99「ヴィッターヴァイツ潜伏す」

 ――無限迷宮シャッダーガルン地下4000階。


 レンクスとレオンが潜り着いた地点の遥か先――決して誰も足を踏み入れることのない深部に、男はいた。

 かつてそのフロアに鎮座していたボス魔獣を、拳の一撃で屠り。

 ボスのために広がっていたドーム状のフロアの全体は、今や男にとって快適な生活空間へと造り変えられていた。

 男がこの場所に身を落ち着けたのは、そこが前人未到の深部であること、および転移の類によって追跡されることのないダンジョンの性質が、潜伏先としては最適であると判断してのことだった。

 惑星エラネルにおける、男にとっては屈辱的事件から約九年――男はユウが到達するよりもさらに二年も早く、ラナソールに流れ着いていた。

 男の名は、ヴィッターヴァイツという。

 彼の狡猾で残忍な行為の数々――ことに特殊能力【支配】の凶悪さは、星を越えて、一部のフェバルにはよく知られている。数いるフェバルの中でも力に優れるということも、また一部には知られている。

 そして、ジルフ・アーライズがさる人物の依頼を受けて追っている、まさにその男であった。


 最近、彼にとって興味を惹く出来事が二つほどあった。それらはほぼ連続していて、共にこの無限迷宮の中で起こったことである。

 すなわち、二人の超越者の存在。

 彼女と彼がラビィスライムに対して放った、一連の攻撃。

 この世界において存在するはずのない本物の魔力と気力が、なおかつ彼にとって取るに値するレベルのそれが、滅多に感心しない彼の心に触れた。

 久方ぶりの「人」である。

 特に後者に触れたとき――強者の予感に、このところひどく退屈していた男の心が躍った。


「ほう。どうやら――いるな。それも一人ではない」


 独りごちる。


「フェバルか。星級生命体か。異常生命体か。ともかく外れ者には違いあるまい」


 フェバルは孤独な時間があまりに長いために、いつしか自然と独り言が多くなってしまうという職業病は、彼にとっても例外ではないようだった。

 彼にとって「人」であることの基準とは、少なくとも己と格が近いことである。

 つまり、彼の能力の効かないことが最低条件だ。

【支配】対象は、「人」とは見做されない。

【支配】される脆弱な者たちは、彼にとっては全て意志を持たぬ人形に等しい。

 もっともどういうわけか、ラナソールにおいて【支配】が機能することは一度もなかった。

 だが――彼は考える。

 その事実は、彼らが「人」であることを意味しない。

【支配】が機能しないことは不可解な世界の性質であり、この世界の人間が高等であるゆえのことではない。彼は数々の状況証拠から正しく理解していた。

 むしろ。

 気力や魔力すら持たない者たちは、一般の下等生物よりなおいっそう救えない存在だと断ずる。自分が何者であるかさえ知らず、ただ漫然と生きる彼らは無為そのもの。夢幻の類と何も変わらぬ。

 当然、下等生物など一切顧みない彼にとっては、このような紛い物に満ちた世界などは格好の遊び場である。いつものように気の済むまで荒らして、ただ飽きれば次の世界へ向かうつもりだった。


