第四十五章 11
一夜明けた早朝、傭兵数名と子供達は野戦病院へと向かった。
メンツは新居、サイモン、真、クリシュナ、ミルコ、イグナーツ。他にも傭兵が十八人、少年兵達は七名来ている。合計で三十一名だ。
野戦病院に続く路地の前には、戦車が一台置かれていた。元々は政府軍のものだったが、幸運にも、良い状態のまま奪うことが出来たという。
長く狭い裏路地の先にある、壊れかけた豪邸の地下が野戦病院となっている。戦闘はおそらく、この路地で行われると真は見た。
周囲の地形の把握に務めて散策している間にも、遠くから引っ切り無しに銃声が聞こえてきた。戦闘は常にどこかで行われている。
真は路地裏にて、変わった光景を見た。
狭い路地の壁と壁の間にかけられた板の上に、土嚢が積まれているのだ。丁度人の頭の高さ辺りにである。これはスナイパー対策の遮蔽物なのだろう。正直心もとないが、無いよりはマシだ。
「視線を遮るためなら、上に布を張った方が効果的だぞ。弾は防げないが、狙いを防ぐには効果抜群だ」
「考えてみる」
新居の提案に、反政府軍の野戦病院防衛部隊兵士は、愛想笑いで応えた。
「こいつ、絶対やる気ねーな。傭兵だと思って見くびってやがる。こいつは許せねーなー」
サイモンの耳元で囁く新居。
「機会があったら、もっと上の人間に訴えた方がいいだろうな」
サイモンが新居の肩を叩いて笑いかける。
サイモンのこの笑顔には、見る者の心を和らげてくれる不思議な温かさがある。新居は幼い頃から何度も、ただサイモンが側で微笑んでいるだけで、気持ちを落ちつけてきた。怒りっぽい新居がすぐに冷静になれるのも、サイモンがいたおかげだ。
「その機会以前に、俺達がここで戦うんだぜ? つーか俺等で勝手にやっとくか。こっちの命がかかってるんだ。好きにやらせてもらおう」
命を差し出してまで相手に合わせることは絶対にしない。妥協して愚者に合わせたあげく危うく死にかけた苦い経験から、新居達はその辺は絶対に引かない事にしている。
一行は野戦病院となっている建物へと入っていく。
病院にされた建物自体は結構な大きさであったが、そこら中に人が溢れているので、非常に狭苦しいイメージだった。負傷者達が蹲っていたり寝かされたりしている。さらに兵士達や負傷者の身内らしき者がいて、看護士とボランティアと医者が大量に行き来しているのだ。
廊下の床にはまだ掃除していない血の痕が、そこかしこにあった。血が大量にぶちまけられたのであろう痕もある。それらは茶色く変色している。それどころか変色した指までもが落ちている。
患者達のベッドが足りず、多くの患者が廊下の床の薄いシーツの上にまで寝かされているのだが、その中には明らかに重傷患者もいた。
「女性ならベッドを貸してくれるだろうに」
廊下に寝かされている片腕を失った女性にミルコが声をかけると、寝転がった女性がミルコを見てにっこりと微笑んだ。
「言われたわ。でも女だからって特別扱いされるのが嫌で、こうしてる。私より重傷の人を寝かせてほしいからね。私は腕一本程度だし、このくらい平気よ」
はきはきとした声で言うと、女性がミルコに向かってウインクしてみせる。
「いい
サイモンが目頭を押さえて呟いた。
「都合のいい時だけ平等にしろと権利を声高に叫び、気に入らないことは差別だと喚きたてる腐れフェミ共に、彼女の爪の垢を飲ませてやりてーぜ。あいつらが代わりにくたばればいいんだよ」
新居が女性に聞こえない位置で、言いたい放題に毒を吐く。
「いくらお前が不謹慎好きでも、限度を超えているぞ。彼女の気高い魂を、そんな糞虫共と比較するな。いや、引き合いに出してあてつけるな。例え心の中で思うだけでも、失礼だろう」
「すまんこ……でもどうしても比べちゃう。人間の心ってのは、涙が出そうになるほど気高く美しくもなれるが、反吐が出そうなほど腐ったゲスにもなれる。ああ不思議っ」
サイモンに睨まれて注意されて謝りつつも、主張は引っ込めない新居であった。
「集中治療室も見ていくか?」
野戦病院防衛部隊の指揮官が声をかける。新居が無言で頷き、真とクリシュナの方を一瞥する。ミルコとイグナーツは、まだ隻腕の女性と話していたので、傭兵達だけで治療室へと入った。
治療室にはベッドが大量に並び、目を覆いたくなるほどの悲惨な重傷患者が並んでいた。
血で茶色や黒に変色したガーゼが、床に散乱している。血痕はもちろん、髪の付いた肉片までもが落ちていた。衛生観念すらろくにないように真には見えた。
扉の一番近くでは、医者が糸鋸で女性の脚を切断している最中だった。女性は麻酔がかけられているようで、目を瞑って何の反応もしない。切られている脚は、確かにもう切るしかないような、取り返しの付かない状態になっている。足首から先は無く、ふくらはぎも大部分が失われ、骨まで露出している。
体中にコードをつけられ、呼吸器をあてがわれた子供は、一見して頭部が失われているかのように見えたが、まだ生きている。モニターの心音図は正常だ。頭蓋骨が大きく破損しているものの、脳は無事なようだ。医師が頭蓋骨の断面を削っていた。
