18「ニルバルナの魔窟 3」

 翌日。ユイが帰り三人になった俺たちは、いよいよ崖の洞窟に挑むことになった。

 さて、入る前にまずはこいつを俺と二人にこっそりかけておこう。


【反逆】《不適者生存》


 レンクスの能力【反逆】の中でも、比較的負担の少ない使用法の一つだ。

 本来人間が生存するに適していない環境でも問題なく行動することができるようになる。

 例えば毒ガスが充満していたり、宇宙のような極低温の真空環境であっても普通に生きられる。

 洞窟の中は酸素がなかったり、毒ガスが充満していたりといったことが普通にあるからな。用心しておくに越したことはない。

 洞窟はいくつも口を開けているが、そのうち一つを勘で選び、足を踏み入れる。

 中は一寸先も見えないほど真っ暗で、冷たい空気に満ちていた。

 光魔法は使えないため、俺が『心の世界』から懐中電灯を取り出して照らす。

 途端に蝙蝠のような鳥が驚いて、バサバサと音を立てて逃げていった。

 照らすまで存在に気付かなかった。

 そうか。生物の気がわからないからな。これは気を付けないと厄介かも。


「便利な物持ってるわね。魔法照明はすべて使えないはずなんだけど」

「まあ色々とな」

「とっとと行こうぜ。こんなところに長居したくねえ」


 奥に行くにつれ、幅はどんどん狭くなっている。足場に気を付けながら、三人縦に並んで慎重に進んでいく。

 懐中電灯は、ぬめり気のある壁と鍾乳石を照らし出す。

 時折小さな蛇のような生き物や、蝙蝠のような鳥、そして気持ち悪い姿をした小虫を見かけたが、今のところ大きな障害はない。

 しばらく歩いていると、ランドが一人だけ息を切らし始めた。

 一方で、シルはまだまだ平気そうにしている。

 個人差があると言っていたな。


「ぜえ、ぜえ……くっそ。どうにも調子悪いぜ。得意の魔法剣も出せないしよ」

「だらしないわね。背負ってあげようか」

「だったら俺が」


 申し出たが、シルは手で制した。


「あなたはいい。いざというとき、頼りにさせてもらうからね」

「そうだぜ。手は空けておいてくれよ。とは言っても、さすがにお前にも任せるわけには」

「構わない。困ったときはお互い様。むしろへばられる方が邪魔だし」


 シルは身を屈めると、いとも軽々とランドを背負い上げてしまった。


「お、おい」

「んしょ。さあ先に進もう」


 男が女に背負われるという、中々情けない絵面になってしまった。

 だがランドは少し気まずそうにしているだけで、案外平気そうである。恥ずかしくはないのだろうか。

 まあこの世界は基本男女の力差とかそういうのは誤差の範囲で無視できるレベルだろうから、そういう感覚があまりないのかな。


 またしばらく進んでいくと、いくつか洞窟を抜けて、何度目かの空が見える地点に出た。

 俺の記憶にある光景と照らし合わせて、位置を特定する。

 ここで一旦昼食休憩を取ることにした。

 シルがランドを下ろして、一息吐く。よくずっと背負って行けたものだと思う。

 ランドは申し訳なさそうに頭を下げ、また歩けるからと言っていた。

 昼食には、冒険者の固くて冷たい非常食では味気ないだろうと思って、俺が熱々の手料理を振る舞った。

 いつもは魔法が使えて調理に便利なので「私」の姿で作っているが、別に男の身体でも腕が落ちるというわけではない。

 二人は初めて味わう俺のプロ級料理に、いたく感動の声を上げていた。

 おいしいと言ってもらえると、本当に嬉しくなる。

 お揃いで談笑しながら食事をとる姿が本当にお似合いなので、俺はふと気になって尋ねてみた。


「そう言えば。二人は付き合ったりとか、してないのか」

「えっ……」「それは……ね」


