214「遭遇 ナイトメア=エルゼム」

 三人の中では最後に泣き始めたシルが目の端の涙を拭っている頃には、だいぶ気持ちは落ち着いていた。


「で、この真っ暗な場所はどこなのよ?」


 俺とランドはシルに事情を説明した。


「なるほどね。世界の果てに着いたと思ったら、とんでもない場所に来ちゃったわけ」


 シルは難しい顔で考えながら呟く。


「ラナソールもトレヴァークも……大変なことになっているのはわかったわ」


 そして俺を憐れむように見つめてきた。


「最愛のお姉さんがいないのは寂しいわね……」

「そうだね……」


 まだ受け止められたわけじゃないけれど、どうにか事実を呑み込んで頷く。

 俺が気落ちしているのを見て、シルは力強く肩を叩いてくれた。


「とりあえずパーティ組みましょ。何するにしても、一人より二人、二人より三人の方が捗るものよ」


 ランドもまったく同意してにっと笑った。


「そうだぜ! ユウさんにはシルのことも含めて色々助けてもらったしさ、力になりてえ」


 ハルも乗っかって向こう側で微笑む。


『ボクのことも忘れないでね』


 まだまだ世界に対してはちっぽけだけど、それでも一人だったときに比べれば随分心強かった。


「みんな……ありがとう」



 ***



「さてと。こんな辛気臭いところに長居はしたくねーんだけどよ」

「どうやって出るのかしら」

「穴を探していけば出られると思う。見つかるかどうかは運次第だけどね」


 実を言うと俺だけだったらリクかシズハのところにすぐ行けるんだけど、二人を置いていくわけにはいかないからな。


「ま、とりあえず歩くか。シルの無事を気にしなくて良い分気は楽だぜ」

「その節はご迷惑おかけしたわね」

「お互い様だろ。さあ、行こうぜユウさん」

「ああ」


 三人で昏い大地を歩き始める。

 ナイトメアとの戦闘は相変わらず散発的に発生したが、光魔法を得意とするシルが加わったことで安定感を増した。

 ランドの言う通り、シルの無事を気にかけなくて良いだけ精神的な負担も軽くなっている。


 一日ほど、小休憩を挟みながら脱出口を求めて歩き続けた。

 シルが戻ってきて見違えるように明るくなったランドが、うんと伸びをしながら言う。


「運が良いのかもしれねーけどよ。今までそんなに強いナイトメアには出会ってねえよな」

「見た目は勘弁してくれってくらい怖いのはいたけどね。キモいのもいたし」


 ナイトメアと戦い慣れてきたシルが口を尖らせながらそう返した。


「もしかしたら強い生物ほど、簡単には闇に取り込まれにくいのかもしれないね」

「そっか。ナイトメアになるってことは、闇に耐えられなかったって見方もできるもんなー」

「でもそれぞれだと思うわよ。いくら身体が強くたって、闇に付け入られる心の弱さがあれば」

「強いのがナイトメア化したら大変そうだよな」


 少しは余裕ができ、三人で談笑しながら、しかし油断はせずに歩いているところだった。



 ――何の前触れもなく『それ』は現れた。



 手足は細長く、刃物のようにシャープな人型。揺らぎの多い普通のナイトメアと格別に異なり、確固とした闇を全身に満たしている。体表は滑らかな黒一色。瞳のない切れたような目だけが血のように朱く、そして顔はまるで個性のないのっぺらぼうだった。


 闇の化身。『それ』が向こう側から真っ赤な目でこちらを睨んでいた。


 ……! ナイトメア=エルゼム……!


 あまりにも濃い死の予感――明確な死のイメージが全身を刺し貫く。

 場は絶対零度のごとく凍り付き、俺たちは言葉を止め、身動き一つ取れないまま『それ』を目に焼き付けた。


『彼』が言っていた通りだった。まるで最初から知っていたかのように、世界に存在を認知させられたかのように、それがエルゼムなのだと即座に理解した。


 なんだ。こいつ。やば過ぎる!


