Section4-2 生贄の姫巫女

 やがて紘也たちはやたら広い空間へと出た。やけに眩しいと思って天を仰ぐと、気が遠くなるほど高い天井がぽっかりと開いていた。そこから真夏の太陽光が存分に注ぎ込まれている。だからなのか照明は設置されておらず、地面には草花が不自然なほど生い茂っていた。

 小さなドームほどもある空間には日下部家の術者が三十人ばかり待機していた。ミーティングで見た幹部らしき人や八櫛亭の女将など、覚えのある顔も大勢いる。

 だが、なによりも目を引くものがここには存在していた。

「なんだ、アレは?」

 空間の奥には祭壇のようなものがあった。でも紘也が驚いたものはそれではない。祭壇の後ろ、タケノコのように地面から生えている見上げるほど巨大で透明な物体がそうだ。

 馬鹿でかい水晶? ――いや違う。

 炎天下の中、ほとんど山登り紛いなことをさせられた後に入った洞窟は格別に涼しかった。コンビニに駆け込んだ時の比じゃなかった。洞窟とはここまで涼しいものなのかと感心したくらいだ。

 だがそれは洞窟だからという理由だけではなかった。この空間に入った瞬間、紘也は肌が凍りつきそうなほどの冷気を浴びている。

「オゥ! すっごいでっかい氷。紘也くん見て見て、まるで氷山みたいですよ!」

 そう、氷だ。十メートル近くはあろうかという氷の塊だ。ということはこの洞窟は氷室なのだろうか? それにしては天井に開いた穴が不可解だ。日差しが当たれば氷が溶けてしまう。

「……ウェルシュは寒いのは苦手です」

 自分自身を抱きかかえるウェルシュ。あまり表情が動かないので本当に寒いのか判断に困る。

「ん? なんだ? 氷の中になんか入ってる……?」

 まるで虫入り琥珀みたいに氷塊の中心部になにかが混入している。祭壇の手前まで近づくことで、ようやくそれがはっきりと視認できた。

「人?」

 だった。白装束を身につけた、二十歳くらいの美しい女性である。目を閉じて祈るように手を組んでおり、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。

「どうして人が氷の中に?」

「紘也くん紘也くん、あの人なんか夕亜っちに似てない?」

「言われてみれば、瓜二つだな」

 顔の作りは夕亜よりも少し大人びて見えるが、黒髪や体型など、あらゆるところがとにかくそっくりだ。氷中の女性が突然紘也の前に現れて『自分は三年後の日下部夕亜だ』とか告げられたら信じてしまいそうである。

「気づいた? アレ、私の曾お婆ちゃんなの。美人でしょ?」

 身内自慢でもするような笑顔で日下部家宗主――日下部夕亜が歩み寄ってきた。

「は? 曾お婆ちゃんって……どういうことなんだ?」

 動揺する紘也に、しばらく無言だった香雅里がきつめに教える。

「あなたとしたことがわからなかったの? この氷がヤマタノオロチの封印よ。正確には中の女性が自らの体内に妖魔を封じ、さらに永久氷結させた二重封印ってとこかしら」

「そういうことじゃない!」紘也は感情に任せて怒鳴った。「俺が訊いてるのは、どうして日下部があの女性と同じ格好をしているのかってことだ!」

 夕亜も死人に着せるような白装束を纏っていたのだ。これの意味を、紘也は最悪の方向でしか考えられなかった。

「つまり再封印ってのは、日下部、あんたとあの女性を取り換えるってことなのか?」

「ワオ! 当たり。キミ冴えてるぅ♪」

 称賛するように、夕亜。

「キミの言う通り、今日からここは私のお墓になるの。でも自分のお墓がじめじめの陰湿な洞窟ってなんか嫌でしょ? どうせ氷は溶けないんだから、まずは天井を繰り抜いて、それからお花とか植えたの。そしたらほら、こんなにファンタジーっぽくステキになったわ」

