第四十章 33
☆34
龍雲は蒼白な面持ちで、トラックの近くで腰を下ろし、長い脚を投げ出して天を仰いでいた。
こんな格好の、そしてこんな顔の龍雲を、踊る心臓の面々は初めて見た。
「龍雲さん、こんな時でこそあんたがしっかりしないと駄目だろ。気持ちはわかるけどさ」
見かねた春日が声をかける。
「そうだな。まだボスが死ぬと決まったわけでもないな」
小声で言うと、龍雲は立ち上がる。
「ボスが死んだら、あんたも死にかねないな」
「そのつもりでいる」
蹴導が言うと、龍雲はあっさりと認める。
「これで二度目だ……。俺の心は折れるだろうさ」
「かける言葉が見当たらんから放っておこう。そしてボスの生存を俺達も祈っておこーぜ」
春日が神妙な口調で言い、自分が乗ってきたトラックへと戻る。それを見て、他の三名も、それぞれトラックに戻っていった。
「御通夜ムードだけど、あいつらのボスが死んだら、敵討ちでまたドンパチになるのかな?」
踊る心臓の様子を遠巻きに見ていた克彦が、疑問を口にした。
「わからん! そうならないと信じたい! 真も一応助けようとしているみたいだしな!」
「真は美香のために、あの子を助けようとしているんじゃないよ。真があの子を助けたいから助けている。だから、一応っていう言葉は凄く余計」
美香の台詞が気になった来夢が、真顔で喋る。
「君にはそれがわかるのか!」
「わかるから言ってる。わからないならこんなこと言わない。それくらいわかってね」
「ぐぬぬぬ……」
少しむっとして叫ぶ美香であったが、来夢が呆れたように言われてしまい、美香は悔しげに唸る。
「来夢は考え方や感じ方が、真やあのランディって子に近いんだな。だから気持ちがわかるんだろう」
克彦がフォローする。
「克彦兄ちゃんが俺の気持ちをわかるようにね。俺もわかるし。わざわざ口に出したり言葉にしたりが、気持ちの伝達手段じゃないってこと」
克彦の言葉を聞いて、来夢は嬉しそうに微笑む。そんな二人の関係を見て、美香は何故か、少し羨ましいと感じてしまった。
***
闇タクシーの後部座席に、真と、息も絶え絶えのランディが並んで座っている。
「着くまでに俺……持つか?」
「さあな。気合いでもたせろ」
不安げに問うランディに、突き放した台詞を口にする真。
(怖い……)
先ほどから震えが止まらないランディ。死線は幾度もくぐり抜け、死の恐怖は存分に味わったつもりであったが、あんなのは大したものではなかったと、今になって思い知る。今の恐怖こそが、本当の死の恐怖だと。
「ああ……何だ、これ……」
視界が歪み、涙が零れ落ちていることに、ランディは驚く。
「情けないもんだ。笑えよ」
自嘲するランディに、真は小さく息を吐く。
「お前さ、そのキャラあってないよ。僕とお前は似ている気がするんだけど、お前は必死にキャラを作ろうとしている感がある。僕はそんなことしてないから、気持ちはわからないし、お前がどんな事情で、そんなことしているのか知らないが――」
(龍雲と同じようなこと言ってる……)
結局自分が間違っているのかと、ランディは癪に思う。
「言うなよ。俺はこうでないといけないんだ。偽りの仮面を被っていると見抜いているなら、わざわざそれを剥ごうとしないでくれ」
「いいや、剥いでやる」
力なく抗うランディだが、真はきっぱりと言いきった。
「お前みたいな奴を以前見たことがある。そいつはクローンで、死んだオリジナルの振りをしようと偽りの自分のキャラを作っていたけど、結局それは歪で、空回りが多く、本人も苦痛だったみたいだ。今はもう伸び伸びと自分を出しているらしいけどな」
「他のことなど知るか。俺は今の俺が俺だ……」
「頑固だな」
ランディが小刻みに震えているうえに、唇まで変色してきているのを見て、真はヤバいと感じる。
(恐怖の震えだけではないな)
ランディの体に触れると、体温がすでに低下している。
