80「奇術師の罠」

 次の日、リクを伴ってシェリーの家にお邪魔した。

 リラックスした表情で茶を出してくつろいでいる彼女に対して、俺とリクはそわそわしていた。俺は注意しなければという確信をもって、リクは何となく怪しいと睨んでいるためのようだった。

 相手はエインアークスの関係者である可能性が極めて高い。それもシズハが何とかならなかった案件だ。何が出て来るか。気を引き締めておかないと。

 しばらく待っていると、予定の時間通りに集金のお姉さんがやってきた。インターホンから声がする。


「こんにちはー。集金に伺いました」

「あ、いつもの方ですね。はーい!」


 シェリーが立ち上がり、いそいそと玄関へ向かう。


 ん……何かおかしいぞ。


 心の片隅に違和感が引っかかった。

 玄関の向こうの相手――ただの募金に来たにしては、妙に悪意に満ちている。

 人間大なり小なり悪意はあるものだ。俺にもあるだろう。多少のものであれば、ほとんど気にならない。さすがに人を騙そうとなれば、それなりには伝わってくる。しかし、このとげとげしい嫌な感じは。

 あまりに悪意が強い。警戒すべきだ。

 直感はそう結論付けた。こういうときは、素直に従った方がマシな結果になる。これは経験論だ。


「待って、シェリー」


 引き留めたが、あまり真剣に受け止めていないのか、玄関へ歩を進めていく。まずいかもしれない。


「待て!」


 大声を張り上げると、よほど驚いたみたいで、びくんと肩を震わせて振り向いた。俺が急にそんなことをするとは思っていなかったのだろうか。

 隣のリクが、何か察した顔で尋ねてくる。


「どうしたんですか? ユウさん」

「嫌な感じがするんだ」


 シェリーには聞こえないように耳打ちして。

 どうする。不自然にならない申し出は。この場合の最善手は。

 もし最悪の場合、俺と二人は離れていない方がいいだろう。ただの思い過ごしなら笑い話にできる。

 一、二秒で考えをまとめた俺は、またリクに耳打ちした。


「リク。君もついてきてくれ」

「わかりましたよ」


 そして、困惑で固まり気味なシェリーに声をかける。


「せっかくだから、俺も一緒に挨拶しようと思うんだ。ごめんね。びっくりさせて」

「あ、なんだ。そんなことですか」


 合点がいった彼女は、呑気なものだ。いざというときは守らないと。

 さりげなく俺が先行して、玄関のドアに手をかける。気持ち勢い良く開け放ったドアの向こう。

 そこにいたのは、ただのお姉さん――ではない!


 銃を構えている! いきなり撃つつもりだ!


 警戒していた分、動きは速かった。コンマ一秒で迎撃のスイッチが入る。

 トリガーにかかった指に力が入る前に、俺のアッパーがお姉さんの顎を容赦なく捉えていた。

 わずかに浮き上がって、背中から思い切り昏倒する募金係、もとい戦闘員。


「……え?」


 シェリーは目をぱちくりさせて、我が目を疑っているようだった。

 無理もないか。いきなり俺が無実のお姉さんを殴り倒したようにしか見えないからな。


「ひええ」


 リクもさすがに驚いたようで、目を丸くしていた。

 さてまたどうする。何も知らないまま、俺がいきなり人をぶん殴った危ない人だと思われるくらいが一番良いけど。

 無理だ。まず事実を確認させて気を引き締めてもらわないことには。これで終わるとは思えない。誤魔化し切れるものじゃない。

 俺は深く溜息を吐き、倒れた女を指さした。


「見てみて。この人の手だ」

「なんですか?」

「はい?」


 二人が、そろそろと女の手を覗き込む。そこにあるブツを目にした途端、揃って情けない悲鳴を上げた。


「「ひっ!」」


 少しは覚悟があったのか、ぎりぎりのところで耐えて強がるリク。

 だが免疫のないシェリーには無理だった。さーっと血の気が引いて、ふらふらと立ちくらみを起こしてしまう。


「リク。頼む」

「あいさ」


 普段なら俺が肩を貸すところだけど、あいにく今手を塞ぐわけにはいかない。ここは彼に任せよう。

 彼によりかかる彼女は、力なく、何も喋らない。失神してしまったらしい。

 ごめんな。でもパニックになられるよりはマシか。

 日常が一転。ここは既に死と隣り合わせの危険領域だ。俺はともかく、一手誤れば二人が危険だ。

 神妙な面持ちのリクが、震える声で言った。


「これが……ユウさんの言ってたことなんですか? 危ないかもしれないって。こんな……」

「正直、想定以上だよ。どうもまずいことになったらしい」


 牽制程度ならあるかもしれないと踏んでいたけど、まさかいきなり始末しようとしてくるなんて。

 誰がこんな真似を。シズハは大丈夫なのか?


「ごめんなさい。僕、邪魔ですよね……」

「いや、俺の判断で君をついて来させた。全て俺の責任だ。本当にすまない」


 だが、謝って済む問題じゃない。無事で済めば、謝るなんていくらでもできる。この場を乗り切らないことには。そこまでが責任だ。


『危ない状況みたいだね。直接助けに行けないのが心苦しいよ』

『大丈夫だ。こっちで何とかするよ。またしばらく帰れないかも』

『できる手助けはするから』

『助かるよ』


 ……よし。集中しろ。この近辺に悪意を持つ者を特定し――!?


