220「ラナの記憶 2」

 不幸というものは、たぶん望まない魂――本源のあり方なのだろう。


 イコがスチリア村の長になってから五年目。この年は恐ろしいほどの不作だった。


 最初は昨年の蓄えでやりくりしていたものの、冬を迎えるとついに備蓄は底を突きた。

 それからは悲惨だった。

 全員を食べさせていく分がないのだから、村が生き残るためには人を減らすしかない。

 自明の理であり、残酷な真実だ。

 村の長であるイコは、とうとう非情な決断をせざるを得なかった。

 まず子供のうちで小さく役に立たない者から口減らしをされる。

 それから怪我や病気でろくに身体の動かない大人。先の短い老人。次いで生産性のない人間が選ばれた。


「ラナ。あなたを村から追放します。今夜中に荷物をまとめて出なさい」


 衆人環視の中、冷たい表情の仮面を被ったイコにそう告げられた。

 覚悟していた私は、特に反論もせずに頷いた。


 その日の夜中、誰もが寝静まった頃にイコは一人私のところへ来て縋りついた。


「ごめんね。庇い切れなかった。ごめんね」


 イコは何度も詫び、泣いていた。

 そんな彼女を見て、昼は努めて気丈にしていた私も泣かずにはいられなかった。

 もちろん自分の立場が悲しくないわけじゃない。悲しいに決まってる。

 ただそれ以上に、この優しい子に非情な決断をさせた世界が間違っていると思った。


「私、最低だ。あなたの友達失格だ」

「ううん。そんなことない。イコは悪くないよ。仕方ないことだってわかってる」

「でも、でも……!」

「私は大丈夫。何も恨んでないから。これからも友達だよ。だから、みんなを守ってね」

「ラナぁ……!」


 いつもとは逆に、私がイコをあやした。

 私は村を去るけれども。イコには苦境を乗り切って、また平和な村を取り戻して欲しい。

 心からそう願う。


 夜のうちに村を出た。

 厳しい冬場だ。食べ物なんてほとんどないだろう。動きの遅い私には狩りをするだけの能力もない。


 だけど、私には【想像】がある。抗ってはみるつもりだ。


 ほどなく私にしか見えない動物たちが私を案じてやってきた。


「食べられるものとそうでないものを教えてほしいの。あと、寝床になりそうな場所があったらそれも教えて」


 彼らは快く協力してくれた。

 村の全員を助けるほどの力はなくても、私一人なら助けられるだろうか。

 できることなら死にたくはない。


 さて、どれほど歩いただろうか。

 現実は甘くなかった。薄く雪が積もっているから水には困らないものの、まったく食べ物は見つからない。動物は見かけたと彼らに聞いたけれど、【想像】では狩れない。

 冷たい風は容赦なく私の体力を奪っていく。【想像】に過ぎない彼らが寄り添っても、私の身体を温めてくれるわけではない。


 見つけてもらった洞穴にどうにか滑り込んだ。背負ってきた薪に火を起こせば、初日の凍死だけは避けられるだろう。

 けれど、何日もつかな。絶望的な気分になるのは避けられない。

【想像】で生まれた幻の獣たちは私を気遣って励ましてくれる。だから寂しくはなかったし、生きようという気力も容易に萎えることはなかった。


「みんな。ありがとう。私、頑張るね」


 火を消さないで眠った。


 それから何日か、私はこの洞穴を拠点に足掻いた。

 石の槍を持ってドッケルの群れに挑みかかったが、簡単に逃げられた。

 木の実を探したが、どこにも生えてはいなかった。

 洞穴の石をひっくり返したみたが、虫一匹も見当たらない。


「薪、なくなっちゃった」


 ついに火を起こす手段も絶えた。次に眠ったときが私の最期だろう。


「これで終わりかぁ……」


 あっけないものだなと思う。

 必死になんてなりたくなかったのに。なりふり構わず足掻いても、生きられないときは生きられないものだ。

 現実は、厳し過ぎる。

 身体から力が抜けていくのを感じる。


 イコ。私は先に行くね。ごめんね……。


 ***


 ラナが死に絶えようとしている。


【想像】の獣たちは、大慌てで助けを求めて駆け回った。


 誰でもいい。この心優しい主を助けてくれる者はいないのか。


 ある獣は人の集落を見つけ、助けを求め吠えて回った。しかし【想像】ゆえに誰も気付かない。

 またある獣は火を起こそうとブレスを吐いた。しかし【想像】の炎は何も燃やさない。

 そしてある獣はラナへ献上するために狩りを行おうとした。しかし【想像】の爪は何も斬り裂かない。


 空飛ぶモコは可能な限り遠くへと飛んだ。世界の向こうに主を救う何かはないのか。必死だった。


 やがて、一人の人間が野営をしているのを見つけた。


 薄汚れた外套に身を包んだ、見た目は若い男だ。元来整った顔立ちをしているが、その印象を覆しかねないほどに荒んだ目つきをしている。そして、瞳の奥は感情が欠落したかのように死んでいた。

 

 モコは本能的に恐怖を感じたが、同時に彼から大きな力も感じた。

 主を助けてくれる可能性があるなら、誰でも構わなかった。


『きゅーきゅー!』


 どうにか気を引こうと鳴き声を上げ、彼の袖を引っ張ろうと近づく。


 しかし【想像】ゆえに彼も――。


 いや――彼は気付いた。


「ん? なんだ……? 妙なやつだな」


 空飛ぶ獣が近付いてきて、何やら必死に訴えかけている。

 およそ空を飛ぶには不釣り合いな体型であることは、旅慣れた男には一目でわかった。

 この世界の魔力許容性は極めて低いはずだ。魔法的な力で飛んでいるわけでもない。


 物理的にあり得ない――奇妙な存在。


 それが己に触れようとして、すり抜けていく。

 瞬間、男は人生初めてのレベルの衝撃を受けていた。


「心を持つ……完璧なイメージだって……!?」


 目の前のそれが――自身の欠陥能力を補完する存在に他ならないことを承知したからだ。


「きみはどうして存在している!? 世界の理によってか!? それとも誰かの力によってか!?」

『きゅきゅー! きゅー!』


 男は珍しく声を荒げるほど興奮して、不思議生物に問いかける。

 それは、初めの質問にいいえと答え、次の質問にそうだと答えているように男には思われた。

 そして、しきりに袖を引っ張ろうとしていることにも気が付く。


「……僕に会わせたい人がいるということか?」

『きゅ!』

「わかった。僕も興味が湧いた。行こうじゃないか」


 空飛ぶモコがはばたくと、男は宙に次々と足場を【創り】――それを超人的な速度で蹴り抜くことで、反作用を得て空を駆けた。

 ほどなく、男は彼女の下へと辿り着く。

 空飛ぶモコは彼女の上でくるくる飛び回り、それが助けたい人物であることを示した。


「女の子……!? 死にかけているじゃないかっ!?」


 ほとんど失っていた感情が、にわかに戻ってきたと男は感じた。


「待ってろ。今助けるからな……!」


 目の前の存在が奇跡を起こした者であるならば――絶対に助けなければならない。

 男は全身全霊を込めて気力治療に入る。

 女の顔が徐々に生気を取り戻していく。


 こうして――【創造】の旅人トレインと、【想像】の巫女ラナは出会った。

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