 ところが、である。


 どうにも好きにはさせてもらえないようだった。

 何かが邪魔をしていることは確かだ。その何かが掴めない。


 簡単に言えば、横暴を働こうとして、彼の力は削がれてしまった。

 何がまずかったのか。原因があるとすれば、ただ一つしかない。

 ラナという女に目を付けた。世界の象徴として崇められる彼女を、力で弄ぶことを目論んだ。

 そして、弾かれた。ラナには逃げられてしまった。

 それ以来、彼は調子が良くなかった。

 世界に目を付けられたとでもいうべきか。

 彼に対してのみ、著しい許容性の低下を体感せざるを得なかった。

 ただの拳の一振りで、あらゆる障害を破壊してきた彼の圧倒的な力――特殊能力だけではない。本来持つフェバルとしての超越的な身体能力が、抑え込まれてしまっている。

 削がれてなお、未だ圧倒的。個の勝負で敵う下等生物などいない。

 しかし、世界を蹂躙するにはやや足りない。

 いつもの余興――不遜なる欲望は、ひとまず収めるしかなかった。


 さて、能力を封じられ。力を削がれ。

 極めて不満な彼に頼れるものは、皮肉にもかつて超越者になる前、下等な武道者であった頃の己が磨き上げた《剛体術》のみであった。

 それは、彼がフェバルとなってからも、能力ばかりに怠けず、力のみはと念じて鍛え続けた技術であり、軸であり。

 今や唯一の武器だった。


 こうなると、彼にとっては非常に面白くない展開だ。正直に不愉快であると言って全く差し支えない。

 自ら力を誇り、対等な者がいたとして、この世に超える者などいないと信ずる彼には、自分を封じ込める者がいるという事実が到底許せない。

 他のほぼあらゆる生物を――かつて自身がそうであった人間さえも遥か昔に下等であると断じてきた自分が、知らぬ何かに後塵を拝することの矛盾が許せない。


 ゆえに彼は、調べた。世界を調べた。

 どれほどぶりのことか、世界へ目を向けさせる羽目になった。

 そして、知ることになった。

 この世界の――ラナソールのおかしさに。矛盾に。

 自然に成立した世界としては、異常な点が多過ぎる。


「問題は、"誰が"こんな絵を描いたかということだ」


 確証はない。

 ただ、意志を感じた。

 彼を抑え込もうという不埒な所業。可としてしまう超越的な世界。

 それが「人」の仕業によるものであることは、彼にとっては明白な事実だった。

 おそらくは、ラナという女か。あるいは世界を守る意志か。

 恐ろしく強い意志だ。フェバルの力さえ封じ込めてしまうほどの。


 気に入らない。面白い。二つの反する情念が、彼を本気にさせた。


 彼は、"誰か"との対決を決意する。


 まず世界の内側から"誰か"の正体を掴むことは、難しそうだった。

 なればと、外側から掴むために。

 彼は不敵に笑い、自ら心臓を貫いた。躊躇いなく死を選んだのである。

 もちろんやけを起こしたわけではない。

 フェバルにとって死ぬことは、夜になれば眠るようなものだ。

 たとえ一時的に死んだとして、それは真の死を意味しない。ただ次の世界で目覚めるのみであると知っていたからだ。


 だが――


 次に目覚めたとき、そこはまだラナソールだった。


 さすがの彼も、これには動揺した。

 当然、何度も試した。不本意な死を幾度となく自らに与えた。

 いくつもの命を投げ打って調べた結果、彼は恐るべき事実を結論するしかなかった。


 星脈が、閉じている。


 通常、星脈の流れは人のいる世界から人のいる世界へと流れ込み、流れ出ていく。

 しかし、ラナソールは――ただ流れ込むのみである。

 無限大とも言うべき異常な許容性が、深刻なエネルギーの高まりが、ラナソールを宇宙の特異点と化していた。

 物質的な側面で言うならば、ブラックホールと同等の現象が起きている。


 こうして、世界の外側へ進出する望みは絶たれた。

 "誰か"の正体を掴まぬ限り、ラナソールは流れ着く旅の者を吐き出すことは永遠にしないだろう。


 この事実に至り、さすがの彼も『事態』を重く受け止めた。

 負けを認めたわけではない。強敵と認め、慎重にならざるを得なかったのだ。

 そして、拙速に下手を打たぬことを決めたのである。

 フェバルは寿命で死ぬことはない。精神さえ無事ならば、ほぼ永遠の命がある。

 状況を静観し、動くに利する機を待つ。

 永く生きたことで、そうするだけの執念深さ、狡猾さを彼は備えていた。


 誇りに傷を付け、苦汁を舐める真似をさせてくれたこの世界には、手痛い報復をしてくれよう。

 状況さえ許せば、こんなふざけた世界など、一息に滅ぼすとも構わない。


 そして――どうやら、他にも流れ着いて来た者がいるらしい。

「人」の頭数が揃えば。

 外れ者は、総じて個性派揃い。集まれば、何かが起きるかもしれん。


「挨拶に行ってやっても良いが。泳がせておくのが一興か」


 もう一つ。こちらの可能性も低くはないと彼は考えている。


「ダイラー星系列も、存在を知れば放ってはおかんだろう。あの連中は気に入らんが……無能ばかりではない」


 上で気持ち良く暴れていた「人」の気配が、遠ざかっていく。何かは知らないが、当初の目的は達したらしい。


「少しずつ状況は動いているか。じき面白いことになりそうだ」


 彼は嗤い、今は鎮座する。

 ラナソールという世界は、極めて不安定だ。

 永遠にこの均衡は続かない。

 フェバルは、永遠に近い。

 待っていれば、時がいずれ機を運んで来る。


 そのときこそ、世界の終わり――その始まりだ。


 この世界の実に下らぬ、終末教の言葉をあえて借りるならば。


「約束の日――ミッターフレーションは、必ず来る。今は待つこととしよう」

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