Section1-3 語られる世界の現状

 蒼谷市の西区にある住宅街。そこに建つ庭つき一戸建て住宅が紘也の自宅だ。

 近所の家々と見比べてもそれなりに自慢できる大きさであるのだが、ここには紘也一人しか住んでいない。家族と呼べる者は父と母、妹が一人。世界魔術師連盟の大魔術師である父は一年のほとんどを海外で過ごしているし、どうもファザコンの気が強い妹もそれについて行ってしまっている。母もいない。紘也がまだ小学生の頃、とある事故のせいで海外での病院暮らしが続いている。

「ほうほう、なかなかに立派なお屋敷に住んでらっしゃるようで」

 ウロボロスはリビングに入るや否や、はち切れんばかりに大量の菓子類が詰め込まれたレジ袋二つをテーブルの上に置いた。

「パーティーでもするつもりかよ。それともお菓子が主食の家出少女かお前は」

 遠慮の欠片も見せずソファーに身投げした少女に呆れつつ、紘也はコンビニで買ったスポーツドリンクを一気に飲み干す。

「紘也くん紘也くん、テレビのリモコンを知らんかね?」

「なにいきなり全力で寛いでんだよ! あんたの用件とやらをさっさと話せよ!」

「んなことは後だぁ! 早くリモコンを! 早く! でないと間に合わないよ!」

「……クッションの下だと思う」

 なんかすごく切羽詰まった状態だったので紘也は仕方なく教えることにした。

「おー、あったあったありやした! それでは早速ポチッとな!」

 妙な掛け声と共に少女はテレビをつけて目まぐるしくチャンネルを変えていく。もしかすると、彼女の言う『用事』に関係があるのかもしれない。どっかの組織が魔術的に電波ジャックしてこの家にだけ映像を送ることになっている、とか。

 だが、止まったところでタイミングよくアニメのオープニングが始まった。『殲滅魔天使リリン☆カタラ』とかいう物騒なタイトルの魔法少女物だった。

「ふひぃ、危ない危ない。この作品は毎回オープニングが微妙に違うから見逃すわけにはいかないんだよね」

「おい」

 紘也は真っ白な視線を少女に向ける。変に緊張してしまった自分が馬鹿らしく思えてきた。どうしてくれよう、この変質者。

「あんた、ふざけてんならなにも言わず出て行ってくれないか」

「変身シーンキタァーッ! 毎回使い回しをしないところはすごく力入れてると思うわけですよ、ここのスタッフ」

「……」

 紘也は黙ってテレビのコンセントを引き抜いた。

「ふぎゃぁああああああああああああッ!? な、なんてことすんのあんた鬼かぁッ!?」

「うっさい黙れ用件済ませてとっとと退場しろよ日本から」

「国外追放!? そんな、それだけは堪忍してやお代官様ぁ~」

「言うべきことはそうじゃないだろう?」

 キッ、と紘也は威圧全開で睥睨した。人を殺せそうな視線を初めて使った瞬間だった。

「うくぅ、わかりましたわかりましたよぅ。ふむ、まったく紘也くんはせっかちなところがいけ――あぁあああああああッ!?」

「な、なんだ!?」

 なにやら本気で驚いた叫びを上げる少女に紘也の肩がビクゥと跳ねた。彼女は不自然なまでに瞠目し、口をわなわなと震わせている。

 なにごとか、と思っていると、彼女はカエルのような跳躍で本棚の横にある籠へと飛びついた。籠には大量のゲームソフト――三分の二ほどが寮暮らしの孝一が置いているものだ――が山積みになっている。彼女はその一番上のソフトを引っ手繰ると、秘宝を発見した勇者のように天に翳した。

「こ、こ、コレは巷で人気の格ゲー『大乱戦・モンスターバトルロイアル』じゃあないですかぁ! 略してモンバロ。やりましょう! 是非にとも今すぐにやりましょう!」

 そのおぞましい地獄絵図を想像してしまいそうなタイトルは、登場キャラがモンスターもしくはエルフなどの亜人種のみという斬新な格闘ゲームとして話題を呼んでいる。紘也も先週の休日には孝一と一日中盛り上がっていた。

 青い目をキラッキラと輝かせる少女に、紘也は怒りを通り越して溜息をつきたくなった。

「おいこら、用事はどうなった?」

「ふっふっふ、話が聞きたければこれでこの百戦錬磨のウロボロスさんを打ち負かすことだね。あ、もちろんあたしの使用キャラは『ウロボロス』です!」


 五分後。

「初心者相手にそんなハメ技ばっか使うなアホんだらぁああああああああああッ!!」

 なんかすごい勢いで逆切れされた。それにしても自信の割にはすこぶる弱かった。片手でコントローラーを握っても勝てそうだ。

「話せ」

 コントローラーを置き、紘也は短く凄みを利かせて言い放った。もう何度促したことだろう、次に話を逸らしやがったらチョキで両目を突いてやる。

「うぅ、わかったよぅ。約束はしっかり守るのがウロボロスさんです」

 ウロボロスは一拍置いて、表情に真摯さを滲ませて口を開く。

「単刀直入に言います。紘也くん、あたしと契約してください」

「却下」

「打てば響くようにフラれたっ!?」

 失恋した女子高生みたいな反応でソファーに顔を埋めるウロボロス。契約というのはつまりアレだろう。彼女が紘也の契約幻獣となること。そんな非日常に引き込まれるようなことはごめんである。