 おかしい。なぜ、彼女は笑っていられるんだ? この空間に感じた謎は解けたが、そこだけがどうしてもわからない。

「あんた正気か? 自分で死ぬって言ってるんだぞ? 笑ってるなんておかしいだろ! 怖くないのかよ!」

「怖いよ。だけどね、これが私の生まれた時から定められた運命なの」

「運命?」

 胡散臭い単語に紘也は眉を曇らせる。

「うん、そうよ。日下部家宗家に生まれる女の子はね、その体にある術式を遺伝して生まれてくるの。ある術式とはもちろん、ヤマタノオロチを封印するための強力な封術のことね。儀式の周期と重なり六代目の『生贄の姫巫女クシナダヒメ』となった私は、幼い時からこの日のためだけに生きてきたってわけ」

『生贄の姫巫女』というのがヤマタノオロチを封印する者の名称らしい。なんだよそれ、と紘也は思った。

「もっと生きたいとか思わないのか? 本当にそんなんでいいのか?」

「いいもなにも、このまま生き長らえても意味なんてないわ。この体に刻まれた術式は強力過ぎて、今も私の命を蝕み続けてるの。もしも儀式の周期とずれていたとしても、この術式がある限り私は二十歳になれるかどうかもわからない。実質、私のお母さんは十九歳で死んでるわ。封印の儀式に体を使える私は、お母さんのような無駄死ににはならない。決して」

 語尾を強く発音した夕亜は、一度見た日下部家宗主としての顔だった。彼女はそこで言葉を止め、天真爛漫ではない柔らかな微笑みを浮かべた。

「心配してくれてありがと。キミは優しいね。みんなと遊んだ時間はとっても楽しかったわ」

「……く」

 紘也は奥歯を噛み締めた。常に宿主の命を削るほど強力な術式。そんなものを宿して生まれてきた夕亜の心情を紘也がわかるはずもない。香雅里と夕亜が笑顔の裏で恐れていたものはこれだったのか。考え過ぎかもしれないが、葛木玄永が孝一の提案を呑んだ理由は彼女に最後の一時を与えるためだったのかもしれない。

 夕亜は封印の生贄となっても死に、ならなくても死ぬ。生まれた時から余命を宣告されている状態だった。

「これじゃあまるで――」

「〝呪い〟みたいだ、でしょ?」

 紘也の言葉の続きを香雅里が引き取った。

「葛木、お前は知ってたんだよな。どうして教えてくれなかったんだ」

「あなたたちに教えたら〈天叢雲剣〉を出してくれないと思ったのよ。預けたのは私だけど、事実を教えるのはギリギリで。そう夕亜と話し合ったのよ」

 だから洞窟の入口で宝剣を回収したのか。確かに今の紘也だとウロに宝剣を出せとは言えない。それはウロも同じだろう。せっかくできた友達が昨日の今日で死んでしまう。そんなこと、許せるはずがない。

「倫理的にはどうなんだよ。人間の生贄なんて禁術もいいところだ」

「世界魔術師連盟は黙認しているわ。それほど重要ってことなのよ。理解して」

 できるわけない。もしも紘也が魔術師として道を歩んでいたら納得していたかもしれないことを考えると、魔術を捨ててよかったと心底思う。

「もう一つ、邪魔をされないために教えておくわ。葛木家の役割は『生贄の姫巫女』に課せられた術式を解放すること。これには葛木宗家の女性の血が鍵となるように設定されているわ。そして必要分の力を地脈から得、葛木の血と共に術式に注ぎ込むためのパイプラインが〈天叢雲剣〉ってわけよ」

 淡々とした口調で説明する香雅里。彼女が護符から〈天叢雲剣〉を取り出した瞬間、地面全体に巨大な魔法陣が出現する。見ると、日下部家の術者たちが千々に散らばり、それぞれの配置で護符を構えつつなにかを唱えていた。

 午前十一時五十五分。儀式開始まで残り五分。

 香雅里は宝剣を刃が下を向くように持ち替えると、魔法陣の中央に突き刺した。すると宝剣は淡い輝きに包まれる。地脈のエネルギーを吸収しているのだ。

「いい? 秋幡紘也。あなたたちは宝剣強盗の襲撃にだけ集中するのよ。決して儀式の邪魔はしないで。これから地脈の力を〈天叢雲剣〉に注ぐわ。それが終了次第、夕亜は祭壇に登り、術式起動のために魔力を高める。そして私の血を〈天叢雲剣〉に吸わせてから――」

 これからの段取りを香雅里が紘也に教えるように確認していき、


「――私が、氷中の女性と重なるように夕亜を貫く」


 それで封印が一瞬解け、夕亜に妖魔が移動し再封印される。香雅里は覚悟を決めた様子で最後にそう告げた。

「貫くって、お前……」

 彼女は自らの手で親友を刺すというのか。いや彼女の場合、他の誰かに夕亜が刺されるくらいならば自分が、と考えたのだろう。そして恐らく夕亜も、どうせ刺されるなら親友の香雅里に、と望んだのかもしれない。

 ――おかしい!

