256/慰霊碑の前で
一方その頃、インヘルベリア牛人が求めた空瀬アスミは――。
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アスミは、日本国は「S市」と隣接する「N市」に位置する慰霊碑の前に佇んでいた。
――慰霊。
ジョーからリンクドゥを経由して全てを伝え聴いたアスミが立てた「作戦」は、死者への「慰霊」に基づいて成されなければならない、そう思ったのだ。
時刻は、夜。沿岸地域に位置するその場所は、夏には似つかわしくない冷気のようなものに包まれていた。
震災後に建造された慰霊碑は、どこか幽性で、その存在は訪れた者に「ここではない、どこか」を意識させる。この地に豊かさが戻ることを願う「豊穣の大地」から「芽生えの塔」が天に向かって伸びている。前方に位置する黒色の「種の慰霊碑」には、こう文字列が刻まれている。
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亡き人を悼み 故郷を想う
故郷を愛する御霊よ 安らかに
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「慰霊」は。
――この天に昇るでもなく、地で生きるでもない、曖昧な身の上で。自己満足に過ぎないのかもしれない。
それでもアスミは、やっておいた方がイイと思ったのだ。父に花を選んで貰って、献花も準備した。彼女はどこかで、この気持ちは自分だけのものではないような気がしてもいた。傲慢であるのかもしれない。それでも、もし「あなた」もこの気持ちを抱いていたのだとしたら。今やれる自分が、やろうと思うのだ。
手を合わせ、
夏の空気とコントラストを成すように、冷たい微風が並んで瞳を閉じる二人の肌を撫でてゆく。知覚が研ぎ澄まされているのか、少し離れた波打ち際の、波が寄せては引く音が聴こえる気がする。
どれくらいの時間が経過しただろうか。アスミはゆっくりと目を開けて、横の気配の主に向き直った。
想像通りの存在がそこにいた。
「ムッちゃん」
漆黒の髪を流した、紅の和装の少女。闘いの時に舞う彼女の装束は踊る紅花のように見る者の高揚を誘うが、今宵は夏の気まぐれに訪れた涼しさの賜だろうか、彼女の装いは
「アスミさんが想いを馳せた天の彼方に、また私もいるのでしょう。それでも全てが一つの方向に定まってしまう前に、もう一度だけ、『縁』を頼りに参りましたよ」
「今は、どっち?」
「さあ、どっちでしょう? 真実大王の能力の『網』はこの地球全てを捕縛しているがゆえ。知られぬよう。三日後の闘いの日まで、『わたし』のことは世界に対して、何事も言葉にして語らぬ方が、良いでしょう」
もうすぐ最後の闘いが始まる。自分もどうなるかは分からない。この胸の内を言葉にして世界に残しておくとして、聞いてもらえる相手がいるのだとしたら、「こっち」の方の陸奥は馴染む聞き手だな、とアスミは思った。
「お父さんのこと、考えていたの。今までのお父さんは、『本当のお父さん』じゃなかったって、言われてもね。本当の私は幼児期は金色の髪をしていたって、どういうこと、みたいな。もちろん、今のお父さんが大事なことも、尊敬する気持ちも変わらないんだけど、ただ、どうしてそういうこと、これまで教えてくれなかったのかな、なんても思って」
「これは私の想像になりますけれど、お父さんは、そのスロヴェニア人の『本当のお父さん』に、少しだけ嫉妬する気持ちもあったんじゃないでしょうか。あ、ご本人には聞いちゃダメですよ。愛する奥さんに、自分以外に愛する人がいたってことですから。そんなにも達観できないまま大人になって。でもアスミさんへの愛情はホントウで。多くを語ることもできずに。ただ、行動で示し続けて。そういう人も、いると思います」
「お父さんと、お母さんの気持ち、ね。正直、私にはまだよく分からない。そのスロヴェニアでのロマンスを通して私が生まれて。でも、お母さんが何を想って、前の私の『本当のお父さん』と別れたのか。何を想って、日本で今のお父さんと再婚したのか」
「それは私にも分かりません。ただ、アスミさんより少しだけ歴史を積み重ねてきた身から言わせてもらえば。浮気をされた人とか。病を患っている人とか。身体が不自由な人とか。不完全なまま、この世界で、この国で、この街で、生きている。そんな人たちを、たくさん見てきましたよ」
「二人のお父さんも。お母さんも。不完全な人だった? じゃあ、私に六年分ずつ、十二年分のオントロジカを分けてくれたという、
その時、そよいでいた静かな冷風が僅かに勢いを増し、アスミの墨の前髪を揺らめかせた。
「ジョー君が戻ってきたら、私、全てを受け入れようと思う」
「S市」と「N市」の境界領域に位置するこの場所は、「S市」の一級河川が海へと流れつく場所でもある。この慰霊の地区にいても感じることができる潮の香りを、アスミは幼い頃から知っている。
アスミは河の上流に向かって向き直り、目を細めた。彼女の姓は「
ああ。隣には陸奥がいる。彼女が冠しているのは先の戦争の時の戦艦の名前でもあるけれど、その呼称の由来はさらに
『
そんな昔々から受け継がれてきた、この東北の地の呼称こそが。
――「
それから八百三十年ほど時代が流れても。敵のカタチが変わっても。失われたものがあっても。この地を「守る」者がいる。
自分――空瀬アスミが、不可思議な『縁』の元に生かされた、どんな存在であったとしても。
これだけ荒涼とした沿岸地域にも、ポツリ、ポツリと、優しい光が明滅している。あるいはその光は、奥州藤原氏の時代のこの地の民が見ていたアカリと、同じものであるのだろうか。
あるいは先の戦争の大空襲の後の焼け野原の中、この地で生き続けた人々が見た希望のアカリと、同じものであるのだろうか。
揺らめき続ける「たましい」の街アカリに向かって、アスミは優しく手を伸ばした。
加速する空。全てが強く、大きく、正しくあるようにと駆動し、その流れの中で自分の「たましい」なんて置いていかれるだけの
それでも。
心、一つ。
あの震災の本震から数日経った、全てが心もとなく、分断の中で孤独に
空瀬橋の上で輝きを取り戻した街灯の光を見た時に、この胸にあり続けたことに気がついた確かな
この地を生きた、幾千の誰かへ。私も、そう思うよ。
この闇の
「私は、この街を守るわ」
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