第13話

「なるほどね。これが今回のヒント――簡単じゃない」

 那月は持っていた本のあるページを開くと、その中の一説を指でなぞる。だが、ピンボケしていた写真にはまったく変化は見えない。

 しかし、那月の目にはその写真が次第に変化して行き、一枚の風景写真のように見えていた。

『まぁ、私からは何も言わないけど、独りよがりって良くないわよ。それだと、私からは何もアドバイス出来ないから。それとも、私ってそんなに信頼出来ない?』

 那月は効率性を重視し、自分の視覚を調整する事によって脳内で写真のピンボケを補正するようにした為、更紗には情報を渡されていない。

 正確には那月の視覚を通してマップに対する情報更新が常に行われている。但し、それはマップデータと没入者の状態のみだ。

 更紗には那月が『何か』を手に取った。というのまでは分かるし、その『何か』を見る事は出来るものの、関与する事は不可能。なので、直接その『何か』をどうこうする事は出来ないのだ。

 それを可能にするには、情報を取得する度に転送するか共有するか選択が必要になる。

「そんなつもりはありませんよ。一応、そちらにも変更したデータを転送した方が良ければ送りますね。本当に必要ならばの話になりますが――それとも、元データがいいですか?」

『那っちゃんは意地悪ね。私だって、別にサポートに特化してる訳ではないし、それくらいは他人に頼らなくても自分で出来るわ。ここに座ってるのもたまたま、あのメンツの中で一番適性があっただけ。あぁ、ちょっとからかってみただけよ。もしかして、怒っちゃった?』

「この写真は窓から見える景色。つまり、校舎内。一階は校庭が見えるので二階以上ですね」

 那月は更紗を半分、無視すると一方的に推論を並べる。

 二階という事は校内に侵入しなければならない。だが、問題となるのは美香の動きだ。

 これまでの練習時の経験から確実に全ての進入路を塞ぎに来ている筈なのだ。つまり、問題となるのはどれが美香の作成した罠ではないかという事である。

「更紗先輩、罠の設置数と容量は分かりますか?」

 オペレーター特権として罠の数、容量を把握する事が出来る。それ以外にも、助言や外部のサポートへの指示なども行わなければならない。けれども、美香のチーム同様に完璧には機能する事が出来ていないのが現状だった。

『三つ――位置は恐らく、揺らぎから考えるに入った瞬間の空間、学生用玄関の階段、職員用玄関の靴箱。ただ、気になるのは容量が使用量に比べてどれも少な過ぎるって事……』

「更紗先輩、また二次元の上に空間密度の変化を数値化した画面で見てるんでしょう……。それ、前々から思ってたんですが、本当に正しいんですか?」

 更紗曰く、空間内に新たなプログラムが追加されると空間が圧迫されて揺らぎが発生するらしいのだが、那月はそんなモノを感じた事が一度もない為、あまり信用していないのだ。

 ただ、言っている事は何となくは理解出来る為、完全に否定する事も出来ない。

『大丈夫。こう見えて、私の勘は結構当たるから。多分、この罠は全部、美香が仕掛けてる筈よ。美香特有の感じがするもの』

 もしも、更紗の言葉を信じるのならば、三つともが美香の仕掛けたモノになる。

 だとすれば、もう一人の彼方という生徒は一体、何をしているのか那月はひっかかっていた。更紗の容量の話もそうだ。何か、裏があるように思えてならない。

 狙い目は協力者であるあの彼方と呼ばれる先輩の設置した罠だ。だが、見えている罠は全て美香の罠という事になれば、どの罠も踏むべきではない。

 わざわざ、初手で容量を大幅に使ってくれているのだ。

 容量が大きくなれば、撤去にも時間がかかる。そして、今後の罠の容量を考えれば圧迫される為、時間と共に解放される容量を計算しても手が進むにつれ、次の一手が厳しくなる。

