62「ユウ、ラナソールへ帰還する」

 史上初の夢想病完治者が出たことは、大きくニュースで取り上げられた。

 シンヤは無事家族と再会を果たした。

 もう目を覚ますことをすっかり諦めていた家族に、光が戻ったのだった。

 もっとも、シンヤ自身が抱えている家庭の問題までが解決するわけではないのだろう。

 しかしそれはゆくゆく心の整理を付けていけば良いことだ。

 彼には未来が拓けたのだから。

 家族はみんな心から喜んでいる。今はそれで良いじゃないか。

 シンヤ本人と、リクとハルと話を付けた上で。

 俺が治したという事実は一旦伏せられ、奇跡的に治ったということになった。

 残念ながら、次々と患者を治していくという当初のプランは見直さざるを得なくなったからだ。

 下手な希望を持たせて、俺の元に治療希望者が殺到するような事態は避けたい。期待を裏切ることになる公算が大きい。

 シンヤの治療を試みてわかったことだが、夢想病の治療は思っていた以上に厳しい。

 リクという協力者がいなければ、到底成し得なかっただろう。

 おさらいすると。

 夢想病を治すために必要なステップは、たった一人につき4にも渡る。


 1.トレヴァークとラナソールそれぞれで対応している二つの身体を見つけること

 2.見つけた二人の人物と心の結びつきを強くし、心の接続に対する抵抗を下げること。簡単に言えば仲良くなること(リクみたいに、患者と仲の良い人に協力してもらっても良い)

 3.トレヴァーク側から患者の心を開き、中に入り込むこと

 4.ラナソールに囚われてしまっている心を見つけ、トレヴァークの身体とリンクを繋ぎ直すこと


 それぞれが大変で負担の大きな作業だが、特に2.が本当に厳しい。

 トレヴァークの患者は、当たり前だが眠ってしまっている。

 常に俺自身は赤の他人という立場になってしまう。

 毎回毎回、トレヴァークで患者(仮にAさんとしよう)と仲の深い人(Bさんとする)を探し出さねばならないのだ。

 さらにBさんだけでは片手落ちで、Bさんに対応するラナソール側の人物(B'さんとする)を見つけなければならない。

 しかもB'さんが、ラナソール側でAさんに対応している人(A'さんとする)と、少なくとも知り合い以上である必要がある。

 もちろん、BさんとB'さんともに俺に友好的で、Aさんの治療に協力してくれることが大前提だ。

 図式で表すと、以下のような繋がりになる。


 A⇔B⇔B'⇔A'


