Section2-3 HR前の一時

 蒼谷市は県下でも比較的大きな城下町である。

 中央に鎮座する蒼谷城を中心に市街地、それを囲むように住宅地や工業区などがドーナツ状に広がっていて、南北に走る穂手川が市を一刀両断する形になっている。東西の境目がはっきりしている、見た目わかりやすい街だ。

 紘也が通う私立蒼洋高校は西区――紘也の家から穂手川の支流を挟んだ国道沿いにある。一応進学校であるのだが偏差値はそれほど高いわけではなく、紘也がこの高校を選んだ理由は単に自宅から徒歩二十分の近場というだけ。他意はない。

 紘也のクラスは二年二組。四階建て校舎の三階中央に位置する。

 時刻は七時四十分。流石に少し早く着き過ぎてしまった。HR開始五十分前だけあって、まだ生徒は疎らだ。

 と、その中によく知る顔が一人――長い黒髪に赤いリボンの女子生徒が真ん中辺りの席でハードカバーを熟読していた。

「おはよう、愛沙」

 女子生徒――鷺嶋愛沙にウロボロスの時とは真逆のイントネーションで挨拶する。制服である夏用の半袖セーラー服を着た愛沙は、ハードカバーをそのままに顔だけをこちらへ向けると、いつものふんわりとした笑顔と口調で返してきた。

「あ、ヒロくん、おはよう。今日はなんだか早いね」

「いやなに、また親父が迷惑な時間に電話入れてきたってだけだよ」

 愛沙は読書部なる部活に所属しており(確か部員は五人だったと記憶している)、朝の物静かな教室で本を読むことが好きでこんな時間から学校に来ているのだ。彼女曰く、運動部の朝練と同義らしい。

「ヒロくんのお父さんって、今、ロンドンだっけ?」

「移動してなければ、だけど」

「だったら仕方ないよぅ。イギリスと日本の時差は九時間もあるんだよ?」

 それは知っているが、電話するならそこを考えた時間にしてほしいものである。

「なにを読んでるんだ?」

 父親の話はあまりしたくないので紘也は話題を変えた。すると愛沙は背景にお花畑が幻視できそうな笑顔になり、

「えへへ、海外のミステリー小説です。そんなに有名な作品じゃないから、ヒロくんは知らないかな?」

 愛沙はパタンと本を閉じて表紙を紘也に見せてくれた。ピカソが描いたようなよくわからない芸術性を感じるイラストに、『バナナの悲劇』というコメディー要素しか読み取れないタイトル。紘也が知っているわけがない。

「あっ」

 なにかに気づいたように愛沙が口をぱっくりと開ける。

「どうかしたのか、愛沙?」

「はうぅ、栞挟むの忘れてたぁ……」

 しゅんと肩を落として読んでいたページを探し始める愛沙に苦笑し、紘也は自分の席である窓際最後列――の一つ前の席に座る。

 それから学生カバンをまさぐり、ブックカバーをした分厚い本を取り出す。父親の書斎から拝借してきた幻獣に関する魔術書だ。いろんな意味で命に関わってくることだから、テスト勉強よりも大事だろう。それに紘也はテストを一夜漬けで受けるタイプの人間だ。

 珍しく真剣に本を読んでいる紘也に興味を持ったのか、愛沙がてくてくと歩み寄ってきた。

「ヒロくんも、読書?」

「ああ、といっても普通の人には見せられないタイプの本だけどな」

「えっと、魔術書ってやつだよね? いいなぁ、わたしも読んでみたいな」

「いやだから、普通の人には見せられないんだって」

「お願い、ヒロくん! ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから見せて」

 どうにかして中身を見ようと紘也に密着してくる愛沙。即座に魔術書と理解してくれるのはありがたいが、読書家魂に火がつくと積極的になってしまうから困りものだ。綺麗な黒髪からする優しい香りが鼻腔をくすぐり、意外とボリュームのある弾力が腕にあたって紘也は思わず本を手離しそうになる。

「あ、愛沙、あたってるあたってる」

「え? ふぇええええええええっ!?」

 ぼふんと耳まで紅潮して愛沙は紘也から離れると、背後の机と椅子をガシャンと派手に倒してしまった。ちなみにそこは孝一の席だ。愛沙がはわわわと慌てて机を元に戻している隙に、紘也は魔術書をカバンに仕舞う。

