Section5-4 リベカ・シャドレーヌ

 リベカ・シャドレーヌはこの瞬間を二十年間も待ち望んでいた。

「やっと……やっと、また、あなた様と再会できます」

 緑色の眩くも穏やかな輝きに包まれながら、彼女の脳裏にはかつての記憶が蘇っていた。

 リベカはとある国のとある農村で生を受けた。生誕時の記憶なんて残っておらず後から調べたことだが、魔術の『魔』の字も知らない両親が彼女の生を温かく迎え入れなかったことだけは間違いないだろう。

 シャドレーヌ家は非常に貧しかったのだ。

 最初から貧しければまだ救いはあったが、両親共に富豪の出身。交際を認められず考えなしで駆け落ちしたらしい。金銭感覚が庶民とかけ離れ、さらに変なプライドも捨てるということを知らず持ち続けた結果、望まぬ子供を教会に預けたまま失踪する最低な親となった。教会に預けるだけの良心は残っていた、とも言える。

 だが、それは物心つく前の話だ。どうでもいい。

 そう本心から割り切れてしまえるほど、リベカは幼い頃から冷め切った人間だった。

 教会住まいのため毎日よくわからない神に祈りを捧げていたが、一度もその存在を信じたことはない。くだらない日常をくだらないと思いながら過ごしてきた。

 十一歳の時に紛争で教会が破壊されるまでは。

 教会の人間は丁度裏手の森でサボっていたリベカ以外漏れなく殺された。くだらないと思っていたが、一応は十年以上も暮らした家と家族だったことをリベカはこの時初めて実感した。

 そして神なんていないと確信した。

 もしも存在するのなら、それが聖書に書かれている通りの神なら、リベカはこの瞬間に一生分の憎悪を燃やしたことだろう。

 平和な日本では考えられない殺伐とした世界に幼い少女が単身で放り出されたのだ。神が存在していて全能で善能ならそんなことにはならないはずだ。

 紛争地帯を野良犬のように生き続けた彼女は、やがて神だけではなくこの世の全てを呪うようになっていた。

 盗みもした。騙しもした。残飯を漁りもした。生きていくためには仕方なかったが、そうまでして生きる意味も目的もないことにやがて気づいた。

 そうしてついに自ら命を絶とうと実行しかけたそのタイミングで、


「今の人の世に価値などない」


 彼女は彼女の『神』と出会った。

「故に世界は一度滅び、来世を迎えるべきだ。其方にはその手伝いをしてもらいたい」

 最初は胡散臭げだったリベカだが、なぜかその差し延べられた手を取ってもいいと思った。無価値な世界など必要ない。意味のある来世を創造すべきだ。その考えは、十年間聞かされ続けた教会の教えなんかよりも遥かにリベカの心に響いた。

 その時から彼女は『主』と共に立ち、魔術に触れ、同じ志の仲間と歩み始めた。

 既に一定規模の組織を作っていた同志たちの中で、リベカは僅か十三歳で『主』の側近兼お世話係の一人として抜擢された。

 毎日『主』の起床を手伝い、食事を運び、掃除をし、成果の報告などを行う。下っ端の仕事のような雑務だったが、『主』と直接言葉を交わし触れ合えることができるのは彼女たち側近の三人だけなのだ。

 充実していた。初めて『嬉しい』という感情が芽生えた。

 繰り返し『主』が行う魔術実験は一歩一歩確実に滅びへと向かっていた。滅ぶことで救われると信じている者たちにとって、それはどれほど喜ばしいことか。

『主』のためなら自分は喜んで命を差し出せる。それだけの可能性が『主』にはあった。


 全ては我らが『主』のために。輝かしい『来世』のために――。


 世界魔術師連盟の懲罰隊に襲撃されたのは、まさにこれから大規模で本格的な魔術実験を行おうとした時だった。

 当時はまだ大魔術師ではなかった秋幡辰久の率いる部隊は小規模だが強力で、着実に組織を制圧していった。

「どうやら、我らはここまでのようだ」

『主』の自室に招集されたリベカ含む側近の三人は、当たり前のようにその言葉に反発した。諦めの言葉など聞きたくなかった。『主』の力があれば懲罰隊など一掃できるはずだった。

 なのに、『主』は首を横に振った。

「今はまだ、時ではない。どの道一度は試さねばならんことだ」

 そう言って、『主』はリベカたちにそれぞれ同じ十字架型の魔導具を授けた。

「我は転生する。転生体が生まれ、力が覚醒するまで時間はかかるだろうが、時はその十字が報せてくれる」

 十三歳のリベカはぎゅっと十字架を握り締めた。他の二人も同様だった。

「我が組織はこれより三つに分割する。其方らはそれぞれの組織の長となり、それぞれの役目を全うしてほしい」

 三人揃って息を飲んだ。

「まずリベカ、其方の役目は同じ思いを抱えた者たちの救済、そして我の復活だ。今より転生術の詳細を伝えよう。然るべき時に我を起こす存在はやはり其方がよい」

 それは、なによりも重要な役目だった。


「『黎明の兆』――明くる来世の芽生えとならんことを。リベカ、其方は今後そう名乗るがよい」


 そうして誕生した魔術的宗教結社『黎明の兆』の終着点がすぐそこまで来ている。『主』より授かった十字架が輝いた時にはもう、リベカはこの瞬間を鮮明に想像できていた。

 必要な術式は全てマスターしていた。『主』が転生する可能性のある地も全て調べた。問題は連盟に感知され未然に妨害されることだったが、それもこの幻想島を発見したおかげでスムーズに暗躍できた。

 幻想大陸アトランティスは、次元の壁を越えて幻獣界と人間界を行き来する浮浪大地だ。

 あの日、連盟が馬鹿馬鹿しい実験に失敗して世界に幻獣が溢れた時、この大地は丁度幻獣界へ移動する最中だったのだろう。実験失敗の影響で次元の壁が強固となり、世界が閉ざされるのと同時に、アトランティスの一部分が分断されて人間界に残ってしまった。

 それが今リベカの立っている島だ。〈不可知の被膜〉が破れたところを偶然見つけたのは『黎明の兆』ではなかったが、これも『主』のお導きではないかとさえ思えた。

 リベカは『主』より授かった十字架を懐から取り出す。こればかりは復活の文言を唯一知るリベカが適切なタイミングで唱えなければならない。

 否、『主』を復活させるのは自分でなくてはならない。

 最初のそのお姿を見るのは自分でなくてはならない。

 最初に言葉を交わすのは自分でなくてはならない。

 だからこそ、リベカは文言を誰にも教えず、契約幻獣を除いた構成員全員を祭儀場から立ち退かせたのだ。

 今がまさに、その時。

 それでは、最後の仕上げだ。


「――十字は、魂を導く輪廻の標(しるべ)!!」

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