135「会社員クガ ダイゴの憂鬱」

 工業要塞都市ダイクロップス。

 その三等地の一角に、とあるゲームメーカーがある。

「カンヨー」。主にコア層向けにラナクリム用のMODやオリジナルゲームを開発・販売しており、時たまどうしようもないクソゲーを生み出してしまうことも含めて、一部のファンには愛されている。

 ただ、天下のトレインソフトウェアがなまじ近くにあるばかりに、何かと比較されては三流のレッテルを貼られてしまうという惨めな立場にあった。

 そんな三流ゲームメーカーの、日頃窓際で過ごす男が一人。

 クガ ダイゴの休日は、ヤケ酒をあおることから始まり、不貞寝に終わる。

 三十五歳。彼女なし。童貞。

 まばらに無精ひげを生やし。気怠い双眸を宿した中年の男は、スキットルを片手に昼間から酒をあおっている。

 銀色のスキットルには、三日月と女神「ナーカム」の姿が描かれている。彼が旅先で偶然見つけて、何となく気に入って買ったものだ。

 三日月は勝負事や賭けを表し、女神は幸運の象徴である。つまりは合わせて「賭けに幸運を!」という意味であるが、たまに行くカジノでご利益があった試しはない。

 あんたが幸運の女神なら、俺の人生にせめて一滴ばかりのチャンスと幸運をくれないものか。

 そんな馬鹿みたいなことを考えて微笑む女神を見つめることもあるが、もちろん返事はない。


「あのクソンめ。偉そうに俺を顎で使いやがって」


 口を衝いて出てくるのは、同期のトミー ソンに対する愚痴だ。

 ダイゴはクソを付けて、クソンと呼んでいる。

 万年窓際族のダイゴに対して、ソンは順調に出世街道を歩んでいる。

 上司や部下からの信頼も厚く、現在は課長。妻に二人の子供がいる。


「ああ、つまんねえなあ……。なんでこんなになっちまったかなあ……」


 まだ何年か前には、同じような窓際仲間もいた。たまに飲みに行って愚痴を言い合うこともあったが。

 そいつは「罹ってしまった」。

 以来、平日も休日も、仕事が終わればただ孤独の時間を過ごすのみである。


「ずっと寝てたってよぉ、それが一番つまらねえじゃねえかよぉ」


 永遠の夢の世界に行ってしまったそいつに、毒吐く。

 現実はクソだ。しかし夢の世界に逃げてみても、やはりクソはクソでしかない。

 彼はそう思っている。

 夢というのは、どんなに荒唐無稽に見えても、結局のところ何らかの形で現実を投影している。想起するのが己である以上、己からまったく離れることはできない。

 一見すると楽しい内容であっても、全てはただの裏返し。

 現実がクソである限り、本質的なところで夢もクソにしかならない。

 彼はよく夢を見るし、夢でかなり好きに動くこともできる。起きてからも内容をよく覚えている方だが、あまり楽しいと思ったことはなかった。

 罹ってしまったそいつも、楽しそうに夢を見ている感じはしない。

 そもそも、一体何が楽しいことがあるのか。仕事も遊びも、楽しいのは全て上手くいってる奴だけで。

 いや、一目楽しそうにしてる奴さえも、多くは何となくで誤魔化しているだけだ。本当にやりたいことをやっている奴など、ほんの一握り。

 ならば、主役になれなかった者は、平時蔑まれる者は、なおのこと悲惨に違いない。

 そうだろう。こうして不平不満を口に出すくらいしか能がなく。ますます惨めさは増すばかりで。


「退屈だ。どいつもこいつも」


 どうしようもなく退屈でつまらない、この世界で。

 ただ積極的には死にたくないから、生きている。

 何となくで来てしまった三十五年。

 大きなミスはしなかったはずだ。そんな目立つミスをするほど度胸があるなら、まだマシな人生を送れている。

 ずるずると、気が付けばこうなっていた。もう少し何とかならなかったのか。


 ああ。女が抱きたい。金が欲しい。


 ……もう、希望は持てそうにないが。


 スキットルを口に押し当てる。

 何も流れ込んで来ないことを、蕩けた脳がやや遅れて認識した。


「ちっ……もうねえのかよ」


 ああ。酒が欲しい。