 愛沙はキョロキョロと自分の痴態が周囲にバレていないか確認して安堵の息をつく。残念なことに思いっ切りバレている。けれど、二年二組のクラスメイトは空気の読めるいい奴らばかりなのだ。

「そういえばヒロくん、昨日の女の子はなんだったのかな?」

 記憶を手繰るように人差し指で顎を持ち上げ、愛沙が訊いてきた。いつか来るだろうその話題を想定していた紘也は自然な調子で、

「さあ? 夢だったんじゃないか?」

「いや、夢にしてしまうには勿体ない経験だぞ、アレは」

 受け答えした声は真横からあった。

「おわっ!? 孝一、いつの間に」

 そこには男子の嫉妬と羨望を集める美麗な顔立ちをした男子生徒がいた。愛沙と話していたせいか微塵も気配を感じなかった。というか、彼――諫早孝一はいつも始業時刻ギリギリに登校してくるのだ。こんな時間から現れると誰が思うだろうか。

「コウくん、おはよう。今日はコウくんも早いんだね」

 紘也の疑問を愛沙が代弁してくれた。今日はなにかあっただろうか? 日直ではなかったはずだが……。

「紘也の匂いがしたから」

「待て、お前はそんな変態キャラだったか?」

 紘也はジト目で孝一を射る。変態は父親とその蛇幻獣だけで間に合っている。

「冗談だ。ただオレは、紘也が寮の前を通ったら登校することにしているのさ」

 確かに紘也の登校ルートは学生寮の前を通る。それがだいたいHR開始の十五分前だから、それから準備しているのならば時間ギリギリにもなるだろう。納得した。

「あー、だからヒロくんがお休みの日は遅刻してるんだね」

「そこはちゃんと間に合うように行けよ!」

 孝一は学校の試験では常に上位なのに、どういうわけかアホに見える時があるから不思議だ。これが馬鹿と天才は紙一重とかいうやつだろうか。

「それよりもだ、紘也。惚けるということは、あの後、件の少女と接触したみたいだな」

 う、と図星を衝かれた紘也の表情筋が固まる。やっぱり孝一は鋭い。横で「え? そうなの?」と本気で夢にでもしてしまいかねなかった愛沙とは大違いである。

「図星か。さて、オレたちに隠し事はなしだぜ。なにがあった?」

「ヒロくん、ちゃんとお話してくれるよね?」

 孝一も愛沙も顔がマジである。そんな二人に空恐ろしさを感じ、紘也は観念して魔術師連盟の事故、幻獣、そしてウロボロスの少女のことを漏らさずに説明した。この二人なら、紘也が魔術師の息子だと知っているこの二人なら、きっと話しても問題ない。

「う~ん、これはわたしたちも気をつけないとダメかな?」

「幻獣か。昨日の鬼火もそうなのなら、その括りは広そうだな。一般人でも撃退できる方法があればいいんだが」

 なんだろう、二人に話したらスッキリした。直接的な戦力にならなくとも、親友という存在はこれほどまでに心強い。それを、紘也は改めて実感することができた。

「安心しろとは言わないけど、ウロボロスにはみんなも守るように言ってある。いい加減な奴だけど、親父の幻獣なら信用できそうだしな」

 現在の彼女がなにをしているか想像してみる。……どうしよう、ソファーに座ってひたすらモンバロに興じている姿しか思い描けない。

 ちゃんと学校周辺を警備しているのか不安になっていると、孝一が「それだ!」と教室内に響き渡る声を出した。流石に人数が増えていて、みんなビックリして孝一に注目するが、すぐにまた妙な思いつきでもしたのだろうと目を逸らしていく。

「な、なんだよ」

「ウロボロスと名乗った少女。うん、是非とも紹介してもらいたいものだ」

 どうやら孝一は変なスイッチが入ってしまったらしい。

「わたしもその子とお友達になりたいなぁ」

 と思ったら愛沙もだった。孝一はオカルト的興味からだろうが、愛沙は言葉通りだろう。

 いつもと変わらない友人たちを感じながら、紘也は苦笑いする。

「まあ、そのうちな」

 だが、早くて放課後だろうという紘也の予想を裏切り、ウロボロスの紹介イベントは割とすぐに起こるのだった。

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