Section1-6 呼ばれた理由

 葛木家の屋敷内に入ると、玄関にて誰よりも先に紘也たちを出迎えてくれた者がいた。

 みゃー。

 仔猫だった。見覚えがある。いつぞやにウロが拾って香雅里が引き取ることとなったあの仔猫だ。自分を見つけてくれた恩を忘れていないのか、飼い主の香雅里よりも先にウロの足下へと仔猫は頭を擦りつける。

「オゥ! この子はあの時の仔猫ですな。ちゃんと可愛がってもらってるようでなによりです」

 ウロがしゃがんで仔猫の頭を撫でる。そんな微笑ましい様子に葛木玄永は「先に部屋で待っとるぞ」と告げて屋敷の奥へ消えていった。空気を読める人らしい。

「仔猫さん、可愛いねぇ」

「ほう、葛木は猫を飼う趣味があったんだな」

「成り行きでそうなっただけよ」

「? マスター、どうかされたのですか?」

 人懐っこく皆に順番に体を押しつけていく仔猫を、紘也は複雑な表情を浮かべて見詰めていた。皆の視線が紘也に集中したためか、仔猫がとてとてと歩み寄ってくる。

「おっと、俺には懐かないでくれよ」

 紘也は口元を手で押さえて一歩下がった。紘也は猫アレルギーなのだ。

「この人はダメよ」

 香雅里が仔猫を抱えて紘也から遠ざけた。普段のキツさなど微塵もない、赤子をあやすような優しい口調だった。

「そうですよ。うちの紘也くんは猫系漫画の主人公でもないのに猫アレルギーを患ってるからね。だから近づいたらめっですよ、ゼウス」

「なに人の家の猫に勝手な名前をつけてるのよウロボロス!?」

 しかもとてつもなく偉そうな名前だった。

「じゃあ、かがりん、この子になんて名前をつけたのさ?」

「……小鉄」

「か、カッコイイ!」

 感動したように仰け反るウロ。そのネーミングセンスもどうかと思う紘也だが、他人の家で飼われている猫の名前についてとやかく言うつもりはない。名前を呼ばれたのかと思ったのだろうか、香雅里の胸に抱かれている仔猫――小鉄が、みゃー、と嬉しそうに鳴いた。


 それから一般人である孝一と愛沙は客間に通された。が、紘也たちは違った。香雅里の後について歩き、恐らくは屋敷の一番奥にあたる部屋へと案内された。宗主の部屋だ。

 敷かれた座布団に正座し、紘也は部屋を見渡す。屋敷こそ広いが、この部屋は無駄なスペースが少ない。畳を数えてみると、八畳だった。無駄な調度品も少ないためどうも質素に見えるが、そこが和の雰囲気を最大限に醸し出していると紘也は思う。

 ただ、ここで暮らす老人のイメージは、気難しくて融通の利かない絵に描いたような頑固ジジイである。

「おーおー、あのタツ坊の倅がこんなに大きくなっとるとは、年も取るわけじゃ」

「はあ」

 だから、軽快で気さくで『ふぉっふぉっふぉ』と笑いそうな葛木玄永は、紘也のイメージからかけ離れていた。とてもこんな質素な趣味を持っているとは思えない。人は見かけによらないのだろう。ちなみに『タツ坊』とは秋幡辰久のことで相違ない。

「タツ坊は元気にしとるか?」

「はい、元マスターはお元気でした」

 ウェルシュが答えると、玄永は「そうかそうか」と嬉しそうに笑った。

「しかしまあ、この香雅里に夕亜ちゃん以外の友達ができるとはのー。おじいちゃんとしては嬉しいかぎり――」

「お爺様、そのような世間話をするために彼を呼んだわけではないのでしょう? 早く本題に入ってもらえますか」

 刺々しい調子で、香雅里。彼女は玄永の隣に座っている。そしてどういうわけか先程から険のある表情で紘也を睥睨している。きっとウロボロスとウェルシュが密着する勢いで紘也を板挟みにしているからだろう。香雅里は妖魔――幻獣と人間が仲良くすることをあまりよく思っていないのだ。