 ここまで条件が整って、やっとだ。

 3.および4.のステップで、俺がB⇔B'パスを通じて、AさんとA'さんを結び付けてあげることが可能になるわけだ。

 細い糸を探し、手繰って繋いでいくような辛抱の求められる作業である。

 とても一日一人治していくというわけにはいかないし、上手くいくとも限らない。

 ラナクリムやり込み作戦も、今回の夢想病治療作戦も。

 一定の成果はあったものの、これを軸に進めていくのは難しそうだ。

 もちろん治せそうな相手が見つかれば、治したいとは思うけど。

 前に進めているのかいないのか。

 道が見えたと思ったら、立ち消えか。どうしたものかな。


 ――焦らないことだ。


 レンクスの言葉が脳裏を過ぎる。


 ……そうだな。


 焦っても仕方がない。

 俺がハルに言った通りだ。少しずつ前には進めているじゃないか。


 それに一応、リクと心を繋いでみて、一つ大事な収穫があった。

 世界を自由に行き来する方法だ。

 ハルともこっそり話してみたけど、ラナソール世界に穴が開くのを待たずとも大丈夫。

 まずこの方法で、二つの世界を自由に行き来できるのではないかという結論になった。


 何だかんだで、トレヴァークに来てから二カ月程度が経過している。

 ぼちぼち気分転換に、ラナソールに戻ってみる頃合いかもしれない。

 そんなことを思っていた矢先、ユイが新たな星外生物来襲警報を送って来た。

 レンクスいわく、「結構強めの奴が来てる」らしい。


『どうする?』

『そうだな。たぶんこっちに戻って来られる方法も見つかったし。一旦帰ってみようかな』


 それを聞いたユイの声が、明るく弾んだ。


『うん。わかった! 人のいない部屋に行けばいいよね?』

『頼む』


 ユイから準備オーケーの合図をもらって。

 俺は目を瞑る。

 トレヴァークからラナソールへ帰るのは簡単だ。

 俺には『心の世界』がある。

 自分自身を『心の世界』にしまって、ユイに出してもらえば――。



〔トレヴァーク → ラナソール〕



 ほら、この通り。一瞬で世界移動完了だ。

 俺が立っているのは、ユイの部屋の中だった。

 俺のいない間に自分の部屋で暮らす覚悟を決めたのか、割といい加減だった内装は彼女の好みにすっかりアレンジされている。

 と言っても、元が俺と同じなので、そこまでは俺の好みと変わらないわけだが。

 違いがあるとすれば。まばらに目立つピンク色の小物などが、女の子感を演出していた。

 ユイを通じて出てきたわけなので、もちろん目と鼻の先には彼女がいる。

 ユイは俺を見るなり、胸に飛びついてきた。

 ぎゅうっと強く抱き締められる。

 身長差で、髪の毛が鼻孔を軽くくすぐって、ほんのりと甘く懐かしい匂いが鼻を満たした。

 俺を見上げた彼女は、いつもの素敵な笑顔で迎えてくれた。


「おかえり。ユウ」

「ただいま。ユイ」


 俺も笑顔で、しっかりと抱き返す。

 久々の温かく柔らかな感触を全身で味わって、心安らぐ思いだった。

 胸に顔を埋めたユイは、くんくん匂いを嗅いで、幸せそうに顔を摺り寄せてくる。


「ああ、久しぶりのユウだ……。心はずっと繋がってても、やっぱり寂しかったよ」

「思った以上に長くなっちゃったね。俺も寂しかったよ。これからはこまめに帰るようにするから」

「本当?」

「ああ。自由に行き来できそうな方法が見つかったんだ」


 ユイは、ほっと安心したように顔を綻ばせる。

 随分長いこといなかったし、心配させちゃったみたいだな。

 そんなユイを見てると、俺も安心してふっと身体の力が抜けた。

 ユイを抱き締めながら、彼女にされるがまま身を預けていると。

 いつの間にか胸元に抱き寄せられて、よしよしされていた。


「人が見てないとほんとに甘えんぼなんだから。今日は一緒に寝ようね」

「うん」


 心ゆくまでユイに甘えた後、二人で手を繋いで部屋を出た。

 間もなく、二階でルンルン拭き掃除に励んでいる家庭的なエーナさんとエンカウントした。

 魔女帽子に代わり、バンダナが板に付いている。

 ユイから話は聞いていたけど、実際見るとじゃ大違いだ。

 エーナさんが家政婦みたいになってる……。イメージが……。


「エーナさん。ユウが帰って来ましたよ」

「あら?」

「エーナさん。お久しぶりです」

「久しぶり」


 軽く頭を下げて挨拶する。

 彼女は俺はまじまじと眺めて、どこか面白そうな笑みを浮かべた。


「へーえ。あなた、しばらく見ないうちにいい顔付きになったじゃないの。男子三日会わざれば、ってやつかしら」

「そうですか? 自分ではあまり変わった感じがしないんですけど」


 容姿だってずっとあのときのままだしね。


「いえ、変わったわよ。明るくなった。自信に満ちているっていうか? 初めて会ったときのあなた、随分弱々しくておどおどしてたものねえ」

「う。そうかもしれない……」


 だってさ。あのときは家族も親友も誰もいなくて、どん底だったよ。

 元気なかったところに、いきなり襲われちゃね……。


「今のあなたの方が、あなたらしいわよ。元々両親が生きてた頃は、明るく活発で、とても人懐っこい子だったんですってね」

「ええまあ。そうだったみたいですね」


 軽く流して、話の提供主と思われる「姉」の方を見ると。

 可愛い子供を見るような目でニコニコしていた。

 そうだったな。

 両親や親友を失ってからアリスたちに出会うまでずっと、俺の心には暗い影が差していた。

 たくさんの出会いが、いつの間にか深く傷ついた心を癒していたのだろうか。


「素敵な旅をしてきたみたいね。羨ましいくらい。私なんかが横槍出したのは、余計なお世話だったかしら」

「いえ。俺もフェバルの運命に囚われているのは変わりませんので。エーナさんのやり方も、一つの道ではあったんだろうと思いますよ」


 死にたくても死ねない身体と、終わらない旅。

 この事実は変わりようがない。

 変えられるのは、事実の捉え方だけ。

 俺は自分の道を見つけることができたから、まだ幸せなのだろう。


 一階に降りると、今度はミティが俺を見つけた。