 二人は見つめ合うと、困ったなという感じで笑い合った。


「うーん。なんかよう。俺たち、付き合うって柄でもないんだよなあ」

「普通に仲は良いと思うんだけどね。それ以上ってなると、まだそんな気にならないのよね」

「なー」「ねー」


 そう言う二人は、まるで勝手知ったる熟年カップルかのように息がぴったりであった。


「じゃあ、お互い別の知らない相手と付き合うとしても全然平気なのか?」

「「それは嫌だな(よ)」」


 見事に即答でハモった二人は、はっとして互いに目を逸らす。

 少し顔が赤くなっている。


「俺は、単に俺がちゃんと認めた相手じゃないと嫌っていうか……」

「私もよ。ランドに変な女の虫が付いてもらっても困るし……」


 はは。それはやっぱり好きってことなんじゃないだろうか。

 まあ本人たちがあまりはっきりと意識していないだけで、実際かなり距離は近いのかもな。温かく見守るとしようか。


「何にこにこしてんのよ」

「何でもないさ」

「ぶっちゃけ、あなたたち姉弟の方がやばいと思うのだけど」

「……それは言いっこなしだ」


 ユイの愛情スキンシップ、プライスレス。


「なあ。なんでユウとユイがやばいんだ」

「あなたは知らなくていいの」


 子供のように尋ねるランドを、シルは怪しげな笑みで宥めていた。



 ***



 俺は平気だったが、ランドとシルのために十分休養を取ってから、洞窟の探索を再開した。

 今度は打って変わって、洞窟というよりかは、深い谷間のような印象を受ける場所だった。

 所々に空を示す天井の切れ目が入っており、懐中電灯がなくても辛うじて周囲の状況を見て取ることができる。

 ごつごつした鋭い岩柱が、至るところに散見された。

 開放的な空間になったことで、そこらに潜む生物にも変化が見られた。

 傾向として見れば、大型化していた。

 ドードー鳥の小型版みたいな鳥がその辺を歩いていたのを始めとして、中型犬ほどの大きさはある爬虫類が壁に張り付いていたり、蛇みたいなのが地を這っていたりといった具合である。

 やがて、周りと比べてやや明るめの所に出た。

 あちこちに奇妙な穴ぼこが周囲にたくさん空いている、地がすり鉢状の奇妙なエリアだった。

 無数の穴は横方向に向かって深く開けており、暗くて奥の様子はよくわからない。

 すり鉢の底には、動物の骨が散乱しているのが見て取れた。

 どう考えても嫌な予感がするのだが、しかし先に進むためには、ここを周伝いにでも通らなければならない。

 気を張り詰めて進むが、果たして嫌な予感は的中してしまった。

 突如目の前の横穴から現れた一つの巨大な影に、俺たちは足を止める。


「こいつは……!」

「べンディップだ!」


 ランドが狼狽えて叫ぶ。

 その姿は、体長数メートルはあろうかという――カニである。

 どう見てもカニだ。陸ガニみたいなカニだ。

 びびるランドに対して、シルは冷や汗を垂らしながらも、努めて冷静に解説を始めた。


「聞いたことがあるわ。人里離れた谷の奥深く、朱い悪魔は住むと。犠牲となった冒険者は数知れず。硬くて大きなハサミがチャームポイントよ」


 すると紹介されたベンディップは、人間の言葉がわかるはずもないのに。

 まるで自慢するかのごとく、これ見よがしにハサミをカシンカシンと鳴らし始めた。


「やばい。あの行動……あいつ、俺たちを餌と見なしたっぽいぞ」


 さらに竦み上がるランドに、シルの滑らかな解説口上は続く。


「ベンディップのしつこさは随一。狙った獲物は逃がさない。もし一度捕まれば、あのハサミを器用に使って、服を丁寧に剥かれて。口から吐く泡でぬるぬるにされて……ああ。私、そんな食べられ方したくなーい!」


