天井裏のウロボロス

夙多史

Volume-01

Section0-1 プロローグ

 燐光のような青白い輝きが、暗闇の中に円環を描いた。

 円の内部に、同じ輝きの絵とも文字ともつかない幾何学的な紋様が浮かび上がる。光は遮られることなく拡散し、周囲の様子を照らしていく。

 ひたすらに広い空間がそこにあった。一定間隔に誘導灯が埋められている長大な道路は、空港の滑走路である。それも長い間使用されていない寂れた雰囲気の廃空港だ。

 光の円は地面に描かれており、その四方を四つの尖塔らしき構造物が囲んでいる。

 滑走路には十人ほどの人間が円を中心に散らばっていた。彼らは一様に夜色のローブを纏い、フードを深く被っているため老若男女のどれにあたるのか判然としない。

 魔術師。ここにいる者たちは、全員がそう呼ばれる存在である。

 光の円――魔法陣の輝きが強さを増す。

 魔術師の一人がフードを外した。男性だ。

「前回の失敗から半年。ようやくだ。次こそ、この実験が成功するといいな」

 渋くも穏やかな声音。それとは裏腹に男の顔立ちは随分と若い。見た目だけだと四十には達していないと思われる。鋭い輪郭に無精髭、厳しさと優しさの両方が窺える双眸を周囲の魔術師たちに向けている。

「我々はこれから一時的に次元の扉を開くことになる。いや、世界と世界を繋ぐ穴を穿つ、と言った方がいいか。とにかく召喚術などとは違い、なにが起こるかわからない。皆、注意を怠らないように」

 男は大げさな身振り手振りを加えて周りの者たちに言い聞かせる。

「諸君らも知っている者は多いだろうが、我々がこれから次元の壁を越えて触れようとしている異世界――幻獣界には、『マナ』というエネルギーが存在する。それは幻獣界では万物の源だと聞く。もちろん、我々の世界にはない。たとえなんらかの手段で持ち込んだとしても、元々こちらには存在し得ない物だから、世界が拒絶し、消滅していた」

 周りの魔術師たちは黙って男の話に耳を傾けている。

「だが、もしもだ。この世界に『マナ』を満たすことができればどうなると思う? 新たなエネルギーとして人々の役に立つのか、それとも我々魔術師だけが利用でき、発展していくのか。どちらにせよ得られるものは大きい。つまり、この実験は『マナを世界に満たす』ためのものだ。皆、全力を尽くし、必ず成功させよう」

 演説じみた話はそこで終了し、男は子供のように無邪気な笑顔ではにかんだ。

「さあ、始めようか」

 その言葉を合図に、魔術師たちは魔法陣を囲む形に展開した。瞬間、青白い輝きが思わず目を庇いたくなるほど強烈になる。

 光が四つの塔に均等に吸収されていく。それぞれの塔の先端が淡く輝き、そこから光線が内側に向かって照射された。各光線は中央で衝突して交わり、満月にも似た光球が生まれる。それでも照射は終わらず、光球は目に見える速度で膨張していく。

「四大属性の魔力、充填完了。〈四の蘊奥うんおう〉に異常なし。魔力の流れに乱れなし。いいぞ、順調だ」

 数多の失敗を重ねてきた実験が初めて成功の兆しを見せている。男が嬉しさのあまりはしゃいだ声を出した、その時だった。

 ガタン、となにかが外れる音。続けて四つの塔――〈四の蘊奥〉に亀裂が走った。

「おいおい」

 後は自然な流れだった。亀裂が全体に広がる前に塔は崩れ落ち、付近にいた魔術師たちは逃げ惑い、あれだけ輝いていた魔法陣も瓦礫に埋もれて光を失った。


 …………………………。


 皆が沈黙し、呆然と惨状を眺める。そんな中、男は頭をボリボリと掻いて溜息をついた。

「あーあー、やだねもう。次空を切り開いてトンネル掘って、さらにそこから未知エネルギーを取り出して世界に定着させようなんて無茶苦茶な魔術、失敗するに決まってるでしょうが。俺もうこの実験降りていいかな?」

