第四十七章 15

 一夜が明ける。ライブは明日の午後からの予定なので、尊幻市はその準備で忙しい。何しろ都市全体を巻き込んだ移動型ライブとなるからだ。

 ハリー・ベジャンミンは、最初は城前広場で演奏を始め、そこから車に乗って少しずつ移動を繰り返し、最後にまた城前へと戻る予定になっている。移動の最中は、演奏は無い。


「しかし……奇妙な運命だ」


 ロスト・パラダイムの表向きの統率者であるV5は、クリシュナに向かって話しかける。


「かつて私達に散々楯突いたお前が、こうして同じ陣営で、一人の男を主と仰ぎ、戦うことになるとは」

「それは私からしても同じことです」


 V5に話しかけられ、クリシュナは静かな口調で言う。


 遡れば約五年前、傭兵学校十一期主席班と行動を共にした際、クリシュナは初めてロスト・パラダイムと敵対した。

 傭兵学校十一期主席班が解散してからも、クリシュナはロスト・パラダイムと戦い続けた。セグロアミア共和国支配の失敗以降、ロスト・パラダイムの力は急速に弱体化していき、各国の軍隊は執拗に追い討ちをかけ続け、首謀者と見られたV5を探し続けた。そしてクリシュナは、とうとうV5の元へと辿り着いたのである。


 クリシュナはその時、真実を知ってしまった。V5は表面上のボスに過ぎず、ロスト・パラダイムを創設したのも、組織を私物として扱っているのも、別人であるということを。

 来る者は拒まぬが、出ることは困難な尊幻市へと足を踏み入れたクリシュナは、そこでハリー・ベンジャミンと出会い、長いこと彼の話を聞いた。


『俺は欲する者に与えただけだ。そしてお前にも与えられたはずだ。ロスト・パラダイムっていう、悪い奴等と戦う生き甲斐ってもんを』


 詭弁であるとして、ハリーの言葉をはねのけることが、クリシュナには出来なかった。


『ゴミ山の中で蠢くゴギブリだって生きている。そう思わないか? 人間様に嫌われようが何だろうが、生きている。汚いと思われている世界で、汚いと思われている虫だろうと、命を持っている。命の喜びも苦しみも知っている。誰かが誰かを否定する――まあそれも勝手だ。しかしそれならば、もう一方がもう一方を否定してきても――いい気になって否定している側が、逆に否定される側になろうと、文句は言えないはずだ。俺はな、ゴキブリ扱いされている奴等に、新しい命を、希望を与えてやったと自負しているぞ。堅気の会社も然り、裏社会も然り、ロスト・パラダイムも然り、そして何より俺のファン然りだ』


 落ち着いた物腰で、穏やかに語るハリーの話をクリシュナは聞きいっていた。

 ハリーと向かい合っているだけで、温かい空気に包まれているような、そんな気分になる。とてもロスト・パラダイムのような、邪悪な組織を創りあげた人間とは思えない。


 それからハリーは、自分がギャング組織やロスト・パラダイムを創り、反社会的な人間達の受け皿のような場を築いたか、そのルーツを語った。難民となって、ゴミ収集所に流れ着いてからの昔話を全て語った。

 話をした後にハリーはギターを持ち出し、クリシュナの前で三曲ほど歌ってみせた。


 どうして敵である自分にこんな話をしたのかと、クリシュナが問うと、酒が入ってすっかり出来上がっていたハリーは、妹が気に入ったからだと、意味不明の答えを返してきた。


 クリシュナもハリーにすっかり惹かれていた。彼こそ、世界の理不尽な摂理に抗い続ける者であった。世界に抗う者達の統率者であった。ゴミ山の帝王という名前は、伊達でも皮肉でもなく彼の存在性を言い当てている。


 この男に仕えたい。この男を守りたい。たとえ悪と呼ばれる身になってもよい。そんな気持ちがクリシュナの中で強く沸き起こり、止める事ができなかった。そして今、クリシュナはこうしてハリーの側にいる。


「ライブが終わったら、貴方はどうするのです?」

 クリシュナがV5に尋ねる。


「終わった時にはもう私はいないよ。マイマスターと共に死ぬ」

 V5は仮面の下で微笑みながらそう答えた。


「私は……殉死はしません。ですが――」

 クリシュナが寂しげなトーンで言う。


「命を賭し、ハリーの最期の望みに付き合うつもりでいます。もし生き延びることができたら、また新たな戦場を見つけに行きますよ」

「そうか」


 V5は静かに頷いた。その辺が自分とクリシュナの決定的な違いだと、V5は感じた。クリシュナはハリーに忠誠を誓っている。V5は忠誠を誓っているだけではなく、崇拝し、己にとって無くてはならない存在とまで見てしまっている。故にハリーのいない世界になど、用も無い。


