Section1-4 葛木家の対策

 蒼谷市西区――葛木家邸内。

 葛木宗家の長女である葛木香雅里は、現宗主の部屋に呼ばれていた。

「それで、私になんの御用ですか、お爺様」

 葛木家は蒼谷市の有力者にして陰陽師の名家である。世界魔術師連盟にも加入しており、その影響力は魔術世界においても低くない。

 そんな葛木家の現宗主――葛木玄永かつらぎげんえいが今、香雅里の目の前で胡坐を掻いていた。

 六十代後半の矍鑠かくしゃくたる老人である。白髪に白髭、やや痩せこけた感が否めないが、そこにただ在るだけで圧倒的な威圧感に押し潰されてしまいそうだ。

 ――口を開かなければ。

「おお……誰じゃったかの? このべっぴんさんは」

「その痴呆ネタはもう飽きました」

 香雅里の口調と表情は厳しかった。この老人はかまってほしいのか、時折こうしてボケたフリをするから面倒である。

「そうじゃ。そのよい具合に発育した胸を揉ませてくれたら思い出すかもぐぎゅん!?」

「いい加減にしないと殴りますよ?」

「……殴ってから言うでない」

 涙目で頭を押さえる葛木家宗主・葛木玄永。このエロじじいは一度三途の川を渡り切ればいいのに、と心中で呟く香雅里だった。

「要件はなんですか? 私は明日のテスト勉強で忙しいので手短にお願いしますよ」

「うむ。もう少し孫とじゃれ合いたかったのじゃが、仕方ないの」

 玄永は不満げに姿勢を直した。そして一呼吸すると、彼の瞳に威厳の煌めきが宿る。

「宝剣強盗の話は知っておるか?」

「はい」

 数ヶ月前から、日本各地の宝剣を所有する陰陽師が襲撃されていることは香雅里も聞いていた。死傷者は何人も出ているが、驚くべきことに、犯人はたったの一人だという。妖魔を従えていたという情報もあるが、単独で襲撃を成し遂げられる術者はそうはいない。

 さらに不思議なことに、必ず宝剣が盗まれるというわけではないらしい。数十件の被害のうち、盗まれたのはたったの三件だけなのである。

「昨日、百済家が襲撃されたのじゃが」

「聞いています」

 百済家は隣県にある陰陽師の一族だ。葛木家ほどではないにしろ、かなりの名家であることには変わりない。やはりそこもただ一人の男に襲われ、宗主が重傷を負い、宝剣まで盗まれている。

「盗まれた宝剣は〈都牟刈大刀つむがりのたち〉だそうじゃ。これの意味がわかるか、香雅里?」

「……まさか」

 あることに気づいた香雅里に、葛木家宗主は静かに頷いた。

「次に宝剣が盗まれるのは、葛木かもしれん」

 低く唸る祖父に、香雅里は自分がここへ呼ばれた意味を考える。次期宗主候補である彼女にその裁量を試しているのではないか、と思ったが、違う。

「今週末に日下部ひかべ家と合同で行う例の『儀式』があるのは覚えておるな。葛木の宝剣をその『儀式』に使うことも」

「はい」

 端然と答えると、玄永は少しばかり言い難そうに次の言葉を続ける。

「つらいと思うが、やはり『儀式』に参加するのは香雅里、お前でなくてはならん」

「その話はもういいです、お爺様。覚悟はできていますから」

 そうか、と玄永は悟ったように静かに呟く。そして――

「宝剣強盗が動くとしたら、恐らく『儀式』の時じゃろう」

「なぜ、ですか?」

「百済家の件もそうじゃが、奴は必ずこちら側の戦力が分散している時を狙って来おる。『儀式』のことを調べていないはずがなかろう」

 なるほど、と香雅里は納得した。先日の百済家も、強力な妖魔の討伐――世界魔術師連盟が行っている幻獣狩りの一環だ――へ戦力を傾けていた時に襲撃されている。

「しかしな、警備を強化するにも、葛木の手練れのほとんどが先日のヴァンパイアとの戦いで負傷しておる。そこで香雅里、お前に一つ頼みがあるんじゃが――」

 宗主である祖父の頼みを聞き、香雅里は少し嫌な顔をした。


        ∞


 期末試験最終日。最後のテストの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「「「終わったぁああああああああああああああああああああっ!!」」」

