Section4-3 夜の帝王

「あちゃー。どうも戦闘が始まったっぽいよ」

 蒼谷市上空を飛翔するウロが僅かに深刻さを滲ませた声で告げた。

「わかるのか?」

「戦ってさえいれば『人化』してても遠くの魔力を感知できるからね。それはそうと紘也くん、やっぱりあたしは背中に乗せるよりお姫様だっこした方が楽なんだけど?」

「愛沙が巻き添えを食うかもしれない。ウロ、急げ」

「……しくしく、やっぱスルーですかい」

 こんな時にいちいち突っ込んでいられない。それにもう二度とあんな屈辱的な担がれ方はごめんだ。もし今後も空を飛ぶ機会があったとしても、今みたいにウロボロスというサーフボードで空中サーフィンをする形になるだろう。

「でも、あのヴァンパイアが大事な人質を巻き添えなんかで傷つけるようなヘマ、しないと思うよ」

「あん? どういうことだ?」

 さらに飛行速度を上げつつ、ウロは容赦のない分析を口にする。


「並の術者よりちょっと強いくらいが集まったところで、人間じゃあヴァンパイアには勝てないんだよ」


        ∞


 ビュン! と大気が悲鳴を上げた。

 葛木香雅里の持つ宝剣〈天之秘剣・冰迦理〉が、盛大に空振りした音だった。

「はぁ、はぁ、妖魔なんかに、こんな妖魔なんかに……」

 息を荒げ、額から血を流した香雅里は前方を親の仇を見るようにキッと睨んだ。重たい雲で覆われた暗天を背景に妖魔――幻獣ヴァンパイアが佇んでいる。

 無傷で。

「君も頑張るねぇ。でも僕は暇じゃないんだ。早く彼らみたいにくたばってくれないかな?」

 ズボンのポケットに手を入れ、余裕ぶった表情で香雅里を見下すヴァンパイア。一見隙だらけに構えている敵に、香雅里は床を全力で蹴って突撃する。

 葛木家秘伝の術式で強化した体が蓄積されたダメージのせいで軋む。苦悶に表情が歪むが香雅里は止まらない。止まるわけにはいかない。

 香雅里は葛木家の精鋭を十三人率いて妖魔討伐に赴いた。だが、その十三人は全員、屋上のあちこちで倒れている。考えたくないが、既に事切れている者もいるかもしれない。

 これが、夜の帝王。

 香雅里はヴァンパイアを甘く見ていたわけではなかった。寧ろその脅威を充分に承知した上で討滅するに足る戦力を揃えたはずだった。

 なのに、全員でかかっても全く歯が立たなかった。徒党を組んだ赤子が刃物を持つ大人に挑んだように、埋めようのない実力差に一方的に蹂躙された。

 香雅里の判断ミスが失敗を招いたことになる。その責任を強く感じている香雅里は、最後の一人に「逃げてください」と言われても、ここで退くわけにはいかなかった。

「――はっ!」

 渾身の力を込めて刀を振るう。左から右に青白い残光を引く〈冰迦理〉がヴァンパイアの頭部を真横に分断せんと疾る。

 が、ヴァンパイアは二本の指で〈冰迦理〉の刃を容易く白刃取りしてみせた。ニヤついた顔が香雅里の感情を逆撫でする。

 激情に任せ、叫ぶ。

「凍りつけぇえッ!!」

 ありったけの魔力を〈冰迦理〉に注ぐ。刀はそれに答え、刀身に絶対零度の冷気を纏う。だがそれよりも先に、ヴァンパイアの掌底が鳩尾を強く殴打した。

「がはっ」

 大気に波紋が生じ、体を粉砕されるようなとてつもない衝撃で香雅里は吹き飛ばされる。

 ……死ん、だ?

 そう思った。痛みは感じていない。視界が真っ白に染まり、意識が遠退いて行く。

「カガリちゃん!?」

 とその時、助けるべき人質――鷺嶋愛沙の悲鳴が遠く聞こえた。ハッと正気づき、どうにか意識を取り留める。

「そうだ、私はまだ死ねない。せめて彼女を助けないと、彼に、秋幡紘也に会わす顔がないじゃない」

 連盟の仕事だからって彼らの協力を断ったのは自分だ。こちらでなんとかすると言っておいて、死んだので失敗しましたでは話にならない。

「みんなの仇も討たないと!」

 視界が正常に戻る。遠くに見える茫漠とした屋上に、ヴァンパイアと蝙蝠娘たちに捕らわれた鷺嶋愛沙の姿を確認する。

 遠くに、見える?

「――ッ!?」

 香雅里は自分が空中に放り出されていることをようやく理解した。下に見える地面も遠い。この高さからだと、いくら術式で強化した肉体でも耐えられない。

「う……そ……」

 吹き飛んでいた体が一瞬停止する。物理法則に従い、落下が始まる。

 両の瞳に涙が滲む。今度こそ死んだという絶望と、一矢すら報いることもできなかった悔しさに支配される。

「た、助けて」

 だから、そんな弱音を無意識に吐いてしまった。

「――かがりん!!」

 直後、視界の端に金色の翼らしきものが映った。かと思うと、香雅里から落下していた感覚が消え去った。代わりに自分がなにか温かいものに包まれる感覚を覚える。

「悪い、葛木。屈辱的かもしれんけど少し我慢してくれ」

 すぐそこに見覚えのある顔があった。秋幡紘也だ。自分は彼に受け止められているようだ。それもフィクションの世界でしか見たことのないお姫様だっこで。

 普段であれば喚いて彼を殴っていただろうが、今はそんな余力などない。

「なんで、来た、のよ」

「愛沙を助けるために決まってるだろ。ああ、別に葛木を信じてなかったわけじゃないぞ。俺は自分で動かないと気が済まない性質なんだ」

 彼の言葉から、鷺嶋愛沙ほどではないが自分のことも心配してくれている感情が伝わってきた。とても優しい感情だった。

「紘也大佐! 紘也大佐! 緊急事態であります! やはり一人乗りのウロボロスさんに二人は厳しいようです!」

「どうにか踏ん張れ」

「しかし大佐、『人化』した状態だと浮遊魔術の制限が自分と大人一人分なのですよ」

「いいから頑張れ。墜落したら眼球にカラシ塗りたくってやる」

「そんな殺生な!?」

 ヨレヨレと、安定しない飛行でウロボロスは巨大な廃ビルの屋上へと向かう。

「まあ、なんだ、あとは俺たちに任せてくれないか?」

 そう紘也が言った瞬間、彼らが来てくれたことに安堵してしまったのか、一度取り留めた香雅里の意識が朦朧とし始める。

「………………ごめ、ん」

 絞り出した力のない声でそれだけ囁くと、香雅里の意識は暗転した。

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