自殺ゲーム

鋼 虎徹

見届人

 人には様々な生き様がある。産まれた場所や時代、もしくは育った環境、親の事情。学校という小社会に感化され、本物の社会に飲まれたあと。そして、その後。生き様は常に目の前にありつづけ続いている。それと同時に想像もつかないほど分岐に富んでいる。

 例えば、あるひとりの中年を例にとってみよう。そいつは、28歳にもなって自殺幇助なんてことを生業にしている。例えば、ある晴れた平日の朝、そいつは丸の内にあるビジネスビルの屋上で昨日、一昨日と続き自殺しようとしているオッサンをみているわけだ。一般人には異常に見えるかもしれないが、どうということはない。文字通り、ビジネスビルの屋上に初老のオッサンとオッサンにこれからなる中年がいるだけなのだから。冬が過ぎ春を迎えようとしていた季節。屋上に吹く風はまだ肌寒い。


「君、松本とか言ったね。今、何歳なんだい?」

「俺ですか? 28です」

「つまらない冗談だね」


 本当のことなのだが。俺は高級そうなスーツを着込んだ白髪まじりの初老のオッサンを見た。ディオールの黒縁メガネがよく似合っている。とてもこれから自殺しようという面ではない。その点、俺はというと青山で買ったリクルートのスーツ。どこで差がついたのか。


「鈴木さん、そのスーツ高そうですね。よかったら俺のと交換しませんか?」

「君のスーツと? はじめて会ったときから気になってたんだが、君の着ているスーツは、もしかしてリクルートというものではないかね?」

「正解です。青山の閉店安売りしてたやつですよ。俺、これしかもってないもんで」

「これしかって。もっといいものを着ないとダメだよ」

「そう言われましても、手持ちがないもので」

「キートン、ブリオーニ」

「はい?」


 鈴木さんは呆れた顔で言った。

「キートンは六本木に、六本木ヒルズ店がある。ブリオーニは銀座に、銀座店がある。今度行って見なさい。少々、値は張るがそこのを買っておけばのちのち役にたつだろう」

「はぁ、でも、手持ちが・・・」

「今すぐでなくてもいいじゃないか。人生はながい。焦る必要なんてこれっぽっちもないんだよ?」

「はぁ・・」

「今日は辞めだ。やはり飛び降りは私には向かない。もし下に人がいて運悪く接触でもしたら目もあてられない。今日は辞めだ。日を改めよう」

「はぁ・・」

「君、これから予定は? どうだい少し酒でも付き合ってくれないか?」

「またですか。俺あんまり飲めないんですけど」

「飲めなくてもいいさ。話し相手になってくれれば、それで」

 このオヤジ、いや、オッサンは本当に自殺する気があるのだろうか。未遂に終わって今日で3日目だ。

「鈴木さん、契約のことなんですが・・。キャンセルでもいいんですよ。なにも俺は殺すためにいるんじゃないんですし。金さえもらえれば、なかったことにできるんですけど」

 俺は申し訳なさそうに鈴木さんに聞いた。敬語というものをあまりしらない俺にとって実社会に出れば社長の風格を漂わせている鈴木さんにこういうことは言いづらい。

「気にするな。金ならちゃんと出す。延長金もな」

 風俗じゃねえんだから・・。俺はそう言いそうになって諦めた。



   ¥



 鈴木さんとの会食を前に、俺は安城に電話をかけることにした。安城とは俺の上司といえば変だが、この自殺幇助の企画者であり、ビジネスとして運用している組織の幹部だ。手っ取り早く言うとヤクザである。電話をかけていつも1回目のコールで応答してくる。ヤクザはヤクザなのだが外見、中身ともにやり手のビジネスマンだ。みすぼらしい自他ともに認める無能な中年とやり手のビジネスマン。そんな反りの合わない相手に電話するのだから毎度のことながら緊張する。今日もきっかりと1コール目で安城が電話に出た。


「松本です。今回も保留ということになりました」

「そうか、わかった。契約通り延長料金はこっちで請求しておく。誠司はこれからまた一緒に飲みに行くのか?」

「えぇ、そうですね。そうなりました」

「生きるか死ぬか、まぁ大した問題じゃないが今回もたのむ」


 ブツリッと一方的に切られてそれで終わり。『生きるか死ぬか大した問題じゃない』そう言って電話を切る相変わらずの冷酷ぶり。俺はため息をついていると鈴木さんが心配したのか声をかけた。