 まったく。欲しい欲しいばかりだ。どうしようもないな。

 どこか冷静で客観的な自分が、自分を嘲笑する。実際に口元も歪んでいた。

 仕方なしに、面倒臭いので部屋着のまま外へ酒を買いに行こうとした。


 そのときだった。


『おい。オレの声が聞こえるか』


 不意に、彼の脳内に男の声が飛び込んできた。

 生まれて初めての体験に、酔いが回っていた彼は、幻聴でも聞こえたのかと思った。


「なんだぁ……?」


 一人暮らしの汚部屋に、ダイゴの独り言が間抜けな調子で響く。

 誰にも聞かれずに消えていくはずのそれは、語りかける男にしかと届いていた。


『ほう。どうやら上手く繋がったか。これで一つ、ポイントを取り返したな』


 語りかける男――ヴィッターヴァイツは、得意に笑う。


「ついに頭でもおかしくなったかぁ? 変な声まで聞こえてきやがる」


 幻聴ならまだ女の声がマシだが、気が利いていない。

 一方のヴィッターヴァイツは、冴えない男を一目見て取り、ばっさりと斬って捨てた。


『全く使えん屑だな。こんな力も覇気もないゴミを手駒にしても、役に立つとは思えん。はずれか』

「おいおい。なんだってんだよ……!」


 脈絡も意味もさっぱりわからないが。自分がはずれだと言われたことだけは理解できた。

 ダイゴは、憤慨した。


「なんだてめえ! いきなり出てきたと思ったら、偉そうに上から喋り腐りやがってッ!」

『当たりを引くまで探すとするか。やれやれ。手間なことだ』


 天の声は歯牙にもかけない。

 そのことが余計に、ダイゴの神経を逆撫でした。怒りたるや、彼のこめかみに血管が浮き出るほどだった。


「俺を誰だと思ってやがるッ! おいこらぁ! ただで済まさねえぞ! 来いやこらぁ!」

『くっくっく。貴様。どこまでも惨めな男だな』

「なにぃ!」

『己の分を知らず、吠えるだけの屑にも劣る畜生よ。普段なら余興にするところだが』

「何が余興だ……! 人を、駒か何かみてえに……!」

『貴様のような奴は、殺す価値もない。精々惨めに生きていくのが似合いだ』

「おい! ふざけんじゃねえぞぉ! 誰が人の……! おい、馬鹿にするなぁ!」


 どんなに惨めに見えたとしても。

 この俺の人生を馬鹿にしていいのは、俺だけだ。

 他の誰にもとやかく言う資格はない!


「てめえが、俺の、何が、わかるってんだよぉ!」

『なるほど――ラナクリムか。調べてみる価値はあるかもしれんな』


 ヴィッターヴァイツは、男の記憶を読み取っていた。次なる目標を定めているところだった。

 相手にもされない。

 ダイゴは、悔しくてならなかった。とにかくこの男に、自分の価値を認めさせたくてならなかった。


「おい! 俺はなあ、なあっ!」


 言おうとして、次が出て来ない。

 彼はわなわなと拳を震わせた。

 俺は、何者でもない。誰でもない。何もない。

 男の言う通りで。言うまでもなく。わかっていた。

 ただただ惨めでしかなく。吠えるしか能がなく。

 だが、てめえが言うことじゃないだろう。


「俺はッ!」


 いつの間にか、もう声は聞こえなくなっていた。


 一人、取り残された彼は。


「なんだよ……なんだってんだよぉ! 好きなだけ、馬鹿にしやがって!」


 泣いた。みっともなく泣いた。

 酒で感情が昂り易くなっていることを考慮しても。

 まさかこの歳で、本気で泣くことになるとは思わなかった。

 なぜだ。何をしたというんだ。ただ酒を飲んでただけでこの仕打ち。


「ざけんな。空耳にまで馬鹿にされちゃあ終わりじゃねえか……クソがッ……!」


 銀のスキットルを、力任せに投げつける。

 実はこのとき、幸運にも命拾いしたことを彼は知らない。

 ヴィッターヴァイツがこのとき、一人しか【支配】できなかったこと。時間と、能力を行使できる唯一の対象このつまらない男に向けるのは惜しいと思わせたこと。

 もしかすると、ナーカムが唯一手を貸してくれた瞬間かもしれなかった。


「くっそおおおおおおおおおお!」


 ガン!


