Section1-6 怨嗟の咆哮

 場所は移り、イギリスはロンドンの世界魔術師連盟本部。


「畜生!! 畜生!! 畜生!! 畜生!! 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ぉおおおおおおおおおおおッ!!」

 幻獣専用に設けられた特別集中治療室から怨嗟に塗れた咆哮が響き渡っていた。一種の超音波と化したその叫びは、治療室の強化ガラスを砕き割り、施設全体を大きく揺さぶる。

「おい! 鎮痛剤はちゃんと打ったのか! 興奮剤と間違えたのではないか!」

「なんですか! 聞こえません!」

「鎮痛剤は打ったのかと訊いている!」

「打ちましたよ! きちんとドラゴン用の強力なやつを!」

「ならなぜ大人しくならない!」

「知りませんよ!」

 治療室内にいる医療魔術師たちは、それぞれが防護魔術を展開して咆哮を凌ぎつつ、患者の興奮を抑えようと薬に魔術に魔導具など、様々な手を試している。だがどれも効果はなく、患者は叫ぶことをやめようとしない。

「おのれぇえええええええええっ!! おのれぇえええええええええっ!! あいつめ!! あの野郎めぇえええええええええええええええッ!!」

 バチィィィ! 魔術的に保護されているはずの医療機器が青白くスパークし、黒い煙を噴き始める。

 治療台に縛りつけられた怒り狂う患者に、医療魔術師たちは気力の限界を迎えようとしていた。

「す、すみません……もう、無理です」

「私も……」

「我々では手におえ……」

 一人、また一人と、力の弱い者から気絶していく。

「よくも!! よくもぉおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 そんなことなど微塵も気にかけず、患者――幻獣ヴィーヴルは牙を向き、血走った眼を見開いて叫び続ける。


「よくも私の右眼を奪いやがったなぁああああああああああああああああッッッ!!」


 緑髪の美女の姿に『人化』しているヴィーヴルは現在、顔の右半分をミイラのように包帯で覆い隠されていた。

 ヴィーヴルの宝石眼はどんな暗闇でも見通すことができる反面、簡単に取り外されてしまう。その眼には宝石的な価値はもちろん、幸運効果まで付加しているため、欲深い人間に限らず価値を知る者であればこぞって欲しがるであろう。

 全ての眼を奪われれば当然盲目となる。完全に光を失ったヴィーヴルは生きることができない。自力で生きられないという意味ではなく、盲目となった数分後にはマナの乖離が始まり消滅してしまうのだ。

 ヴィーヴルの眼は命その物。

 だからこそ、ヴィーヴルは眼を奪われないことには常に必死だった。

 なのに、奪われた。あの王を気取った生意気な幻獣に。

「くそがぁあああああああああああッ!! 取り戻す!! 絶対に取り戻してやる!!」

 我を失うほどヴィーヴルの精神は荒れていた。


「だったら咆えずに今は大人しく治療を受けな、お嬢さん」


 医療魔術師が全滅した治療室に何者かが闖入してきた。みすぼらしくも魔術師らしいマントを纏い、鋭い輪郭に無精髭を生やした中年の男だった。

「咆えてばかりじゃ魔力と体力を無駄に消費するだけだぞ?」

 渋く穏やか声音で諌めようとするが、ヴィーヴルは男性の存在にすら気づいていない。

「あぁああああああああああああああッッッ!!」

「だぁーめだこりゃ。俺の声も聞こえんくらい荒れてんのな」

 男――大魔術師・秋幡辰久は頭を掻きながらやれやれと嘆息する。それからその掌を、治療台に寝かされているヴィーヴルの額にそっと添えた。

 そして――

「鎮まれ」

 一言唱えた瞬間、ヴィーヴルの全身が淡い青色に輝いた。すると今の今まであれだけ叫喚し続けていたヴィーヴルの声がピタリと止む。医療魔術師が数人がかりでも不可能だったヴィーヴルの鎮静を、辰久はたった一人であっさりやってのけたのだ。

 もっとも、ヴィーヴルが彼の契約幻獣でなければこうはいかなかっただろうが。

「ボ……ス……?」

「落ち着いたか?」

「あんな野郎に……負けるなんて……悔しい……」

「そうだろうな。なら、その悔しさは傷を癒してからぶつけるんだ」

「……」

 ヴィーヴルは安らかな寝息を立てていた。疲労に加えて重傷なのだ。今まで意識があったことすら奇跡だろう。

「まったく、ドラゴン族のこいつにここまで手傷を負わせるなんてな。そいつはどんな幻獣だったのよ?」

 問いは背後に投げかけられる。そこには申し訳なさそうに目を伏せる女魔術師が立っていた。彼女の方はほとんど無傷で生還している。ヴィーヴルが必死に守り抜いたのだ。

「それが、私は気を失っていて……」

「あー、そうか。見てないんよね」

「申し訳ありません」

 深々と頭を下げる女魔術師。

「いやいや、そのレベルの幻獣がガチでぶつかり合った直下にいたんだろ? 俺でも目眩起こすって」

 目眩だけで済む大魔術師と、立ってすらいられなかった女魔術師との力量差は計り知れない。

「とりあえず、済んだこと引きずってもしゃーないってことで」

 辰久は倒れている医療魔術師たちを気づけしながら女魔術師に優しく告げる。


「ヴァンセンヌから忽然と消え去った『黎明の兆』の行方を探る作業に意識を向けようや」

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