「心配することはない。金ならちゃんと振り込むさ。弁護士にまだ見つかってない、別の口座があるんだ」

 あっけらかんとしている鈴木さんに俺はつい本音を訊いた。

「でも、振り込むとなると履歴が残るんじゃ?」

「心配いらないよ。日本の銀行とは違って海外の守秘性の高い口座を利用してるからね。そう簡単にはいかないさ。安城さんもそうそう馬鹿じゃなかろう」

 それはそうだろう。あのインテリヤクザのことだ。自殺幇助で金儲けなど無駄にリスクの高いことをするのだからそれなりの手は打っているはずだ。


「君は、安城さんの部下だろう?」

「部下というか、そういうものではなくて使いっ走りというか・・・」

「なにか、弱みでも握られているとでも?」

 俺はいい加減、問答に鬱陶しくなって素直に「はい」と答えた。

「まあ、私が詳しく話を訊く立場ではなかった。すまなかったね」

 年上に謝られるというのは、性格上どうしても歯痒いものがある。

「いいんです。それより、飲みに行きましょう」


 銀座のいかにも高級そうな天ぷら屋に地下鉄を乗り継いで俺と鈴木さんは来ていた。すでに時間も夜の混み合う時間帯である。あらかじめ予約していたという鈴木さんは、その店の常連らしく女将らしき人と立ち話を済ませると俺たちを個室へと案内した。

『とりあえず、生ふたつ』などとは言える雰囲気ではないので、飲み物から全て鈴木さんにお任せしていた。



「しかし、なんだね。誘っておいてなんだが、君は私といるところを他の人に見られておいて後になって怪しまれないかね?」

「ああ、はい。問題ないです。そのあたりはうちのほうでいくらでも偽造できますので。遺書にも怪しまれないようにしてますし、正直、組織に内通者なんて腐るほどいるので」

 ほう、っと関心したように鈴木さんは言った。

「そんなことまで喋っていいのかい? もし私がおとり捜査官だとしたら?」

「ありえません。身辺調査ぐらいとっくに済ませてあるので」

 今度は、ふふっと笑って鈴木さんが笑った。

「君は、・・・松本さんはこの仕事、ながいの?」

「実は去年の末からなんです。引き継いで、やることになりまして」

「やることって? 先任の人がいたんですか?」

「実は俺で3人目です。先任の担当者は死にました」

 さらっといってから少しだけ間があいた。口が滑ってしまった。


「殺されたのか? 口封じに?」

「・・・秘密です」


 俺がニッコリと笑うと、それ以降、鈴木さんは組織のことについて訊くことはなかった。

 こういう場所では順番に料理が運ばれるようなのだが、鈴木さんは前もってゆっくりと話しができるようにと、できるだけまとめて料理をもってくるように言っていたそうだ。俺は懐石料理と和食の区別などとうにわからないので、とりあえず出された料理を片っ端から食っていく。鈴木さんは俺の下品な食いっぷりなどおかまいなしにどうやったら楽に死ねるか、そんなことばかり聞いてくる。ひとときの時間だが、生きようとする者と、これから死のうとする者がひとつの席で語り合う。なんともおかしな光景である。


「小説でこんなことがあったんですよ。べろんべろんに酔っ払った後に、他者から注射器でウオッカを注射する。すると意識が朦朧としているので気付かないんですが急性アルコール中毒で確実に死ねます。気付かないといっても心臓が張り裂けそうとか書いてありましたけどね。試したことないんで痛いのかわかりませんが。酒の代わりに覚醒剤でもいいかもしれませんね。どっちが楽かはわかりかねますが」

「もっと、シンプルに逝きたいんだが」

「シンプルですか? 首吊りとかどうです。でもまえもって2,3日は食事を控えたほうがよさそうですね。筋肉が弛緩しきってケツの穴からクソが垂れるといいますから」

 ムシャムシャと美味い飯を食いながら(俺が一方的に)お互いに語り合う。俺は酒があまり飲めないので烏龍茶にしているが、鈴木さんは日本酒から白ワインに変えたようだ。

「自殺といってもそう簡単には逝きません。案外、服毒が一番難しいですね。致死量に達する前に身体が拒絶反応を示すんです。もちろん、毒性が強いものならば少量で済みますが、どちらにしても苦しんで死にますね。鈴木さんは綺麗に死にたいですか?」