 恐ろしいフェバル級と何度も対峙してきたが、そいつらともまったく違う。


 殺される。確実に殺される。


 理解など一切通用しない純粋な化け物であることは、極めて異質な容姿からも、心を読む必要などないほど迸る純悪感情からも明らかだった。


【気の奥義】《マインドリンカー》!


 逃げられるかどうか。その成算――下らないことなど考える前に身体は動いた。


「ランド! シル! にげ――」



 gyaaaaababababababababbabababhyggggggrrggggrgrgrggggrgrgrgaggggrgg!



「「――っ!」」



 耳をつんざく絶叫が轟く。

 老若男女や種々の動物の声が入り混じったような、何の声とも形容し難いおぞましい叫びだった。

 ただ聞くだけで、生きる力をごっそり削がれてしまうようだ。強制的に掻き起される恐怖に身体はすくみ、立っていることさえ困難になる。


 そして、俺の意識が次の行動を呼びかける前に――何かが――




 !




 ***




《クロルウィルム》!




 世界が停止する。


 あたしは間一髪のところで時間停止魔法を発動していた。


 細長く伸ばされた闇の爪が、ユウくんたち三人の首を刎ねる寸前だった。


 ふう。危ない危ない。


 アルのやつ、とんでもないイレギュラーを用意してくれたわ。


 すごい嫌な予感がして。来てみてよかった。


 ただ……咄嗟にウィルお兄さんの魔法で時を止めたはいいものの。


 ギ……ギ、ギ……! ガ……!


 エルゼムは時の止まった世界でなおも意識を持ち、新たな敵であるあたしをはっきりと睨み付けている。動かない爪を無理に動かそうとして、わなわなと身体を震わせていた。


 恐ろしいまでの殺意と執念の塊。なんてやつよ。この時間停止世界で動こうとしているなんて……!


 まずい――少しずつだけど、爪が動き出してる。


 もう時空耐性を付け始めてるんだ。二度と同じ手は食わないでしょうね。


 光魔法で攻撃を加えようかと一瞬迷ったけれど、そんなことしても無駄だと判断する。残念ながらあたしの魔法じゃ威力が足りない。


 それよりも、今は!


 この魔法はあたしでも十五秒しかもたない。


 時間が動き出して気付かれる前に、ユウくんを……!




「君は……!?」




 ひどく戸惑った顔で、ユウくんがあたしを見ていた。




「げ。やば」




 思わず口を衝いて出た言葉は、ひどく間抜けだった。



 わあああああああーーーーーーっ!


 しまった! そうだったああああっ!

 忘れてた! ユウくんってウィルお兄さんにばっちり時空耐性もらってるんだった!

 うわあああやっちゃった! あんまり焦っちゃってつい! 


 ああああ。あたしが色々関わるとリスクが高いから、ユウくんに悟られないようにって、ずっとやってきたのに……。


 ……ま、しょうがないか。緊急事態。

 ひどい手を使ってきたアルが悪い。今は時間がないもん!


「とにかく話は後! えいっ!」

「うわっ!?」


 ユウくんを風魔法でこちらに引き寄せる。ランドさんとシルヴィアさんももちろん助ける。一緒に引き寄せた。


 すぐさま最上位の第十級時空魔法を術式プログラムで発動させる。


《グランセルララシオン》


 闇の世界に穴を無理やり開けて、トレヴァークの適当な地点と繋ぐ。

 普通なら時空に穴を開けるなんてもっと大変なところだけど、今は色々と開きやすい条件が揃っているからできた。


「いくよ!」


 風魔法でユウくんたちを抱えながら、現実世界へ逃げ出した。穴はすぐ塞いで、万が一にもあいつが追って来られないようにした。



 ***



 直後、拘束の解けたエルゼムの爪が、彼らのいた場所をずたずたに切り裂いていた。


ggrgrgrggggrgrgrgaggggrgggyafoajgoajoajgaaaaababababababababbabababhyggggggrrgg!


 エルゼムは叫び、そしてまた闇に溶けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る