第7話 《猫の王様亭》にて
助けた猫に連れられて、やって来たのは下町の
チリリン、と軽快なドアベルを鳴らしながら店へ入ると、ミルクみたいに真っ白な毛並みの美猫女将が「いらっしゃいミャア」とお出迎えしてくれた。
店名からのコンセプトなのか、忙しく店内で立ち働くウェイトレスさんたちは皆、人型に猫耳と尻尾を生やした猫獣人の娘さんである。完全猫型のケットシーと猫獣人は全く違う種族だが、女将さんもウェイトレスさんたちも全員ひじょーに可愛らしい。エプロンドレスの制服がよく似合っている。
前世での母さんは武闘派の猫好きだったので、こんな店にもし来たならば、すごいテンションで鼻血を出すだろう。
今はちょうど昼時。
どうやらお昼から営業しているらしいここは食事処としてにぎわっていた。
テーブルはほぼ満席で、ガタイのいい牛獣人や熊獣人の土木作業員が骨付き肉に豪快にかぶりついているかと思えば、鹿獣人らしい角をした夫婦が物静かながらも仲良くパスタを食べていたりする。窓際の日当たりの良い席でおしゃべりに興じているのは三人組のハルピュイアの女性達だ。テーブルについた肘は南国の鳥のように色鮮やかな羽毛で彩られている。肩甲骨あたりから翼を生やす有翼人と違って、ハルピュイアは腕を翼へ変化させる種だ。
ところで、牛獣人のおじさんが食ってる肉が牛肉じゃないかどうかが気になるんですが。
テーブルにつくとサヴァランがニコニコしながらメニューをこちらに押した。
「ディアさん、さっきの御礼ですニャ。お好きなものを注文してくださいニャ」
「別にいいよ。おごりだと思うと好きに頼めない。お腹減ってるからガッツリいきたいんだよ、ガッツリ」
これでも一応、大貴族である。
どう見てもあんまり裕福そうではないケットシーにおごってもらうのは、どうにも座りが悪い。そして人におごられるのは前世の時から苦手だ。
メニューを見ると、どれどれ……おお「若鶏とこくまろチーズクリームのパイ包み」とか「厚切りベーコン、特産ジャガイモのほっくりマッシュポテト添え」とか美味しそうな料理名が並んでいるじゃないか。よし、気になるものは片っ端から注文しよう。
「……なにのんきに昼飯にしようとしてんだ。一族の滅亡について洗いざらい吐くって言うから大人しくついて来てみりゃあ、なんだここは。俺を馬鹿にしてんのか?」
マジでキレる瞬間五秒前、みたいに怒りのオーラを漂わせているファイルーズ族の青年が地の底を這う低音ボイスで言った。店に入ってもフードを取ろうとしないため、顔の全体は見えないが、お怒りなのはすごい伝わってくる。
ってか、やっぱりそれ聞いちゃうんだ。
いや、私の予想だとね……。
「い、今すぐにお話ししますニャ!」
こほん、と小さく咳払いしてサヴァランは語り始めた。
「その一族の滅亡……それは一匹の若者ケットシーが幻の珍味魚を釣り上げたことから始まったニャ……」
「おい、待て」
「ニャ?」
「テメェ、何の滅亡について話そうとしてやがる」
「うにゃにゃ、オイラの知ってる特大ネタ、『珍味魚によって滅亡した妖精猫ロータス族の悲劇』を知りたいんじゃないのかニャ?」
そう、サヴァランは「とある一族の滅亡」とは言ったが、一言も「ファイルーズ族の滅亡」について知っているとは言っていない。
タイムリーなワードだったため私も一瞬だけファイルーズ族のことかと思ってしまったが、冷静に考えてみればそんなわけなかった。たぶんサヴァランから得られるのは街のちょっとしたお得情報か、王都にいる探し人とか探し猫の行方とかだろう。
これはまた怒り狂うか?
そう思って青年を窺うと、彼は深く溜め息をついたかと思うと、ドカッと乱暴に椅子に腰を下ろして脱力した。
「……よく考えりゃ、都にいる猫が俺たちのことを知ってるわきゃねぇよな」
その声には濃い疲労の色がにじんでいた。
「あの、なんかすいませんニャ。でもフードのせいで、そもそも旦那の種族がオイラには分からないニャ」
「ああ、そういや付けっぱなしだったか……」
だるそうな動作でフードが取り払われる。
ぱさり、と一房だけ長くして編み込まれた髪束が肩に垂れかかる。あとの髪は耳にかかるぐらいの長さだ。空色の髪と褐色の肌の組み合わせは珍しく、種族のるつぼである王都でもなかなか目にすることはない。
大空をゆく鷹のように鋭い空色の瞳と精悍な美貌は、ワイルド系を好む都の貴婦人からさぞや好まれそうだった。
「にゃ? 獣耳も角もないからたぶん獣人じゃニャいし、耳は尖ってないからエルフでもニャいし、ひたいに宝石もないからカーバンクル族でもニャいし……。すみませんニャ。オイラ、魔力のオーラを読むこととかできにゃくて、フード取ってもらっても分かりませんニャ」
「有翼人だ。ファイルーズ族の名を知っているか?」
「うにゃ?」
「アズラク大砂漠に住んでる遊牧と狩猟で暮らす一族だよね。本で読んだ」
私が口を挟むと、青年は警戒を宿した眼差しをこちらに向けた。
枷を外した手で接触したし、これはもう完全に私が『有翼人に擬態した、強大な魔力を持つ何者か』だとバレているだろう。魔神だとまではバレていないかもしれないが、高位の魔族だとは見抜かれているはずだ。
「そうだ。俺たちの村は何者かに焼き払われた。……おい、女。もう一度聞くぞ、お前の名前は何で、いったいなんの種族だ?」
「相手のお名前と正体を知りたい時は、まず自分から名乗るか、もっと丁寧に尋ねた方がいいんじゃない? そう喧嘩腰にこられると意地でも名乗りたくなくなる」
「ファイルーズ族長リドワンの長子、ラシードだ。」
しまった、名乗られた!