 多少、酔いがまわってきたのか鈴木さんの口調が柔らかくなってきた。

「これから死ぬというのに、綺麗も汚いもあるか。死ねればそれでいい」


 俺だって好きでこんな話をしているわけではない。どうすれば自殺者から多く金をふんだくれるか。そのための方法はないか。それだけである。

「では、こうしましょう。薬を飲んだあとに、米噛みを2,3発拳銃で撃ちぬくんです。撃つことにためらうようならタイマー式のものを使いましょう。それとも派手に爆破しちゃいますか。人生の最後に相応しい花火というところです」


 これから死のうとしている自殺者に情がわくことはない。早く死んでくれないと次の鴨の相手ができないのだ。とっとと終わらせなければいけない。

「・・・わかった。薬と拳銃をつかう。一度、撃ってみたかったんだよ。どんな感触なのか、最期に知りたい」

「わかりました。では、明日。それで逝きましょう」


 こうなることなどわかっていた。こっちはビジネスだ。金が詰めるというのならどんなものだって用意してやる。いや、最初から用意していた。ただ、それ相応の金を出させる過程も俺の仕事のうち。明日で、この案件は終わらせる。



   ¥



 次の日の午後、俺と鈴木さんは港町にある地下室にいた。今日は全てにおいて滞り無くことが進んでいた。ここから先はキャンセル不可だ。もし、ここで鈴木さんが死にたくないなどといったら、俺が鈴木さんを撃ち殺す手はずになっている。いや、昨日、鈴木さんに訊いたこと『キャンセルでもいいんですよ。なにも俺は殺すためにいるんじゃないんですし』あれは、嘘だった。途中でキャンセルなんかさせてみろ、どこに情報をばらすか分かったものではない。死という誰もが経験しなければならないが、最期まで分からないその不安。それこそが不安なのだ。人は脆い。どんな人間であろうとも。どんな経験をしてきたとしても。鈴木さんが死に急ぐ理由など知りたくもないが、生きているうちだけなのだ。人としての価値は。



 だからこそ、その不安ごと、消さなければいけない。見届人の本文は人生の最期のケジメをつけさせる仕事だ。


「どういうことだ、おい!!」

 鈴木さんは確かにそこにいた。身ぐるみ剥がされ手足を縛られたその状態のままで。黄土色に照らされた電球しかない部屋にバンザイをさせられた体制のまま拘束された鈴木さんが言った。見てくれはコンクリート打ちっぱなしだが防音処理も換気もそれなりにきちんとしてある。組織で管理している処刑場だった。

「どうも、こうもないですよ。今日は4日目ですよ。契約書、読んでないんですか?」

「金なら延長金払っただろ?」

「延長金は確かに確認しました。でも、違うんです。俺は契約書のことを訊いたんですよ。3日。その期間を過ぎてしまえば保証対象外。読まなかったんですか?」

「・・・保証対象外だと?」

「鈴木さん。なぜ、契約書をよく読まなかったんですか。自殺の自由意志は3日以内。それを過ぎれば、あとは私どもの意向に従ってもらう。そう書いてあったはずですが」

「ふざけるな。そんなことどこにも書いてなかったぞ」

 言い訳がましいオヤジに俺はなれない営業スマイルで言った。

「ケジメです」

「は?」


「これは、双方のケジメなんです。一度、自殺を願った。願うだけなら自由です。でも、その意思を我々はビジネスとして請け負ったのです。請負責任。私どもは、その責務を果たさなければなりません。たとえ、どんな理由があっても。一度依頼された仕事は最後まで責任をもつ。残念ですが、鈴木さん。あなた、自殺する気が失せたでしょう?」



 鈴木さんは押し黙った。当然、予想の範囲内だ。

「では、こうしましょう。足枷は残しますが、右手の手枷は外します。そしてここに・・・」

 俺は準備していた拳銃を鞄から取り出して鈴木さんに見せた。自衛隊で使われるオートマ式P220である。

「よくできてるでしょう? 実は本物なんですよ、これ。銃弾は1発のみ装填してあります。鈴木さん、これで俺の目の前で自分の米噛みを撃ちぬいてみせてくれませんか?」

 俺は鈴木さんを試すように見ていった。全裸の鈴木さんは表情を青ざめながらも、初日に出会ったような、くすんだ目になっていった。

「1度っきりです。俺にケジメを見せて下さい。鈴木さんの意志を尊重するために薬はもってきませんでした。こんなときに使ったら、鈴木さんのためになりませんしね。自分の意志で引き金をひいてください。そうしないと報われないと思うんです」