「ふむ、香雅里はせっかちでいかん。急いては事を仕損じるという言葉もある。紘也君とは十年以上も会っていないのじゃ。まずは世間話をしたいという老い先短いジジイの気持ちを汲んでくれてもよかろう?」

「若い頃に仙術を齧ってあと百年は余裕で生きられそうなお爺様が、よくも老い先短いなどと言えますね」

 香雅里が溜息混じりに言う。紘也は一応葛木家のトップの手前、おずおずと遠慮がちに挙手した。

「あの、俺も早く話を聞きたいんですけど。孝一たちも待たせてあるし」

「そうだよ。つまんない話は後で勝手にやってればいいんだよ。その間にあたしはかがりんの部屋でも物色してるから」

「させないわよ。ていうか、妖魔なんかを私の部屋に入れるわけないじゃない」

「あうぅ、冷たいねぇ、かがりんは。ちょっとくらい部屋漁ってもいいじゃん」

 香雅里の氷の視線に射抜かれ、ウロはわざとらしく落胆した。「とにかく」と紘也が放っておいたら脱線しそうになる話の軌道を修正する。

「俺は魔術側とあまり関わりたくないのですが、親父がお世話になっているようですし、要件だけは聞きます。手短に話してください」

 紘也の発言に同意するように、ウェルシュも頷いた。

「うむ。紘也君がそう言うのであれば仕方ない」

 葛木玄永は、うぉほん、と咳払いをし――


「紘也君。香雅里の婿になってはくれぬか?」


「……」

「……」

「……」

「……?」

「「「はぁあッ!?」」」

 数瞬の間を開けて、紘也、ウロ、香雅里の三人は同時に声を張り上げた。ウェルシュだけが頭上のアホ毛を『?』にして小首を傾げている。

「な、ななななにを言っているんですかお爺様!? そういう話じゃなかったでしょう!!」

「紘也くんはあたしのものだよ! いくらかがりんだからって譲れませんね!」

 顔から火を吹き出す勢いで激昂する香雅里や、対抗意識満々のウロに紘也も同調する。

「そ、そんなこといきなり言われても困ります! 婿だなんて。だいたい俺と葛木はそういう関係でもなんでもないんですから!」

「(……なんでもないってことはないでしょう)」

「ん? なんか言ったか、葛木?」

「言ってないわよ! そうよ、私は兄様以上の人じゃないと、け、結婚なんてする気ないんだから!」

「出た! かがりんのブラコン発言!」

「そ、そんなんじゃないわよ!」

「それじゃよ」

 物静かに玄永が指摘する。

「本人は『尊敬』と言い張っておるが、香雅里は幼い時からなにかと言えば兄様兄様。いい加減に兄離れしてもよい頃だと思ったんじゃ。いや、少々遅過ぎるかの」

「いや、だからってなんで俺が……」

「相手がタツ坊――秋幡辰久の息子であれば文句はない。強力なドラゴン族の幻獣を二体も従えておるしの。どうじゃ? うちの香雅里はかなりの美人だと思うが、本当にこれっぽっちもその気はないのか? うん?」