真はランディの体を抱き寄せて、自分の体に密着させて、体中をさすって、体が冷えないように、血流が滞らないようにと努める。これにどれだけの効果があるのか不明だ。しかし真が重傷を負って純子に治療してもらう際には、よく純子にさすられているし、その際には気持ちが落ち着き、体も楽になっているので、同じことをしてみる。
(懐かしい……)
深い安らぎと共にランディは、昔、病気で高熱を出した際、寝付くまでずっと母親にさすられていたことを思い出す。全身がダルくて苦しかったのに、さすられていると不思議と楽になったし、何より安心できた。
***
麗魅とほころびレジスタンスの三名と優も、反物質爆弾が処理された報告を受けた。
「無事解決か。こっちははずれだったけど、楽しかったからよし」
「私は一回能力発動させただけでしたよう。まあ見てるだけでも楽しかったですけど」
晃と優が言った。
「うーん、あの子は結構俺好みだけど、僕は凜さん一筋だからなー。十夜、アタックしてみたら?」
晃が十夜の耳元で囁く。
「晃は俺に、自分が付き合わない女の子を無理矢理勧めるのをやめろと、何度言えば……」
「私一筋ってのも、さっさと諦めて欲しいんだけど……」
十夜がうんざりした顔になり、晃の声がしっかり聞こえていた凜も、うんざりした顔になる。
***
オーマイレイプ本部。
「反物質爆弾は処理したそうだ。亜空間で爆発させたとさ」
純子から報告を受けたシルヴィアが、奈々、エボニー、幾夜、ほのかに伝える。
「こんどこそほんとーにいっけんらくちゃくかにゃー」
と、エボニー。
「爆弾を爆発で処理する。爆弾の使命は爆発すること。その爆破は何のため? 爆発してその生涯を終える爆弾。好まざる爆破で生涯を終えた爆弾。爆発する時、何を思う爆弾。爆弾が本当に望む爆破とは?」
ほのかがポエムを口ずさむが、誰も反応しなかった。
***
純子の方から、黒幕である妊婦にキチンシンク大幹部霜根太一に電話をかける。
「私だけには、こっそりネタ晴らししてくれてもいいんじゃないかなー? いろいろと疑問が残ってるよー。妊婦にキチンシンクが反物質爆弾を奪おうなんて、大それたことをした理由と、仮に奪えたとして、その先にどうするつもりだったのか。どうせもう同じことはできないだろうから、教えてくれてもいいでしょー」
反物質爆弾の強奪など、現実的に考えて、ハードルが高いなどというレベルではないほど困難を極める行為であり、そのリスクもとんでもなく高い。普通、やろうとなど思わない。
また、それを実行して得られる物が何であるか、純子はそちらの想像がついているが、それでも確認のために訊いてみる。
『妊婦にキチンシンクが反物質爆弾の強奪に踏み切った理由は、そのチャンスが巡ってきたからだ。我々はずっと保有国に目を光らせ、その機会を伺っていた。準備も整えて、なるべくすぐに実行できるようにしていた。リスクがあるのはもちろんだが、我々にはそのリスクを乗り越える力があると信じていた。実際、途中までは上手くいっていたしな』
「踊る心臓にばかり任せていないで、霜根さんの組織がもっと早く介入すれば、上手くいったんじゃないかなー?」
『私もそう思う。その点は、リスクを恐れた事が徒になったわけだ。妊婦にキチンシンクが暗躍している事は知られずに済ませたかった』
あっさりと純子の言葉を認める霜根。
『踊る心臓に任せきりで、自分達は姿を隠したままでいるか。それともリスクを恐れて台無しにするより、妊婦にキチンシンクが諸悪の元凶ということを知られてでも、自分達の組織も力を貸すか。組織内でも意見が分かれていたよ。結果として前者は間違っていたと証明されたな。最初から踊る心臓と共闘しておくべきだったのだ』
霜根がどちらの考えであったかは、この台詞から明白であった。
