Section2-7 日下部夕亜

「『師匠(せんせい)』と呼ばせてくれ!」

 夕刻。皆が和気藹々とバーベキューを楽しんでいる中、突然膝をついた孝一が夕亜にそんなことを言い出した。

「それはもちろん、『師匠』と書いて『せんせい』と読むんだよね?」

「その通り!」

「ワオ! 私、封術以外で弟子ができたのなんて初めて♪」

 夕亜はウキウキを隠せない笑顔ではしゃいだ。

 実は合流した後、昼食がてら夕亜と自己紹介を交わし、渓流釣り大会を仕切り直すことになったのだ。

『なにそれ面白そう! 私も混ぜて混ぜて! ねえねえ、いいでしょう?』

 と夕亜が駄々を捏ねるように言ってきたため彼女も急遽参加することが決定した。そして嵐のように優勝を掻っ攫っていったから驚きだ。数は同数優勝するはずだった紘也と孝一の三倍、大きさは主級の猛者を打ち取り、珍しさではサンショウウオを釣り上げていた。

 敵うわけがない。孝一が弟子入り志願する気持ちもわかる。

 そして気になる最下位は――

「ウロ、ピーマン焼けたぞ」

「紘也くん紘也くん、盛ってくれるのはありがたいんだけど、あたし肉が食べた――」

「キャベツとかタマネギもあるぞ。あ、もやし食うか?」

「紘也くん紘也くん、だから肉を――」

「スイカも焼けたぞ」

「スイカは焼かないでよ!?」

 期待通りウロだった。彼女は一匹も釣っていないどころか、魚に食いついてすらもらえなかったようだ。最初から初心者を名乗っていればこうなることもなかっただろうに。アホだ。

「かがり~ん、紘也くんがイジメるよぅ」

「だからってなんで私に泣きついて来るのよ!?」

「あっ! それいい! 私も今度からウロちゃんみたいに『かがりん』って呼ぶわね♪」

「い や よ! 夕亜にまでそんな恥ずかしい愛称で呼ばれたくないわ!」

 孝一と渓流釣りについて熱い議論を行っていた夕亜がいつの間にか移動していた。飽きたのだろう。たぶん。

「えー。どうしてウロちゃんはよくて私はダメなのー?」

「だいたいウロボロスにだって許可した覚えはないわよ!」

「そ、そんな、かがりんはかがりんでかがりんなのになんでかがりんて呼んじゃいけないのさかがりん!」

「あーもう! かがりんって呼ばないで! あなたは邪魔だからあっちに行ってなさいよ、しっ! しっ!」

「野良犬扱いっ!?」

 追い払われたウロは涙目で焼きスイカにかぶりつく。彼女の目の前ではウェルシュがスペアリブに舌鼓を打っていた。

「……皆さんとするバーベキューは楽しいです」

「うん。そうだね。この前のカレーパーティーも楽しかったけど、お外でするのはまた一味違った楽しさがあるんだよぅ」

 肉や野菜を引っ繰り返しながら愛沙が相槌を打つ。彼女のニッコニコした笑顔は夕暮れの中で光り輝いているようだった。

 些か賑やか過ぎるほどに野外晩餐会は続いていく。

「腐れ火竜! その肉あたしに寄越しなさい!」

「嫌です。ウロボロスにはウェルシュの釣った魚をあげます」

「そんな骨と皮と鱗しかないような魚もらっても嬉しくないよっ!」

「うん! 決めた! 私も今夜は香雅里ちゃんたちとテントで寝る!」

「は? なに言ってるるのよ、夕亜。もともとギリギリな人数なのよ。あなたが入るようなスペースなんてないわ」

「大丈夫よ香雅里ちゃん。誰かが男の子のテントへ移動すれば万事解決よ!」

「だ、ダメよそんなの!」

「はいはいはーい! あたし立候補! 夕亜っちいいこと言うね!」

「……ウェルシュも立候補します」

「却下」

「あうぅ、紘也くんのいけずぅ……」

「テントなら予備のがあったぞ。それを組み立てればいいんじゃないか?」

「そっかぁ! じゃあよろしくね、孝一くん♪」

「え? いやちょっと師匠、そこはみんなで組み立てた方が「よろしくね♪」早……了解」

「安心しろ、孝一。俺も手伝うから」

「サンキュ、紘也。持つべき者は心の友だな」

「えへへ、今夜は一段と楽しくなりそうだよぅ。さあ、みんなどんどん食べて~。ユアちゃんも遠慮しなくていいよぅ」

「鷺嶋さん、この子が遠慮してるように見えるのなら眼科へ行くことをオススメするわ」

 会話の途切れることのない夕食。楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、後片づけをする頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 皆がウロの用意していた花火に興じている中、紘也は香雅里と食器を洗っていた。孝一が作った後片づけ当番のクジ引きに見事当選してしまった二人である。

