64「フェバル組、ユウについて相談する」

 ユウとユイの二人が連れ立って、二階へ去っていくのを見届けた後。

 レンクスは重苦しい溜め息を漏らして、まだ落ち着かない様子で階段の方を見つめているエーナに向かって言った。


「エーナ。空気遮断の魔法だ。使えるだろ」

「え、ええ」


 彼のいつになく真剣な調子に息を呑んだ彼女は、言われるまま空気遮断の魔法をかける。

 一見何も変わったようには見えないが、三人から一定範囲内と外で空気が遮断され、三人以外には会話の内容が物理的に聞き取れないようになる。

 一人物静かに事態を見守っていたジルフが、ようやく口を開いた。


「内密な話、というわけか」

「ああ。念話だとかえってユウとユイは拾ってしまう可能性があるからな」


 二人の能力は、こと心に働きかける類のことに関しては敏感に察知してしまう。

 これから話すことは、万一にも拾われたい内容ではなかった。

 他ならぬ二人のために。



 ***



 ミティは、ぽつんと蚊帳の外に置かれてしまっていた。

 三人の話し声も聞こえなくなり、ユウさんもユイ師匠も二階に引き上がってしまって一人ぼっちだ。

 彼女はまだ震えが抑えられないでいた。

 あんなに穏やかで優しかったユウの、決して見てはいけない一面を覗いてしまったような気がして。

 正直言うと、怖いと思った。

 でもユイ師匠が慰めに向かっているのだから、そのうち平気な顔して戻ってくるはず。

 これしきのことで冷めるほどわたしの愛は甘くないのですよぉ! と両手で頬を叩く。

 今日の料理は自分がなるべく最後まで面倒を見るつもりで、気合を入れた。

 仕事に集中していれば、嫌な雑念も離れてくれるだろう。そんな期待も込めて。



 ***



 レンクスが口火を切った。

 心の内はユウとユイへの心配でいっぱいである。

 彼は二人を愛する者であり、二人の友であり。

 何より今は亡き二人の母に保護者代わりを任されている。

 今は保護者の気分がいっそう強かった。


「ヴィッターヴァイツだっけか。そいつ」

「どうしてその男の名前が出てきた途端、ユウはあんなに豹変して……」

「わからん」


 ジルフは小さく口をへの字にしかめた。

 彼はおろか、レンクスにもエーナにもまったく心当たりはない。

 そもそもユウもユイも、そんな奴の名前は聞いたことがないはずだし、出会ったこともないはずなのだ。

 だから当の本人たちが一番驚いているのではないか。

 考えても答えはわかりそうもなかった。

 エーナの【星占い】が使えればヒントも得られたのだろうが、あいにくここはラナソールだ。

 空いた席のテーブルに未だに残っている、それまで湯呑みだったものに目を向けて、エーナはかすかな悪寒を覚えつつ言った。


「ポテンシャルがすごいというのは調べて知っていたけど……あれ見たわよね? わたしたち基準から見てもやばい力よ。力が……爆発したと言うのかしら」

「ほんの一瞬だけだが。以前ウィルと戦ったときに見せたあの力。あれと同じレベルの力が発露したような」

「性質はまるっきり違うけどな」


 ジルフの言葉に、レンクスが同意して頷く。

 惑星エラネル。

 空中都市エデルにおける決戦時にも、ユウは信じられないような力を見せたことがある。

 だがあの時は白の力だった。

 今回は黒。真逆の性質に見える。


「えっ? 何よその話。初耳なんですけど」

「エーナ。お前は居合わせなかったから知らなかったよな。ユウがとんでもない力を見せたのは、これが初めてじゃないんだよ」

「そうなの?」

「ああ。ジルフも初耳だと思うから聞いてくれ」

「うむ」

「ちょっと前によ、俺はウィルとユウのことでじっくり話したことがあるんだ」

「なんだと? あいつ、まともに会話するのか!?」

「あいつ、人とじっくり話なんかすることあるのねえ」


 ジルフとエーナは、驚きに目を丸くして見合わせた。

 レンクスも自分もあのときは驚いたことを認めつつ、「まあ結局最後は決裂してワンキルされちまったんだけどよ」とやや苦々しい顔で笑った。


「ふうん。こっちが苦労してるときにいきなり現れてご高説垂れたから、ただの能力じゃないとは思ってたけど。ウィルのやつ、ユウに随分関心あるみたいね」


 と、思い出して彼女も苦い顔をする。


「あ、そう言えば。私もワンキルされてたわね……」

「心配するな。俺もだ」


 自嘲気味にふっと笑い合う三人。

 皆、ウィルのワンキル仲間だったことに妙な親近感を覚えつつ。


「ウィルによれば、ユウには二つの究極的な到達点があるんだと」

「随分思わせぶりな調子だな」

「どうせ何か知ってんだろうよ」


 肩をすくめて、レンクスは続けた。


「一つは白。空中都市エデルで見せた力だ。心の結合――あいつら、今は技に昇華して《マインドリンカー》とか呼んでるな――そいつをキャパシティを超えて、無秩序に強めていくとなっちまうらしい」