「確か、非常用の出入り口はありましたよね? そちらからの侵入なら容易な筈です」

『流石ね。私もそれを提案しようと思っていたところ。でも、那月……。あの彼方って二年は注意した方がいいと思うわ。少しばかり、気になる事があるから』

 更紗が気になっている点は彼方が全く行動を起こしていない点だ。

 そして、三つの罠。だが、『または』や『かつ』という形式を用いれば、二つの罠を一つにまとめる事も難しい事ではない。罠の数を誤魔化すなど初歩中の初歩だ。

 何より、更紗自身が直接入っている訳ではなく、数値として目視している。その為、些細な微動を自分の経験で感じ取れていないという事が気がかりでならないのだった。

 そして、その嫌な予感は予想通りというべきか。的中する事となる。

『そう言えば、あの美鶴君。彼ってどうなの? 相良達は読みを外されたというか、気紛れな猫のように取り留めもない動きをしているから感じが全く読めないみたいなのよね。大慌てで罠を張り直したみたいだしさ。意外とこの勝負、いい線いくかもしれないわ』

 那月が非常用の出入り口が使用可能であるか調べている様子を確認しながら、更紗は相良達の動揺のしようを一応、那月へと言葉で伝える。

 手を抜く事は決してない事は理解しているが、侮りは足下を掬われるからだ。

 だが、那月もそれを理解していない訳ではない。特に美鶴に関しては――。

 常人には理解出来ない思考回路。掴み所が無いというべきか、本当に理解出来ないのだ。

「当然ですよ。――相手は美鶴です。あいつはいつだって、一筋縄ではいきませんから。教師すら困らせる学校一の問題児、頭痛の種ですよ」

 簡単に勝ってしまえば、面白くない。団体戦は総合力であり、美香一人の力ではないのだ。

 だからこそ、那月は怖さも同時に感じていた。白浜美鶴という人間がどのような変化を齎すか。

 ただ、今の所は善戦されていてもすぐに巻き返すだろうという自信も存在している。

 何故ならば、相良達にも負けられない矜持が存在しているからだ。

 勝負の分かれ目は後半戦。美鶴が一騎打ちを仕掛けて来た時――その時の為に今の那月がすべき事は出来る限り距離を縮める事。出来る事ならば追い越す事だ。

 そう考えながら、那月が何の戸惑いもなく非常階段のドアノブを回し、校舎内へと足を踏み入れた。だが、その瞬間視界が大きく揺らいだ。

 最初は眩暈かとも思ったが、それだけではない。思わず挙げてしまった声の反響が増幅されて耳の中で鳴り響いている。世界がゆっくりと歪み、全く別世界を構成していくようだ。

 まるで、不思議な国に迷い込んでしまったアリスのように、

 自分という存在が世界に対してちっぽけな存在になったかと思えば、自分が世界よりも大きくなったかのような錯覚を覚える。ワインもビスケットも食べていないのに。

「なるほど、感覚そのものを増幅したり、0に限りなく収束させたりしてる……」

 容量の辻褄が合わなかったのはその為だったのだ。これだけの罠を張れば、それだけプログラムも精密なモノが必要になり、文量も増えてしまう為、容量は必然的に大きくなってしまう。