 テスト期間という縛りから、溜りに溜まった鬱憤を発散する叫びが教室内に響き渡る。

「よっしゃ野郎ども! 全力で遊ぶぞ!」

 その筆頭には孝一の姿。遊びたい衝動を一番溜め込んでいたと思われる彼は、教壇に立ってクラスメイト全員に宣言する。

「テスト、学校、高校生、そういうことは一切忘れろ。童心に帰るんだ。……よし、他クラス他学年も巻き込んで校内隠れ鬼をしよう!」

「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」

 クラス中から鬨の声が上がる。先週に行われた肝試しには見向きもしなかった彼らであるが、どうもテストが終わったという解放感からテンションがおかしくなっているようだ。

「こいつら元気過ぎだろ」

 半ば呆れ返っている紘也に、夏用セーラー服姿のウロと愛沙が声をかけてくる。

「紘也くんはやらないの?」

「みんなで遊ぶと楽しいよぅ?」

「いや、やるよ。嫌いじゃないしな、こういうことも」

 高二になっても子供心を忘れない孝一の遊び企画は、ハズレも多いがアタリも多い。そして、こうして皆が乗り気な時は大概アタリなのだ。

「ただ、最近平和だなぁって思ってたんだよ。立て続けに幻獣に襲われていた一週間前が嘘のようだ」

 ウェルシュとの騒動以来、野良幻獣と遭遇していない。それは日常を愛する紘也にとって喜ばしいことだった。

「まあ、そのことなら理由はあるよ」

 とウロ。理由? と紘也は顔をウロに向けた。

「まず、食物連鎖で言えば最下層にあたる超ザコ幻獣なんかは、無契約召喚された時点で消滅するのです。そいで、超がつかないまでも力の弱い幻獣もこちらでは長生きできない。さらに世界魔術師連盟が幻獣狩りをやっちゃったりなんかしちゃってるから、もう相当な数が減ってると思うんだよね」

「つまり、もう滅多に野良幻獣が襲ってくることはないと?」

「そゆことそゆこと。力の強い幻獣は無闇やたらと行動は起こさないしね」

「裏を返せば、今後襲ってくる幻獣は強力な奴らばっかりだということ、か」

 今の状態が束の間の日常にならないことを祈る。

「大丈夫。ヒロくんにはウロちゃんもウェルシュちゃんもいるんだよぅ」

「オゥ! 愛沙ちゃんわかってるじゃあないですか(腐れ火竜は余計だけど)」

「えへへ~♪」

 照れ笑いする愛沙。するとウロが思い出したように付け加えてくる。

「あ、あと昔の紘也くんは魔力垂れ流しで遠くからでも感知できたんだけど、最近は自分の魔力をかなり抑えてるよね? それも効いてるんじゃあないですか?」

 確かに紘也は最近、眠っている時以外は魔力制御能力をフル稼働させている。そうすることで魔力の気配を抑えていたのだが、どうやら効果はあるようで安心した。

 自分の魔力の気配を軽減することはそう難しいことではない。ただ、普通の魔術師なら術式でどうにかするところを、紘也は魔力制御だけで行っている。それは紘也だからできたことだ。始めた頃はかなり疲労していたけれど、慣れてくれば呼吸と似たような感覚でやれることを知った。そのうち眠りながらでもできそうだ。

 紘也は孝一の方に目をやる。校内隠れ鬼企画はだいぶ纏まってきたようだ。

「よーし手始めに一組と三組を侵略、もとい、勧誘するぞ。一人も逃がすな。部活? そんなものは知らん!」

 孝一の命令で実行委員たちが散開しようとしたその時、ガラッ! と勢いよく教室の戸がスライドした。

 クラス中の視線が集中する。そこには、一人の女子生徒が腰に手をあてて仁王立ちしていた。肩ほどに伸ばした髪に白と黒の勾玉型ヘアピン。顔立ちは端正で、猫のように吊り上った大きな目をしている少女。

「ご、五組の葛木だ……」「なんで風紀委員長が?」「きっと騒がしかったからよ」「まさか諫早の企みを嗅ぎつけたとか?」「そんな馬鹿な」「いくらなんでも早過ぎる」「このままなにもなかったことにしましょう」

 そんなクラスメイトたちのヒソヒソ話は、女子生徒――葛木香雅里が一睨みするだけで沈黙させられた。今年度の頭ごろから『悪魔の風紀委員長』と噂されている彼女は、多くの生徒から畏怖の対象として見られている。彼女が具体的になにをやっているのか紘也は知らない。なぜなら、彼女の折檻を受けた生徒は、折檻内容を口外できないほど恐怖するらしいからだ。

 静まり返った教室内を、香雅里はギンとした眼光で端から端まで睨め回し――紘也にその照準を固定した。

「秋幡紘也、ちょっと来なさい」

「俺!?」

 紘也は思わず自分を自分で指差した。周囲から『秋幡、お前なにやったんだよ』的な視線が突き刺さる。

「それと――」

 香雅里は実に嫌そうにしながら、もう一人を指名した。

「そこの留学生。あなたも一緒に来なさい」

 指名されたのは金髪美少女の留学生――という設定になっているウロボロスである。クラスメイトからは『フローラ』と呼ばれている彼女は、フレンドリーな調子で笑った。

「やほやほ、かがりん。あたしたちになんの用ですかい?」

「か、かがりんって呼ばないで。いいから、二人ともついてきて」

 紘也とウロは顔を見合し、踵を返した香雅里の後に続く。周囲が『校内で淫らなことでもしたんじゃねえの』的な会話を始めるが、スルーしておく。

 すると、思い出したように香雅里が教室内を振り返った。

「そうそう。あなたたち、テストが終わったからって馬鹿騒ぎでも始めたりしたら――わかっているわね?」

 悪魔の微笑みで忠告され、教室内は再び凍りついた。

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