131/バカなの?

 陸奥の言葉と提案の前に志麻が逡巡しゅんじゅんしていると、上空のエッフェル搭は悠然と戦艦リシュルーの重みに耐える大巨神を見下ろしながら、左手を動かして新たな印のようなものを切り始めた。


(剣、大戦艦に続いて、三つ目の概念武装ということ?)


 おそらくは大巨神へのトドメの一撃であろう。エッフェル搭が勝利するまで、もう間もなくのように思われる。なのに、陸奥は今更志麻に行動を促している。このままでいいという気持ちがある一方で、何か陸奥の言葉が志麻の胸中に痕跡を残してもいる。正直、戸惑っていた。


「エッフェル搭、ちょっと待った」


 その時、川からこちらへ上がってきた人物が一人。天上の志麻の理想像のような存在、エッフェル塔を呼び出した本人と思われるジョーであった。


「アスミ」


 体の節々に火傷、衣服は濡れ鼠という状態でやってきたジョーは、志麻を通り越してまずアスミに声をかけた。


「これ、返すよ。髪、結んでた方が似合ってるぞ」

「そ、そう?」


 ジョーが手にしていた認識阻害を施す能力を秘めている藍色のリボンを手渡されたアスミは、「あんまり言われたこと、ないけれど」なんて言いながら、黒髪ストレートになっていた髪をツインテールに結び直していた。ちょっと顔を赤らめていたのが意外だった。でも、志麻としても同感。それはあるいは偽りの姿なのかもしれないけれど、ヴィヴィッドなツインテールに、ちょっと隠しきれてない虚無の瞳が合わさっている。そんなアスミの姿こそが、ありのままのアスミだと志麻は受け取っていた。


「宮澤君も、あの大巨神は私たちで撃つべきだとか、そういうことを言い出すつもり?」


 ジョーのエッフェル搭を制止した行為に対して、志麻はちょっときつい調子で問いかける。エッフェル搭の方は途中まで切っていた印を中止して、律儀に第三の概念武装の発動を待ってくれている。仮にもあのエッフェル搭がジョーの指示に従っている。この少年は何なんだと思う。


「どういうことだ?」

「ムっちゃんが、エッフェル搭さん任せじゃなくて、志麻とムっちゃんの主砲であの大巨神は撃つべきだって言ってるのよ」


 アスミがジョーに説明する。


「主砲。なるほど。あ、それはそれとして、俺、ちょっと怒られそうなこと言っていいか?」


 飄々と語るジョーの態度に、アスミと志麻は顔を見合わせた。陸奥もキョトンとしている。魂の深い所でジョーと繋がっているらしい陸奥にも、今、ジョーが何を考えているのか分からないらしい。


「どうぞ。今、私達が生き延びてるの、ジョー君が呼び出してくれたエッフェル搭さんのおかげだし。別に怒らないわよ」


 アスミがジョーの話の先を促した。少し、『ハニヤ』を使用していた頃の悲壮感は薄れ、いつものアスミの語りのテンポに戻ってきている。


「サンキュ。あのさ、テンマ・ソウイチロウ――あの大巨神の中心に、テンマのものとは違う存在変動律が小さく存在してるの、アスミと志麻にも感じられるか?」


 アスミと志麻は振り向いたジョーに習い、大巨神の方に向き直り、意識を集中させてみる。どうか。志麻には分からなかった。アスミも同様のようで、志麻に目配せで確認してからジョーに答える。


「分からないわ。エッフェル搭さんと大巨神の存在変動律が強過ぎて、小さなものは拾えないのかも」


 ジョーの言及が事実なら、認めざるを得ないことが一点ある。存在変動律を察知する力が、アスミと志麻よりもジョーの方が鋭敏になっているということだ。元々のこの少年の資質なのか。あるいはエッフェル搭を呼び出したことが関係しているのか。


「そうか。俺もさっきから分かるようになったんだけど。存在変動律って、似た類であっても、微細に一人一人違うんだな。その大巨神の中の変動律の色は、『揺れている黄色』って感じだ」

「誰のものなの?」


 アスミが核心に触れる問いを投げかけると、ジョーは確信があるように応えた。


「蝶女王って名乗っていたアイツ。の本人っていうか個人っていうか。エルヘンカディアって人のものだと思う」


 志麻には思いもよらない話だった。先ほど殺し合いを演じていたあの女は、大巨神に捕食され、この世界から消えてしまったはずだ。また、相対していた時も、あの女の存在変動律は高圧的な無色で、淡く色が付いているというジョーの話は、志麻には感じられなかった領域の話だった。


「大巨神のお腹の中で、まだ生きてるってこと?」


 アスミが、ちょっとおぞましいものを想像してしまったというように、眉をひそめながら言った。


「たぶん、な」


 ジョーの話を訝しみながらも、どこかで冷静に頭が回り続ける志麻は、本日蝶女王やエッフェル搭からもたらされた「オントロジカ」にまつわる、それまで志麻が知らなかった事柄について話を整理していた。蝶女王が言うには、オントロジカとは人間一人一人が持っていたりするものらしい。また、エッフェル塔が言うには、支配によるのか本人の同意によるものなのか、それは「譲渡」のようなものが可能であったり、逆に「蓄積」するようなことも可能らしい。


 以上から導かれるこの時点での仮説を口にしてみる。


「蝶女王が世界中から収奪して回っていたオントロジカは大巨神に全部食べられちゃって、今は丸裸になった蝶女王本人のオントロジカだけが残った。その存在変動律が宮澤君には感じられてるってこと?」


 それが事実だとするならば、蝶女王はあの大巨神の腹の中でまだ生きているということらしい。


 アスミがため息をついた。出てきた言葉は、おそらく志麻よりも長い時間をジョーと過ごしてきた女の子なりに、少年の胸の内に生まれた何かを察したゆえだろう。


「助けたいって、思ってるんでしょ?」


 しかし、アスミが理解したそれは、志麻には出てこない発想だった。


「バ、バカなの?」


 それ以上の言葉がすぐには出てこなくて、あうあうと口だけを動かした。如何にあの女に沢山の人間が傷つけられたか。自分が傷つけられたか。溢れる気持ちに言葉が追い付いてこない。


「やっぱり、志麻が一番怒ると思った」


 たはは、とばつが悪そうジョーは笑っている。とりあえず、出てくる気持ちを何とか質問に変えて矢継ぎ早にジョーに浴びせかける。


「助けて、また襲ってきたらどうするのよ」

「エッフェル搭の力を借りつつ、俺がまた倒す」

「助けるって、どうやって? 方法は? 大巨神のお腹の中よ?」

「俺が行ってこようと思う。で。陸奥の主砲で体表を貫いて上手く突入できるんじゃないかって思ったんだが」

「バ、バカなの?」


 語彙が足りない女みたいで嫌になったが、思わず二度繰り返した。


「すごい、悪いヤツだったの分かってる。志麻が一番傷つけられたのも、分かってるつもりだ」


 ジョーのまなざしに志麻はドキりとした。本気でこんなことを言っているらしいジョーという人間にどう対すればいいのか分からない。一方で、そんなジョーが自分に向けている慈しみが本物であることにとまどってしまう。


「でもさ、エッフェル搭のおかげで、今俺達には少し余裕がある。悪い人間はもちろん悪い。でも、今の俺なら。今の俺達なら助けられるかもしれないのに、助けないってのも、違くないか?」

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