***


 ハリーは明日のライブに向けて、すでに準備をしつくして、後は待つだけという段階に入っている。

 二十年以上ぶりのライブであるが、ナイーブになる事も無ければ、プレッシャーも大して無いのが、自分でも不思議だった。


(これが最期だと覚悟を決めたからなのかな)


 自分でもよくわからないが、そうではないかと思い始める。


『ギターや歌の練習しなくていいのー?』


 ベッドに腰掛けてぼーっとしているハリーの顔を覗き込み、ケイシーが声をかけてくる。


「そんな気になれない」

 ハリーが息を吐く。


『じゃあ今日も遊びに行こうよー』

「それもちょっとな……。もう昨日は歩きまくりで疲れちまったよ。疲れが明日にも残るのは不味いぜ」

『じゃあ……じゃあっ、来夢とお喋りしたーい』

「またかよ。よっぽど気に入ったんだな」


 ケイシーの要望を聞き、ハリーは笑みをこぼす。


『来夢もハリーのこと好きになってるよ。あたしはハリーになったつもりで、自分が来夢とお喋りしてるごっこするから、あたしのことも好きになってるよー』

「お前の話も少ししてみようかな?」


 ふと、自分でも信じられない台詞が、ハリーの口からついて出た。何故そんなことを思ったのか。今まで一度として思わなかったことだ。ケイシーのことは、誰にも話したことがない。祖父にすら話さなかった。


『いいよー。話して話してー』


 ケイシーは笑顔で了承した。こうなると、話さなくてはならない流れのように感じてしまう。


 部屋を出て、城内の客室へと向かう。来夢は克彦と二人で相部屋だった。個々で部屋を用意したのに、何故か二人は同じ部屋にいる。


『二人は兄弟? 来夢は克彦のことを兄ちゃんて呼んでたけどー』

「苗字は違うけどな。ただの仲良しさんだろ」


 ハリーがノックをして部屋を開く。


「何かあった?」


 部屋の扉口に立つハリーに、来夢が尋ねる。いつ護衛の任に出動するかわからないので、裸ではない。


「いいや、俺の妹がお前のこと気にいったし、話がしたいっつーからさ、紹介したくて来た」


 口にしてから、ハリーはとうとう言ってしまったと意識し、奇妙な感覚に包まれる。


「妹の名前はケイシーだ。その……俺にしか見えない」


 言いづらそうに口にしたハリーの台詞に、来夢と克彦はきょとんとした顔になる。


「妹は……子供の姿でずっと、俺にしか見えないし、俺にしか声が聞こえない。だがいつも俺の横にいる。すげー変なこと言ってると思われているだろうし、頭おかしい奴かとも思われちまうだろうが、俺は真面目だ。俺がガチの頃から、ずっと横にいる。今も横で笑いながら俺とお前等を見比べている」


 どうしてもテレが出てしまうのを隠せず、目を泳がせながら話すハリー。口元もむずむずしてしまう。


「俺達をからかっているというわけではないみたいだね。魔が差しているわけでもない」


 ハリーの泳ぐ目をじっと見つめ、来夢は言った。


「からかっているにしては、話が飛びすぎているし、ハリーさんもすごく言いにくそうにしているからなあ」


 克彦は別の面から見て、ハリーが嘘をついているのではないと判断した。


「おお、信じてくれるのか。そりゃよかった。もっとドン引きされるかと思ったぜ」

 ハリーは胸を撫で下ろした。


「んでだな、信じてくれたのなら……見えないだろうが、俺の横にケイシーがいると……仮定して、その……会話してほしい。お前達の言葉は全てケイシーに聞こえるが、ケイシーの声は俺にしか……聞こえないから、俺が代わりに……伝える形で……」


 先程以上に言いづらそうに、つっかえつっかえ喋るハリー。信じてもらったとしても、それでも恥ずかしい。


「いいよ。別に照れることない。馬鹿にしたりしないから」

「お、おう……」


 じっと見つめてくる来夢に真顔でフォローされ、ハリーは咳払いをする。


『何歳ー? 好きなことはー? 克彦とはどういう関係ー?』


 ケイシーがわくわくしながら尋ね、それをハリーが伝える。


「十二歳。好きなのは裸になることと、人を潰す時と、敵になった奴をからかうことと、克彦兄ちゃん。他にもいろいろ。克彦兄ちゃんは運命共同体で親友で兄貴分で、将来は恋人になるかもしれないし結婚するかもしれない」


 来夢の口からいろいろと壮絶な答えが返ってきて、ハリーはやや引き気味になる。


『えー? 克彦との関係、何なの? 凄く欲張り? 恋人ってどういうこと?』

「俺は今、男でも女でもないから、将来もしかしたら女になって、そういう関係になるかもしれないってこと。迷ってるけど」

「あんまり誰にでもそれを言ってほしくないんだけどなあ……。何で誰彼構わず教えちゃうんだよ……。少しは自重してくれ」


 包み隠さず暴露する来夢に、顔をしかめて抗議する克彦。


「それはもちろん、克彦兄ちゃんを追い込むため――というのは半分冗談として、このケイシーは、ハリー経由で話をしている限りでも、少し性格が掴めてきた。物凄く好奇心旺盛で、物凄く無邪気。いつもはしゃいでいる、真の意味での脳みそお花畑な子だと思う。うちの花と一脈通じるかも。俺の妹の花は馬鹿だけど」

