイトメアを顎で指して、ヴィッターヴァイツは嗤った。
恐れを知らず、疲れを知らず、攻撃本能が強い理想的な兵士だ。
どういうわけか彼の元へ吸い寄せられるように集まってくるナイトメアどもを次々と【支配】下に置き、今では十万ほどが彼に付き従っているのであった。
そしてさらに言えば、アニエスに一度ならず二度までもしてやられたヴィッターヴァイツは、今虫の居所が非常に悪かった。とにかく苛立ちをぶつけて発散したい気分だった。
ゆえに、当然の帰結として。
「貴様らは要らん。ここで死ね」
まず見せしめにと、適当な一人に向けて手をかざし【支配】をかける。誰でも良かった。
「うわあ゛あああ゛ああーーーーーっ!」
最初の不幸な犠牲者はカッシードだった。突如走った身を引き裂くような激痛に、彼はただ泣き叫ぶことしかできない。
熱い! 熱い!
体内の魔力が暴走し、あらゆる臓物を傷付けるのを彼自身はおろか誰も止めることができなかった。
ヴィッターヴァイツがぐっと手を握ると、カッシードは無数の肉片となって弾け飛んだ。
彼の近くにいたクレミアは、変わり果てた彼の一部を全身に浴びることになり、声にならない悲鳴を上げる。
あっという間の出来事だった。
あまりにあっけなく、信じがたい最期だった。
カッシードはS級冒険者上位程度の実力は持っていた。腐っても大概の相手には後れを取ることはないだろうと自分で思っていたし、思われていたのだ。
それがなすすべもなくやられてしまうとは。
ユウの言っていた「とにかく逃げろ」という言葉が、今さらになって重く心に響いてくる。彼が敵対関係であるはずの自分たちに向けて、打算抜きの思いやりで忠告していたことにようやく気付いたのだ。
だがもう遅かった。
クレミアは恐怖に涙し、ブラウシュとクリフはショックでろくに動けなかった。グレイバルドは死闘を覚悟し、最大まで気と魔力を練り上げようとしている。
「この野郎! よくもカッシードを!」
そんな中、一人我を忘れて激高したのが撲殺フラネイルだった。彼は新米アルトサイダーのとき、カッシードから色々と教わった身であり、彼とは特に親しかったのである。
撲殺フラネイルは、無謀にも伝説の木の棒を手にヴィッターヴァイツへ殴りかかる。
だがヴィッターヴァイツからすれば、あくびが出るほどトロい動きだった。
攻撃が届くより先に、ヴィッターヴァイツは撲殺フラネイルがまったく知覚できないほどの速度で、手刀を一発だけ放つ。
何もわからないまま、撲殺フラネイルは木の棒をヴィッターヴァイツを振り下ろそうとした。
そこで気づく。
伝説の木の棒が――耐久度無限大であるはずの武器が、根元からすっぱりと切れてなくなってしまっていることに。ヴィッターヴァイツの手刀が木の棒をぶった切っていたのだ。
気勢を削がれ、腰が引けた撲殺フラネイルをヴィッターヴァイツは蔑む。
「貴様。そんな棒切れでこのオレをどうするつもりだったのだ。まさかそんなもので殴り倒せるとでも考えていたのではあるまいな?」
普通の剣すら使おうとしないとは。ふざけているにもほどがある。
ヴィッターヴァイツは撲殺フラネイルの頭を片手で鷲掴みにした。
頭蓋が軋み、悲鳴を上げる彼に対して、ヴィッターヴァイツは嘲けて言った。
「道具など要らん。殴るとは、こうやるのだ」
土手っ腹にヴィッターヴァイツの拳がめり込む。撲殺フラネイルは何かが潰れたような、出てはいけない声を発した。
当然、一発では終わらない。
ヴィッターヴァイツにとっては相手を壊さないように注意しながら軽いジャブ程度の、撲殺フラネイルにとっては一発一発が拷問級の拳が、彼の全身をめった打ちにする。
「おっと。勢い余って殺してしまったぞ」
ヴィッターヴァイツは確信犯的にほくそ笑み、事切れた彼をゴミのように投げ捨てた。
身体中が真っ赤に膨れ上がり、元の顔がわからなくなるまで徹底的に殴られ、撲殺フラネイルは撲殺された。
「さて、まだ逆らう気のある者は――いるようだな」
グレイバルドはブラウシュとクレミアに目配せする。「自分が食い止めるから逃げろ」と。
副リーダーとしての自負があるブラウシュは申し訳なく思いつつ、未だ腰を抜かしているクレミアを支えて退避する。
そしてクリフは、グレイバルドの判断よりも先に、一目散に背を向けて逃げ出していた。よほど恐ろしいのだろう。中身が死にかけの老人とは思えないほど、ほとんど子供のように喚いて走っている。
