96/伝承されし水晶武装

 久方ぶりに大天寺山だいてんじやまの自室に戻ってきた志麻は、机の引き出しの奥から数冊のノートを取り出して確認していた。


 ノートは幼少時からの雑記帳のようなもので、昔の志麻が描いた絵、書いた詩・散文、そういうものが記録されている。


 幼少時から小学校の低学年くらいまでの間に顕著なのは、機械の怪獣が街をめちゃめちゃに破壊する絵の多さである。黙々とこれらの絵を描いていた心境を思い出す。


 童心に返るのが目的ではない。この昔の絵が、文が、志麻の能力の原点にあるのだ。アスミには、できるだけ『ハニヤ』は使うなと言い置いてきた。自分にも、『逆襲の一手』のようなものはあるからと。


 志麻は自室を後にして長い廊下を歩くと、やがて家の西奥にある部屋の扉の前に立っていた。


 志麻の母親の部屋である。2011年の大地震の本震から一ヶ月経った頃に家を出て行った母の部屋は、それから二年と五か月が経った今でも、そのままになっている。


 扉を開けると、倒れた本棚と散乱した本。傾いた衣装棚からはみ出した衣類など、当時のままの落ち着かない光景が目に入る。


 母が読んでいた本は大衆小説で、着ていた衣服は消費文明が生み出した流行品。山川の家に生まれながら、本質能力エッセンテティアを持たなかった母には、母なりの葛藤があったのだとは思ってる。それでも志麻の首に手をかけ彼女の心身に傷を残した母。家族が、街が一番大変な頃に逃げるように去って行った母のことを思い出すと、空虚な気持ちになる。志麻には、アスミのような「何かを尊い」と感じる気持ちがない。


 かろうじて無事だった部屋の片隅の小物入れを開けると、やはり記憶の通りにあった。母の指輪である。黄金色こがねいろの細いリングに、青水晶。この小さな水晶が山川家に伝わる由緒あるもので、志麻が使えば、相応のリスクを払った上で能力行使に必要な詠唱時間を短縮することができる。名を、水晶武装「蒼影あおかげ」という。


 指輪は、結婚指輪を兼ねていたはずだ。それを志麻の母は当然のように置き去りにし、何処かへ、父と志麻がいない場所へと去って行った。


 指輪を薬指にはめると、ピタリと馴染んだ。自分があの女になったようで、息が苦しくなる。あの女の視界には、きっとアスミが語っていたこの街の美しさなんて、映っていなかった。


 志麻は母の部屋から出るとそっと扉を閉めて、戦場に向かって歩き出した。


 自分には守りたいものなんて、ない。だったらせめて、この街のアカリが綺麗だなんて言うアスミを守るように、生きていこう。自分に価値がないのなら、そのくらいができなければ生きてる意味がない。


 幼い日から暮らしてきた家を後にする時、志麻は自分が涙を流しているのに、自分で気づいていなかった。

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