「ユウとユイまでくっついちまって、男だか女だかよくわからん状態になるやつだな」

「へえ。不思議なことが起こるのねえ。ちょっとだけ見てみたい気もするわね」


「男だか女だかよくわからん状態」というものに、エーナは純粋に興味を覚えていた。


「全身が真っ白なオーラ体になっていてな。中々に神々しい見た目をしていたぞ」

「なるほど【神の器】というわけですか」

「性質もどこぞの神話にいそうな神みたいっちゃみたいだな」


 純粋。良くも悪くも集めた想いの総和に忠実に動いてしまう。


「あのときはウィルを何とかしたいって想いの人ばかりだからよかったものの」

「理性がなかったからな。何をしでかすかわからない怖さがある」

「あのウィルに立ち向かえるパワーの子が理性ないって……。それはぞっとしないわね」


 エーナの素直な感想に、二人も頷く。


「だが心の過剰結合が解除されれば元の状態に戻るだけ、まだ手に負える感じはするな」

「危なっかしいけどよ。まあユウらしいと言えばユウらしい力の使い方だしな」

「そうね。白いユウ。白ユウか……」


 エーナが一人妄想を膨らませているうちに、レンクスが話を進めていく。


「白とくれば、もう一つ。よほど厄介なのが黒だ。こっちも、俺は危うく一歩踏みかける状態を見たことがある。ユウがまだほんの小さなガキのときだけどな。子供とは思えない力だった」


 レンクスは、心無い親戚のせいで危うくユウがおかしくなるところを助けたことがあったのを思い返していた。

 あのときもユイがユウを引き留めようとしていて。

 ああ、安心したときの泣き顔可愛かったなあと、つい口元が緩みそうになるのをこらえて続ける。


「あんなもんじゃない力を、ついさっき見たけどな」


 彼は冷めかけた茶を一口啜りながら、頭の中で比べていた。

 小さいときのが「なりはじめ」だったとすると、さっきのは「すっかりそうなってしまった後」のようだ。

 それほどに印象やレベルの違いがある。


「先ほどのは――どうも理性までは失っていない感じだったな」


 ジルフが持ち前の観察眼からの推察を挟むと、


「ただ、ユウじゃないような。まるで別人にでもなってしまったかのような、恐ろしい冷たさを感じたわね……」


 エーナが直観に基づいた印象を述べる。


「その印象は正しいんだろうな。おそらくだが、本来あれこそが、ウィルが当初目覚めさせようとしていた真の力に違いねえからな」

「……うむ」

「なんですって!? なんて嫌なこと考えるのよ! あいつ!」


 エーナは憤っていた。

 心優しいユウをあんな心の冷たい化け物のようにしてしまおうだなんて。

 やっぱりあいつは人が悪過ぎる!