 先程までの口調とは一変し、これ以上ないくらい億劫そうに男は愚痴た。引き締まった表情に窺えた威厳も、今ではどこかにすっ飛んでいる。

「な、なにを仰っているのですか主任! あなたはこの実験の責任者なんですよ!」

 魔術師の一人――声からして若い女性――が慌てたように駆け寄ってきた。男はかったるそうに彼女を見やる。

「いやほら、俺って別にエネルギー革命にはそれほど興味ないし。そもそも上からの御命令だし。ぶっちゃけもう飽きたし」

「あなたは世界魔術師連盟の誇る大魔術師が一人、秋幡辰久あきはたたつひさ様ですよ。周りが幻滅するような言葉をおいそれと口にしないでください」

「なにそれ? 世間体を気にする貴族かなんか?」

 男――秋幡辰久が茶化すように言うと、部下である女魔術師から更にガミガミと説教が返ってきた。素直に聞くわけもなく、辰久は指で耳栓をする。

「うわっ、なんだこれは!?」

 と、部下の魔術師の一人が悲鳴を上げた。

「瓦礫の隙間から光が!?」「なんだこの凄まじい魔力は!?」「実験は失敗したのではないのか!?」「まさか成功?」「いや、『四の蘊奥』は崩れたのだ。もう術式は機能していない」

 騒ぎは他の魔術師たちにも伝播していく。辰久も実験の残骸に目を向けると、確かに異様な光が瓦礫の中から漏れていた。

「これは……」

 僅かに目を細める辰久。このような現象が今までの失敗で発生したことはない。まさか、本当に実験は成功していたのだろうか?

「いや……」

 魔力が膨張している。カラン、と瓦礫の山から小さな欠片が転げ落ちた。

「いかん、みんな離れろ! 暴発するぞ!」

 戸惑いつつも興味本意で近づいていた部下たちは、辰久の指示を受けると逆らうことなく迅速にその場から避難した。

 直後、積み上がった瓦礫を吹き飛ばし、一条の光が星空に向かって伸びた。

 光の柱は上天で花火のように弾けると、四方八方に飛散して夜空を明るく彩った。まるで無数に降り注ぐ流星群のような美しさに目を奪われかけた辰久だったが、これが実験の成功ではなく、最悪の失敗だということをすぐに思い知る。


 グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 凄まじい獣の咆哮が立ち上る光柱から轟いた。

「今の声は……幻獣か? まさか、?」

 再び天を仰ぐ。光の流星群が休むことなく空を覆っている。

 やがて光の柱は消え、空も元通りの暗天を取り戻した。時間にして一分くらいだろうか。感覚的にはそれ以上だったように思える。

「こりゃあ参ったね、どうも、あははは」

「あははは、じゃありませんよ主任! ど、どどどどうするんですか世界中に幻獣が溢れてしまいましたよ責任重大ですよ打ち首ですよ早く連盟に報告しなくてはっ!!」

「君、もう少し落ち着こうな」

 頭を抱えて蹲る部下に辰久は緊張感皆無な声で言う。

「ん~、ていうか魔術師と契約してない幻獣って人襲うよね? 特に魔力の高い人間とか大好物だよね?」

 わしゃわしゃと自分の頭を掻き乱す辰久に、部下の女魔術師は反射神経を全開にした動きで顔を上げた。フードの中から人を殺せそうな視線を発信している。

「そうですよ! だから大変だと申しているのです!」

 彼女だけではなく、周囲のほとんどの魔術師たちが取り乱している。その中で、大魔術師・秋幡辰久だけは他人事のように落ち着き払って口を開いた。

「俺、息子がいるんだよね」

「はい?」

 意味のわからない言動に、女魔術師はきょとんとした声を漏らした。

「なんの死亡フラグですか?」

「違う違う。俺死なねえし。いやね、秘められた魔力量は半端ないくせに、なに一つ魔術を使えない愚息が日本にいんのよ。で、襲われてなきゃいいなぁってだけの話」

「……世界よりも息子さんのことを心配なさるのですね」

 幻滅の眼差しを浴びせかけられたが、辰久は動じない。

「そりゃあ、俺だって人の親だしさ。心配くらいしてもいいだろう? こっちにいる娘は俺が守るとしても、日本の息子までは流石に面倒見切れないのよ。というわけで、この件が片づくまであいつを守ってくんないかな?」

「え?」

 その言葉は女魔術師にかけられたものではなかった。その背後、塔の残骸の上に立っている小柄な人影に向けられていた。魔法陣の輝きも失い、月明かりと星明かりだけでは何者なのか判別できない。

「あいつに近づく幻獣からあいつを守ってやってくれ。俺の代わりにな」

 人影は小さく首肯すると、残骸から飛び降りてあっという間に消え去った。

「主任、あれは、人間ではありませんね」

「ああ、俺の契約幻獣さ」

 辰久は輝くようなはにかんだ笑みを見せ、強い信頼を滲ませた声で一言。


「これがまた強いんだ」

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