 だが、問題は美香がこの手の感覚を狂わせるタイプの罠を好んで使わない事だ。ならば、考えられる事はただ一つ。これを作ったのは彼方であるという事を意味している。

 那月は甘く見ていた。そして、更紗も。

 アレは羊の皮を被った狼だったのだ。よくよく考えれば、美香が何も考えずに単なる初心者の寄せ集めなどする筈がない。良くも悪くも、美香は他人の才能を見抜くのだ。

『やられたわね。良い勝負どころか、持って行かれるかも……私達』

 まるで、この状況を楽しむかのように子供のような無邪気さを醸し出す更紗に那月は何かを言い返そうとするが、頭に何一つとして言葉が浮ばない。

 脳の処理が圧迫されて、正常の動作を阻害しているのだ。これでは、思うように動く事も、この罠を解除するのも難しい。

 更紗はそれを暗に察すると、那月には無理と判断し、処理を相良へ回すのだった。


「相良、こっちに手を貸して貰えない? 少し、厄介な事態になってるから」

 那月との通信を一旦、遮断すると同じ空間内にいる相良達二人にそう声をかけた。

 だが、相良達も予想外の事態の事態に陥っているらしく、全く手が離せない

「すいません。こっちもちょっと、手一杯で……。まさか、二人がかりで白浜さん一人を抑えるのが精一杯、あの遅れて来た子はこっちの手を呼んだような動きをして、罠を上手く躱して来るんです。そちらで何とか、出来ませんかね?」

 今回は罠を潜り抜けられた後、機転を利かせ罠を移動させる事により、対処する事に成功した。だが、そう何度も使える手ではないのだ。

 それに加え、用意していた罠の大半も作り直し。その件で相良は手が離せず、もう一人のメンバーである卜部もこうして対処に忙しなく動いているのだ。

 思い通りに事が運ぶような都合のいい展開を頭には浮かべていなかった。何故なら、そもそもここまで厄介な事態になるなど誰も予想していなかったのだ。

 設置したプラグラムが破壊される度に恐ろしい速度で目の前にはモニターが開かれる。その目の前に表示されていたプログラムコードが作業中のモニターを覆い隠す。

 それは払い除けても、払い除けても次々と現れ、他の事には手が回らない。

 何故なら、今は美香と拮抗しているが、引いてしまえば一気に優劣が決するのだ。流れが変われば、それを呼び戻すのは困難。それだけに、卜部は舌打ちする。

 しかし、相良はそんな中、必死にモニター越しに美香と対決しながら更紗にこう叫んだ。

「こっちへ回せ! おれが同時に処理する」

「本当に出来るの? 出来ないなら出来ないでいいのよ? 同時処理でスケールを崩したら笑い話にもならないのだけれど、その事を分かって言ってる?」

 相良と長年の付き合いであるだけに更紗は彼の大まかな実力は理解出来ている。

 去年の団体戦で美香をフォローする為に今回と同じ同時処理を行おうとして致命的なミスを行ってしまったのだ。そこを突かれて一気に流れを変えられた。

 結局、その試合は美香が機転を利かせる事によって、事無きを得たがそれをここで行なうなど、更紗としては気がかりでならなかった。

 けれども、相良は意思を曲げず、はっきりとこう言ってみせた。

「俺だって去年の敗北からずっと、自分を見つめ直して来たんだよ。俺を信じろ!」

「本当に信じていいのかしらね。アリアがやっとな人間にアンサンブルなんて出来るのか心配だわ」

 相良は仕掛けようとしていた罠を全て解除しながら、大きく頷いた。

 那月には不可能。そうなれば、相良に回すしかない。いつまでもこうして時間を相手に与え続ける訳にはいかないのだ。更紗はもう一人のメンバーである卜部へと目をやる。

「卜部、そっちで相良をサポートしなさい。ソロでやるよりも、ずっと負担が減る筈よ。但し、卜部がするのは仕掛けた罠の解体の方。いいわね!」

 この後の戦いを考えた場合、相良一人に負担をかけるべきではないと判断しての事だった。

 それに加え、設置可能な罠の容量の限界値が存在するだけに今後の展開を考えれば、作業をストップさせる訳にもいかない。一か八かであるが、それ以外に手がない。

「了解。樹――出来る限り、手伝うんである程度、回してくれ!」

「助かる。だが、無理だけはするなよ。まだ、試合序盤なんだからな」

 相良は卜部へある程度の量の解体中の罠のデータを転送する。それと同時に、那月から送られた罠のデータを解体し始めた。

 その問題のなさそうな様子に更紗は一先ず、ホッと胸を撫で下ろした。

 この試合の重要な点はスピードなのだ。一瞬の判断が戦局を左右する。

 だからこそ、どれだけ素早く必要なプログラムを組み、設置するか。必要のない無駄なプログラムを省けるかが求められるのだ。

 その上、試合開始直後はデータ容量に大きな制限がかけられている。確かに、時間と共に使用可能な容量が増え、最終的には無制限に近くまでなるのだが、その容量の切り方一つで終盤直前まで、罠が張れなくなるという失笑物の事態にも陥りかねない。