『話を戻すが、我々はアメリカにおいて定期的に反物質爆弾を輸送している事も、輸送経路も突き止めた。それもつい最近知ったのだ。一箇所に保管しない理由は、他の何者かからも、反物質爆弾を狙われ続けていたからだ。一国の軍隊を敵に回して、反物質爆弾を奪おうとするなど、狂気の沙汰と思えるが、それが実行できる組織があの国にはあることは、君も知っているだろう?』
「『戦場のティータイム』」
純子が声のトーンを落として、ぽつりとその名を呟く。アメリカの裏社会を統一し、君臨する組織。警察はおろか、軍隊さえも退けた話は、世界的に有名だ。この組織の台頭が、世界六大地下組織を、世界七大地下組織へと最近変えた。そして、純子と全く無関係というわけでもない存在だ。
『輸送のタイミングとルートさえわかれば、強奪の実行もできる。多くの軍人を賄賂と脅迫と洗脳で抱え込むのは、中々手のかかる作業であったが、我々には出来た。米軍も実は余裕が無い。戦場のティータイムのボス――キングは、未だ国家そのものを敵視しているし、アメリカを完全に乗っ取ってやるとまで公言しているほどだ。アメリカの裏社会は平定されたが、そのさらに影では、攻防が続いていることを、我々は知っていたしな』
「なるほどねー。で、奪った後は?」
『それは君にも想像がついているだろうし、想像通りだよ。反物質爆弾を解析し、我々の手で反物質爆弾を量産する。売り物にするだけではなく、他にも利用法はある。敵国に売ると影で脅して、国そのものを複数、裏から乗っ取る事も可能だろう。結局、君が協力してくれなかったおかげで、無理だったが……。しかし、現時点では無理という話なだけだ。データは手に入れてある。そのうち我々の手で製造も可能になるかもしれない』
純子が想像していた通りの答えが返ってくる。
「この会話を私が録音してて、強請ってくるとは考えなかったー?」
『ないな。私達は君とは敵対していないし、君は敵対する者でないかぎり、誠意ある付き合いをしてくれると信じているからね』
冗談めかして言う純子に、霜根は淡々と言い切る。
『今回の件は、情報組織と情報屋達の執念に負けたと言っていい。もちろん、それを支えて護った者達の功績も大きいが』
「最後はどこに売ろうとしてたの?」
『『ロスト・パラダイム』だ』
販売先を聞いて、純子はおかしくて笑みをこぼす。
国を跨り、あらゆる紛争地帯に現れては殺戮の限りを尽くす、その規模は数十万とも言われる巨大武装集団――『ロスト・パラダイム』。世界中から目の仇にされている彼等が反物質爆弾を所持したとなれば、大事どころではない。そんな相手に売りつけるなど、正気の沙汰ではない。
『すでに我々の組織では、核爆弾と弾道ミサイルをかなり販売しているが、もう核ミサイル自体が産廃の世の中だしな。君が作った高性能レーザー衛星『月読』が量産されたおかげで、世界から核の脅威は消えてしまった』
「おかげで世界中で戦争紛争多発しちゃってるけどねー」
純子がくすくすと笑う。そしてそのおかげで、純子や霜根のような人間は大いに助かっている。
『そのおかげで我々は世界七大地下組織の一つとなることができた。かつて平和主義者達は激しい核アレルギーだったらしいが、実に愚か極まりないな。核の脅威のおかげで平和が維持されていたという、皮肉な現実を目の当たりにすることになったのだから』
「そういう人達はその現実が見えないし、指摘されても認めないし、受け入れないよー」
『だろうな。人間というのはどこまで果てしなく愚かになれる。彼等はその見本か』
「戦争を商売にする霜根さんが言うのも、どうかと思う台詞だけどねー」
『私は常に現実を見ているよ。そうでなければこんな仕事はできない』
(リアリストが一番ハメやすい手合いだってこと、教えた方がいいかなあ?)
そう思った純子であったが、やめておいた。教えた所で、霜根はその現実を直視できないし、自分が信じる現実とやら――固定観念に凝り固まった思考からは、逃れられないと見なして。
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