 シルは解説を中断し、両腕で身体を大事に抱きすくめて「いやん」と叫んだ。

 ランドが悔しそうに拳を振り下ろす。


「ちくしょう。俺たちに魔法が使えれば。あんな奴の一匹や二匹どうとでも……! だが今の俺だって、まったく戦えないわけじゃね――」

「ねえ。あれ、見て……」


 シルが顔面蒼白にして、ランドの肩を叩く。

 気が付くと――横穴という横穴から、ハサミがこんにちはしている。

 にゅるっと次から次へと這い出て来たのは、予想通りベンディップたちだった。群れだったのだ。

 そこで合点がいった。あのハサミを鳴らす行動は、やはりランドの言う通り、餌が来たぞという合図だったのだろう。


「「ユウさーん! ヘールプ!」」


 まるでドラ○もんを呼ぶの○太ばりに叫んだ二人に、俺はやれやれと嘆息した。


「わかった。任せろ。片付ける前に捕まるんじゃないぞ」

「さすがに自分の身くらいは自分で守るわよ! ほら、ランド!」

「うおおうっ!」


 シルは強引にランドの首根っこを掴むと、パワーレスエリアで衰えたとは思えないほど軽やかな身のこなしで、すり鉢の中心へ退いていった。まるで忍者みたいだ。

 さて。本来ならこうやって集団で囲んで中心まで追い詰め、逃げられなくなったところを捕食しようって腹なんだろうが……。

 今回はそういうわけにはいかないぞ。

 一つの穴に一匹カニがいるとすれば――ざっと数えて、三十六と言ったところか。

 俺は気剣を抜き、まず一匹目に駆け寄った。

 ベンディップが反応するよりも早く、こいつの脳天に深々と剣を突き刺す。

 ところが、致命傷にはならなかった。

 ベンディップはもがくように、俺にハサミを叩きつける。

 すれすれのところでかわして。


「さすがに許容性の高い世界だ。その辺の生物も比例して生命力があるな」


 独り言ちる。

 ここでは俺の力が落ちているというのもあるか。ならば。

 返しで再び繰り出されたハサミをかわして跳び上がると、甲羅の上に乗った。

 いくら外は硬くても、中身はどうかな。

 左掌を軽く背甲に添え。

 気力を一気に内部へ送り込んで、爆発させる。


《気断掌》


 瞬間、ベンディップの甲羅が内側から弾けた。

 腹の下まで衝撃は突き抜けて、海水のような体液を滝のように漏らす。

 あちこちから剥き身が弾け飛んで、足の先からくず折れるように、巨大カニはくたばった。

 俺は甲羅から跳び降りると、目の玉が飛び出したベンディップの死体を一瞥して、呼吸を整える。

 人間にはまず使わない、内部破壊としての使用だ。こんな風にえぐい死に方をすることになるからな。

 ランドシルの方を見ると、向こうから手を振ってくれている。

 まったく落ち着く暇はない。

 既に他のベンディップは、俺の周りをぐるりと取り囲んでいた。

 これだから恐れを知らない単純生物は面倒だ。犬並みの知能があれば、びびって逃げ出してくれるのだが。

 あれをあと何十回かはやる必要がある。えぐいのはあまり好きじゃないんだが、仕方ない。

 俺は危なげなく、次々とベンディップを剥き身にしていった。カニ味噌は勘弁して欲しかった。


 じきに戦闘が終わって。

 カニ鍋をメニューに加えようかと思ったけど……これはダメだ。身に猛毒が入っている。

『心の世界』に比較的綺麗な死骸を送って、ユイに食材として使えそうか魔法で成分解析してもらったところ、そのような残念な結果が出た。

 苦労ばかりで煮ても焼いても食えないとは、まさにこのことである。

 安全とわかったところで、ランドとシルがこちらに駆け寄って来た。

 正確には、シルにランドが引っ張られてやって来た。


「あんた、本当にすごいじゃないか! あれだけの数を、たった一人でなんて……」

「さすがレオンの再来と言われるだけのことはあるわ! 惚れ惚れしちゃったよ!」

「いや。それほどでも」

「この~。澄ました顔しちゃってよう」


 ランドがぐりぐりと肘で胸を押してくる。

 実際あの程度の生物なら、もう数え切れないほど戦ってきてるからな。あまりすごいって感覚がなくなってしまったかもしれない。

 ほっと一息吐いた、そのとき。


 ん……?