 それだけに、試合中には常に冷静さを求められ、即座に取捨選択出来なければならない。

 もしも、相良が冷静さを失っていたならば、この時点で雌雄は決していただろう。

「けど、これで分かったわね。あの二年、貴方達が思っていたようなニュービーじゃないわよ。これまで、話題にすら上がらなかった事が信じられないレベル」

「分かってる。完全に裏をかかれているって事もな。だが、そこで負けを認める訳にはいかないんだよ。こっちも意地ってのがあるからな」

 勝負になった以上、これは相良と美香だけの問題ではない。

 那月を巻き込んでしまった以上、負ける訳にはいかないのだ。もしも、負けてしまえば、初心者相手に経験者が負けた事になる。そうなれば、那月も立場がない。

 それに加え、やはり譲る訳にはいかないのだ。所詮、凡人でしかない相良は――。

 だが、那月のかかっている罠を解除しようとそのプログラムコードを開いた瞬間、そのプログラムの複雑さに思わず言葉を失い絶句してしまう。

「おいおい……マジかよ。こんな人材が眠っているなんて――ちょっとばかし時間がかかるってレベルじゃないぞ。すまん、やっては見るがどれだけかかるか保証は出来ない」

 一見、簡単そうな構造をしているが、それこそブラフ。もし、その構造に騙されて解除してしまえば、別のプログラムが起動して、それを解除したかと思えば、別の複雑なプログラムが再構成されて起動する仕組みになっているのだ。

 しかも、簡単な方法で解除しようと試みれば試みる程に厄介な再構成になるように……。

 かつて、授業で習った俗に言うブラクラと呼ばれる現象をもっとずっと性質の悪いレベルで行なっているように思える。作った人間も相当、捻くれ者な筈だ。

 能ある鷹は爪を隠すとよく言うが、これを作った二年には、そんな諺よりも単純に、狸という名称の方が似合うかもしれないと相良は思ってしまう。

「おい、そっちで解体を行ってくれ。この解体を並行で行うのはやっぱり、無理だ。すまん」

 全ての解体を卜部に押し付け、負担をかけるような事になり、相良は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。何しろ、自分から同時に行うと宣言してしまったのだ。

 しかし、卜部はその事には何も触れず、黙って残り半分の罠解体を引き受けるのだった。

「いいのか? 無理なら、やっぱり俺が……」

「構いませんよ。無理なら無理って言ってくれたって事は、僕の事を信用して言ったって事でしょう? なら、ソレに答えるのが今、僕がしなければならない事じゃないですか?」

「そう――だな」

 悔しいが、相手側の連携の方が一枚も二枚も上手である事は認めなければならない。

 何度も共同で作業を行っている訳でもないにも関わらず、息の合った行動をしているのは互いに互いの力量を完全に把握しているからだろう。それだけ、これまでは美香が自分を抑えていたという事を意味している。

 美鶴にしてもそうだ。初心者故に行動予測がし辛い。それを上手くサポートしているのだとすれば、オペレーターも油断出来ない相手であると言える。

 いずれにしろ、相手は絶対に油断できない。気を抜けば、足元を掬われてしまうような相手であるという事だ。確実に勝てるなど、言える状況ではない。

 そんな頭を抱える相良に更紗は先程より柔らかい声でこう告げる。

「そっちも無理しないようにしてよね。一応、那月ちゃんにはこちらで何とかするって伝えるから」

 更紗もいつまでも那月との通信を遮断して相良達と話し続ける訳にはいかないのだ。その事に気が付いた相良は小さく頷く。それを合図に更紗は再び、那月との通信を再開するのだった。

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