 ぴくりと眉が動いたかと思うと、猛獣の勢いで飛びついてきた。

 ユイ睨みが入るも、ひるみ効果はないらしく。

 このまま色んな意味で食べられてしまうのではないか。

 そんな勢いで全身をこすりつけられて、しっかりマーキングされた。


「お帰りなさいませ。ミティ、ユウさんの帰還を今か今かとお待ち申しておりました!」

「や、やあ。ただいま。ミティ」


 本当なら、ユイよりもさらに大きな胸の押し当ててくる感触とかを楽しむのが強者なんだろうけど。

 この子に対しては当惑が勝ってしまう。

 飢えた獣のように、胸元に顔を埋められて鼻いっぱいに匂いを吸われる。

 ユイがすんすん嗅ぐ感じなら、クンカクンカモフモフきゅいきゅいくらいにレベルが違う。

 俺は固まっていた。


「ああ~いい匂いですぅ! 生き返りますねえ! わたし、もう寂しくって寂しくて!」

「あはは……」

「さあ本日はベッドを共にいたしましょう! 朝までいけますよぉ!」

「あの。ミティ。すごいな」


 それしか言えなかった。勢いがすごすぎて。


「子供は何人がいいですか? わたし最初は娘が育てやすいからいいかなって思うんですけどぉ。あ、でも、ユウさんに似た男の子もかわいいですねぇ。うふふふふ」

「妄想が飛躍してるよ……」

「そろそろいいでしょ。離れて」


 むっとやきもちを妬いたユイが、ミティの肩を掴む。

 するとミティは、いじいじと身体をくねらせて断固拒否。


「いーやーですぅ! どうせユイ師匠はいっぱいユウさんに甘えたくせに。わたしだってユウ成分足りないんですよ!」

「もうちょっと普通の甘え方があるでしょ! そんな風にしたらユウも迷惑だからね!」

「ユウさんは優しいから、いっぱいいっぱい甘えたって平気なんですぅー! ね?」


 うるうると期待するような瞳で見上げられる。

 好意だけはガチで本物だから、嫌な気分しない部分もあることにはあるし。突っぱねにくいんだよな。

 どう答えたものか――。

 そのとき、横から助け船が飛んできた。

 窓際のテーブルから声が飛ぶ。


「どうでもいいけどよ。そろそろ来るぜ」


 おお。レンクスが真面目だ!

 なんかすごく頼もしく見えるぞ。


 空気が変わったタイミングで、俺は猛獣ミティをやんわりと引き離した。

 彼女はかなり物足りなさそうな顔をしたが、まったく空気の読めない子ではない。大人しく引き下がってくれた。

 ユイもほっと胸を撫で下ろしたようだ。


「おかえりユウ。色々経験してきたみたいだな」


 温かい抱擁をくれて、ポンポンと頭を叩かれる。

 軽いものではあるが、深い愛情が伝わってくる。


「ただいま。まあね。色々と」

「よし。その辺は後でじっくり聞くとして。ユイ、またフォートアイランドだ」

「またあそこ?」

「よくよくフェバルと因縁がある地ね……」


 エーナさんが苦い顔をして、肩をすくめた。



 ***



 ミティを店番に残し、転移魔法で三度フォートアイランドに訪れる。

 しばらく空を眺めていると、一つの人影が空から舞い落ちてきた。

 まだ遠過ぎて、姿はよくわからない。

 ユイが視覚強化魔法《アールカンバースコープ》を使って、俺にも視界共有してくれた。

 すると映っていたのは。

 黒く立ち上がったような短髪。全身オリハルコンのように鍛え上げられた筋肉。

 やや角ばった力強い顔つきに、鋭利な刃物のように鋭く、しかし懐の深さも垣間見える瞳。

 そして……頭から落ちている。


 あれは……あの人は……!


 やはり能力が使えないのか、やや困惑した様子だったが。

 彼はどこかのエーナさんや無様なレンクスと違って、冷静だった。

 ほんの少しだけ気を高めて、掌から放出する。

 それだけで、空中でくるりと半回転して、姿勢を整えた。

 そのまま足から危なげなく着地を決めようとして。


「む……!」


 惜しい。

 予想していた以上に、地面が柔らかかったのだろう。

 豆腐のような地面に足を取られた彼は、膝の近くまで身体を埋めてしまった。

 ばつが悪そうに眉根をしかめる。


「7点」

「8点」

「……5点」


 レンクス、つられて俺、エーナさんの順に、今の着地に対する評価が下された。

 たぶん10点満点。知らないけど。

 ユイはやや呆れ気味に、苦笑いしてこちらと彼を交互に見つめている。


「ジャッジエーナ。一人だけ手厳しいな」

「無難にまとめようとし過ぎているわ。私くらい身体張らないとね」

「確かにお前はある意味10点だったな!」

「うるさいわね!」


 思い出し笑いが止まらないレンクスと、自分から振っておいて全力で突っ込むエーナさんの漫才はほっといて。

 もうユイの魔法に頼らずとも、はっきりと顔の見える位置に大男は立っていた。

 足を引き抜いた彼は、すぐにこちらに気付いたようで、顔が向く。


「ん? やけに出迎えが多いな」


 全員を代表して、レンクスが一歩前へ出た。


「よっす。お前だったのか。ジルフ」

「おう。なんだレンクスじゃないか。相変わらず元気そうで何よりだ」

「お前もな」


 レンクスに一歩遅れて、俺もさっと前に進み出る。


「お久しぶりです。ジルフさん。ユウです」


 深く深く頭を下げる。礼を尽くして挨拶する。

 ジルフ・アーライズ。

 何を隠そう、この人こそが、俺が師と仰ぐイネア先生を幼少期から徹底的に鍛え上げ、今のあの先生を生み出した男なのだ。

 そして、イネア先生にとっては大切な想い人でもある。

 残念ながら、もう二度と会えることはないのだろうけど……。

 つまり俺にとっては、師匠の師匠に当たる大先生なわけだ。

 もちろんサークリスではたっぷり可愛がってもらった。

 オリジナルの剣閃としてのセンクレイズの使い方を見せてくれたのもこの人だ。

 あの経験がなければ、バラギオン戦などはどうしようもなかっただろう。

 俺を目にしたジルフさんは、わかりやすく破顔した。


「久しぶりだなあ! 元気にしてたか? 坊主」


 ジルフさんは豪快に笑って、痛いくらい力強く俺の頭を撫でてくれた。

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