サイレント・ブルー

kaku

1 発端

青(ブルー)―聖母の衣装(ローブ)に使われている色。母性の象徴とも言われる 。


 それは、まるで悪夢のごとく。

 誰だって思うだろう。

 我が子が死ぬことを望む親が集う、サイトを見れば。

 そう。まったくの悪夢だと、思いたかった。

 だがそれは。確かに、現実だった。


                 ★


 その画面を見た瞬間、千華子(ちかこ)は嘘だと思った。

 黒い…真っ暗な画面に、白い太字で、

「あなたの子どもを殺します。―依頼・代行者募集中」と書いてあったからだ。

 殺人代行、という馬鹿げたものが「掲示板」で募集されることがある、ということは知っていた。

 「呪い代行」という商売が存在していることも知っている。

 そもそも千華子が今の仕事に就いたのは、その「呪い代行」を依頼したのが始まりだった。

 だが、これは。

 信じられない思いで、千華子はパソコンの画面を、もう一度見た。

「あなたの子どもを殺します」という太い白の字で書かれているその下には、「依頼・代行者募集中」と、同じ白い文字で書かれている。

 「ENTER」や「入口」という文字は書かれていないので、この「依頼・代行者募集中」という部分が、それに当たるのかもしれなかった。

 試しに、千華子は「依頼・代行者募集中」部分にカーソルを置いてみた。

 とたんに、カーソルの形が、指のものに変わる。

 やっぱり、と思いながら、マウスパットの上で、ダブルクリックをした。そうして、出てきた画面は。


『ようこそいらっしゃいました。

 ここは、子どもを対象とした、殺人依頼・殺人代行者を探すサイトです』


 黒い画面に、赤くテカテカとテロップされた文字で、そう書かれていた。

「本気なの?」

 思わず、呟いてしまう。

 海外には、ブラックジョークで作ったサイトがあると言う。

 千華子は、このサイトもそのブラックジョークの一つだと思った。

 否。そう思いたかった。

 だが、読み進めていくうちに、それは甘い考えだと思い知らされた。

『注意事項。

 ただし、このサイトをご利用される時は、ご自分の判断を、ご自分の責任でお願いします。

 そして、殺人依頼、代行をされる場合は、よくよく考えられて決断をされますように。

 お子さんの命は一つです。後悔しても遅いのです。

 また殺人は、警察に追われる危険性があることを十分承知の上、引き受けてください。』


 気分が悪くなった。

 書いてあることはもっともなことのようだが、ようは「このサイトには何の責任もありませんよ」と言っているのだ。

「……」

 もういい、と思った。

 ただでさえ、仕事柄メールを読むのすら億劫な人間を相手にしているのだ。

 これ以上は、関わらない方がいい。

 千華子はそう判断して、そのサイトの画面を閉じようとした。 と、その時だった。

 カチッという音がして、新たなページが画面上に現れた。

「えっ?」

 その瞬間、千華子は凍りついた。

 それは、チャットの画面だった。


>神奈川県の夏生(なつき)ちゃん、殺人トラップ完了しました。

>三重県の翔太(しょうた)君、トラップ完了です。

>トラップ始動五秒前・・・・・・四、三、二、一、ゼロ・・・・・完了しました。

>殺害、完了しました。


「何、これ……」

 チャットの履歴には、とんでもない内容(もの)が残っていた。

 子どもを殺すことを依頼した親と、その代行者が残したものなのだろうか。

「冗談、よね」

 千華子は誰ともなく、呟いた。

 冗談であって欲しかった。

 子どもを育てることは大変だ。

 それは、わかっている。

 前の仕事でも、子どもを上手く育てられない苛立ちを、他にぶつける母親を見てきた。

 だが、仮にも自分の子どもである。

 特に母親は、十月十日自分の中で育み、我が子を生み出す。

 それなのに、命がけで生み出した我が子を、どうして他人に頼んでまで、殺したいと思うのか。

 そこまで考えて、軽く頭を振った。

 このチャットの内容が、本当かどうかまだわからないのだ。

 ストレス解消に、親がわざとこんなことをした、ということも考えられる。

 だがどの道、悪質なものには変わりない。

 一応、警察に知らせようと、千華子は思った。

 暗澹たる思いを感じながらも、座っていた椅子から立ち上がる。

台所に行き、冷蔵庫からビールを出した。

 やりきれない気分の時にアルコールを摂取するのは、前の仕事の時からの習慣だ。

 現在の仕事をするようになってからは、その回数も格段に減ったが、それでも暗澹たる思いに捕らわれることもある。

 ビールの苦味が、舌を刺激する。

 酒でストレス解消をするのはよくないと言ったのは、前の職場の同僚だった。

 だが今の千華子には、その苦味が、心を落ち着かせるものとなっていた。

 前職に就いていた頃は、タバコも心を落ち着かせる道具(もの)の一つだったが、今はもう止めている。

 久々に吸ってみたくなって、後でコンビニに買ってこようかとも思っていると、お香があることを思い出した。

 千華子が前職を去る時に、「酒でストレス解消するのはよくない」と言っていた同僚が、「転職祝いに」と、山ほどくれたものだった。

  「マジックイノセンス」と言って、そのお香をたけば金運が着く、と教えてくれた。

 今の仕事を始めたばかりの頃は、毎日のようにたいていたが、ここしばらくはやっていない。

 湿気ていないといいけれど、と思いながら、千華子はビールの缶をテーブルの上に置き、クロゼットの扉を開いた。

 クロゼットの隅に、そのお香が入った箱は置かれていた。

 それをクロゼットから取り出しながら、久々に嗅ぐ匂いに、少しだけ肩の力が抜けるような気がした。

 とりあえず、明日警察に行こう。近くの交番でいい。

 その時に、今日見たチャットの履歴と、ホームページのトップページを印刷したものを持っていこう。

 後、ホームページのアドレスも、メモしよう。

 お香をたく準備をしながら、千華子は、明日警察に行く手順を考えた。

 おそらくそれらを持って行っても、警察は相手にはしないだろう。

 だが、このまま見なかったことにするには、後味が悪かった。

 テーブルの上に置いた、火のついたお香からは、白檀(びゃくだん)の匂いがした。

 千華子はその匂いを吸い込むように深呼吸をすると、ビールの缶を持って、パソコンを置いたデスクに近づいた。






 

 

 

 

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