Section2-3 八櫛谷渓谷

 八櫛谷渓谷。

 角の丸い石が絨毯のように敷き詰められた河原。渓流の澄み切った水に膝まで浸かり、少女たちがワイワイキャーキャーと賑やかに川というものを満喫していた。

 騒がしいのは主にウロなのだけれど。

 紘也は組み立てたばかりのテントの横に腰を下ろし、ぼーっと彼女たちの様子を眺めていた。ウロがウェルシュに水をぶっかけ、反撃を喰らっている。それを愛沙がふんわりとした笑顔で見守っている。

 こうして見ると、やっぱり人間にしか見えない。

 無論、ウロとウェルシュのことだ。『人化』しているってだけじゃない。心とか、意志とか、そういったものも自分たちと差はないように感じられる。

 そんなわけで、遠くから見ている分には美少女たちの戯れ。退屈はしない。これが目の保養というやつか。

「秋幡紘也、ちょっといいかしら?」

 と、香雅里が葛木の術者二人――交代でキャンピングカーを運転していた――を従えてやってきた。なんだ? と紘也は彼女に顔を向ける。

「私は先に自分の用事を済ませてくるわ」

「用事って?」

「八櫛谷の温泉宿に日下部家の人たちが来ているの。だから挨拶も兼ねて、明日の段取りとかの話し合いをするのよ」

 日下部ひかべ家は、葛木家と合同で『儀式』を行うことになっている陰陽師の一族だ。『日下部』と書いて『クサカベ』と読まないことにどんな意味があるのかとか、彼らがどういった役割を担っているのかは知らないが、

「俺も行った方がいいのか?」

 言うと、香雅里は首を横に振った。

「いいわ。どうせあなたたちは儀式場に入れてもらえないだろうから。あなたたちのことは伝えてあるし、あの子に紹介するのも後にするつもり」

 あの子? と紘也は疑問に思ったが、それを口にする前に香雅里が一枚の護符を差し出してきた。〈天叢雲剣〉を封じてある護符だ。

「これはあなたに預かってもらうわ。悔しいけど、私が持っているより安全だと思うから」

「ああ、わかった」

 紘也が護符を受け取ると、香雅里は安心したように微笑んだ。

「すぐに戻るから」

 そう言って香雅里は踵を返した。いつも怒ったような顔をしている彼女だが、笑うとあんなに可愛いんだな、と紘也は不覚にも思ってしまった。

「さて、預かったはいいが、これどうしよう?」

 う~ん、と紘也は唸った。肌身離さず持っておくのが一番かもしれないが、なにかの拍子に失くしたり、護符をおしゃかにしてしまうかもしれない。荷物の中も四六時中見張っているわけではないので不安だ。

 と――

「やっはー♪ 紘也くん紘也くん、一緒に遊ぼうよ! いくらあたしの姿が魅力的だからってこーんなとこで眺めてるばっかりじゃつまらないよ! 水かけごっこしましょ水かけごっこ! あっ、ちゃんと服の下は水着なんで大丈夫――おや? かがりんはどこ行っちゃったんですか?」

 自立歩行型騒音発生機が当然のように騒音を撒き散らしながら歩み寄ってきた。

「葛木なら、日下部家とかいう陰陽師のところに挨拶に行ったよ」

 適当に説明する。というかこれ以外に説明のしようがない。

「まったく、かがりんてば真面目人間なんだから。そんなの後でいいんだよ。今はあたしたちと楽しむ時間じゃあないですか」

「本来の目的はそっちなんだから仕方ないだろ。……?」

 子供みたいに頬を膨らませるウロを見て、紘也はなにかを閃きかけた。立ち上がり、彼女の肩を押さえて、まじまじとその顔を見詰める。小振りの整った顔立ちに、吸い込まれそうな青色の瞳、柔らかそうなピンク色の唇。

 ――そうか。あるではないか。とっておきの保管場所が。

「い、いやですね紘也くん。あたしの顔になにかついてるんですか?」

 顔を赤くしてもじもじするウロ。そんな乙女な動作をされるとこちらも目を逸らしたくなる。

「ウロ、頼みがある」

「え? 結婚してくれって? え? ホントに? うぅ、付き合い始めて三年、ようやく紘也くんがプロポーズしてくれましたよ! この時をどれだけ待ち侘びたことか。ウロボロスは、ウロボロスはとても嬉しゅうございま――」

「んなことは言ってねえよ!」

 ――グサッ!

 紘也流対ウロボロス戦必殺奥義〈アイズクラッシャー〉。

 ――グサッ!