 隣の部屋の人が怒って、壁が叩かれた。

 さすがにうるさい。叫び過ぎだった。


「……ちっくしょう」


 声を押し殺す。余計に惨めな気がしてならなかった。


 そのまま、もう酒を買いに行く気分になんてなれなくて、しばらく項垂れていた。


「おらぁ……やるぞぉぉ」


 やがてやけくそな気分で、ラナクリムを起動した。

 元々、彼の休日唯一の楽しみであった。

 いや、実のところ、全く面白いと思っていない。ただ何もしていないと退屈で塞ぎ込んでしまいそうで、時間を潰せるから、彼は遊んでいた。

 気が付けば、相当やり込んでいた。

 キャラクター名は、フウガ。

『ヴェスペラント』フウガで知られる、有名な荒らしプレイヤーである。冒険者ギルドには所属していないが、並のSランクならひねり潰せるだろう。

 目的はない。

 各地で暴れ回るだけ。たまに公式キャラクターと目されている剣麗レオンをおちょくって遊ぶことが、彼なりのゲームの遊び方だった。

 運営公式はなぜかBANをしないので、そのような楽しみ方ができた。

 その日、彼は生産都市ナサドの警備隊にちょっかいをかけて。レオンが駆けつけてくる前に、さっさと逃げ出した。

 何となく、今日は彼の相手をすると捕まる気がした。




 翌日。

 二日酔いの残る頭で、気が乗らないながらも、ダイゴは遅刻時間ギリギリに出社した。

 社会人として最低限の義務は果たし、いつもの窓際に座り。そんな彼に気を向ける者は、もちろん誰もいない。

 だが今日は少し、いつもと様子が違った。

 勤勉でよく知られるトミー ソンが、来ていない。遅れる旨の連絡も一切ない。

 珍しいこともあるものだと思った。

 最初はみんな笑って話していたが、一時間、二時間になると、社内もにわかにざわめいた。

 責任者である彼がいないと止まってしまう仕事が多くて、社員たちは困っていた。

 やがて、いけ好かない部長がダイゴのところに来て言った。


「クガ。お前、トミーの番号持っているか」

「ええ。持っていますが」


 一応同期の付き合いで、電話番号を交換したことがあった。随分昔のことだが。


「ちょっとかけてみてくれんかね」

「わかりましたよ」


 面倒臭いなと思いながら、仕方がないのでかける。

 何回コールしても、電話は繋がらなかった。


「繋がらないですね」

「そうか……。わかった。明日来たら事情を聞くとしよう」


 部長は仕方なしに溜息を吐いて、トミーの部下全員へ代わりに一言ずつ指示を出していった。

 ダイゴは何も言われなかった。


「珍しいこともあるもんだな」



 さらに数日が経った。トミーはずっと無断欠勤していた。

 社内はかなり騒ぎになっている。さすがに彼の減給や降格、最悪クビも取り沙汰されていた。

 ダイゴは窓際から、傍観者のように彼らを眺めていた。

 そう言えば、と彼は思い当たる。

 最近の電話は、失くしたときのために、電話番号を打つとその電話を探してくれる機能が付いていたはずだ。

 向こうが機能をオフにしていると、無理なのだが。

 自分が調べる必要はないのだが。一応、ダメ元で調べてみることにした。

 どうやらオフにしていなかったらしい。彼の電話のある場所が地図上に示される。

 それを見て、ダイゴは驚いた。


「なんだぁ。こりゃ」


 探知によれば、彼がいる場所は、あの天下のトレインソフトウェア様だった。

 いかに彼が有能であると言っても、所詮三流ゲーム会社の中での話。世界一の企業に縁があるようなことはないはずだ。

 しかもトレインソフトウェアは、部外者の立ち入りに厳しいことで有名である。


「妙だなぁ」


 好奇心が首をもたげた。

 勘がささやく。何か面白いことになっているかもしれないと。

 どうせここ数日は、あのこともあったし、クソンの奴もいないし、仕事もやる気がしなかったのだ。

 そこで、午後は有給休暇を取得することにした。休みを取るのが彼なので、誰も気にしなかった。

 愛用のボロ車で、トレインソフトウェアへ向かう。


 これがとんでもない運命の始まりになることを、彼はまだ知らなかった。

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