 咄嗟に気力強化し、手が動く。

 指先が、ライフル弾をつまみ取っていた。

 軌道からして、リクの眉間に向けられた一発だ。


「え?」


 突然異常な速度で腕を動かした俺にきょとんとするリクに悟られないよう、下手すれば彼の致命傷になっていた弾丸を『心の世界』に隠す。

 くそ。敵め。俺だけじゃなくリクとシェリーも始末する気だ。

 そんなこと、許さないぞ。

 久しぶりに、怒りが滾ってくるのを感じていた。

 だが今はとにかく。


「この場に留まるのは危険だ。移動するよ」

「は、はい!」


 ディース=クライツを取り出す。まさか昨日の今日でお世話になるとは思わなかった。

 今度は空気読んでくれよ。

 気持ちが通じたのか、二人乗りのバイクは急スロットルを上げて好発進してくれた。

 敵さんは虚を突かれたようだ。まさか何もないところからいきなり乗り物が出て来るとは予想していなかっただろう。

 若干の余裕ができる。だがほんの少しだ。辛うじて囲まれる事態は避ける程度。

 すぐに悪意ある者たちも、車を刈って追いかけてきた。

 行くあてはないが、立ち止まれない。流れに乗って、街道を東へ走らせる。

 さすがに市中で白昼堂々撃ち合おうという根性はないのか、今のところ何か仕掛けてくる様子はないみたいだけど……。

 ぴったり尾行られている。周りの交通が邪魔で、引き離せそうもない。


「とんでもないことになってきましたね」

「ああ。急に飛ばすかもしれないから、しっかり掴まってろよ」


 シズハが何とかならなかった。そしてこうなった。あの子は無事なのか? 

 いや、あの子だけじゃない。このまま状況が長引けば、ハルも狙われるかもしれない。それとも、もう狙われているのか?

 嫌な予感が頭をぐるぐるした。不安な気分に駆られて仕方がない。

 どうなっている。二人とも。

 気は――ダメか。弱過ぎて感じ取れない。だったら、心は――今までの繋がりがあるはずだ。頼む感知してくれ!

 必死に念じ取ろうとすると、かすかながらも感情を掴み取ることができた。

 よかった。二人ともまだ生きているようだ。

 ハルは普通に無事そうだ。でも……シズハの反応が弱々しい。

 気がかりだ。

 十分に警戒しながら、ワン切りしてきたシズハの番号へかける。後で高額請求されるかもしれないが、そんなことより彼女の無事だ。

 しかし、電話口から出てきたのは、知らない男だった。


『やあ。そのうちかけてくると思っていたよ』

『お前か。ふざけた真似をしてくれたのは!』

『おうおう、怖い小僧だねえ。正義漢というのは、どうやら本当のようだな』


 シズハは、と即座に喉から出かけて、リクにはまだ知られたくなかったことを思い出して、ぼかして尋ねた。


『あいつはどこにいる!?』

『血斬り女かい? それなら、オレの隣で寝てるよ。フフフッ!』


 この野郎。ふざけやがって……!


『少しでも手を出してみろ。どうなるかわかっているだろうな』

『ほうほう。単純な奴。予想以上に効果てきめんのようだなあ』


 下卑た嗤い声が聞こえる。いつまでも続くかと思われたそれは、突然止まった。


『あまり調子に乗るんじゃないぞ。ガキの分際で』

『どこにいる』

『……今から言う場所に手ぶらで来い。期限は一時間後だ』


 そうして奴に告げられた場所は、人気のない町外れの倉庫だった。


『しっぽ撒いて逃げ出そうという気なら、彼女がどうなるか。わかるな?』

『言われなくても今から向かってやる。首を洗って待っていろ』


 もう話すことなんてない。怒りのまま電話をぶち切った。

 たぶんこめかみに血管が浮かび上がっているだろう。そんな俺を、リクは穏やかじゃない心持ちで、恐る恐る見つめていたようだった。


「ユウさん……」

「リク。今から向かう場所はとても危険だ。このバンドを君自身とシェリー、それから俺に巻き付けて」


 ハルと自分を括り付けたのと同じバンドを差し出して、彼に頼んだ。

 声に余裕がないのが自分でもわかってしまったけど、仕方ない。


「えっ、でもそれじゃあユウさんの邪魔に」

「問題ない。早くしてくれ。頼む」


 この状況で最も避けるべきハンデは、リクかシェリーのどちらか、あるいはその両方を追加で人質に取られてしまうことだ。

 いくら俺でも、離れた二人は同時に助けられない。そうなったら詰む。それよりかは手の届くところで。かなり動きにくくはなるが、その方がマシだ。

 有無を言わさぬ口調に、リクは渋々ながらも折れた。おずおずとした調子で、仕事をこなしてくれる。

 しっかりと括り付けたのを確認してから、


「ごめん」

「えっ」


 気によるショックで、リクも気絶させた。

 ……ここから先。君が起きていては、とてもついて来られない動きをするだろう。船酔いなんて生易しいほどの。吐くほど辛いより、寝ていた方がきっと楽だ。

 君たちが寝ている間に、終わらせる。シズハも助けてみせる。

 決意を固めて、バイクのハンドルを強く握り締めた。

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