 大量の鼠花火を笑いながら空中に放り投げる夕亜を眺めつつ、紘也は隣の香雅里に聞こえるように言う。

「日下部家の宗主か。やっぱそんな風には見えないよな」

「そうね。あの子が正式に宗主になってからまだ一年も経ってないけど、自覚くらいは持ってほしいわ」

「どうしてまた、日下部はあの年で宗主なんかになったんだ? 力があるだけでなれるようなもんじゃないだろ?」

「前の宗主――あの子の父親が亡くなったのよ。あの子、物心つく前に母親も亡くしてるし、たった一人の肉親だった兄も半年前に妖魔との戦いで戦死。だから宗主の座が空席になって、あの子が収まった。日下部家宗家にあの子以上の実力者がいなかったこともやっぱり大きな理由の一つね。それに、あの子は人気もあったみたいだし」

 香雅里の話を聞いて紘也は押し黙った。幻獣と駆け落ちした香雅里の兄の話とは違い、こちらは相当にヘビーだ。本人に直接訊かなくてよかったかもしれない。

「だからこそあの子は無理やりにでも明るく振舞ってるんじゃないかしら? 元々あんな感じだったけど、今日会ってみてさらに輪をかけたようだったわ。それにあの子、自分から宗主に立候補したのよ。あの子なりに日下部家を引っ張って行こうとしているのかもね。昔からそういうところはしっかりしてるのよ」

「今日の感じからして、けっこう付き合い長いみたいだな」

「ええ。初めて会ったのは五歳の時よ。家が遠いから滅多に会うこともなかったけど、ずっと親友を続けてる。私が失敗して沈んでいた時とか、あの子の明るさに何度助けられたかわからないわ。でも、その関係は永遠には続かない……」

 香雅里の言葉は最後まで続かなかった。紘也は怪訝に思って彼女を見る。その表情は暗く、悲しそうで、寂しそうで、今にも泣き崩れてしまいそうな気持ちに必至に堪えている。そんな印象を受けた。

 しかし、暗く重くなった空気にはすぐに明るく軽い光が差すのだった。

 チリチリと弾けるオレンジ色の線香花火が香雅里の前に差し出される。その儚げな光よりも遥かに明るい笑顔の日下部夕亜がそこにいた。

「香雅里ちゃん、食器洗いなんて後にして一緒に花火しよ?」

 他のみんなも紘也たちを呼んでいる。紘也は思わず苦笑した。後片づけしろと言い出したのはそっちなのに、なんて勝手で都合のいい連中だ。

「夕亜、あなた、平気なの?」

「ん? なんのこと? それより見て見て。この線香花火すっごくキュート♪」

「あ、うん。確かに可愛いわね」

「でしょでしょ♪」

 ――なんだろう?

 紘也は二人の遣り取りになんとも言えない違和感を覚えた。香雅里が暗くなったのは夕亜の過去を紘也が訊いてしまったためだと思っていたけれど、香雅里に「平気?」と問われた夕亜も無理やり笑顔という仮面を被ったように見えた。

 二人はなにかを隠している? いや――

 恐らく作り笑いではない笑顔の彼女たちだが、その声は微かに震えていた。もちろん、そんな気がするだけで確信があるわけではないが、

 ――なにかを、恐れている?

 そのように紘也は感じた。しかし考えて答えが出るようなものではないし、直接問い詰めるのも野暮だ。紘也の勘違いという可能性の方が大きい。

 だから、紘也はなにも気づかなかったことにした。

「よし、俺たちも花火に混ざろうぜ」

「え? でももうちょっとで終わるわよ?」

「だったら後でもいいだろ。それに今行かないとあいつらは遠慮せず全部使っちまう」

 八本の花火を指の間に挟んで「八刀流・花火ブレード!!」とか叫びながら振り回すウロに対し、ウェルシュがロケット花火で応戦している。そんな決してよい子はマネしてはならない光景を目に、香雅里は呆れたように呟く。

「それもそうね」

 夕亜が香雅里の手を引く。

「ほらほら、香雅里ちゃん早くぅ!」

「あっ、ちょっとそんなに慌てなくてもちゃんと行くわよ、夕亜!」

 香雅里は困った風に言っているが、その表情は笑顔だった。

 紘也は明日の『儀式』が無事に成功することを祈りながら、手早く残りの食器を片づけることにした。

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