 こんな非人道的な儀式、今すぐにでもぶっ潰してやりたい。しかしそれをすると最悪の幻獣が復活してしまう。夕亜一人の命で済んだはずが、何十人、何百人、もっとたくさんの命を危機に晒してしまう。

 どうしようもないのか? そんなはずないだろう?

 なにか方法があるはずだ。紘也は脳が弾け飛んでも構わないくらいのつもりで思考する。

「かがりんはそれでいいんですか? 夕亜っちは親友じゃあないの?」

 その時、ついにウロがやかましい口を開いた。

「……」

 香雅里はウロの声には耳を傾けず、ただ黙々と地面に突き刺さった宝剣を眺めている。

「ウロボロスさんは見損なったね、かがりん。夕亜っちを犠牲にするくらいなら別の、誰もが助かる方法を探す。それがあたしの知ってるかがりんだよ」

「……」

 香雅里は答えない。

「かがりんと夕亜っちは簡単にお互いを見捨てられる関係じゃあない。あたしと紘也くんにはまあ敵わないけど、その絆は決して浅くなんてないよね。だってかがりんが夕亜っちと一緒にいる時、あたしたちには見せたことのない笑顔だった。鋭敏なウロボロスさんはもちろん、鈍感極まりない腐れ火竜だって気づいてますよ」

「……」

 やはり香雅里は答えない。しかしその手が小刻み震えていることに紘也は気がついた。ウロにはいろいろと突っ込んでやりたいこともあるが、ここは便乗しておく。

「葛木、お前は言ったよな。彼女の明るさに何度も助けられたって。月並みな台詞になるが、今度はお前が日下部を救う番じゃないのか?」

「ウェルシュは香雅里様が夕亜様を刺すことも、夕亜様が死んでしまうことも望んでいません。あとウェルシュは鈍感ではありませんし腐ってもいません」

 無責任だということは自覚している。紘也にはなんの解決の糸口も見つかっていない。たとえなにかを閃いたとしても、紘也が思いつく程度のことならとっくに誰かが実行している。だが、まだ時間はある。ここで儀式を保留にしてもすぐに封印が解けてしまうわけではないはずだ。夕亜だってすぐに死んでしまうわけじゃない。皆が救われる方法が見つかる可能性は充分にある。

 ウロがこれ以上ないくらいの、嘘みたいな真剣な表情になる。

「かがりん、もう一度訊くよ。本当にかがりんはそんな結末でいいの?」


「いいわけないでしょっ!!」


 我慢の糸が切れてしまったかのように、香雅里は慨然と激昂した。

「私だって散々探したわよ! 夕亜が助かる方法を! だけどどんな解呪師でも夕亜に刻まれた術式を消すことなんてできなかった! 唯一の方法はヤマタノオロチを倒すこと。そうすることで役割を失った術式も連動して消えるわ。だけどね、最も弱かったヤマタノオロチでも大魔術師レベルの術者が十人犠牲になってやっと倒せたらしいのよ! 私たちじゃ、無理なの。それこそ――」

 肩を振るわせる香雅里の痛嘆さからは、彼女がこれまでどれほど苦悩したのか嫌というほど伝わってきた。自分一人が足掻いてもどうしようもない現実。それを彼女は調べれば調べるほど突きつけられたのだろう。

「それこそ『スサノオ』みたいな神話級の術者にでもならないかぎり、私たちにはどうすることもできないのよ!!」

 紘也たちに背を向けている香雅里の頬を一滴の涙が撫でる。

 まさしく、その瞬間――


「だったらなればいい。貴様の言う神話級の術者とやらに」


 祭壇の裏から、黒コートにロングマフラーの男が冷然とした様子で現れた。

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