35「青年リクの退屈」

 青年リクは退屈していた。


 彼は特にこれといった取り柄もない、生まれも育ちも至って平凡な人間である。

 少なくとも彼自身はそのように考えている。

 彼はトリグラーブ市内のエジャー・スクールに通う一般学生である。一人暮らしをし、アルバイトと奨学金で生計を立てている。

 止むに止まれぬ事情でそうしているわけではない。

 ただエジャー生になったならば、一人暮らしをしてみたいという子の要求と、子の自立を望む親の意向が一致した結果に過ぎない。

 両親、知人とも未だ健在である。近年徐々に増加傾向にあるらしい原因不明の奇病にかかったなどという不幸もない。

 ……ただ友人の一人を除いては。

 そいつは意識を失ったまま「帰って来ない」。

 だがそいつと特別に仲が良かったわけでもない。いくらかの心残りと、旧知の縁で今もたまに見舞いを続けているが、それだけの関係に過ぎない。


 繰り返そう。僕は退屈していた。


 僕を「彼」などと呼んで客観的に考察してみても、その事実は変わらない。

 そして僕にはわかっていた。

 この何となく鬱屈とした感情が、就職活動を控えたこの時期の人間にありがちな、ストレスと不安から来るものであることを。

 まあ要するに多くの人が通過していく、取り立てて言うほどのものでもない悩みであることを。


 そう。僕は普通の人間だ。

 流行りの自己分析なんかもやってみたけれど。太鼓判を押されたよ。


 普通であるということ。こうして何気なく日々を過ごせていること。

 本当なら、もっとありがたく思うべきなのかもしれない。思うべきなんだろうなあ。

 でも僕は、それがたまらないと思うことがある。

 いつもではない。こうして寝そべって考え事をしていると、これでいいのかなって。時々思うんだ。

 世間のニュースを見てみれば。下らない芸能関係や、その他どうでもいいことに騒ぎ立て。

 いつも妙に悲観的な経済、興味のない政治や宗教の話なんかで溢れている。

 大きな戦争はもう百年も起きていない。平和だ。

 欠伸が出るほどに。素晴らしく退屈な世の中。

 うん。とかく普通というものは。この窮屈で息の詰まるような空気に満ちた都会の日常は。

 心を退屈という名のぬるい劇薬で、気付かぬうちに腐らせていく。

 そうしていつの間にか、僕もまたつまらない社会を支える歯車の一つになっていて。

 退屈な自分を誤魔化して、年老いるまで回り続けて、死んでいくのだ。

 僕はこれまで、平凡に生きてきた。学校でもアルバイト先でも当たり障りなくやってきた。

 きっとこれからも平凡な学生を演じ切ることができるだろう。平凡な社会人だって演じられると思う。これから就職先が決まればね。

 でも、それでいいのかなって。やっぱり時々思うんだ。

 一応そうなるなら望むところではある。決して悪くはない、とも思う。十分幸せではないかとすら思う。

 けれど。


「君たちはいいよなあ……」


 寝室の壁に貼られた世界的人気ゲーム『ラナクリム』Ver.48の早期購入者特典ポスター。

 そこに描かれた「冒険者たち」をぼんやりと見つめて、独り言ちた。仕方のない現実逃避だとは思いながらも。

 僕は結構ゲームが好きだったりする。小説も好きだ。

 めくるめく空想の世界は、僕にこの世の中で生きる活力を与えてくれる。

 たかが空想だと頭ではわかってはいるけれど。

 これでも結構真面目に、空想は現実と同じくらい大事なんじゃないかって思っているんだ。


 自由行動型オンラインRPG。キャッチコピーは「もう一つのリアルがここにある」。

 僕が生まれるよりずっと以前のことだ。

 初代『ラナクリム』は発売と同時に、その恐ろしく高い自由度と現実を忘れさせるほどの熱中性、キャッチコピーに違わぬ内容の豊富さ精巧さから、瞬く間に世界を席巻した。

 奇跡のゲームとも言われ、今では単にゲームと言えばこれを指す。

 現在も世情に合わせて定期的に内容はアップデートされ、老若男女を問わず広く遊ばれ親しまれている。

 とは言っても、たかがゲームがなぜにここまで広まれ愛されているのかについては、前から色々と議論されているようだけれども。


 ――そういや。


 今は寝たきりのあいつも『ラナクリム』が大好きだったっけ。

 あいつに勧められて始めたんだったよな。これ。


 ここしばらくはやってなかったけれど。暇だしやろうかな。


 PCの電源を入れて、『ラナクリム』のアイコンを選択。プレイヤーアカウントでログインする。

 すると、レジンステップの街の広場に出る。

 職業を「冒険者」にしていると、個人設定でもしない限りは、最初は必ずここに出て来るようになっている。

