183「赤髪の少女、ラナソールへ 3」

 断腸の思いでユウくんを見送る決心をして、あたしはラナさんを抱えたまま空に浮かんでいた。

 ラナさんは、涙するあたしと崩れてゆく大地を交互に見つめて、泣きそうなほど悲しい顔をしている。

 あたしは耐え難い無力感を覚えていた。

 壊れゆく世界に対して、何ができるというのだろう。

 さすがに世界すべての時間を巻き戻すなんてことは不可能だし、たとえできたとしてもそれをあたしがすることが正解とは思えなかった。

 フェバルであれば何かができたかもしれない。いかに『異常生命体』と呼ばれるカテゴリであっても、純粋な強さや能力で言えば自分は遥かに人間寄りの存在だと、あたしは自覚している。

 確かにフェバルであるユウくんの力は借り受けている。けれどあの人は……フェバルと言っていいのかどうか。

 ユウくんの力は、純粋な意味での力としてはほとんどどのフェバルよりも遥かに弱い。この場面でどう使えるのかはわからなかった。

 あたしは事態の進行を見守るしかなかった。


 ――ラナさんが、決意を込めた瞳をこちらに向けるまでは。



 ***



 ラナは壊れゆく世界を見て、無性に悲しいと感じていた。

 なぜかはわからない。

 自分のことを見上げていた者たち。自由な彼らをどこか羨ましいと感じたこともある。

 なぜかはわからない。

 永い間、彼らから親愛と尊敬が向けられていた。好ましいものだと感じていた。

 なぜかはわからない。

 今、世界は壊れている。彼らは苦しみ、死に瀕しようとしている。

 自分は何ができるだろうかと感じた。

 なぜかはわからない。

 自分ならばできると感じた。

 そして、守らなければならないと感じていた。


 ――たとえこの身を賭けてでも。



 ***



「ラナさん……?」


 あたしは驚愕とともにラナさんを見つめた。突然彼女の身体が神々しい光を放ち始めたからだ。

 ラナさんに触れていたあたしには、彼女の想いが流れ込んできた。

 理解できてしまった。

 先ほどまでほとんどなかったはずの彼女の意志を。彼女がこれからやろうとしていることを。

 どうしてそれをすべきなのか、しようとしているのかさえわからずに。必要だからって。せっかく助かった命を懸けてまで……!


「ダメだよ! ラナさん! 早まらないで!」


 強く反論するけれど、ラナさんの決意は固いようだった。

 確かに、今みんなを救うためにはそうしなきゃならないのかもしれないけれど!

 理性ではわかってしまっても、感情が許せなかった。


「ラナさん!」


 彼女はにこっと微笑むばかりで、一切の迷いは見えない。なんて強い覚悟だろう。なんて可哀想な決意だろう。


 強く繋がったからだろうか。また、別のものがふわりと流れ込んでくる。温かな何かが。思い出が。


 人間だったときの彼女の記憶。ほんのわずかに残っていた――魂の記憶。


 あたしは唐突に理解した。


 そうなんだ。ラナさんは……。


 今は完全なる夢想の存在。すべてが夢幻の存在。


 この場にいるラナさんは、これから消えてしまう。


 けれど……。


 夢想の存在であるからこそ。


 ラナソールから消えてしまっても、本当の意味でラナさんは死なない。消えない。


「彼」がいる限り。思い出がある限り。


 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなかった。


 死ねないんだ……。


 ラナソールは、ほとんど壊れかけていた。今では向こうにトレヴァークの気配すら感じることができる。

 ラナさんと繋がったあたしには、彼女の思い出に満ちた現実世界が、所々うっすらと光り輝いて見えた。


 ……もう、ラナさんの決意は変わらない。悲しいけれど、彼女は自分自身を使う覚悟だった。


 なら、せめてあたしのすべきことは。


 ユウくんに借り受けた力。

 心を繋げる力。世界と繋がる力。

 きっと今こそ使うときなんだ。


 ラナさんの助けになるために!


「ラナさん。あたしも手伝うよ」


 手を差し伸べる。彼女は微笑みを湛えたまま、手を握り返してくれた。


 ふと思う。

 今から使うのは、ユウくんがまだ手にしていないはずの力。

 使うことは、ラナソールの一時的な延命に繋がる。「道」からは外れていない。

 きっとユウくんがこの力を手にする未来に近づくのだろう。

 あたし自身の存在もそうだけど……。原因より結果が先に来ている。

 ここで使ってしまうことで、因果律を滅茶苦茶にしてしまわないのかと。

 でも、きっと大丈夫。あたしは信じることにした。

 皮肉にも【運命】の収束力が、未来の可能性をひどく制限しているから。

 なら、あたしは利用しよう。敵の絶対的な力を逆手に取ろう。

 きっとそう簡単にはパラドックスは起きない。起こさせてくれない。それが起きてしまうことは、そのまま二人の力の敗北を意味するから。


 ラナさんの神々しい日の輝きに、あたしの青い力が混ざる。

 太陽のように暖かな赤と、海のように透き通った青が、美しいハーモニーを奏でた。


 世界のすべてに。すべての生きとし生ける者たちに、救いが届きますようにと願って。


 彼女の身体が光の化身と化して、霧のように消えていく。

 世界の隅々まで、ラナさんの光が広がっていく。救済の意志が広がっていく。ラナソールを越えて、闇のアルトサイドにまで彼女の光は届いていた。



 そして――世界の崩壊は止まった。



 でも不完全なラナさんと借り物のあたしの力では、現状維持が限界だった。

 灰色の空に浮かぶ無数の大陸のかけら。底なしに流れ落ちる海。世界を恨む異形の闇。

 極めて不安定な状態には変わらない。いつまた終わりが始まってしまうのかわからない。


 断絶された個々の小世界。たくさんのフラグメントに分かれて、ラナソールは辛うじて存在していた。


 それでも、人は生きている。


「……よし。いこう」


 いつまでも立ち止まってはいられない。大変な状況は続くけれど、踏める大地があるならきっと人々は戦えるはずだ。


 なら、あたしは次に向かうべきだ。現実世界――トレヴァークへ。

 ラナソールが不安定な今、世界の境界は曖昧になっている。今ならあたしの星間移動魔法で飛べる。

 そこで何をするかは、もう考えてある。


 ラナさんは消えてしまった。でも「彼」はラナさんをそのままにしておかないだろう。きっとどこかで蘇らせているはず。ラナソールのどこかかもしれないし、もしかしたらアルトサイドかもしれないけれど。

 でもそれは本当のラナさんじゃない。ほとんど器だけのラナさん。中身のない空っぽのラナさん。


 本当の意味でラナさんを復活させるためには――彼女自身の記憶が要る。

 そして、本当のラナさんなら知っているだろう。知らなくても推測できるだろう。

 世界の成り立ちを。今何が起きているのかを。これからどうすべきかを。


 ……『事態』を解決すべきなのは、あたしじゃなくてユウくんたちだけどね。


 でも、お手伝いならできるはず。いや、あたしにしかできないことがある。しなくちゃ「道」は繋がらないんだと思う。


 手掛かりはある。


 さっきラナさんと繋がったとき、うっすら垣間見えた彼女の思い出。

 今はもうなくても、「かつての地」には確かに思い出があるはず。

 あたしには、過去の記憶を呼び覚ます魔法がある。

 前にも使ったことがある。ユウくんならきっと気付いてくれるはず。


 本当のラナさんにもう一度会うために。ユウくんが本当の彼女に会えるように。


 あたしは、そのお手伝いをするんだ。

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