 追連。

「技が進化してるぅううううううううううううううううううううううううううッ!?」

 両目を押さえ、噴水のように涙しながら悶絶するウロ。

「ウロ、頼みがある」

「あうぅ、そこからやり直すんだね……」

 目潰しの痛みから回復してもウロはまだ半泣きだった。

「これを、お前の無限空間に預かってくれ」

 紘也は〈天叢雲剣〉の護符をウロに渡す。

「はいはい、お安い御用ですとも」

 受け取ったウロは難なくそれを空間の歪みの中に消し去った。

「……」

「……」

「これだけ?」

「ああ、これだけ」

「結婚の話は?」

「冗談は存在だけにしろ」

「酷いっ!?」

 ウロはオーバー気味にがっくしと項垂れた。妄想と現実はしっかりと区別してもらいたい。

「ヒロくんも一緒に遊ぼうよぅ」

「……マスター、お水、冷たくて気持ちいいです」

 ウロの相手ばかりしていたため、いつの間にかウェルシュと愛沙も紘也の周りに集合していた。

「テント張る作業は俺と孝一だけでやったんだぞ。少しは休ませてくれ」

「えっと、コウくんはどこ?」

 言われてみれば、テントを張り終わってから孝一の姿を見ていない。

「大方、スコップ片手に財宝発掘の旅にでも出たんじゃないか?」

「いや、それをするならオレは全員を巻き込むぞ」

 噂をすればなんとやら。どこでなにをしていたのか知らないが、孝一が戻ってきた。

「――って孝一、どうしたんだその格好は?」

 孝一は先程の姿とは一変していた。薄茶色のウェーダーを履き、日よけの帽子を被り、そして手には渓流釣り用のカーボンロッドが握られている。一目で釣り人だと認識できるスタイルだった。

「孝一ではない! フィッシャー・ザ・孝一と呼べ!」

「は?」

 なんだこのテンション。

「葛木は用事があるらしいからな、今はこのメンバーでやるか」

 孝一――もといフィッシャー・ザ・孝一は香雅里以外の皆が揃っていることを確認すると、バッ! とパーに開いた右手を前に突き出した。


「唐突だが、これより渓流釣り大会を始める!」


 唐突もなにも、見た瞬間なんとなくそんなことを言い出しそうな気はしていた。

「待てよ孝一、参加したいのは山々だが、俺たちは釣りの用意なんてしてないぞ?」

 事前に知っていれば自分の竿の一本や二本、念入りに用意するのが紘也である。この前ウロに借りたカードゲームもそうだが、遊びは準備段階から楽しみたいのだ。

「安心しろ、紘也。みんなの分もちゃんと用意してある」

 フィッシャー・ザ・孝一はこれからゴルフにでも行きそうな縦長のバッグを紘也に寄こした。中を見ると、種類豊富な釣り竿やルアー、さらには毛針なんかも入っている。孝一の用意周到さには流石に舌を巻かざるを得ない。

「オゥ! さっすがフィッシャー・ザ・孝一くん。あたしなんだか燃えてきちゃいましたよぅ! アスピドケロン釣っちゃいますよぅ」

「ウロボロス、アスピドケロンは海の魚だと言いました。川では釣れません。でも、ウェルシュはウロボロスより大きな魚を釣ります」

「なんですと! あたしが腐れ火竜に負けるはずないんだよ!」

 二人ともやる気と闘争心のオーラが全身から湧き出ている。そのオーラで魚が逃げないことを紘也は心から祈った。

「それで孝一、ルールは?」

「フィッシャー・ザ・孝一だ! まあいい、ルールは簡単だ。制限時間は午後一時まで。量・大きさ・珍しさで点数を競い、合計得点が最も高い奴が優勝だ。ただし、エサは用意してないぞ。使うなら自分たちで調達するんだ。そうそう、これは今夜の夕飯のおかずを増やす重要なミッションでもある。各自、心して取り組むように」

 遊びはなんだろうとゲーム性が重要だと考えるのが孝一だ。だからこそ、彼の提案する企画は面白いものも多い。

「優勝者には夕飯のバーベキューで優先的に肉を食えることにしよう。逆に最下位はほとんど肉を食えないと思え」

「むむむ、それは負けられない戦いだね。肉のないバーベキューなんて魔力が枯渇した魔術師と同じです! ウロボロスさんの戦意の炉にはさらに薪がくべられましたよ!」

 青い瞳に赤い炎を宿すウロ。すると、愛沙が遠慮勝ちに口を開いた。

「あの、コウくん、わたし釣りってやったことないんだけど……」

「ん? ああ、そうだったな。紘也とはよく釣り勝負をしていたが、愛沙は釣りにはあまり誘ってなかったからな」

「……そういえば、ウェルシュもやったことありません」

 初心者のことを考慮していなかったのか、孝一は顎に手をやって三秒ほど思考し、

「じゃあこうしよう。愛沙にはオレが教える。紘也はウェルシュたちに教えてやれ」

「うん。それなら頑張れるよぅ」

 愛沙は花咲くような笑顔で言った。自分だけ参加できないのではないかと不安だったのだろう。

「フッフッフ、紘也くん、あたしには教える必要なんてないですよ! どうせ優勝は幻獣界でも『釣りキチウロボロス』と名高いこのあたしになるだろうからね!」

「お前はいろんな称号持ってるな」

 どれだけ本当なのか怪しいところではあるが……。

「そういうことでいいか、紘也?」

「別にいいけど、初心者が負けて肉が食えなくなるのは可哀相じゃないか?」

「まあ、それもそうだな。じゃあその罰ゲームはオレか紘也かウロに限定しよう」

 話は纏まり、孝一が晴天に拳を突き上げる。


「よし、気持ちが高ぶってきたところで、フィッシングスタートだ!」

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