だが逃げる方針を固めたからと言って、実際に逃げられるかは別の話である。
『逃がすと思うのか?』
念話で脅しながら、ヴィッターヴァイツは練気功による衝撃波を三発同時に放った。
グレイバルドは自身に向けられた攻撃を剣閃で弾きつつ、近くにいたブラウシュとクレミアに向けられたものも身を張って守った。
皮肉にも、ヴィッターヴァイツから最も遠く離れていたクリフだけが、大きな風穴を身に開けて死んだ。
クリフまでもあっけなく殺されたことに苦い顔を浮かべながらも、グレイバルドは充実させた気で身体を強化し、高めた魔力を一身に込めた魔法剣をヴィッターヴァイツにぶつけた。
ユウにもフェバル級と評されたグレイバルドの攻撃は中々のもので、ヴィッターヴァイツに《剛体術》を使わせた。
「お前の相手は私がしてやろう」
「してやろうとは。随分と大きな口を叩くではないか」
事実、グレイバルドはヴィッターヴァイツを脅威に感じつつも、決して実力では負けてはいないと判断していた。
「今のうちに逃げろ!」
グレイバルドが声を張り上げる。
クレミアを支えるブラウシュは、頷くと再び逃げ始める。
雑魚に張り合われるのも逃げられるのも気に食わないヴィッターヴァイツは、目の前の男に諭した。
「貴様、勘違いしているようだな。思い上がりを一つ正そう」
《時空の支配者》
!?
ヴィッターヴァイツの【支配】の十八番、時空支配が発動する。
ブラウシュもクレミアも、そしてグレイバルドさえもぴくりとも動くことができない。
ヴィッターヴァイツは、あえて認識だけはできる状態にしてこの技を仕掛けていた。
だから三人には、身動きのできない恐怖を味わいながら後悔する時間がたっぷりとあった。
ユウが警告していた、ヴィッターヴァイツの持つ厄介な能力。まさか自分たちに通用するものかと話半分に聞いていたチート能力の真の恐ろしさを、今さら身をもって理解したのである。
『くっくっく。我が《時空の支配者》は時と空間を操る。どうだ動けまい』
所詮こんなものは同格相手には通用しない小手先なのだがな、と内心自嘲しつつ、そんな素振りは一切見せずに彼は続ける。
『この程度が効いてしまう貴様たちなど、いつでも【支配】下に置けるということだ。言ったはずだぞ。オレと貴様らは、対等ではないと』
グレイバルドの顔面をぶん殴りつつ、よくよくわからせるように彼は言った。
『調子に乗るなよ。貴様にオレと同じ土俵に立つ資格はない』
そして、グレイバルドだけ時間停止を解除する。残りの二人は逃げないように止めたままである。
顔面を殴ったダメージは時が動き出すと同時再生され、グレイバルドは近くの建物の壁に突っ込んだ。しかし壁も止まっているので、壁は破壊されずに彼を弾き返す。
決して小さくないダメージを受けたグレイバルドであるが、撲殺フラネイルと違ってそれで死ぬほどやわな鍛え方はしていない。彼は口内に滲んだ血をつばで丸めて吐き出し、ヴィッターヴァイツに問うた。
「なぜ私だけ動けるようにした?」
『なに。このまま一思いに殺すのも構わんが、それではつまらんからな』
殴った手応えからヴィッターヴァイツにはわかった。
確かに純粋な実力のみなら、こいつだけ他とは遥かに格が違う。なるほど口を叩くだけのことはあると。
一方、グレイバルドは死を覚悟しつつも、ごく細い勝利の可能性に望みを見ていた。
この男には慢心がある。再び技を使われる前に、実力で斬ってしまえば勝てると。
「……余裕こきやがって。後悔するがいい!」
「ふん。精々足掻いてみせろ」
動けない二人をオーディエンスに、剣神とヴィッターヴァイツの激しい戦いが始まった。
剣神と呼ばれるだけあり、グレイバルドの剣技は美しく冴え渡っていた。他のアルトサイダーを隔絶した身体能力を持ち、ヴィッターヴァイツも《剛体術》を常時駆使して対抗しなければならないほどであった。
戦闘タイプのフェバルとまともに打ち合える者など、同じ超越者以外では滅多にいない。ヴィッターヴァイツは戦いを愉しんでいた。グレイバルドもまた、最大の強敵手と出会えたと興奮を隠せない。
ところが……。
戦いが進むうち、拮抗していたかに見えた戦いは、次第にヴィッターヴァイツのペースとなっていった。
元々の《剛体術》に対する剣術の不利もあるだろう。動きに慣れたということもあるかもしれない。