 手枷を外し、拳銃を渡した。鈴木さんが自殺する瞬間を見届ける最良の位置まで下がり微笑んだ。予想外に重量感のあるそれは触ってはじめて本物だとわかる。鈴木さんは命を消すただの道具を手にし無表情になっていた。

「安全装置は解除してあります。いつでも。鈴木さんのタイミングで逝ってください」

 血の気の失せた空気。決して重くはないが肌寒い。蒼白の表情をしながら本物の拳銃という物質の重さを確かめるようにゆっくりと米噛みに標準を合わせた。くすんだ黒い目がディオールの黒縁メガネから見えた。俺と鈴木さんの目が合った。俺は視線を外さなかった。


「見せて下さい。その意志」

俺が言い終わる前に鈴木さんが叫んだ。

「死ね、外道!!」


 弾は発射されなかった。

 シンと静まり返る地下室。

「残念でした。弾は入れてません」

 拳銃を鈴木さんの硬直した手から丁寧に抜き取る。

「実は、賭けをしていたんですよ。本当に自分の勘があたっているのかって」

 慣れた手つきで弾装を抜き取り弾を装填する。

「何発ほしいですか? 1発、1万でいいですよ」

「・・・やめてくれ。頼む」


「1発、2発、3発、・・」

「やめてくれ!」

「4発、5発。5万でいいですか?」


 無表情に俺は訊いた。正直、やる気はない。鈴木さんが自分の米噛みを撃ちぬかなかった。ただ、それだけが心残りだ。

「・・契約を破棄したい」

「無理です」

 即答した。さらに俺は続ける。

「ロシアンルーレットってあるじゃないですか? でも、これオートマ式なんですよね。リボルバーだと入手難しいみたいで。足もつきやすいですし。それでしょうがなくあたらしいゲームを考えたんです。3日以内に自殺すればそれでよし。4日過ぎればこちらでルールを勝手に決める」

「・・・ルールを勝手に決める? どういうことだ?」

「契約書うんぬん言いましたがあれは、俺の嘘です。俺が勝手にルールを決めました。契約書には3日どうこうなんて記述なんて最初からなかったんです」

 俺はちょっと自分の台詞が矛盾だらけで笑ってしまった。

「正確には、3日過ぎたのち、後は見届人の俺の意志に任せる。これは暗黙の了解です。契約書にはそんなこと書いてません」

「ふざけるな。おい、ふざけんなよ!!」

「ふざけてるのは鈴木さんのほうですよ。自殺したいって言ってきたのに、自殺しない。じゃあ、殺すしかないじゃないですか」

「頼むから、私が悪かった。・・・助けてくれ」

「ゲームはまだ途中です。助けるか、助けないか。俺の裁量しだいです。でも、決めました。今回の自殺ゲームは」

 脱着した弾倉を戻し拳銃を鈴木さんに向けた。なにも言わず俺は、ためらいなく引き金を引いた。まず、言い訳がましい顎に1発、論理が破綻した頭部に2発、そして死にたがっていた心臓に2発。耳障りな断末魔をあげさせることなくいつもこの順番と決めている。血溜まりが広がっていくその中に、ひとり拳銃を片付ける。地下室をあがり、地上にでると安城にその場で電話をかけた。相変わらず1コール目で出てくる。


「松本です。今回も他殺ということになりました」

「わかった。片付けるからそこでまってろ」


 短い電話を切り、空を見上げた。夕暮れに染まる空が見渡せた。ドラマだったらタバコの1本でも吸いたいところだが、生憎吸ったことがない。片付け役が来るのにわざわざ肌寒い外にいるのも苦なので地下室へと戻る。鈴木さんは見事に他殺されていた。一体、誰がこんな酷い殺し方をするのだろう。顎は砕け歯根が飛び散っている。頭蓋骨が圧迫されたせいで眼球も垂れてしまっていた。気温のせいか多少、湯気がのぼっていた。死体をまじまじと見る。狙った箇所に寸分違わず当たっている。我ながら微笑んでしまう。仕事の達成感に浸りつつしゃがみ込み、鞄から缶コーヒーを取り出した。死体を眺めながらコーヒーをすする。死んでしまった肉の塊を眺めつつ飲む缶コーヒーは特別美味い。



「鈴木さん。人は生きているから価値がある。たのしみましょうよ人生を」

 俺は缶コーヒーを飲みつつ、死んでしまった鈴木さんに尋ねてみた。

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