第十一話「君の名前は」(後編)

235/深夜、志麻の家にて

 大天寺だいてんじ山の山川やまかわの家にて。


 深夜であるが、火照った体を沈めるために、志麻しまが冷たい水のシャワーを浴びている。


 欧州の小国に向かう旅支度を整えた後、汗を一度流しておきたかったのだ。既に色々なことがあった。そして、さらにこれから色々なことがあるのが予見される。


 身体の表面を流れるひんやりとした水の感触とは裏腹に、心も体も、うずいていた。


 アスミの身体を知悉ちしつした時のことを思い出すと、精神と肉体が高ぶった。


 それは、禁忌的な領域へと踏み込んでゆく、怪しい快楽を伴う興奮であった。


 自分という少女の肢体を、鼻先、唇、首筋、乳房、秘部と、指で静かに順になぞってゆく。


 呼吸が浅くなっていて、知覚の感度が高まっているのが分かる。肌を辿る指の感触、夏の空気、水の匂い、そして心臓の音。そういったものが改めて意識される。


 自分の輪郭をなぞり終えると、この不可思議な「体」というものについての思念が過る。


(本物の体、だ)


 アスミのものとは違って。


 いや、本当にそうなのか?


 何かにつけて、確信が持てない。


 これから自分がやろうとしていることに想いを馳せると、高揚と不安が交互に訪れてくる。


(相変わらず、不安定だな)


 風呂場から出ると、タオルで丁寧に髪と体を拭いた。


 その時、フと感じた違和感があった。深夜の家に一人のはずなのに、廊下の奥の和室に「気配」がある。大天寺山の「結界」は、何も感知していなかったのだが。


 ショーツだけをつけた状態で、脱衣所から廊下に顔を出して確認すると、やはり一番奥の庭園に隣接している客間から灯りが漏れている。


(誰?)


 上半身にタオルだけ巻いた状態で廊下に出る。導かれるように進んで行き、淡く光っている該当の部屋の襖をちょっとだけ開けて、中を覗き込むと。


 ここが自分の家であるという、心理的な油断もあったか。思いもがけず、広い和室の真ん中にぬらりとその存在が座っていたので、志麻は「ひっ」と声をあげてしまった。普段彼女が自分自身をコーディネートしているような、「可憐な少女」はちょっと出さないような、素っ頓狂な声であった。


 部屋の中心。テーブルの前に座布団を敷いて座っていたのは、何だか四角い立方体の体に、ちょいふと眉毛まゆげの下にぬとーんとした目を携えた、そこそこ横幅があって、全体的にはくすんだ黄色系をしている、謎のゆるキャラ? 的なアイツだった。


百色ひゃくいろちゃん?」


 疑問形にならざるを得ない。


 志麻は、先ほどまでとは違った意味でドキドキしていた。


 妖怪なのか。中の人がいるのか。結局七夕の日には結論が出なかった。


 しかし、改めてこうして目の前にいるのを見ると。


(存在変動律?)


 特定の色として感知できないという、志麻としても味わったことがない系統のものであったけれど、百色ちゃんは淡く存在変動律を発していた。


「やあ」


 片手をあげて、百色ちゃんが喋った。けっこう、ダンディーな声だ。


「美味しいお茶請けが、そろっているお家だね」


 志麻がシャワーを浴びている間に台所から持ってきたのか、テーブルの上にお茶菓子があった。包みを開けて、百色ちゃんは勝手に食べ始めた。


(食べたり、するんだ!?)


 志麻は油断なく観察を続けたが、百色ちゃんはモグモグと口? を動かして本当に食べてるだけだった。


「何者、なの?」


 訝しみながら尋ねると、百色ちゃんは口? に入っていたものを咀嚼そしゃくして、改めて志麻に向き直った。


「僕は『風景』、かな」

「『風景』?」

「人々が悩んだり、困ったりしてる時も、何気なく、そこにあるもの、さ。僕達は変わらずに『そこ』にあるから、死にたくなった時とか、立ち止まって見つけてほしいんだ。ちょっと気づいて貰えたら、嬉しい」


 百色ちゃんは、眉? をピクリと動かした。


「さて。バックアップが君の仕事だ。僕も、そんな感じだから、気が合いそう」


 百色ちゃんは、目? をパチパチと瞬かせた。


「フランス」


 百色ちゃんの口から出てきた国名に、今度は志麻の瞬きが早くなった。


「『こっち』の世界では、『因果』が線形を取らずに、『縁起』が様々な方向に広がったり、繋がったり、分岐や切断や再結合を繰り返したりしながら多元に展開されているんだ。曼荼羅マンダラのようにね。その中で、君の『縁』は彼の国と深く結びついている。一時期、詩に傾倒した君が、まだまだ短い人生の中で触れたフランスの文章に、心当たりが、あるはずだ」


 難しい話は分からなかったが、最後のくだり、フランスの「ある文章作品」には、心当たりがあった。


 それは、志麻自身も忘れていた童話作品だった。


 その後、百色ちゃんは「ある学問的な見解」について志麻に分かりやすく解説するという時間を取ってくれた。百色ちゃんの話は、そんなにも頭が良くないと自覚している志麻にも分かりやすかった。百色ちゃんがくれたその見解は、まさに先ほどまで志麻がアスミに関して逡巡しゅんじゅんしていた事柄を、紐解いてくれた。


「じゃあ、僕はそろそろ行こうかな」


 しばしの対話の時間の後、百色ちゃんは立ち上がった。


「フロッピーディスクは君が持っているね。あとは、そのフランスの文章作品テクストを、中にコピー&ペーストしておいて。僕達は、バックアップが担当なんだから」


 百色ちゃんは外に繋がる障子戸を開けると、縁側に出て、ピョンと庭に飛び降りた。


(そこから帰るの!?)


 志麻は思わず突っ込みを入れそうになったが、話をしているうちに、百色ちゃんは何だか偉大な人? のような気がしてきていたので、失礼にならないように、口には出さないでおいた。


 百色ちゃんはそのまま庭を歩いて行くと、やがて石垣をよじ登り、そのまま山川家の敷地の外へと出て行った。


(結局、正体は分からなかったな)


 中に人がいるのか、いないのか、それすらも。


 志麻は気を取り直して自室に戻ると、Aドライブ付きのPCを立ち上げ、例のジョーが百色ちゃんから貰った中身が空っぽのフロッピーディスクを挿入し、幼少期、PCやネットを使い始めた頃にクラウドのフォルダにアップしていたそのフランスの文章作品をダウンロードして、全文をコピー&ペーストした。


 全ての作業を終える頃、志麻は、先ほどまで抱いていた高揚と不安のうち、不安の方が治まってきているのに気がついた。


 ソレは消えてなくなったわけではないのだけれど、私の中に同時にあってもイイんだと、受け入れられた感じだ。


 すると、よーし、やるぞ、みたいな強い気持ちが、自分の内側からむくむくと湧き上がってきた。


(「縁起」か)


 志麻は大天寺山の自宅を後にし、アスミの元へ戻ろうと、長い階段を下ってゆく。大天寺山は高い場所だから、遠くには、深夜でもエス市の夜景が見える。眩く。いくつかの断絶的な出来事があっても、輝き続けている「風景」である。


 この世界でまだアスミと生きてゆくために、志麻はジョーと共に、アスミにまつわる「縁起」が巡る国へ。


 スロヴェニアに向かうために、歩み始めた。

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