どうしよう。これは名乗り返さないといけないパターンだよ。いや、だって、こうもあっさりと名乗るとは思ってなかったわけで。
「……えーと、呼び名はディア」
「それはさっき聞こえた。俺が知りたいのはてめぇの正体だ」
「分かってる。でも、ここでは正式名は名乗れないし、正体も言えない」
「…………てめぇ」
「だから分かってるって! 言う、ちゃんと言うから! 店から出て、人がいない所に行ったらちゃんと名乗るし、正体も言うから!」
「本当だな? ……じゃあ、メシにするか。腹が減って、一歩も動けねぇ」
どうやら疲労より空腹感の方が本人にとってダメージが大きいらしい。
だったら最初から飯屋に来たことを責めないで、素直に注文すれば良いものを。
茶トラ縞の尻尾を持つ猫獣人のウェイトレスさんに注文を済ませ、料理を待つ間にラシードは再び口を開いた。
「聞きたいことがある。記憶の封印を解ける術者を知らねぇか?」
「うにゃー、確か隻眼のケンタウロスが営んでいる何でも屋で、そんな術式もやっているって聞いたことがあるニャ。けどニャ……」
「けど、なんだ?」
「成功するかどうかは博打ニャ。半分……いや六割は頭がパーになるって話ニャ」
いや、それじゃダメだろう。
というかそんな噂が広まってて、よく店を続けていられるもんだ。
記憶とか頭に直接働きかけるタイプの魔法は極端に高レベルの術にあたる。治癒の魔法と同じく、自分の魔力と相手の魔力を接続して術をかけるタイプの魔法だが、体に働きかけるより脳に働きかけるのは難しいのだ。
特に記憶の封印を第三者が解くことは不可能に近い。
記憶の封印はよく宝箱と鍵で例えられる。封印を解く鍵はかけた張本人だけが持っていて、正しい手順で記憶を解放できるのはそいつだけなのだ。
第三者が講じられる手段と言えば無理矢理こじ開ける鍵開けみたいなものになる。これは非常にリスクが高い。脳みそを引っ掻き回すのと同じことで、サヴァランが言うように失敗すれば頭がパーになる。
他には時間をかけての封印解除。心理学に基づくカウンセリングに似た術で、じょじょに封じ込められた記憶に働きかけ、宝箱の蓋を開けようとする方法もあるのだが……。
「四割は記憶を取り戻せるんだな? よし、その何でも屋の場所を教えろ」
「おいおいおいおい、ちょい待ち。ちょっと待て。頭がパーになる可能性の方が高いって言ってたの聞いてた!?」
「ちっ、うるせぇな。手段なんか選んでられる場合じゃねぇんだよ」
「そうまでして取り戻したい記憶って……まさか犯人に関する記憶とか?」
そう問いかけると、ラシードは奥歯をぎりりと噛みしめた。
「……ああ、あのクソ野郎、村を焼いて、俺を半殺しにしてから、自分に関する記憶だけ封じやがった。覚えてんのは『王都で待っているぞ』ってふざけた言葉と、そいつが男だったってことだけだ」
「じゃあ声は覚えてるの?」
「声色はあいまいだ。男の声だったのは確かだが……」
じゃあ犯人の確定のしようがない。
それに不可解だ。なんで壊滅させた村でただ一人生き残りを作り、自分の記憶を封じた上で王都に誘導するようなセリフだけ残すんだ?
「そいつは何でこんな支離滅裂なことをしたんだろうね?」
「けっ、どうせ単なる遊びだろ。高位貴族や魔神はそういう悪趣味なゲームが大好きな奴らだって、親父がよくこぼしてたぜ」
うわ、ひどい偏見だ。
けど自信をもって「ぜんぜん違うよ!」とは主張できないのが悲しいところだ。
残虐な遊戯や賭け事を好む高位貴族や魔神はけっこういる。ゼノの父である先代魔王陛下が法を改正するまでは、そりゃあもう残酷物語が量産されていたらしい。
これは正体を明かすと一悶着あるかもしれないなぁ……。
運ばれてきた美味しそうな料理を後目に、私は頭を抱えた。
「大丈夫ですかニャ、ディアさん」
「いや、ちょっと頭痛が痛くて……」
心配そうなサヴァランに定番の重複表現を返した。
するとラシードが空色の目をじっと私に注ぎ、観察していることに気がつく。
……うん! これはもしかしなくても、怪しまれてるってやつだね!
めっちゃ犯人の関係者じゃないかって疑われてる気がするよ!
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