(ガキのくせして洞察力すげーな。流石にこの歳で、小規模とはいえ組織のボスというだけはある)

『全部大正解だー。ケイシーは脳みそお花畑~』


 来夢の台詞を聞いて、感心するハリーとケイシー。


「きっと俺が変わり者だから、ケイシーは共鳴するものがあったのかな? そうでなければ、俺みたいなのと進んで仲良くしたいと思わないよ」

「いや……そうじゃない」


 来夢の言葉に、ハリーは首を横に振る。


「ケイシーもまた変わり者というか、人を疑うということを知らない。できない性質なんだ。性格上の問題ではなく、体質的なものらしい。染色体が一つ欠けてるせいとか」

「7番染色体の欠失。ウィリアムズ症候群」


 わりと博識な来夢が言い当てる。


「よく知ってるな」

 驚いたように来夢を見るハリー。


「俺は学校行ってないから、同年代に比べて知識は凄い。これは揺ぎない事実だよ。学校の余分で無駄な時間を、見聞を広めること見識を備えることに回せる。自分にとって必要な知識、興味を抱き、吸収に値する知識を選び、時間を消費できる」

「何だ? そのウィリアムテルどうこうって」


 自慢げに語る来夢に、克彦が尋ねる。


「ウィリアムズ症候群。遺伝子の病気で、知能低下を伴って、異常なほど友好的な人間になってしまう。どんな人間にも警戒をしない。差別心も無い。心に壁が無い。初対面の人にもあらん限りの愛情ラッシュをする。誰でも愛せる。でも、他人に対して警戒心が無いという事は、人を疑うという事を知らないし、疑うことが出来ないから、凄く危険。完全なる純粋さは、狂気であり凶器。顔つきは妖精のようになるって聞いた」

『わーい、大体当たってるー。でもケイシーって妖精なのー?』


 来夢の薀蓄を聞いて喜ぶケイシー。顔つきはともかくとして、確かに妖精のようなものだと、ハリーは思い、微笑がこぼれる。


「ケイシーに関しては、知能低下は見受けられなかった。それ以外は……その通りだけどな。病院で調べたわけじゃないから、実際にそうだったかどうかはわからねーや。ただ、後になって知ってから、大体それと合ってるなと思ったよ。特に、誰にでも無警戒に接する辺りが特にな」


 喋っているうちに、ドス黒いものが心の中で鎌首をもたげ、ハリーの顔から微笑が消えた。


「その無警戒さで、ケイシーは失われたんだね」

 来夢が遠慮無く指摘する。


『失われていないよー。ここにいるよー』


 ケイシーのその言葉を、ハリーは伝えようとはしなかった。


「お前さんは鋭すぎるぜ。どんな餓鬼だよ」

「別に全然鋭くない。これは普通に考えれば想像つくこと。失われたケイシーは、心を痛めたハリーの妄想? それとも幽霊? 霊能力者に確かめてみようとは思わなかった?」


 何もかも見抜いている来夢が、ハリーはそらおそろしくなる。


(こんな奴がいるのか……。そこまで見抜くとか、全然普通に考えてわかることじゃねーだろ)


 心を丸裸にされたような感覚で、ハリーはこの場を立ち去りたい衝動に駆られていた。


「知り合いに霊関係に強いのがいる。昨日雪岡純子と一緒にいた、金髪でパーカー着た子と、長い黒髪の子がそう。余計なお世話を承知で言うけど、真実を突き止めてもらった方がいい。新しいぜんまいが巻かれる可能性もある」

「俺の頭がおかしくなって幻覚を見ているのか、幽霊なのか、はっきりしちまうってわけか」


 来夢に薦められ、ハリーは自虐的に呟く。


「俺はその真実から目を背け続けていた。四十年以上ずっとな。あの時から俺の時間は停まっている。し……確かめてみるのもいいかもな」


 死ぬ前に――と、口にしかけて、思い留まったハリーであった。


 その後もハリー経由でのケイシーと来夢は、しばらくの間、会話を楽しんだ。


 やがてハリーが部屋を出る。


「来夢、ハリーさんのことが気に入ったってぽいね。あっちも来夢のこと相当気にいってるようだけど」


 二人になってから、克彦が言った。


「うん、中々面白いおじさん」

 と、嬉しそうに来夢。


(やっぱりこいつはおっさん好きなんだなあ……。もちろん、おっさん相手なら誰でもいいわけじゃないだろうけどさ)


 来夢が中年以上の男には懐きやすい傾向があるのは確かだと、克彦は見ている。

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