「俺、魔術師じゃないし。あんたと契約なんかできねえよ。する気もない」

「え? でも紘也くん、ものすごい魔力持ってるよね?」

 ……こいつ、見破ってやがる。

 世界魔術師連盟指折りの大魔術師――秋幡辰久の息子である紘也には、並外れた魔力が秘められている。そのことは紘也自身も認めている事実だ。しかし――

「俺は魔術なんて一切使えない。そもそも、あんたと契約することになんの意味がある?」

 紘也は魔力が有り余っているだけの、ただの一般人でしかないのだ。

「えーと、紘也くん。紘也くんはこの世界が今どんな状況か理解してる?」

「環境問題がやばい」

「あぁうん、知らないんだね。えっとですね、今この世界には幻獣がドバァーッ! て溢れてんですよ。そんでもって、世界中でその幻獣たちが人間を襲っているのです」

「そりゃまたどうして?」

 これまで魔術とはほとんど無縁に過ごしてきただけに、紘也には遠い世界の話のように聞こえていた。

「世界魔術師連盟がヘンテコな実験を行っててさ、それがもう盛大に失敗しちゃって。無理に穿った次元の穴からドドドバズシャァーッ! って逆流してきた幻獣が世界中に召喚されたのですよ。あ、あたしは違うよ。以前からこっちにいたウロボロスさんなのです」

 けっこう、いや、かなり深刻な内容だと思う。でも、深刻だという実感を全く覚えないことはウロボロスの緊張感のない下手糞な説明が原因に違いない。

「それでね、この前の流星群は知ってる?」

「ああ」

 三日前だったか、予測されていなかった謎の流星群が世界中で観測されている。日本では今朝方だったためニュースでしか見られなかったが、空一面を覆う星の群れは画面越しでも凄まじい光景だった。天変地異の前触れではないか、とも噂されている。

「アレ、全部幻獣なんだよ」

「なっ!?」

 紘也は絶句した。なんでそこはニュースになってないんだと疑問を覚えたが、現代最高規模の魔術組織である連盟が関わっているのなら、もみ消しや隠蔽や情報操作くらいできて当然だ。

「その幻獣がなんで人を襲うんだ? 腹が減るからか?」

「えっと、幻獣の体は『マナ』っていうエネルギー体で構成されてるんですよ。マナ、ゲームとかでよく聞くよね。まあその語源だと思ってくれていいよ。んでもって、マナはこっちの世界には存在しない。だから我々幻獣はこっちにいると体の構成マナが乖離して消滅しちゃうんだよ。これ、世界の拒絶ね。んで、マナの乖離を防ぐために幻獣たちは魔力を用いる。『人化』もそれを緩和する手段の一つなんだ。誰でも消滅は嫌だからね。だけど自分で生成できる魔力量よりも消費していく量の方が僅かに多くって、普通は魔術師の契約者から供給して補ってもらうんだよ」

 彼女の微妙に長い話を脳内でまとめつつ、紘也は魔術書で得た知識を思い出していた。

「つまり、その契約者を持たない野良幻獣が人を食らって生命を維持している、と?」

「オゥ! 意外と物わかりがよろしいですなぁ。その通り。人間は地球上の生物で唯一魔力を持ってるんだよ」

 それもなんかの魔術書で読んだことがある。魔術師でもない限り魔力なんて意識することはないから、大半の一般人は気づくことなく人生を終えているのだ。

「そんなわけで、人間の中でも飛び抜けた魔力を持ってる紘也くんは幻獣にとっっっても狙われ易いのですよ。現に先程ウィル・オ・ウィスプに襲われてたしね」

 彼女の言った『日常の破壊』と『死』の意味を紘也はやっと理解できた。自分を狙っていつ幻獣が襲ってくるのかわからないのだから、孝一や愛沙、周りの人たちも巻き込んでしまう恐れがある。最悪だ。