 身を乗り出して紘也に切迫する玄永。そのなんとも言えない迫力に、紘也は無論、ウロとウェルシュまでたじろいだ。

「紘也くんだって男じゃ。こんな美人を見てなんとも思わんことはなかろう。儂がまだ若いころはそりゃあもうゲブン!?」

 青筋をしこたま額に浮かべた香雅里に玄永は殴り倒された。彼女は無理矢理な笑顔を貼りつけ、畳の床に伏す葛木家宗主に向かって言う。

「お爺様、そろそろ天国行の列車の発車時刻ですよ。乗り遅れないようにしませんとね」

「……我が孫は最近どんどん冗談が通じなくなっておるから面白くない」

 こぶのできた頭を擦りながら玄永は起き上がった。かなりの鈍い音がしたと思ったが、この爺さんはケロリとしている。

「「なんだ冗談か」」

 紘也とウロは声を揃えて胸を撫で下ろした。それにしては目が血走っていて本気だったように見えたが、あれも演技だとしたらいろいろな意味でこの爺さんはただ者じゃない。

「……マスター、『ムコ』ってなんですか? おいしいですか?」

 未だに状況を理解していないウェルシュはスルーしておく。でもようやくわかってきた。ウェルシュは話し方こそ丁寧だが、思考回路がどうもお子様だ。

「うぉほん。ではまあ、戯れはこのくらいにして本題に入るとするかの」

「最初からそうしてくださいよ……」

 緊張こそしなかったものの、異常に疲労が溜まった紘也だった。

「まずはこれを見てくれ」

 そう言って玄永が畳の上に置いたのは、一振りの抜き身の刀だった。長さは一メートルにギリギリで達していないと思われる。刃先はショウブの葉のような形状をしており、柄元には魚の背骨に似た節がある。ここで取り出すくらいだから、単なる刀ではないのだろう。

 落ち着いた香雅里が真面目な顔で紘也を見る。

「〈天叢雲剣あまのむらくものつるぎ〉。そう言えばわかるかしら?」

「!」

〈天叢雲剣〉。別名、〈草薙の剣〉。天照大神が授けたと言われる宝刀で、三種の神器の一つに数えられるアレのことだ。名前だけならば広く知れ渡っているが、その実態を見た者はいないという。

 そんな伝説の刀が、紘也の眼前に置いてある。

 本物だろうか?

「本物よ」

 紘也の顔色から思考を読み取ったのだろう、訊く前に香雅里に先手を打たれた。

「ゲームでよく聞く名前だね」

「ウェルシュもゲームでよく聞きます」

 うちの幻獣どもの情報源が人間的過ぎることは置いといて、紘也はまだ半信半疑のまま質問する。

「どうしてそんなものがここに……いや、それを俺にどうしろと? まさか、これ装備して世界魔術師連盟の幻獣狩りに参加しろ、などと言いませんよね?」

 もしもそうならコンマ一秒で断る。が、どうやらその心配は杞憂のようだった。

「そうではない」と玄永。「紘也君は知らんじゃろうが、数ヶ月前から各地の陰陽師を襲撃して宝剣を奪っている者がおるんじゃ。儂らの予想が当たっておれば、宝剣強盗が次に狙ってくるものは、この葛木家にある〈天叢雲剣〉なのじゃよ」

「だから俺に預かれってことですか? もしその宝剣強盗に襲撃されたとしても、盗まれないようにするために」

「流石はタツ坊の倅。頭は回るようじゃな。一般人に預けることは避けたいところじゃが、紘也君ならば信用できる。頼もしい幻獣たちもついておるしの」

 頼もしいと言われ、ウロとウェルシュは競うように胸を張った。

 しかし、と玄永は続ける。

「そうも言っておれんのじゃ。明後日の日曜日、儂ら葛木家は同じ陰陽師の日下部家と合同で、ある『儀式』を行うことになっておる。その『儀式』にはこの刀が必要不可欠でな。宝剣強盗は恐らくそこを狙ってくるじゃろう。まあ要は紘也君に剣の護衛をしてもらいたいわけじゃ」

「お断りします」打てば響くように紘也は断った。「そんなことに俺の出る幕はないと思います。葛木家だけでも充分に守り切れるのでは?」

「先日のヴァンパイアの件がなければ、そうしておったがの」

「あっ……」

 紘也は気づいた。あの戦いで葛木家の精鋭はほぼ全滅している。ウロボロスが所持していたエリクサーのおかげで死人こそ出ていないが、ほとんどの術者が戦力に数えられる状態ではない。