興奮が引いていく。戦いの熱が引いていく。徐々に大きくなっていく違和感が、ヴィッターヴァイツの首をもたげた。
やがて、幾度目になる魔剣技をグレイバルドが放ったとき、もはやそれを易々と避けたヴィッターヴァイツは、違和感の正体にはっきりと気付いた。
そして、すっかり興醒めしてしまった。
『やめだ。下らん』
『なに!? やめとはどういうことだ!?』
グレイバルドとしては、まだまだこれからというところだった。こんなところで負けを認められるはずがない。
ヴィッターヴァイツは、冷淡に告げた。
『貴様らラナソールの連中は、どいつもこいつも……。どこまでもゲームや遊びの気分が抜けておらん。自分が主人公――特別な存在か何かとでも思っているんじゃないのか?』
ヴィッターヴァイツの知るところではないが、元々アルトサイダーには、当事者意識や緊張感――ある種の切実さに欠けるところがあった。それはラナソールの「プレイヤー」として生まれ育った彼らの性格なのである。
だから遥か格上に棒切れで挑むなどという、ふざけた真似が成立するのかもしれない。
グレイバルドは確かにラナソール髄一の実力者であるが、結局は「プレイヤー」パラダイムから抜け出せなかった。
いかに強力な魔獣や魔神と戦おうとも、いかに凶悪なナイトメアと戦おうとも、それは「レベル上げ」であり「経験値稼ぎ」の範疇でしかない。
根からの戦闘者であるヴィッターヴァイツは、剣神というかつての活躍華々しい男の、ただ華でしかない本質を見抜いてしまったのである。
「スキル」じみた型と見栄に嵌った戦闘スタイルに。
わかってしまえば、なんとつまらない男だろう。
確かにステータス上の実力は己やジルフに近しいのかもしれないが、それだけだ。
これほどの肩すかし、期待外れもない。
数千年に渡る修練を一蹴されたことに、どうしても納得のいかないグレイバルドは吠える。
「人は誰もが特別だろう。それに私は剣神と呼ばれた男だ!」
『そんなことを言いたいのではない。わからんのか? 貴様の強さには、代償が足りない。覚悟が足りない。血と肉の裏付けが足りない! そんな力など――薄っぺらいと言うのだッ!』
ヴィッターヴァイツは激怒した。ふざけた夢の世界の連中すべてと、その代表たる一人である彼に向かって激怒した。
彼こそは力の倫理に生きる者。
弱さは罪である。弱ければ蹂躙され、すべてを失う。それがこの世の真理であるから、彼は下等な者に敬意を払わない。
だがそれでも生きるに真摯足らない者は、強さ以前の問題である。
「ほざくなッ! 身勝手な殺戮者め!」
『わからぬならば、死をもって教えてやろう!』
グレイバルドは、己を侮辱した敵を完全に殺すつもりで最大威力の魔剣技を溜める。
対して、気のオーラを漲らせたヴィッターヴァイツは、猛然果敢とグレイバルドに突進を仕掛けた。
どちらも当たれば致命傷となるほどのパワーを充実させている。
勝敗を分けたのは、刹那に対する感覚の差である。
大技を当てることに固執するグレイバルドは、虚実織り交ぜたヴィッターヴァイツの動きに翻弄され、ほんの一瞬だけ技のタイミングがずれてしまった。
その隙を見逃すヴィッターヴァイツではなかった。
何の技ですらない、質実剛健たるただの拳が、グレイバルドの胴のど真ん中をぶち抜く。
即死だった。
ちょうどそのとき、《時空の支配者》の効果が解けて、ブラウシュとクレミアは動けるようになった。
だが二人とも動けなかった。余計な動きをすれば、一瞬で殺されると身体が理解してしまったからである。
カッシードが弾け飛んだように。撲殺フラネイルが無残に撲殺されたように。クリフに風穴が開いたように。
そして最も頼りにしていた最強の守護者が、たった今目の前で殺されてしまったように。
何の尊厳もなく。ゴミクズのように死ぬ。
だがこのまま何もしないでいても間違いなく殺される。
詰んでいる。詰みとわかっていても、それでも二人は何もできなかった。
恐怖から歯を打ち鳴らし、涙を浮かべるブラウシュとクレミアを、悪魔の獰猛な笑みが迎えた。
「さて。『命令』だ。貴様たちの知っている情報を洗いざらい話してもらおうか。残りの仲間の情報もだ」
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