 守らなくては。自分の身もそうだが、友人たちや、彼らと過ごす平和な日常を。

 そして、最も警戒しなければいけないのは今だろう。

「あんたも幻獣ってことは、俺を食らいに来たってことか?」

 紘也は僅かに身を引く。ウロボロスは〝永遠〟や〝消滅〟などとは別に、自身すら呑み込む〝貪欲〟があるのだ。

 いつでも動ける姿勢でいると、彼女はとても心外そうな顔をした。

「いやいや、だから契約してって言ってるじゃない。あなたを守ってあげるのですよ」

「そうか、俺を非常食として管理下に置くつもりだな」

「言葉の通りに受け取ってくれないかなぁ! あたしは人間を天然記念物ばりに保護したいと考えてるのにさ!」

 人間としてはウロボロスなんて生物の方が天然記念物だ。

「そもそも、〝無限〟のウロボロスさんは魔力がデフォルトで〝循環〟してるから底を尽きることはないのですよ!」

 その設定も大概にチートだ。

「まあ、襲うつもりなら最初からそうしてるだろうけど、あんたのその能力が本当なら契約なんてする意味はないんじゃないのか?」

「いえいえ、建前上いろいろとあるんですよ」

 なぜかウロボロスは言葉を濁したが、紘也はひとまずそれで納得することにした。そこを深く突っ込むと長くなりそうだからだ。しかし、疑問点はまだまだ沢山ある。

「でも、なんで俺なんかと契約したいんだ? 俺はちょっと魔力量が多いのかもしれないが、どこにでもいる高校生に過ぎないんだぞ」

 言うと、ウロボロスは微かに目を細め、感慨に耽るように窓の外を見た。

「紘也くんは覚えてるかな、十年前のこと」

「十年前? ……まさか」

 紘也の母親が事故に巻き込まれたのが十年前。あれは紘也が原因と言っても過言ではない魔術的な事故だった。それがきっかけで紘也は魔術を習うことをやめてしまったのだが、もしかしてその事故になにか関係が――

「そう! あたしは十年前にあなたに助けていただいた蛇なのですよ!」

「俺にそんな過去はないしあったとしても蛇の恩返しなど誰が受けるかっ!」

「むむむ、蛇じゃなくってドラゴンだってば!」

「たった今自分で蛇って言ったよなっ!」

 幻獣って殴ったら動物虐待にカウントされるのだろうか。

「わぁ!? なんか鬼みたいな形相で拳をチョキに構えてるのは一体どゆこと!?」

「貴様がありもしない過去を捏造するからだ」

「ジョークだよイッツアジョーク! ところで『貴様』って言葉を使う人珍しいよね」

 ――グサッ!

 紘也の叩き込んだV字型の拳が青い瞳を遺憾なく貫いた。

「ぬわぁああああああ目がぁああああああああああああッ!?」

 両目を押さえてカーペットの上を転がるウロボロス。いい加減、彼女のハイテンションにも慣れてきた紘也である。

「いきなりなにすんだぁッ!? あたしじゃなかったら失明してるとこだったよッ!?」

「安心しろ、俺もあんたじゃなかったらやってない」

 すごい。もう既に〝再生〟が完了しているとは流石ウロボロスだ。

「ううぅ、あたしだって人並みに痛みは感じるんだよぅ。目潰しは肉体的にも精神的にも痛いんだよぅ……ううぅ……」

 ウロボロスはマジ泣き一歩寸前の状態だった。そうしていると普通の女の子に見えてしまい、紘也はちょっとやり過ぎたかと思ってしまう。

 だから、次は幾分か優しくあやすように話しかけることにした。

「ほら、俺と契約する本当の理由を教えてくれれば、もう目潰ししないから」

「実はあたし、悪の組織に追われてるんだ。だから力を貸してほしいのですよ。テヘ♪」

 ――グサッ!

「にょわぁあああああああああああああッ!?」

 紘也は無慈悲だった。

「次は目にストローぶっ刺して炭酸飲料流し込んでやる」

「なんでそんなピンポイントで目ばっかり狙おうとするんだあんたはぁッ!?」

「いや、なんとなく一番効果的かなと思って。人体急所だし。――そうだ、チャッカマンで眼球炙ってみるのも面白いかも」

「爽やか青少年な顔して発想が恐ろしいんだよ!?」

 喚き散らすウロボロスは黙殺し、紘也はテーブルの上のいろんな物が挿してある筆立てから本当にチャッカマンを掴み上げた。それを掌で弄びながら、脅すように言う。

「さあ、三度目の正直だ」

「い、いやね、それが、そのね、海よりも高く山よりも深い理由があってですね」

 とんでもなく平坦だった。だらだらと滝のように冷や汗を流すウロボロスは本当の理由を言いたくないのか、紘也と目線を合わせようとしない。

 普段の紘也なら言いたくないことを無理に聞き出すことはしない。だが、今回ばかりは事情が違う。納得と安心ができる理由を聞かない限り、幻獣などという危険な存在を信用するわけにはいかないのだ。

「お前、ホントいい加減にしろよ」

「えっとね、魔術師連盟が関わってると言いますか、個人的な問題と言いますか……」

「は? 魔術師連盟が?」

 ――Trrrn! Trrrn! Trrrn!

 その時、テーブルに置いてあった携帯が機械的な音を奏でた。着メロを使用していないベル音は友人以外からの電話であることを示している。

「ほら、ケータイ鳴ってるよ」

 こんな時間に誰から? と訝しみながら紘也は携帯を開く。画面には『父』と表示されていた。嫌な予感がした。

「ちょっと席外すが、大人しくしとけよ」

「じゃあさ、モンバロやっててもいい? いいよね? ね?」

 上目遣いで瞳を輝かせるウロボロスは、紘也の返事も待たずゲーム機の電源をONにしていた。好きにしろ、とだけ言い残し、紘也は断続的に鳴り続ける携帯を持ってリビングを後にした。

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