 つまり、今この葛木家はかなり弱体化している。各地の陰陽師を襲撃して未だに捕まっていない犯人の実力は相当なものだ。弱体化した葛木家では守り切れないと判断できる。

 そして元を辿れば全部紘也の父親のせいである。尻拭いをするみたいで嫌だが、とても断れる頼みではない。

「日下部家の力は実戦向きではないし、連盟に応援を頼んでもよいが、幻獣狩りで手一杯じゃろう」

「だから、不本意だけどあなたに頼るしかないのよ」

「その『儀式』とやらを中止にすればいいのでは?」

「残念じゃが、それはできん。定められた日にやらねば意味がないのでな」

 およそ儀式と呼ばれるものは大半が条件を揃えないとできない。日時もその一つだ、と紘也は父の本で得た魔術の知識を思い出す。

「『儀式』はどこで?」

「八櫛谷と呼ばれる場所じゃ。出発は明日になっておる」

 近くはないが、県内だ。もっと遠ければまだ断れたものの……もはやどうにでもなれという気持ちで紘也は承諾する。

「……わかりました。どうせ戦うのは俺じゃないですし」

「えー、嫌だよそんな面倒臭いこと。せっかくの土日なんだし、家でモンバロやってた方がマシってものだね。目標は紘也くんをコテンパンのビショショワハーッてすることです」

「ウェルシュは、マスターが行くのであればご一緒します。ウェルシュの任務はマスターを守護することです。……そうです。ウロボロスだけ置いていきましょう」

「んな!? こんのアホ火竜はちゃっかり紘也くんと二人きりになる気だね! そうは問屋が卸してもウロボロスさんは卸しませんよ! 残るならあんたが残ればいいんだよ!」

「嫌です。ウェルシュはマスターと一緒にいたいです」

「あたしだって紘也くんの傍から片時も離れたくないんだよ!」

「ウロ、ウェルシュ」

 紘也は声のトーンを低くして凄んだ。二人の肩がビクリと跳ねる。

「両方来ること。オーケー?」

「……い、いえっさぁ」

「……了解です、マスター」

 ウロボロスとウェルシュ・ドラゴン。彼女たちがいれば千人力だし、連盟から並みの魔術師が送られてくるより遥かに安心なのだが、二人が水と油の関係であることだけが激しく不安だ。

 と、視線を感じた。見ると、香雅里がジト目で紘也を見据えていた。

「モテモテね」

「皮肉はやめろ」

 人外にモテたところで嬉しくもなんともない。


「フフフ、話は聞かせてもらったぞ」


 その時、唐突に声が聞こえた。瞬間、ガバッ! と隣室との境界線である襖が開く。

 敵襲かと身構える香雅里と玄永。紘也の前にも、ウロとウェルシュが庇うように立つ。だが――

「面白そうなことをしようとしてんのに、オレたちだけハブられるのは御免だぜ、紘也」

 そこに立っていたのは、紘也の親友である諫早孝一と鷺嶋愛沙だった。

「あ、あなたたち、どうして……」

「愚問だな、葛木。このオレたちが黙って別室で待機しているわけがないだろう」

 確かに愚問だ。二人が大人しくしているはずがないとわかっていたのに、紘也は警戒することを忘れていた。葛木玄永の冗談のせいにしておこう。

「宝剣の護衛で八櫛谷。実に楽しそうだ」

 ニヤリと孝一が笑う。絶対なにか企んでいる顔だ。

「知ったところ悪いが、お前たちは連れていけないぞ」

「そのことなんだけどねぇ」

 愛沙が朗らかな笑顔の横に人差し指を立てる。その言葉の続きを、孝一が提案するように引き継いだ。

 ――葛木家現宗主に向かって。


「玄永さん。オレに一つ、考えがあるんだが――」

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