「絶望。怒り。殺意。そうした負の感情で心を塗り込めることで、究極の破壊者として『完成する』と言ってた」

「確かにユウは、感情が強いほど力を高める傾向がある。負の方向で振り切れば、ある意味最強の状態と言えるな」

「でもどうして今なの? 今のユウ、控えめに言っても結構楽しそうにしてるわよ」


 彼女は首を傾げている。


「そんなおぞましい心理状態とはほど遠いわ。それがどうして、あんな」

「わからねえ。この世界の謎と一緒さ。さっぱりだ」


 レンクスがお手上げしたところで。

 ジルフはじっと考えて、予想されることを述べた。


「あの力、もしや今のユウとは関係ないんじゃないか? 元から心の内側に存在していたものが表に現れ出てきたような。そんな印象を受けたな」

「そうだった。言ってたぜユイが。この世界に来てからなんだと。今まで影も形もなかった黒い力が見えるようになったって」

「何よ。じゃあこの世界の環境が悪いと言うこと?」


 そうなのだろう。

 三人がこの世界で能力を使えなくなったように。ユウの能力にも異常が生じている。

 極めて深刻な異常が。

 レンクスは、ユイが自分に尋ねてきたことを思い返し、悲しい気分になっていた。


「……ユイはな。そいつが何となくどんなものかわかっているみたいなんだ。怯えていた。この前、すげえ思い詰めた顔して尋ねてきたよ」

「それで。なんて言ってあげたの」

「黒と白の力があるらしいことだけは伝えた。他は言えなかった」

「他?」


 疑問を浮かべるエーナに対し、レンクスの心中にこみ上げてくる激しい怒りがあった。


「ウィルはな。はっきり言いやがったんだ。ユウがフェバルとして生きるなら、ユイは邪魔だ。いない方がいいと!」


 レンクスは、テーブルを叩こうとして――今の感情に任せて叩くと家まで壊れそうな気がしたので思い留まり、空中に力なく拳を振り下ろした。


「そんな残酷なこと、あの子に言えるわけねえだろうが……」


 エーナとジルフも、うなだれるレンクスに心打たれて、しばらくは声が出なかった。


「そうか……。ユイがブレーキ役を果たしてくれていた、というわけだな」


 せめて好意的に――そのこともまた重要な事実なのだから――解釈する。


 ユイはいない方がいい。

 一端では真実なのかもしれない。

 ことフェバルの能力を解放することだけを考えたならば、彼女は最も邪魔な「不純物」である。

 本来ユウはおよそ思い付く限りのことは一人で何でもできたはずだった。それだけのポテンシャルを秘めていた。

 だがフェバルとして与えられた、通常の能力行使ならば耐えられるはずの一つの肉体を――遥かに弱い二つの身体に分けてしまった。

 恵まれた完全なる一を、不完全なる二にしてしまった。

 男と女。各々がただの人間と大差ないレベルに、力を落としてまで。

 ユウは、彼女を求めた。求めてしまった。

 愛を。守りを。

 存在理由ゆえに、彼女はユウを守る。彼女はユウを危ない力から遠ざける。

 だからユウは弱い。

 フェバルでありながら、フェバルになり切れない。

 どんなに力を求めたとしても。どんなに足掻いたとしても。

 ユイが健在である限り、いかんともしがたい構造上の問題だった。

 ウィルは「存在そのもの」の罪を鋭く指摘しているのだ。大いなる失望を込めて。

 しかし、そんなことを言われて。だからどうしたと言うのか。

 ユイは必要なのだ。

 ユイがいないなんて、到底考えられないじゃないか。

 みんなにとって。何よりユウにとって。

 だからレンクスは、ひっそりと決意しているのだ。

 守らなければならない。あの子たちが無理に力を求めなくてもいいように。

 人を暴力で圧倒する「フェバル」にならなくてもいいように。


 今――その大前提が、崩れようとしている。


「色々と繋がってきたわ。いつもユウを中から守っていたユイが、『心の世界』にいない。二人に分かれて――外れちゃってるもの」

「何かきっと、大切なものに蓋をしていたんだろう。ユイの存在自体が楔だった」


 それが今、外れてしまっている。


「ユウは……かつてなく危険な状態かもしれねえ」

「謎の黒い力、か。ウィルの本来望んでいた展開が、待ち受けているやもしれんと……」


 レンクスには、ある恐れがあった。

 ヴィッターヴァイツとかいう普通のフェバルが引き起こすと想定されることよりも、遥かに恐ろしい可能性。

 口に出すのも嫌だが、心強い仲間には伝えておきたい。いざという時のために。

 彼は決心した。


「もしかしたらだ。エーナ。お前の言う『事態』というのは、ユウが引き起こしてしまうんじゃないのかってな」

「え!? ユウが?」

「なるほど。その可能性もあったな」


 エーナとジルフも、思い至って険しい顔をする。


「俺たちが能力を使えない。そのことも大いに問題だが……」


 もっと問題なのは。


「ユウとユイだけは、なぜか能力が普通に使えちまうということだ」

「それほどまでに、能力のポテンシャルが凄まじいとすれば……」

「もし暴走したら……この世界で、想定を超えた『事態』が、引き起こされるかもしれない……?」


 ああ。なんと恐ろしい可能性だろうか。

 世界を愛する二人が。世界を救いたいと懸命に動き続ける二人が。

 自らの手で、救いたかった世界を引き裂いてしまうかもしれないのだ。


「そんなことだけはさせねえよ。絶対に」

「そうね……」

「だがどうするのだ。もし本格的に、あの力が動き出そうとすれば……」


 ジルフに問われて。

 レンクスは歯を食いしばり、言った。


「最悪――殺してでも守らなきゃならないかもしれねえ」


 彼には、今この時までずっと胸の内に秘めていた、暗い覚悟があった。

 そんなことは、それこそ死んでもしたくない。

 だがもしものとき。止めなければ。一番辛いのはユウだろうから。

 やるなら俺がやる。そう決めていた。


「一応みんな、覚悟しといてくれ」


 それきり、会話が続かなかった。


 エーナもジルフも、俯いてすっかり黙ってしまった。

 それぞれに思う所があった。

 レンクスはかぶりを振り、茶を啜ろうとして――もう中身がないことに気付いた。

 いつも笑顔で注ぎ足してくれるユイを思い浮かべて。

 やり切れない気分になりながら、空になった湯呑みをいつまでも落ち着きなく持て余していた。

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