 背後に妙な空気を感じた。

 振り向くと、すり鉢の底の方で、奇妙な揺らぎが発生しているのが見えた。

 あっと思っている間に、それは掻き消えてしまった。


「よーし。ぼちぼち行こうぜ。こんな汁気臭い所にはいられないや」

「もうランド。調子良いんだから。ん、どうしたの。ユウ」

「……いや、何でもない」


 気のせいか……? いや……。

 もう一度振り返る。もう何もおかしなところはないが。

 記憶を正確に辿ってみると。

 俺の目は、しっかりと捉えていた。

 穴だ。

 ごくごく小さいが、空間に謎の黒い穴が空いている。間違いない。

 あれは、なんだ?

 ……さっぱりだ。また後でユイにも話してみるか。


『聞こえてるよ』

『うわ。聞いてた』


 いきなりユイの心の声が聞こえてきて、びっくりした。


『どうにも気になる穴だよね。空間に穴が空くなんて、よほどのことだよ』

『だよな。これは勘に過ぎない予想だけど。ここがパワーレスエリアであることと、何か関係があるのかもしれない』

『私もそんな気がするよ。今度穴を見つけたときは』

『調べてみる価値はありそうだな』


 二人で結論付けたところで、先に行こうとしているランドとシルを急いで追いかけた。

 それから何度か激しい戦いはあったものの、ろくに力が出せず使い物にならない二人を尻目に、俺が単独でてきぱきと捌いていった。

 休み休みだったので時間はかかったが、上からのマッピングも手伝って、数日後にはパワーレスエリアを抜けることができたのだった。


「いやあ。ほんっとうに助かった! ユウがいなかったら危なかったな~」

「報酬は倍額にしておくわね。ありがとう。これでやっと力が出せる」


 ランドとシルは相当お疲れの様子だった。

 無理もない。好きなように動けなくて、ストレスも溜まっていたことだろう。


「くう~!」


 突然、ランドが声を溜めたかと思うと。


「いやっほー! 身体が軽い!」


 彼は子供のようにはしゃいで、一蹴りで何十メートルも跳び上がった。

 へえ。中々やるな。

 やっぱりAランクになると、一般人から見れば化け物らしいスペックのようだ。

 すると地面に降り立った彼は、急に神妙な顔つきになっていた。


「ところでよ。これ、どこまで続いてるんだろうな」

「さあ」


 俺はお手上げをした。向こうまで行ったわけではないし、そんなことは神のみぞ知ることだ。

 シルはおでこに手を添えて、果てなき砂の奥を探るように眺めている。

 不意に、プテラノドンに似た翼竜が、俺たちの上空を通過していった。

 広大な砂の海の上を我が物顔で優雅に飛ぶ彼は――いきなり、何かに食い付かれた。

 ワームだ。砂色の、ミミズみたいなでかいやつ。

 そいつが地面から湧いて出て来て。

 ああ。翼竜はなすすべもなく丸呑みにされてしまった。

 そして山のような巨大ワームは、非常にうるさいゲップをすると、ずるずると轟音を立てて砂の中に沈んでいった。

 あとはもう何事もなかったかのように、砂だけが残っている。

 茫然とその光景を見送っていたシルは、ふるふると顔を青くして。


「ねえ。近いうち……また助っ人頼む、かも」


 俺たちは、とりあえず帰ることにした。

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