他にも様々な光景が見受けられたが、真がじっくりと見たのはその二つだけだった。それだけでもうお腹いっぱいだ。
その後、兵士達や話す余裕のありそうな患者やその身内と、情報交換を試みる。あるいは立ち話に耳を立てる。
「アッバース司令が死んだのか……。十七旅団の偉大な勇者が……」
「冷静沈着な一方で、常に最前線に立つ人だったからな。惜しい人を亡くした」
「ロスト・パラダイムのミスター・ホーという狂人とやりあって負けた。銃弾の飛び交う中を笑いながら走り回る奴だ」
「あいつか……。糞っ、あそこできっちりと殺しておけば……」
ミスター・ホーの名前を聞き、イグナーツが悔しげに拳で平手を叩いた。
「政府軍の奴等、深刻な武器不足の末に、自分達で手作りの武器を作り始めたぞ。暴発して死人も出たようだが、油断できない」
野戦病院防衛部隊の兵士が、驚いていいのか呆れていいのか恐れていいのかわからない情報をくれた。
「ここん所ずっとこっちが一方的に優勢になっていたけど、気を引き締めてかからないといけないな」
ミルコは油断していないようで、イグナーツを見て言った。
「俺に気を引き締めろって言ってるのかな~?」
「そうだよ」
気の抜けた声を出すイグナーツに、ミルコが微笑む。
「政府軍が武器不足ってのも珍しいパターンだな。逆ならわかるが」
サイモンが顎に手をあてて不思議そうな顔をする。
「武器だけでなく兵士も食料も不足している。街で反政府軍相手に戦っているのも、徴兵された新兵ばかりだし、士気も低い。こっちに寝返る兵士もわりといるよ」
野戦病院防衛部隊の指揮官が言うと――
「はい、寝返った元政府軍兵です」
「俺もだ」
何人かが照れ笑いを浮かべたり複雑な表情になったりして、わざわざ挙手した。
「バックについていたロシアからの資金援助が、大分前に断たれている。それだけではなく、死の商人達にも見限られた。もちろんまだ相手をしてくれる死の商人もいるが、横流し専門の怪しい連中ばかりさ。だから旧式の怪しい武器ばかり、奴等は使っている」
そう言って指揮官が肩をすくめた。
「その手のブラックマーケットには、フリーの傭兵達も世話になっているし、泣かされてもいるな。傭兵学校卒業生はちゃんと、その辺は保障されているけど」
サイモンが若干得意げな顔になって言った。
「敵さんの大規模な反撃の予兆と、俺は見るな。ろくに武器も食料も与えられず、士気も低かった体制派が、ようやく工夫を始めたってことは、手負いの獣、窮鼠とも言える」
新居のその言葉は、その場にいた傭兵達にもイグナーツとミルコにも野戦病院防衛部隊の兵士達にも、重く響いた。
その時、砲撃の音が響いた。
「おう、来たか」
うきうき顔になるイグナーツ。明らかな襲撃に、病院内全体が緊張する。
「かなり大きい爆発音でしたね」
「ああ」
クリシュナが言い、新居が頷く。
「戦車がやられた」
外からやってきた野戦病院防衛部隊の兵士の報告に、病院内の兵士達の間に嫌な空気が流れた。
「敵の砲弾一発減らすだけの役割を果たしたってか?」
新居が皮肉るが、目くじらを立てる者はいなかった。他の兵士達も同じ心境だ。彼らにとって、とっておきだった戦車が、一瞬でガラクタに変わった報告があっさりとなされ、呆れ返っていた。
「ミスター・ホーの仕業だ。目立つ場所から、平然とRPGをぶっ放してきやがった。そのうえ、『自分は神に愛されているから、お前等の銃弾など決して当たらない』と挑発してきた」
悔しげに報告する兵士。
「だったら隠れずにそのまま同じ場所で立ってろと、ちゃんと言い返したか?」
「そうか。そう言えばよかったんだな。うっかりしてたぜ」
サイモンの冗談に、報告にきた兵士が笑う。他の兵士達からも、小さな笑い声が複数漏れる。
そしてさらによくない報告がなされた。
「大量に運ばれてきた負傷者が、大通りで襲われている!」
「対策は?」
新居が現場指揮官を睨む。
「何も……」
「馬鹿野郎。それは予測できていた事だろう。連絡がいってなかったのか?」
険悪な形相になって罵倒する新居に、指揮官もむっとする。
「戦車で守るつもりだったんだ。そういうお前達は何しに来たんだ。口ばかりであーだこーだと」
「何だとこの野郎……」
「よせ、新居。行くぞ」
サイモンが新居の肩に手を置き、傭兵達と少年兵達を見回した。
「こいつらにも、そして糞ったれのロスパラ共にも、思い知らせてやろうぜ。楯突いた相手が悪かったことを」
いつも通り朗らかな笑みを広げて言ったサイモンに、傭兵達と少年兵一同が、不敵な笑みをこぼす。
「別に私は楯突いたわけでは……いや、すまなかった。武運を!」
指揮官が尻すぼみの声で謝罪した後、力強い声を発して敬礼する。
「行くぞ! ここは絶対に死守する!」
患者や医師達といった非戦闘民を少しでも安心させるために、新居がいつになく気合の入った声をあげて、真っ先に外へと向かう。他の兵士達もその後に続き、次々と病院の外へと向かった。
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