 僕は「冒険者」だけど、他にも「市民」だとか「兵士」だとか、職業はたくさんある。

 まあわざわざゲームの中でまで現実とさほど変わらない「市民」を選ぼうなんて人の気が知れないけど。

 コミュニケーションだけ楽しみたいという人の中には、そういうのもいることは承知している。

 冒険者ギルドまで歩いて向かい、ギルドの中に入る。

 平日の昼間にも関わらず、そこは数多くのオンラインプレイヤーで溢れ返っていた。

 僕のように学生の長期休みだからって人ばかりじゃないよなあこれ。仕事中の無断プレイはちょっとした社会問題になっているらしい。

「冒険クエスト」にチェックを入れて、フレンド募集をかける。オンラインのフレンドがいて、参加してくれれば共に冒険へ出かけることができる。

 やがて銀髪の女性が現れて、募集に応じてくれた。

 いつもの彼女がまた来てくれたことに、嬉しい気持ちになる。


『ちょっと久しぶりね。ランド君』

『はい。お元気でしたか。シルヴィアさん』


 シルヴィアさんが温かい言葉で出迎えてくれる。

 彼女はよく僕とつるんでくれる、僕より少し先輩のプレイヤーだ。夜に見たことはないが、昼間にログインすると結構な割合でエンカウントする。

 ちなみに他のプレイヤーへのメッセージは、音声入力かキーボード入力で行う。特定のプレイヤー同士で通話することもできる。

 僕は声に出すのは恥ずかしいので、専らキーボード派だ。


『私はまあ、いつも通りよ。あなたもいつもながら、最初は他人行儀ねえ。もっとらしくなさいよ』

『すみません。久しぶりだと少し感覚が。よし、今日も張り切っていこうぜ!』

『そう来なくっちゃ!』


 僕のプレイヤー名はランド。冒険好きの大馬鹿野郎、という設定である。

 中の人があれなので、すぐにボロが剥がれてしまうのが難点だけど。

 二人でたくさんの「冒険クエスト」をこなし、ギルドの中でも実質最上位に位置するSランクに最近やっと上がることができた。

 正直自分もここまでやる気を出すとは思ってなかった。

 一応もっと上はいることにはいる。唯一SSランクの剣麗レオンという伝説が。

 彼はさすがにNPCだという噂もあるが。真相はわからない。

 最強キャラと呼ばれるに相応しいとんでもスペックなキャラだ。


 せっかく久しぶりにやるのだから、シルヴィアさんと相談し、今日は刺激を求めて新天地へ向かうことにした。

 確か、前に散々苦労して砂漠を越えて――その先には、広大な丘が続いていたはずだ。

 グランドクエスト『ワールド・エンドを目指せ』。

 未だこのクエストを達成できたプレイヤーは一人としていない。剣麗レオンでさえも例外ではないそうだ。

 僕たちはこのクエストの達成をこのゲームにおける一つの到達点とみなして、ひたすらに追い求めてきた。とても王道的な遊び方だと思う。

 ワープクリスタルを使えば、一度チェックした地点までは自由に飛ぶことができる。

 僕たちはすぐに攻略最先端の丘に立つことができた。


『着いたわね。さあ、どんなお宝が待っているか』

『楽しみだな! けど、出て来る魔獣のレベルも高くなっている。油断せずに行こう』

『もちろん。わかってる』


 二人でお喋りしつつ、魔獣を倒しながら宝箱を探して開けていった。

 もちろんマッピングも欠かさない。

 そうしてしばらく冒険を楽しんでいたのだが。

 あるところで、画面が固まってしまった。

 キーボードを叩いても、うんともすんともしない。


「あれ。どうしたんだろう。フリーズかな」


 安定性には定評のある『ラナクリム』だけど。珍しいこともあるものだなと思う。

 うーん。仕方ない。あまり良くないかもしれないけど。

 一旦接続を切って、再起動してみようかな。後でシルヴィアさんには謝っておこう。

 そう考えて、行動に移そうとしたとき。


 バチィ!


 電気が弾けるような音が、突然耳をつんざいた。

 PCの画面がブラックアウトする。


 うわあ、なんだよ!? どうしちゃったの!?


 突然のことに戸惑っていると。

 後ろの方で何かがドサリと落ちる、大きな物音がした。


 驚いて、振り返ってみたら――。


「わあああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!」


 人!? 人が!? 何もないところから出て来たあああっ!?


 そこに現れたのは、旅人みたいな服を着た黒髪の少年だった。


 僕は目ん玉が飛び出そうになるほどびっくりして、近所迷惑になるんじゃないかってくらい叫んだ。

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